オアシス (Oasis) は、イングランド・マンチェスター出身のロックバンド。1991年結成。
ブリットポップ・ムーヴメントの代表格であり、
英国を代表するロックバンド。ブリットポップ・ムーヴメント後も人気が高い。
バンドの核となるギャラガー兄弟は、同じくアイルランド系英国人・労働者階級出身であるビートルズを大変敬愛しており、ビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォルラス」や「ヘルター・スケルター」などを時折演奏したり、ファッションや、自身の曲においてもその影響を見る事が出来る。
また、ドラッグや暴力沙汰などのロックではおなじみのスキャンダルとともに、彼らの発言もまた挑発的なものが多い。
メンバー
現メンバー
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デビュー当時はジョニー・ロットンとジョン・レノンを足して割った声と評される。オアシスの初期メンバーの一人。ジョン・レノンを敬愛している。
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バンドの主要な作曲家・作詞家。6歳の頃にギターに触れ始め、16歳で本格的にギターを弾き始める。リアムに代わってメインヴォーカルを務める事も少なくない。リアムの実兄。
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元ヘヴィ・ステレオのフロントマン兼ギタリスト。「ゲム」の名称はもともとスコットランドのサッカー選手の名前からきている。
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元々、ライド、ハリケーン#1などのバンドでフロントマンやギタリストとして活動。オアシス加入以前までは、ベースを触ったことも無かったとされるが、オアシスではベースを担当している。
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ロビー・ウィリアムズのバックバンドでドラマーをしていた。ザック・スターキーの跡を継ぎオアシスのドラマーとなった。
初期はノエルが作曲した曲ばかりであったが、現在はリアム、ゲム、アンディら作曲の作品もアルバムに収められることが多い。
旧メンバー
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ポール・ "ボーンヘッド" ・アーサーズ (Paul "Bonehead" Arthurs, 1965年6月23日 - ) ギター。
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ポール・ "ギグジー" ・マッギーガン (Paul "Guigsy" McGuigan, 1971年5月9日 - ) ベース。
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トニー・マッキャロル (Tony McCarroll ) ドラムス。
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アラン・ホワイト (Alan White, 1972年5月26日 - ) ドラムス。
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有名なドラマーのアラン・ホワイトとは別人である。
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元ビートルズのメンバーであるリンゴ・スターの息子で、ザ・フーなどで活動。
来歴
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ボーンヘッド、ギグジー、クリス・ハットン(ヴォーカル)が前身バンド「ザ・レイン」を結成。ザ・レインの初演は、地元マンチェスターのバーネイジにあるカードゲームクラブで、ドラムマシンを使って行われた。後に、ドラマーとしてトニーが加わる。
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1991年
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音楽関係の仕事をしていたノエルのコネを狙って、ボーンヘッドがクリスをクビにし代わりにリアムを加入させ、リアムはバンド名を「オアシス」と改名(ギャラガー兄弟の寝室に貼ってあったオールダムのインディー・ロックバンド、インスパイラル・カーペッツのツアーポスターに由来している。ポスターには開催地の1つとしてスウィンドンの「オアシス・レジャー・センター」が記載されていた)。
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8月、オアシスはマンチェスターのボードウォーククラブで初めてのギグを行う。リアムの実兄であり、インスパイラル・カーペッツのローディーであったノエルがライヴを観に来る。ノエルはオアシスのサウンドを特にいいものだとは思わなかったが、書き溜めていた曲を活用するいい機会かもしれないと考えた。ノエルはメンバー一同に対して「お前たちはどうしようもないクズバンドだ。だがリアムのパフォーマンスには少しだけ光るものがある。俺の曲を演じてビッグになるか、このままマンチェのクズバンドで終わるか、どっちだ?」と言い放ち、すべてのリーダーシップを自分に委ねることを条件にバンドに加入。
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1993年
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1994年
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2月、ザ・ヴァーヴのギグに参加するためのアムステルダムへの移動中、船の中でノエル以外のメンバーが乱闘を起こし強制送還される。ノエルがひとり弾き語りを行う
[「Oasis/アーティスト」]。
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4月、シングル『スーパーソニック』でデビュー。31位を記録する。
