読み込み中...グレッグ・マダックス(本名:Gregory Alan Maddux , 1966年4月14日 - )はアメリカメジャーリーグ、ロサンゼルス・ドジャースの投手。テキサス州サン・アンジェロ出身。
20年連続2ケタ勝利(すべての年で13勝以上)、17年連続15勝以上、全ポジションを通じて史上最多となる18度のゴールドグラブ賞受賞などの記録を樹立した、メジャー史上屈指の技巧派投手として名高い。5歳年上の兄のマイク・マダックスは2003年からミルウォーキー・ブルワーズの投手コーチを務めている。現役時代の1986年9月29日に史上初の新人兄弟で投げ合いを演じ、グレッグに勝ち星がついた。マイクの通算成績はメジャー15年間で39勝37敗、20セーブ、防御率4.05。主に中継ぎとして活躍し、2000年に引退した。
1966年4月14日、テキサス州生まれ。この日は、のちに300勝投手となるドン・サットンがメジャー初登板をした日であった。少年時代はアメリカ空軍のパイロットであった父の仕事の影響で、スペインのマドリードで一時期を過ごした。
にドラフト2巡目でシカゴ・カブスに指名され、9月3日にシカゴ・カブスよりデビュー。この年のメジャーの選手で最も若かった。は初めて1年間を通してメジャーでプレーをした。6勝14敗、防御率5.61に終わるものの、にはオールスター開催までに球団新記録となる15勝を挙げ、5月10日から7月10日にかけて9連勝をマークしている。オールスターには球団史上最年少で選出された。18勝8敗の成績を残した。
5月10日のパドレス戦で10回を投げ完封勝利を記録しJuly 2008年1月10日閲覧.、7月12日のオールスターゲームのメンバーに選ばれたが登板機会がなかった。
、エースとしてリーグ2位となる19勝を記録し、サイ・ヤング賞の投票では3位に入った。チームも地区優勝し、リーグチャンピオンシップシリーズでは2試合に登板して2敗。ウィル・クラークには満塁本塁打を打たれた。チームもジャイアンツに1勝4敗で敗退。4月29日のエンゼルス戦で大リーグ記録の1試合最多刺殺を7を記録したPutout 2008年1月10日閲覧,。ゴールド・グラブ賞を初めて受賞し、2007年までに17回受賞している。はトム・グラビンとともにリーグ最多の20勝を記録し、サイ・ヤング賞を初受賞した。シーズン終了後の10月26日、FA宣言をして、12月9日、アトランタ・ブレーブスへ移籍した。
ブレーブス時代にはトム・グラビン、ジョン・スモルツと共に先発三本柱を形成し、ブレーブスの14年連続地区優勝の原動力となった。移籍1年目のはリーグ1位の防御率2.36、2年連続となる20勝を記録し、2回目のサイ・ヤング賞を受賞した。この年、グラビンが22勝、エイベリーが18勝、スモルツが15勝の先発ローテーションを形成してチームは104勝で球団最多勝記録を更新した。リーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦と第6戦の2試合に登板して1勝1敗1993 2008年1月10日閲覧.。チームもフィリーズに2勝4敗で敗退。
、防御率1.56を記録した。これは1969年にボブ・ギブソンが1.12を記録して以降ではのドワイト・グッデンの1.53に次いで2番目の記録である。またリーグ最多タイの16勝を記録し、サイヤング賞を満票で受賞し史上初めて3年連続の受賞となった。
5月28日、アストロズ戦の8回にジェフ・バグウェルに本塁打を打たれノーヒットノーランを逃したがMay 2008年1月10日閲覧.防御率1.63を記録し、2年連続で防御率1.70以下という記録は1918年から1919年にかけて達成したウォルター・ジョンソン以来の快挙である。19勝2敗で勝率.905これはフィル・リーガンが1966年に.9330を記録して以降で1位の記録であるSingle-Season 2008年1月10日閲覧.。ポストシーズンは3勝1敗でチームはワールドシリーズチャンピオンとなった。シーズン終了後4回目のサイ・ヤング賞を受賞し、2年連続で満票受賞はサンディー・コーファックス以来の快挙となった。
