読み込み中...グレゴール・シュトラッサー(Gregor Strasser, 1892年5月31日 - 1934年6月30日)は、ドイツの政治家。政権獲得前の国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)第二の実力者で、いわゆる「ナチス左派」と呼ばれる同党左派の流れを代表する人物である。
1892年、バイエルン州でカトリックの家庭に生まれる。薬剤師としての訓練を受けた後、第一次世界大戦で戦功を挙げた。戦後、義勇軍での活動を経て、弟のオットー・シュトラッサー(Otto Strasser、1897年 - 1974年)とともに、アドルフ・ヒトラー率いるナチスに入党。1923年のミュンヘン一揆に参加し、次第に党内左派の実力者として台頭、北部の党組織をまとめ上げる。
しかし、1926年のバンベルク指導者会議でヒトラーに屈服、以後は党の全国組織指導者として彼の路線に従う。弟オットーが脱党(1930年)した後もその地位を保持したが、1932年、シュライヒャー内閣への副首相としての入閣をめぐりヒトラーやヘルマン・ゲーリングと対立、党内のすべての役職を退く。1933年1月30日にナチスが政権を獲得すると、オットーはオーストリアに逃れたが(のちカナダへ)、グレゴールはドイツ国内に留まった。そして1934年6月30日の長いナイフの夜事件の際にゲシュタポに捕らえられ、裁判を経ることなく射殺された。
後に弟のオットーは、「革命的ナチス」(ナチス第2革命と国民的社会主義路線)の理念に基づき、反ヒトラー派の極右組織「黒色戦線」を結成、ナチス内部に組織細胞を形成した。そのことからしばしば「ナチのトロツキー」(アルミン・モーラー)と形容された。
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