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8月、3rdシングル『リヴ・フォーエヴァー』をリリース。10位を記録。
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9月、アルバム『オアシス』発売。デビューまでの騒動がマスコミで取り上げられていたこともあり、英国で初登場1位のヒットとなり、アルバム最速売り上げ記録を更新。ロサンゼルスではリアムがドラッグを使用しながらライヴを決行。その結果、リアムのパフォーマンスはいい加減なものになり、観客に対して侮辱するような発言を繰り返し、ノエルをタンバリンで殴り付けた。ノエルはバンドを一時脱退、飛行機でサンフランシスコに向かう。(この出来事をきっかけに「トーク・トゥナイト」が書かれた)ノエルはレーベル関係者に捜し出され説得を受け、ミネアポリスの公演からツアーを再開した。
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12月、クリスマスシングル『ホワットエヴァー』を発売。現在までアルバム未収録。
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1995年
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4月、メンバーとの関係が希薄で、技術的に問題のあったドラマーのトニー・マッキャロルが解雇され、代わりにポール・ウェラーの勧めで元スタークラブのアラン・ホワイトが加入する(アラン・ホワイトは、スタイル・カウンシルのスティーヴ・ホワイトの実弟)。同月、シングル『サム・マイト・セイ』が発表され、初めて全英1位を獲得。
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6月、加入したばかりのアランとともにグラストンベリー・フェスティバルに出演。当時としては新記録となる10万人以上の観客を動員するが、ステージで未発表の新曲を多数演奏したために暴動騒ぎが起こった。
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8月、メディアに煽られる形で始まったオアシスvsブラーの争いは、オアシスのシングル『ロール・ウィズ・イット』とブラーのシングル『カントリー・ハウス』の同日発売で頂点を迎える。この対決のことで国内のニュースは持ち切りとなる。結局ブラーが1位(27万4000枚)、オアシスは2位(21万6000枚)に終わるが、ブラーは『カントリー・ハウス』のBサイドを2パターン用意しファンが2枚買うようにしたこと、『カントリー・ハウス』の方が値段が安かったこと、オアシス側に集計ミスが多数あったことで本当の意味でのブラーの勝利かどうかは不明である。
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9月、ギグジーが精神疲労で一時脱退、代役にThe Ya-YasのScott McLeodを迎えツアーを行う。
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10月、2ndアルバム『モーニング・グローリー』発売。UKチャート1位。アルバム売上枚数は全世界で1800万枚とも2000万枚とも言われ、ビートルズの持っていた英国アルバム売り上げ記録を約30年ぶりに更新(現在はクイーンとビートルズに抜き返されている)。その完成度の高さから、当初全曲シングルカットの企画もあったが断念された。
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11月、ロンドンのアールズ・コートで2日間4万人を動員するライヴを開催。ヨーロッパの屋内ライヴとしてはこれがギネス記録。また、このときオーディエンスの鳴らす振動が地震として計測されるほどの盛り上がりだった。
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1996年
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この年は95年に発売された『モーニング・グローリー』からの3枚目のシングル『ワンダーウォール』がアメリカでもじわじわとチャートを上昇。オアシスはMTVアウォード(EURO)でベストグループを受賞するが、酔ったリアムがステージでゲロを吐く。、
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4月、マンチェスターメイン・ロード 2daysを行い、8万人を動員した。
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5月、海外向けにシングル『シャンペン・スーパーノヴァ』をリリース。全米1位を記録する。この曲はポール・ウェラーがギター、バックヴォーカルで参加している。
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8月、ロンドン郊外のネブワースにて2日間で25万人を集める(250万件の予約が殺到した)。名実ともにオアシスがスタジアムバンドにまで登り詰めた。MTVアンプラグドに出演した際、収録直前にリアムが喉の不調を訴えキャンセル。代わりにノエルが全曲で歌を披露した。リアムはバルコニー席でビールとタバコを嗜みながらライヴを鑑賞、曲の間にノエルを野次っていた。4日後、リアムがアメリカツアーに行くことを拒否したため、ノエルをボーカルに据えてツアーに出発する。その後リアムがバンドに合流するが、数週間後に今度はノエルがバンドを残して飛行機で家に帰ってしまう。メディアにはバンド解散かと騒がれたが、兄弟はすぐに和解し残りのツアーを終えた。
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1997年
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8月、3rdアルバム『ビィ・ヒア・ナウ』発売。UKチャート1位、USチャート2位を獲得し、UK最速セールス記録を更新した。しかし、内容には賛否が分かれブリット・ポップムーヴメントが終焉し、評論家たちからの容赦のない批評にも晒されオアシスの人気は一時衰える。
