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アラスカ州

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

アラスカ州 (Alaska AK)は、米国最北端にあるアリューシャン列島を含む。北アメリカ大陸北西の端にあり、ハワイ州を除いた他の48州とは、カナダを挟んで飛地になっている。アラスカでは、合衆国本土を"lower 48"(直訳:南方の48州)と呼ぶことがある。「アラスカ」の名は、アレウト族の言葉で「半島」を意味する"Alakshak"(アラクシャク)から。

州都ジュノー市で、最大都市はアンカレッジ市。海港アンカレッジはかつてアジアアメリカおよびヨーロッパを結ぶ航空路線の寄港地として知られた。

知事

知事はサラ・ペイリン。地元の美人コンテスト優勝(ミス・ワシラ(ミスアラスカでは2位))→テレビキャスター→漁師の妻→地方議員(ワシラ市議会議員)→ワシラ市長→アラスカ州知事(同州で最年少)という経歴を持つ。2008年、連邦政府副大統領候補となった。障害児の母でもある。

油田

米国の中で最も天然資源に恵まれ、とりわけ「原油」の埋蔵量が豊富である。プルドー・ベイ油田(プルドー湾油田)は米国最大の規模を誇り、それらの産出事業のおかげで州の平均所得も国内トップクラスにある。21世紀初頭からの原油価格高騰により、他の油田候補地の開発も州政府は検討しているが、一方でこれらの多くが北極圏国立自然保護区(ANWR)に位置し、州議会ではアラスカの自然・生態系愛護を訴えるアメリカ民主党との間で長らく論争が続く。そして開発推進派に立つサラ・ペイリン州知事が共和党の副大統領候補になったことから国家のエネルギー政策を左右する問題として動向が注目されている(だが皮肉にも彼女を指名したマケイン大統領候補は従来ANWRの開発に反対の立場をとってきた)。

歴史

主要記事:アラスカの歴史

最終氷期では海面は後退し、ベーリング海峡にはベーリンジアという平原が広がっていた。ユーラシア大陸を東進してきた人類は、まずインディアンが次いでエスキモーが回廊を通り、アラスカに到達した。

歴史時代以前、アラスカはエスキモーインディアンの土地であった。エスキモーは北極海沿岸を中心に海洋動物の狩猟が中心の生活、インディアンは内陸部にてヘラジカ(ムース)やカリブーなどの狩猟が中心の生活をそれぞれ一万年以上続けてきたとみられる。

近代

近代に入ると、北部ユーラシア大陸を東進してきたロシア帝国がアラスカに到達した。1648年、ロシアの探検家セミョン・デジニョフ(Semyon Dezhnev)がベーリング海峡上の島・ダイオミード島に到着した最初のヨーロッパ人である。しかしデジニョフの航海は19世紀後半まで忘れられており、1728年8月16日ヴィトゥス・ベーリングが再発見・命名したとされる。再発見した8月16日はロシア正教会タルソスの聖ディオメデスを祝う日であり、これにちなみ現在の名となった。またロシアの測地学者ミハイル・グヴォーズデフ(Mikhail Gvozdev)がダイオミード島の位置を地図に記した(別名のグヴォーズデフ諸島の名はこれにちなむ)。

19世紀後半ロシアは植民を行い、露米会社アザラシなど海洋動物の毛皮を採集していたが、運送費がかさむこと、乱獲による海洋動物の激減により毛皮事業がなりたたなくなってきたこと、クリミア戦争後の財政難などの理由による資金調達のため、1867年にクリミア戦争の中立国であったアメリカ合衆国に720万ドル(1km?あたり5ドル・計約100億円)で売却された(アラスカ購入)。この交渉をまとめたのは国務長官であったウィリアム・H・スワードである。このことは当時のアメリカ国民から「スワードの愚行」「巨大な冷蔵庫を買った男」などと非難されたが、その後豊富な資源が見つかったり、アラスカが(主に旧ソ連に対する)国防上重要な役割を果たすことが分かり、現在では高く評価されている。