は防御率2.72をマークし、球団史上初めて先発投手として4年連続で防御率3.00未満を達成した。ただし、この年のフィラデルフィア・フィリーズ戦でベニート・サンティアゴに公式戦では初の満塁本塁打を喫した。(プレイオフでは先述の通り、1989年のNLCSでウィル・クラークに打たれている。)は19勝4敗でサイ・ヤング賞はペドロ・マルティネスに次ぐ2位だったBaseball 2008年1月10日閲覧.。6月22日には76球で完投勝利を達成した。8月に5年総額5,750万ドルで契約延長した。8月18日のジャイアンツ戦で通算200勝を達成し、9月8日のエクスポズ戦で通算2000三振を達成した。防御率が1点台で推移していたが終盤調子落としたもののリーグ1位の2.22http://www.baseball-reference.com/pi/gl.cgi?n1=maddugr01&t=p&year=1998 Greg Maddux 1998 Pitching Gamelogs - Baseball-Reference PI] 2008年1月10日閲覧.。、リーグ3位の19勝を記録したが防御率3.57と1点以上悪化し、ブレーブス移籍後初めて防御率が3点台となった。
6月14日にジャック・モリスの持つ通算刺殺387の大リーグ記録を更新した。9月2日から9月28日かけてオーレル・ハーシハイザーが1988年に59回連続無失点を記録して以降では2番目に長い39.1回連続無失点を記録した。5月が終わった時点で4勝5敗だったが、6月20日から8月12日まで72.1イニング無四球で連続無四球のリーグ記録を更新した。は16勝をマークし、サイ・ヤングしか達成者のいない15年連続15勝を達成した。5年契約が満了したは1,475万ドルでプレーし、16勝11敗、防御率3.96を記録し、史上初めて16年連続15勝を達成した。この年のゴールドグラブ賞はマイク・ハンプトンが受賞し連続受賞が13年で途切れた。10月29日FA宣言をして、3月23日に古巣のシカゴ・カブスと3年総額2,400万ドルで契約した。
8月7日に史上22人目の300勝を達成。16勝をマークし、17年連続で15勝以上となった。4月29日のヒューストン・アストロズ戦ではナリーグでロジャー・クレメンスと113年ぶりとなる300勝投手同士の対戦となり勝利した。7月6日に通算防御率3.00台にのせてしまった。7月26日のジャイアンツ戦で史上13人目の通算3000奪三振を達成。300勝&3000奪三振は史上9人目の快挙である。また1000四球に満たないでの3000奪三振はファーガソン・ジェンキンスに次いで2人目の快挙である。2005年は13勝15敗で連続15勝以上の記録が17年で途切れたがサイ・ヤングの15年の大リーグ記録は更新した。
は、4月に5勝0敗、防御率1.35をマークしたものの、5〜7月間は4勝11敗、防御率5点台と不振に陥ってしまった。同年7月31日、シーザー・イズトゥリスとのトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍。初の西地区在籍となるドジャース移籍後は、8月に3勝0敗・防御率2.37をマークするなど完全復調を果たした。また、9月30日は中3日で先発登板し、7回を投げ3安打2失点で勝利投手となった。7月末の時点で地区最下位だったが、8月は21勝7敗、9月は16勝12敗の好成績でチームをプレーオフへ導いた。
12月5日、1年総額1,000万ドル(2008年はマダックス、球団双方にオプション)でサンディエゴ・パドレスへ移籍。6月6日の通算338勝目の試合ではトレバー・ホフマンが史上初の500セーブを達成。8月24日、シーズン10勝をし、史上初の20年連続10勝以上を達成。同年オフ、史上最多となる17回目のゴールドグラブ賞を受賞。チームはオプションを行使し、翌2008年のパドレス残留が決まった。5月10日、史上9人目(戦後ではウォーレン・スパーン、ロジャー・クレメンスに次ぐ3人目)の350勝を達成。
体格、ストレートのスピードは日本人と変わらない(ストレートは大体145km/h前後である)ものの、代名詞ともいえるサークルチェンジとツーシーム、他にカッターやスライダーを織り交ぜて投球のほぼ全てを打者の手元で微妙に動かし、ゴロに打たせてとるピッチングが信条。抜群の制球力から『精密機械』と称され、ここぞというときにはフォーシームのきれいな速球やチェンジアップを際どいコースへ投げ込み三振も狙ってとれる。また、打者の心理の虚をつく頭脳投球や、普段は眼鏡をかけていた(後年、視力を矯正)ことから、大リーグでは「プロフェッサー」なるニックネームが定着している。他球団からは勝利への執念と名前の響きからとって「マッド・ドッグ(Mad Dog・狂犬)」と呼ばれることもある。