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1998年
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2月に日本武道館で3日連続公演を行う。滞在したホテルはビートルズと同じキャピトル東急ホテル。このライヴの報道にあわせてTBSドラマ「ラブ・アゲイン」の挿入歌に「ドント・ゴー・アウェイ」が起用されることが発表された。曲が主題歌や挿入歌に採用されるのは世界初ということで話題になった。
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11月、クリスマス商戦に向けBサイドアルバム『ザ・マスタープラン』を発売。UKチャートで最高2位。ファン投票で選ばれた曲が収録されている。当初は「ホワットエヴァー」の収録も噂されたが結局なかったことに。「アイ・アム・ザ・ウォルラス」と「リッスン・アップ」が一部編集されている。
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1999年
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8月、ボーンヘッドが脱退
[「Oasis ボーンヘッド脱退の真相」 VIBE-NET.COM ニュース、2000年8月18日。]。2週間後、後を追うようにギグジーが脱退。ノエルはボーンヘッドのギターとギグジーベースのパートを録り直す。
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12月、元ヘヴィ・ステレオのゲム・アーチャーが加入。モナコのデヴィッド・ポッツとリハーサルを行うがすぐに離脱、元ライド、ハリケーン#1のギタリスト、アンディ・ベルがギグジーの後任として加入する。デビュー以来所属していたクリエイション・レコーズが倒産。
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2000年
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2月、4thアルバム『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』を発売。UKチャート初登場1位。前年のクリエイション・レコーズ倒産に伴い、この年から自ら立ち上げた「ビッグ・ブラザー」レーベルからのリリースとなる。プロデューサーには過去3作を担当したオーウェン・モリスの手を離れ、ポール・スパイク・ステイシーを起用。リアムが書いた曲「リトル・ジェームス」が初めて収録される。オアシスのロゴがゲムがデザインしたものに新しく変更される。先行シングル『ゴー・レット・イット・アウト!』のPVではアンディの加入が間に合わなかったため、リアム(形式的だがギターをプレイ)、ノエル、ゲム、アランの4人で演奏を行っている。また「ホエア・ディド・イット・オール・ゴー・ロング?」のPVではアンディも揃ったメンバーで演奏、リアムが形式的だがキーボードをプレイしている。CDリリースと同時にワールドツアーを横浜アリーナよりスタートさせる。マリンメッセ福岡公演ではリアムが、体調不良を訴えて途中で退場している。
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4月、カート・コベインの自殺6周年にあたるシアトル公演でニール・ヤングの「ヘイヘイ・マイマイ」を演奏した
[「Oasis、Cobainに追悼を示す」 BARKS、2000年4月10日。]。カートの遺書にはニール・ヤングの「ヘイヘイ・マイマイ」の歌詞の一部が引用されている。
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5月、ワールドツアー中、アランが腕を痛めバルセロナでの公演をキャンセルする。バンドメンバーは代わりに飲み明かすが、リアムが当時のノエルの妻メグ・マシューズを侮辱し始め、「アナイスの父親は本当にノエルなのか」とノエルに疑問を投げかけ、殴り合いに発展する。ノエルはバンドを一時離脱、過去最大の解散危機を迎える
[「オアシスのNoel」 BARKS、2000年6月14日。]。急遽、代役のギタリストとしてマット・デイトンが起用。バンド史上初めてノエル抜きでライヴが行われる。このときの「アクイース」はノエルパートを丸々観客に歌わせていた。
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11月、ノエル復帰後、ロンドンウェンブリー・スタジアムでの公演を収録したライヴアルバムとライヴDVD、『ファミリアー・トゥ・ミリオンズ』を発売。CD2枚組と1枚組が存在する。ウェンブリー・スタジアムでは7月に2日間コンサートが行われ、リアムの調子が良かった1日目がライヴアルバム、DVDとしてリリースされた。2日目は二日酔いのリアムがフラフラでステージに立つシーンが見られる。このときの模様は有料放送でヨーロッパ中に放映され、日本でもWOWOWが放映した。リアムの弁明:「2日公演なのを知らなかった」。
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2001年
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2002年
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2004年
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1月、アラン・ホワイトが脱退。元ビートルズのリンゴ・スターの息子ザック・スターキーがサポートドラマーとして参加する。
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6月、9年ぶりにグラストンベリー・フェスティバルに出演するが、評判はあまり良くなかった
[「グラストン主催者、オアシスのステージに失望」 BARKS、2004年7月2日。]。
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10月 - 12月、デイヴ・サーディとスタジオ入りする。