なお、アラスカはかつてロシア領だったためにロシア正教会の信者の割合が他州に比べて高く、現地語のうちの幾つかがロシア人宣教師によってはじめて文字化された。

アメリカ時代

1896年カナダユーコン準州が発見される。

その後、アラスカのノームジュノーフェアバンクスでも金鉱が発見され、アラスカのゴールドラッシュが始まり、何万人もの砂金探しがアラスカとカナダのユーコン準州に集まった。フェアバンクス等はこの時代に町としての形をなした。

1959年米国49番目の州に昇格。

1950年代の米ソ核軍拡競争の時代には、アラスカを水爆実験場にしようという計画が持ち上がったが、自然保護運動の高まりの中、中止に至る。

1968年アラスカの北部のプルドー湾で、ARCO油田を発見した。推定埋蔵量は96億バレルだった。1974年-1977年に、プルドー湾からヴァルディーズ市(1,280km)までのトランス・アラスカ・パイプラインが建設された。

地理

北アメリカ大陸最高峰のデナリ(別名マッキンリー山)がある。周囲は広大なデナリ国立公園が広がっている。また、自然保護区としてラッセルフィヨルドがある。

人口動勢

主要記事:アラスカ州の郡一覧

2005年現在、アラスカ州は前年より5,906人、または0.9%増加し、2000年より36,730人、または5.9%増加した、人口663,661人と概算された。これは36,590人(出生53,132、死亡16,542)と前回の国勢調査からの自然増並びに州内への移住者1,181人の増加が含まれている。アメリカ合衆国外からの移住は5,800人増加する事となり、合衆国内部の移住者は4,619人減少する事になる。

アラスカ州の人口重心はアンカレッジの東おおよそ64.37km(39.96マイル)となっているhttp://www.census.gov/geo/www/cenpop/statecenters.txt

主な都市及び町

Wikipedia画像へのリンク(シトカの漁師町。)
アラスカで最も人口の多い都市はアンカレッジで、2000年現在260,283人、市街地域には225,744人が暮らしている。アンカレッジは他にも同州の2都市に続いて、アメリカ合衆国の都市の面積順リストで3番目に位置している。(1位は南東部に位置するシトカで、2位はジュノーがつけている。) | colspan="5" | 人口100,000人以上の都市 |- | colspan="5" | 人口10,000人 - 100,000人の都市 | colspan="5" | 人口10,000以下の都市 |- | valign="top" | | width="50px" |   | valign="top" | | width="50px" |   | valign="top" |

政治と法律

主要記事:Government of Alaska

教育

大学・短期大学

その他

交通

関連項目:List of Alaska Routes
Wikipedia画像へのリンク(アラスカ・ハイウェイ(Alaska Highway)の橋。)
かつて冷戦下は西側諸国に旧ソビエト連邦領空が解放されておらず、また当時の航空機の性能もあり、日本欧米諸国を往復する最短経路の航空便はアンカレッジ国際空港を経由するのが普通であった(いわゆる「北回り航路」)。しかし、現在では航空機の性能の向上等もあり、日本アメリカ大陸を往復する便はアラスカ上空付近を飛行するがアンカレッジ空港を経由することはなくなった。日本とアラスカ州を結ぶ定期直行便は、貨物便を除いてない。日本からアラスカに行くには、通常アメリカ西海岸シアトル・タコマ国際空港ロサンゼルス国際空港サンフランシスコ国際空港など)に飛び、そこからの定期便を利用する(バンクーバー国際空港の方が距離的には近いが、アラスカまでは国際線となるため先述の各空港からより便数が少なめ)か、夏季限定の仁川国際空港韓国)からの定期便、もしくは日本からのチャーター便を利用するかのいずれかになる。

日本の姉妹都市

関連項目

外部リンク

bi:Alaska ik:Alaxsxaq nv:Hak’az dine’é bikéyah
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