読み込み中...もともとは大きな川と険しい山道で、羽州街道の難所のひとつであった。弘前藩主の津軽家が参勤交代で江戸まで移動する際には、この地を無事に通り過ぎたことを伝えるためだけに、弘前まで使者が使わされたという。羽州街道には多くの難所があるが、このことはきみまち阪がいかに難所中の難所であったかを示している。
戊辰戦争で盛岡藩に大館城を攻略された秋田藩は、きみまち阪を防御地点に設定し、官軍からの援軍を待つ作戦をとった。秋田藩は兵の数でも武器の性能でも劣っていたが、(実際に交戦がおこなわれた場所はきみまち阪の手前の山であるものの)地形を利用して援軍到着まで持ちこたえることができた。現在でもきみまち阪の周辺には断崖絶壁の屏風岩がそびえ立ち、往時の険しさを物語っている。現在のきみまち阪は公園として整備され、絶壁内部の公園部分は多くの樹木に覆われているが、大正時代の写真では、草地に数多くの大きな白い岩が点在する荒々しい様子をうかがうことができる。
明治天皇の東北巡幸のため、にゆるやかな坂道が通された。また翌年、川には橋がかけられた。、明治天皇が東北巡幸した際に、皇后は「大宮の うちにありても あつき日を いかなる山か 君はこゆらむ」という歌をしたためた手紙を出し、ここで天皇の到着を待ったと言い伝えられている。翌、宮内省を通じて正式に「徯后阪(きみまちざか)」と明治天皇より命名された。
その後はにトンネルが完成し、、奥羽本線が開通。きみまち阪は鉄道を使って通過することが可能になった他、にきみまち阪公園が開園。には、きみまち阪そのものが秋田県立自然公園に指定されるなどした。また2月14日にNHKにおいて放送された特集番組「おーい、ニッポン」の中で、この場所から名前を借りた「きみまちざか」と言う歌が作られ、全国に放送された。
山中には近年、地元の町の町興し企画「恋文コンテスト」と連動して「恋文神社」が建てられた。
尚、近くには二ツ井テレビ・FM中継局もある。
1964年(昭和39年)7月16日指定。きみまち阪を中心とする一帯599haが県立自然公園に指定されている。
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