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2005年
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2006年
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2007年
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2008年
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5月、ザック・スターキーがザ・フー専念の為離脱。
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6月、オフィシャルサイトより9月29日にシングル『ザ・ショック・オブ・ザ・ ライトニング』、10月6日にアルバム『ディグ・アウト・ユア・ソウル』をリリースすることが発表される。録音はアビー・ロード・スタジオで行われ、プロデューサーは前作同様デイヴ・サーディ。イギリスではスタジオアルバムがデビュー作から7作連続で1位、アメリカでは『ビィ・ヒア・ナウ』が全米2位を獲得して以来11年ぶりにトップ10入りして5位を獲得した。
ディスコグラフィー
スタジオ・アルバム
| 発売年 |
タイトル |
チャート |
|
| UK |
US |
| 1994年 |
オアシス (Definitely Maybe) |
1 |
58 |
7xプラチナム (UK) 世界総売り上げ750万枚 |
| 1995年 |
モーニング・グローリー (〈What's the Story〉Morning Glory?) |
1 |
4 |
14xプラチナム (UK) 世界総売り上げ1900万枚 |
| 1997年 |
ビィ・ヒア・ナウ (Be Here Now) |
1 |
2 |
6xプラチナム (UK) 世界総売り上げ950万枚 |
| 2000年 |
スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ (Standing on the Shoulder of Giants) |
1 |
24 |
2xプラチナム (UK) 世界総売り上げ300万枚 |
| 2002年 |
ヒーザン・ケミストリー (Heathen Chemistry) |
1 |
23 |
3xプラチナム (UK) 世界総売り上げ350万枚 |
| 2005年 |
ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース (Don't Believe the Truth) |
1 |
12 |
3xプラチナム (UK) 世界総売り上げ400万枚 |
| 2008年 |
ディグ・アウト・ユア・ソウル (Dig Out Your Soul) |
1 |
5 |
|
ライブアルバム
| 発売年 |
タイトル |
チャート |
|
| UK |
US |
| 2000年 |
ファミリアー・トゥ・ミリオンズ (Familiar to Millions) |
5 |
182 |
プラチナム(UK) 世界総売り上げ100万枚 |
コンピレーションアルバム
| 発売年 |
タイトル |
チャート |
|
| UK |
US |
| 1998年 |
ザ・マスタープラン (The Masterplan) |
2 |
51 |
2xプラチナム (UK) 世界総売り上げ200万枚 |
| 2007年 |
ストップ・ザ・クロックス (Stop the Clocks) |
2 |
89 |
4xプラチナム(UK) 世界総売り上げ200万枚 |
シングル
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スーパーソニック - Supersonic(1994年) UK 31位
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シェイカーメイカー - Shakermaker(1994年)UK 11位
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リヴ・フォーエヴァー - Live Forever(1994年)UK 10位
-
シガレッツ・アンド・アルコール - Cigarettes & Alcohol(1994年)UK 7位
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ホワットエヴァー - Whatever(1994年)UK 3位
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ソニー『VAIO W』CMソング (2002年)
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トヨタ『マークXジオ(Zio)』CMソング(2007年)
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サム・マイト・セイ - Some Might Say(1995年)UK 1位
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ロール・ウィズ・イット - Roll With It(1995年)UK 2位
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モーニング・グローリー - Morning Glory(1995年 オーストラリアなどの一部のみの発売)
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ソニー『ウォークマンAシリーズ』CMソング(2007年)
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ワンダーウォール - Wonderwall(1995年)UK 2位
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ドント・ルック・バック・イン・アンガー - Don't Look Back In Anger(1996年)UK 1位
