読み込み中...ギニア共和国、通称ギニアは西アフリカ西端に位置する共和制国家。北にセネガル、北西にギニアビサウ、北東にマリ、南にシエラレオネ、リベリア、南東にコートジボワールと国境を接し、西は大西洋に面する。首都はコナクリ。
旧フランス植民地の中でも、1958年に他の植民地に先駆けて国民投票で独立した国家である。
正式名称はフランス語で、République de Guinée(レピュブリック・ドゥ・ギネ)。通称、Guinée(ギネ)。
公式の英語表記は、Republic of Guinea(レパブリック・オブ・ギニー)。通称、Guinea(ギニー)。
日本語の表記は、ギニア共和国。通称、ギニア。
「ギニア」の国名の由来には諸説ある。赤道ギニアやギニアビサウの「ギニア」の国名の由来も同じだが、それぞれ別の国である。これらを区別するため「ギニア・コナクリ」とよばれることも多い。
16世紀初頭、ヨーロッパ人が奴隷売買の地域の一つとして入植を始めた。1890年にフランスによって植民地とされた。初代総督はノエル・バレイ。また、イギリスより1887年にフランスに譲られたトンボ島に、1890年に首都コナクリが創られたが、1895年にフランス領西アフリカに併合された。
1958年にフランスからギニア共和国として独立し、セク・トゥーレ大統領が就任した。トゥーレは社会主義施策を敷き、政敵および人権論者の抑圧を行った。1984年にトゥーレが死亡すると、軍事クーデターによりランサナ・コンテ大佐が政権を掌握した。コンテはトゥーレの政治路線を大きく改め、国際通貨基金や世界銀行などの国際機関からの支援を得つつ、旧社会主義体制から自由主義体制への移行を推進した。1993年に初の大統領選挙が行われた後、1998年、2003年に大統領選が行われたが、いずれもコンテが当選している。しかし、その結果や、コンテの政治手法については多くの議論が交わされている。
2007年1月には、首相ポストの新設を要求する労働組合によりゼネストが発生。首都で発生したデモでは市民と治安部隊、警察の間で衝突が発生し、数十人もの死者が生じた。ストライキは18日間にも及び、コンテ大統領と組合間で合意が結ばれ終結が見られたものの治安は悪化。2月には、大統領が国家非常事態を宣言、戒厳令を敷いている。
首相の任命をめぐる政府と労組の立場は対立していたが、近隣諸国及び西アフリカ諸国経済共同体 (ECOWAS) 仲裁ミッションの働きかけもあり、2月23日に戒厳令は解除され、労組は同27日よりゼネストを中断することを発表。3月2日までに労組及び市民団体により推薦される首相候補の中から新首相を任命することが合意されていた。
ギニアは立憲共和制国家である。現行憲法は1991年12月23日に国民投票により承認されたもの。
国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は7年。再選制限は無い。首相と、内閣に相当する閣僚評議会 (Conseil de Ministres)のメンバーは、大統領により任命される。
議会は一院制の人民国家会議 (Assemblée Nationale Populaire)。定数114議席。議員は国民の直接選挙で選出され、任期は5年。
主要政党には現大統領ランサナ・コンテ率いる統一前進党 (PUP) があり、1984年から続くコンテ長期政権の維持に利用されている。野党勢力は脆弱だが、比較的有力なものに進歩復興連合 (UPR) がある。
最高司法機関は控訴院 (Cour d'Appel) である。
ギニアの地方行政は7つの州と33の県に分かれている。
ギニア共和国の都市の一覧も参照。
住民は、フラニ族、マリンケ族、スースー族、プシェロン族など。
言語はフランス語が公用語だが、日常生活では各集団ごとの言語を用いている。
宗教はイスラム教が85%、キリスト教が8%、現地宗教が7%である。
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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