読み込み中...からくりとは日本の伝統的な機械仕掛けの人形や模型、あるいは機械装置である。漢字では絡繰、機巧、機関と表記し、古くは唐繰とも表記された。
:語源は「糸を引っ張って動かす」という意味の「からくる」という動詞の連用形の名詞化といい、16世紀後半頃から用例が確認されている「からくり」『日本国語大辞典』第2版(オンライン版)、2007年。他に語源説として、『嬉遊笑覧』、『大言海』の「絡み繰る」からという説、『言元梯』の「カハリクリ」(変転)の転とする説などが紹介されている。。。また。
:英語のKarakuriはは日本のからくり人形を意味する。
日本で最古のからくりは平安時代に中国から入ってきた指南車であると言われている。車輪の差動を利用して常に一定の方向を指し示す実用的なからくりである。指南車の記述は三国志にも見られる。平安末期の今昔物語弐拾四巻に高陽親王がからくりをつくったとされる記録がある。古い歴史がある。なお、当時は貴族の鑑賞品だった。高山が有名である。
日本独自のからくりのルーツは室町時代に入ってきた西洋技術に寄るところが多い。鉄砲伝来とともに時計などの機械が入ってきた。当時は機械装置全般のことをからくりと呼んだ。当時は機械装置自体が珍しく好奇の対象であった。そのため、からくりという言葉には娯楽性や意外性のニュアンスがある。 17世紀ごろから、時計などに使われていた歯車などの技術を、人形の動作装置として応用し、からくり人形が作られ始めた。当初は大名などの玩具である数寄物であったが、次第に見世物として人気を呼ぶようになり日本各地に普及した。専門の職人も現れ、非常に精巧なものが作られるようになった。当時は貴族の鑑賞品だった。 1662年(寛文2年)には大阪の道頓堀で竹田近江がからくり芝居の興行を行っている。各地の山車からくりに受け継がれたとされる。18世紀初めの享保年間では、彦根藩藩士の平石久平次時光によって新製陸舟車という三輪自転車に相当する乗り物が発明されている。
19世紀には筑波の「からくり伊賀」こと飯塚伊賀七が人力飛行機や道を歩いて酒を買いにいくからくり人形を作ったとされる。18世紀から19世紀に作られたものに特に精巧なものが多い。
幕末には加賀の平賀源内と称された大野弁吉が空気銃や蒸気船の模型や写真機を作った。
からくり人形と現代のロボットに技術的な繋がりは無いが、文化的な繋がりは少なくない。からくり人形などを見慣れていたため、日本人はロボットに対し親近感があり、ロボットに抵抗感のある欧米人とは対照的であるとする論もある末松良一「ロボット好きの日本人2 ホームロボット時代の幕開け」『アーキテクト』(日本建築家協会東海支部機関誌)2000年11月号、http://www.jia-tokai.org/sibu/architect/2000/11/robot.htm。またからくりの存在が日本でロボットの研究や応用が盛んな理由の一つであるとする意見もある鈴木一義、古田貴之「江戸時代からの古き技術と現代のロボット研究「からくり人形とロボット」」SciencePortal(レポート)、科学技術振興機構、2006年6-7月、http://scienceportal.jp/reports/robbot/。
ヨーロッパの教会や古い市役所にはからくり時計がよく見られる。鋸を引いたり、斧を振ったり単純な往復運動をするものが多い。19世紀にはオートマタ(自動人形)という人間の動作を真似ようとしたからくり人形が登場した。中には人と会話したり、計算をしたりチェスをするものがあったという。