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シャンペン・スーパーノヴァ - Champagne Supernova(1996年 オーストラリアなど一部のみの発売)
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ドゥ・ユー・ノウ・ワット・アイ・ミーン - D'You Know What I Mean?(1997年)UK 1位
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スタンド・バイ・ミー - Stand By Me(1997年) UK 2位
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オール・アラウンド・ザ・ワールド - All Around The World(1998年)UK 1位
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ドント・ゴー・アウェイ - Don't Go Away(1998年 日本のみの発売)
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ゴー・レット・イット・アウト! - Go Let It Out!(2000年)UK 1位
-
フー・フィールズ・ラヴ? - Who Feels Love?(2000年)UK 4位
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サンデー・モーニング・コール - Sunday Morning Call(2000年)UK 4位
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ヒンドゥ・タイムズ - The Hindu Times(2002年)UK 1位
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ストップ・クライング・ユア・ハート・アウト - Stop Crying Your Heart Out(2002年)UK 2位
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リトル・バイ・リトル/シー・イズ・ラヴ - Little By Little/She Is Love(2002年)UK 2位
-
ソングバード - Songbird(2003年)UK 3位
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ライラ - Lyla(2005年)UK 1位
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ソニー『ウォークマンSシリーズ』『NETJUKE』CMソング(2006年)
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インポータンス・オヴ・ビーイング・アイドル - The Importance Of Being Idle(2005年)UK 1位
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レット・ゼア・ビー・ラヴ - Let There Be Love(2005年)UK 2位
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ストップ・ザ・クロックスEP - Acquiesce/The Masterplan (Stop The Clocks EP)(2006年)ベスト盤 『Stop The Clocks』 の先行シングル
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ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン - Lord Don't Slow Me Down(2007年 ダウンロード限定販売) UK 10位
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ショック・オブ・ザ・ライトニング - The Shock Of The Lightning (2008年) UK 3位
映像
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ライヴ・バイ・ザ・シー - Live By The Sea(1995年)(ライヴビデオ・DVD)
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ゼア・アンド・ゼン - There And Then(1996年)(ライヴビデオ・DVD)
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ファミリアー・トゥ・ミリオンズ - Familiar To Milions(2000年)(ライヴDVD)
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リヴ・フォーエヴァー - Live Forever(2004年)(ドキュメントDVD)
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デフィニトリー・メイビー - Definitely Maybe(2004年)(ドキュメントDVD)
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ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン - Lord Don't Slow Me Down(2007年)(ツアードキュメントDVD)
その他
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デビュー後オアシスのロゴは3度にわたり変更されており、現在のロゴは4代目。
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ギャラガー兄弟は熱心なマンチェスター・シティのファンで、普通のファンに混じってスタジアムで応援している所を目撃されたりしている。ライバルのマンチェスター・ユナイテッドに対して暴言を吐くこともしばしば。「ストーン・ローゼズは尊敬するが、彼らが揃いも揃ってMan Uのファンなのは情けない」と発言したことがある。
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W杯やヨーロッパ選手権の際はイングランド代表についてコメントする事がある。だが、その内容は「クラウチはクソだな。フットボーラーとしては背が高すぎる。今まで背が高すぎる選手にロクな奴がいた例がないだろ」など、毒を含んだものが多い。
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ノエルの前妻メグ・マシューズとジョニー・デップの元恋人であったケイト・モスは友人であることから、ジョニー・デップとノエルは親交があり、その縁もあって、デップはオアシスの3rdアルバム『ビィ・ヒア・ナウ』収録の「フェイド・イン・アウト」にスライドギターで参加している。その礼としてデップは「P」という文字の入った白いギターをノエルに贈っている。
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1995年にBBCのテレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出演して「ロール・ウィズ・イット」を演奏した際、口パクであることをネタにして、兄弟の役割を入れ替え、リアムがギターを弾くふりをし、ノエルがリードヴォーカルとして歌った(歌うふりをした)ことがある。これはブリットポップ期に、ブラーの『カントリー・ハウス』とシングル順位を争った際に負けたためである。
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オアシスから影響、インスピレーションを受けていると公言しているアーティストに、アークティック・モンキーズ
[「Arctic Monkeys - Norway Interview with VGTV」]、キラーズ[「IN」 2005年9月18日。]、ザ・コーラル[「The」]、カサビアン、ザ・ビュー[「The」 BARKS、2007年3月28日。]などが挙げられる。グラスゴー出身であるオアシスのトリビュート・バンドNo Way Sisは、EP『アイド・ライク・トゥ・ティーチ・ザ・ワールド・トゥ・シング』をリリースしUKチャート40位を記録した。この曲はザ・ニュー・シーカーズの曲(邦題「愛するハーモニー」)をオアシス風にカヴァーしたものである。日本のバンドlittle by littleは、オアシスの曲「リトル・バイ・リトル」からバンド名を得ている[「little」]。
オアシス (ギャラガー兄弟) が影響を受けた主なバンド
ビートルズには常に敬意を払っており、「
ビートルズを超えるバンドになることが目標」とデビュー当時のインタヴューで語っている
[インタヴュー映像http://jp.youtube.com/watch?v=mM6v51IMgN8]。ただし'06年に発表された、ビートルズの曲や彼らが残したアウトテイクなどをリミックスしたアルバム「
ラヴ」だけは「無意味」、「ビートルズを理解できていない」と兄弟共に酷評している
[ギャラガー兄弟、ビートルズの新作を酷評]。
ノエルは「自分たちの世代で彼らの影響を受けていない奴はいない」と発言した(だが最近のストーンズに関してミック・ジャガーのライヴ時の服装やツアーをしていること自体について苦言を呈している)。
キース・リチャーズは「オアシスや
アークティック・モンキーズはあんまり好きじゃない」と発言。
ライヴのラストはフーの代表曲「マイ・ジェネレーション」のカヴァーで締められる事が多い。ノエルはザ・フーのライヴにゲストとして参加した事がある。
ブリットポップ・ムーヴメントは
モッズのリバイバルという側面も持っており、70年代後半パンク/モッズリバイバルの旗手的存在であったジャムの影響も大きい。特に現在もソロとして活動を続ける
ポール・ウェラーとは旧知の仲で多大な尊敬を寄せており、彼のことに話題が及ぶといつも最大限の賛辞を送っている。
ピストルズ側はオアシスを軽蔑しているらしく、再結成のときのインタヴューで「オアシスは好きですか?」という質問に
ジョン・ライドンは「奴らなんてただのポップ・バンドだろうが」とコメントした。しかし彼が「嫌いだ」と言う音楽は、多くの場合その逆であり、彼の発言をそのまま受け取ることは出来ない。また、メンバーの
グレン・マトロックは「奴等に関しては何も言いたくないね。凄く手強いから俺等を叩き潰すよ」と発言している。
リアムはローゼズのライヴを何度も見に行くうちに、バンド結成を決意した(偶然にも同日ノエルも同じステージを見ていた)。初期のオアシスのデモ音源はローゼズの影響を色濃く感じさせる楽曲が多い。
リヴァプール出身のこのバンドにも多大なるリスペクトを寄せている。リアムは2005年に来日した際、ラーズの東京公演をお忍びで観に行った。
ノエルは2001年、故
スティーブ・マリオットのトリビュート・コンサートで、元メンバーの
イアン・マクレガンや
ケニー・ジョーンズと共演し、彼らのヒット曲「Here Come The Nice」を歌う。このコンサートには、ザック・スターキーも出演していた。
ノエルはジョニー・マーがテレビで演奏しているのをきっかけにギターを手にしたのノエル自身が語っており[ノエル、ギターを手にしたのはジョニー・マーのおかげ]、ジョニー・マーは『ヒーザン・ケミストリー』にも参加している。
オアシス (ギャラガー兄弟) と友好関係にある主なアーティスト
ギャラガー兄弟との仲が非常に良く、オアシス 2ndアルバム収録の「Cast No Shadow」は、当時活動休止中だった
リチャード・アシュクロフトに向けられたものである。 リチャードがソロとなった現在でも交流は続いており、リチャードはオアシスを「この国が生んだ最高のロック・スター」「俺の人生を変えたバンド」と評している。
ギャラガー兄弟はカサビアンを絶賛している。カサビアンのオアシスに対する発言は崇拝に近い。名古屋で開催されたサマーソニック05も含め、過去数回ステージで共演しており、ギャラガー兄弟とカサビアンのメンバーとはプライベートでも親交がある。
クーラ・シェイカーがデビューしたての頃、彼らをサポート・アクトに抜擢した。バンドが一旦解散した際は、メンバーのジェイ・ダーリントンをサポート・キーボーディストに迎え、以後10年近くツアーに帯同させている。また、
ザック・スターキーは以前、クーラ・シェイカーのベーシストであるアロンザ・ベヴァンと上記の
ジョニー・マーと3人で「ジョニー・マー&ザ・ヒーラーズ」というバンドを組んだことがある。
ノエルは何度か彼らのアルバムに参加したことがあり、「ケミカル・ブラザーズとはまたコラボしたい。「Setting Sun」は俺が製作に関わった曲の中でも最高傑作だと思ってる。リアムが聞いたら怒るだろうがな」と語っている。なお、ノエルがヴォーカルを担当した「Setting Sun」は2007年から
日産・エクストレイルのCMに採用されている。
ノエルはかねてから彼らを「いいバンド」と評していた。コーラル側は当初、「口の悪いオアシスから褒められてもうれしくない」と迷惑顔をしていたが、新作のレコーディングはノエル所有のスタジオで行われるなど結局仲は良い。
2004年のプロディジーのアルバムに、ゲストとして兄弟で参加した。プロディジーのリーダー、
リアム・ハウレットの妻はリアムの妻ニコラと実の姉妹であり、その為に親交が深い。
2ndアルバム『
モーニング・グローリー』の「Champagne Supernova」ではウェラーがギターを演奏し、『
ザ・マスタープラン』収録の「The Swamp Song」ではブルースハープとギターを担当。ノエルの方も、ウェラーの傑作と名高いソロ3作目『スタンリー・ロード』収録の「I Walk on Gilded Splinters」にゲスト参加。互いにたびたびライヴでサポートとして登場したりテレビ番組で共演するなど、多岐に渡って交流している。
ノエルは彼らのファンであると公言している。1997年にオアシスのツアーで前座を務め、同年12月のマンチェスターのライヴではノエル自身がゲスト参加したことがある。アルバム『The Man Who』収録曲の「Writing to Reach You」では歌詞に「ワンダーウォール」という単語が登場し、イントロも「ワンダーウォール」に酷似したコード進行であるが、楽曲のクオリティから後にノエルの公認を受けている。
U2のアルバム
ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボムの収録曲「One Step Closer」は、U2のヴォーカル・
ボノに対し、ノエルがかけた言葉をもとに歌詞が作られた。だがノエルはボノに対し「"One" を演奏してろ。 アフリカについては一言も喋らずに、だ」と発言している
[ノエル「ボノは黙ってろ、ヨークは“Creep”だけでいい」]。
リアムは「U2はまあまあいいが世界一じゃない。俺があのバンドのボーカルだったら話は別だったけどな」と発言した。
2001年のロックインリオフェスティバルに出演した際、オアシスの後にトリで出演した
ガンズ・アンド・ローゼズのヴォーカル・
アクセル・ローズに「Rock 'n' Roll Star」を捧げたことがある。ノエルはアメリカの
ハードロックに対し、「聴く価値が無いものだ」と発言しているが、
ガンズ・アンド・ローゼズはとても良いバンドだと認めている。また、ノエルは
ガンズ・アンド・ローゼズの楽曲「Sweet Child O' Mine」と「November Rain」を絶賛している。
ノエルは懇意の
ピート・ドハーティ率いるベイビーシャンブルズを 6thアルバムのワールドツアーのオープニングアクトに起用した (しかし、ピートのドラッグ問題等のためにツアー帯同はキャンセルとなった)。一方のリアムはピートを嫌っている模様。
デビュー当時のステージで共演した時、リアムとクリス・ロビンソン(ブラック・クロウズのヴォーカル)が一触即発となるが、ノエルが謝罪して親交が始まる。『
スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』以降、オアシスのレコーディングをサポートしてきたポール・ステイシー(キーボード、ギター)は、2006年から2007年にかけてブラック・クロウズのギタリストとして活動。
ノエルは
カート・コベインに、「オレたちの時代のジョン・レノンに成り得た」と発言しているが、リアムはニルヴァーナに対し「2曲ほど良いと思うのはあるけど、あとはクソだな」とコメントしている。
ノエルは、ニルヴァーナの「I Hate Myself and I Want to Die」への反発から「Live Forever」を書き上げた。カートの遺書には
ニール・ヤングの「Hey Hey My My」の歌詞の一部が引用されていた事から、
シアトルに公演で訪れたのをきっかけに、ライヴで「Hey Hey My My」を演奏するようになった。
[Oasis、Cobainに追悼を示す]
オアシス (ギャラガー兄弟) が嫌っている主なアーティスト
リアム曰く「あいつらはイキがってるだけで、やってる音楽は大したことないクソバンド」。ノエルは 「アメリカのパンクロックが好きな奴ら、特にグリーン・デイのファンは大っ嫌いだ」とコメント
[『教えて、ノエル!答えて、リアム!』〜その4〜]。また最近では、グリーン・デイの名曲「ブールヴァード・オブ・ブロークン・ドリームス」が、オアシスのヒット曲である「ワンダーウォール」を類似しているとノエルが抗議。曰く「俺達をパクるにはまだ早い」
[グリーン・デイ、オアシスのノエルから苦情!?]。
ノエルはアメリカ人は悪趣味であると主張し、その一例としてバックストリート・ボーイズを挙げ、「歌も踊りも演技もだめ」と批判し、彼らの歌を「クズ」と酷評。更にバックストリート・ボーイズは「撃たれちまえばいい」と語った。
リアム曰く「見栄えのいい鼻くそ」。
ノエルはレディオヘッドのインテリ性でネガティヴなところを嫌っている一方で、その前衛性を評価している。近年では「新作がリリースされたら聴きたいミュージシャンは?」と言う質問に、「彼らが何をやっているか気になる」と言う理由で、コールドプレイと共にレディオヘッドの名を挙げている。ノエルは
トム・ヨークに対し、「アンタがどれだけ"オレ達は不運だ"って嘆く事に時間を空費したところで、最終的にはみんな、アンタには「Creep」を歌って欲しいだけなのさ」とコメント
(近年のレディオヘッドは「Creep」をライヴではあまり頻繁には演奏しない)。その後ノエルが、「俺は大学なんか行ってねえ。絵筆が何なのかも知らねえよ。アート・スクールなんか行った事ないからな」と発言した事を受けて、トム・ヨークは、「僕は行ったよ。他のアーティストをリスペクトするよう教わった」とコメントしている
[トム・ヨーク]。リアムは、「レディオヘッドのどこが良いか分からない。眠くなるだけじゃねえか」とのこと。
リアムは、UKシーンを盛り上げている新世代バンドの筆頭であるフランツ・フェルディナンドに対して、「インディーとか何とか言って、キツキツの服を着て、爪先が尖った靴を履いて歩き回っているだけのケチ野郎だ」と語り、更にフランツ・フェルディナンドの代表曲の一つ「Michael」の演奏を見て、「演奏中、フロントの2人(アレックスとニック)が互いに見つめ合う時間が長過ぎる!奴らはゲイに違いない。奴らはライト・セッド・フレッドみたいだ」と切り捨てた。それについてアレックスは、「リアムはノイローゼ気味の女子高生だ」とコメント
[フランツ「リアムは不安でノイローゼ気味の女子高生」]。
リアム曰く「やつらはくそいまいましいクソバンドなのに、注目されすぎだ。やつらはただ
ザ・スミスみたいになろうとしてるだけだし、ヴォーカルはまるで
ビョークみたいだぜ」。
'90年代後半まではギャラガー兄弟とは親しい仲であったが、2000年の雑誌のインタヴューでノエルが「
テイク・ザットのデブダンサー」と発言したあたりから、互いに嫌い合う存在となる。ノエルは売れ行きが思わしくなかったロビーのアルバムに対して「当然だ、あれは犬の糞だからな」と酷評したり、ロビーの悪口なら3時間は言えるとコメント。リアムは「鼻をへし折ってやる」と脅迫したり、Qアワーズの授賞式時に、壇上からロビーをからかう発言をしたこともある。
ノエルの悪口に対し、エルトンは「オアシスには我慢ならない。オアシスのベストアルバムがチャート一位を取れなくて本当に嬉しい。最大のヒット曲が抜けてて何がベストだ。 奴らには一位の資格は無い」と反発
[エルトン、“オアシスを救え”キャンペーンに反対]。
ノエルはかつて、「銃に1発だけ弾丸が込められているとしたら、誰を撃つか?」という質問に、フィル・コリンズかロビー・ウィリアムズと答えていた。
ノエルは「俺はヒップホップを軽蔑してる。大っ嫌いだ。エミネムはアホ。50セントは、俺がいままでの人生で会った最低の人間。あいつらに直接責任があるとは言わねぇけど、結局、若いガキが人を刺すってことが起きてるだろ」とコメント
[オアシスのノエル「若者の暴力行為はエミネムのせい」]。
ノエルは、2008年のグラストンベリー・フェスティバルにてヘッドライナーに抜擢されたジェイ・Zに対し、「“壊れてないものは修理するな”だ。(主催者が同フェスの長年の伝統を)壊してこれまでと違うことをし始めるのなら、観衆はみんな行かなくなるだろうよ。 あり得ない。グラストンベリーはギター・ミュージックってキマリがあるだろ。俺は、グラストンベリーにヒップホップなんて許さねえよ。間違ってる。悪いがな、ジェイ・Zだって? 奴にはチャンスすらねぇよ」と、同フェスの方針に絡めてジェイ・Zを口撃[ノエル、ジェイ・Zのヘッドライナーに物申す]。これに対し、ジェイ・Zは「俺たちはギターは弾かない。だがな、ノエル、ヒップホップだってほかの音楽同様(ギターを)使ってんだよ」。そしてグラストンベリー本番においては、ジェイ・Zを批判するノエルのテレビインタヴューを使った映像演出を行い、ショーのオープニング曲では、ギターを抱えながら「ワンダーウォール」をカバーするという反撃っぷりであった[ジェイ・Z、グラストンベリーでオアシスをカヴァー]。
オアシス(ギャラガー兄弟)の、他アーティストに対する評価が変わった例
このように、頻繁に特定のアーティストたちを扱き下ろす彼等だが、その態度を一転させることも多い(特にリアムにはその傾向が顕著であり、恒例化している面もある)。また酷評されたことをオアシスから認められたと受け取り、酷評に感謝するバンドも少なからず存在する(
シザー・シスターズ、
マルーン5など)
[マルーン5、オアシスからの酷評に感謝]。
マンチェスターの
労働者階級出身のオアシスとは対照的に、ロンドンの
中流階級出身である彼らとの仲の悪さはあまりに有名。リアムが
デーモン・アルバーンのことをこき下ろしたり、シングル対決で敗れた後、ブチ切れたノエルが「ブラーの
デーモンと
アレックスはエイズにでもかかって死ねばいい」とコメントしたことがある(社会問題まで発展し後に謝罪に追い込まれる)。一方で、
グレアム・コクソンと
デイヴ・ロウントゥリーの2人は「良い奴ら」とのこと。
現在ではノエルは「現在のあいつらの音楽は最高だ」と認めていたり、リアムもデーモンに対して「息子がお前(
ゴリラズ)のファンなんだぜ」と直接語っている所から、評価が完全に一変したと言える。また、「もし今、
デーモンに会ったら、俺はその場からとっとと失せるだろうな。いまだに首を突っ込むようじゃ、俺も単なるアホってことになるからな。今となりゃ笑い話だ。若気の至りってヤツさ」と因縁の対決に終止符を打つ発言も。
彼らのメディアの露出が著しくなった際、リアムは、「お行儀のいい学生による芸術ごっこ」や「騒音」とか「演奏が
学園祭の
バンドと同じ」といったような発言をしていたが、彼らの
アルバム『ア・ウィークエンド・イン・ザ・シティ』を聴き、リアムは過去の否定的な考えを撤回した。そして彼は、彼がそのアルバムの最後の曲「SRXT」を聴いた後、クッションに向かって15分間泣いた、とも告白している。
デビュー・アルバムを聴いたノエルとリアムは揃って彼等に対し嫌悪感を示す。しかし彼らのセカンド・アルバムに収録されている「Four to the Floor」を聴いたリアムは、その曲の質の高さを評価した。
リアム曰く「コールドプレイの曲を聴くと自殺したくなる」とのこと[リアム、「コールドプレイを聴くと自殺したくなる」]。また、ヴォーカルのクリス・マーティンのことを「ロンドンのキツネ」と揶揄した (クリスは切れ長でややつり上がった目尻をしている)。アワード授賞式にて一悶着あったと伝えられているが、現在、リアムのコールドプレイに対する評価はいくぶんか軟化した様子で、「確かに奴らは"ロック・バンド"かもしれねぇな。だが、"ロック・スター"では決してない。ああいうのが好きな奴もいるだろうが、俺はロックにはもっとワイルドな要素を求めるな」と珍しくスマートなコメントをしている。一方のノエルは、彼らの「イエロー」がフェイヴァリットソングで、チャリティライヴのステージでクリス・マーティンと「リヴ・フォーエヴァー」他を競演したこともある。
またコールドプレイはライヴでリアムが作曲した「ソングバード」をカヴァーしている。
脚注
外部リンク