2007年までの通算与四球率(9イニング当たりの与四球数)は1.49。2007年のシーズン与四球率はリーグトップの1.12。34試合の先発登板の内、3与四球以上の試合が1。1〜2与四球試合が16。残りの試合は無四球を記録するなど。数々の制球力の良さを示す記録を持つ。
そのハイレベルな制球力がゆえに、彼が際どいコースへ投げると球審が「一見ボールのようなコースだが、マダックスが狙ってここに投げたのだから」と判断してストライクをコールしてしまうことが時々あり、これを「マダックスが投げているときだけストライクゾーンが広い!」という不満が対戦チームとそのファンに生まれ、「マダックスゾーン」と揶揄されることがあった。日本プロ野球でも、選球眼の良さに定評のある大物打者が自信を持って見送ったコースをボールと判定してしまう「長嶋ゾーン」「王ゾーン」「落合ゾーン」なる現象があるが、投手の側からこういったことを引き起こしてしまうのは珍しいといえる。
意外にも、長谷川滋利、佐々木主浩、吉井理人、小宮山悟といった日本人のMLB経験者はマダックスのコントロールについてあまり高い評価をしていない。彼らが指摘するのは、実はコントロールそのものは大したことがなく、変化球の切れや緩急、上記のマダックスゾーンを利用して打ち取っているという点である。
マダックスがいたずらに三振をとる投手を賞賛するマスコミの姿勢に反発し、あるインタビューで「(自分にとって)27奪三振で完封と27球でのゲームのどっちの方がいいかって?27球の方がいいに決まっている。だってその方が早く帰れて家族ともっと過ごせるじゃないか」と答えたことは非常に有名。また、多くのプロの投手が敬遠を「消極的な逃げの手段」と考えるなかでマダックスは特に悪感情を持っておらず、「難しいところを狙って失投したり、悪球打ちでヒットにされるよりはサッサと歩かせて次の打者をアウトにした方が良い」というドライな思考から状況に応じて積極的に敬遠を行うため、通算172個(2007年終了時点)で歴代2位、現役1位の記録を持つ。こういった、打者一人一人との対戦よりも試合全体の勝敗に強く執着する性分が、前に述べた「マッド・ドッグ」なるニックネームの由来になっている。
2008年には18回目のゴールドグラブ賞(史上最多記録)に輝き、卓越した守備能力も特筆されるべき彼の特徴である。ただし走者に対するクイックや牽制などは、打者に対する投球術とは裏腹に、無関心と呼べるほど注意を払わない。これは統計的事実(「盗塁を許しても、点に結びつくケースはわずか17%に過ぎない」本人談)から来るものだが、このためマダックスの登板時には相手チームの俊足選手は走り放題であり、そのことから『ゴールドグラブ賞にはふさわしくない』との声も上がっている。
ゴールドグラブ賞は監督やコーチの投票で選ばれるため、連続受賞選手の中には、守備力が落ちているのに、名前やイメージで選ばれるケースが少なくない。しかし、2007年のマダックスの補殺数は、リーグトップの51を記録しており、40歳を過ぎても優れた守備力を誇っている。なお平均的な投手の補殺数は15から20程度と言われており、マダックスが平均的な守備力しか持ち合わせていなければ2007年の防御率は5.00台であったと推測され、自身の投手成績に守備力は大きく貢献している。
| 年 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 防御率 | 試合 | 先発 | セーブ | 投球回 | 被安打 | 失点 | 自責点 | 被本塁打 | 与四球 | 奪三振 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1986 | CHC | 2 | 4 | 5.52 | 6 | 5 | 0 | 31.0 | 44 | 20 | 19 | 3 | 11 | 20 |
| 1987 | CHC | 6 | 14 | 5.61 | 30 | 27 | 0 | 155.2 | 181 | 111 | 97 | 17 | 74 | 101 |
| 1988 | CHC | 18 | 8 | 3.18 | 34 | 34 | 0 | 249.0 | 230 | 97 | 88 | 13 | 81 | 140 |
| 1989 | CHC | 19 | 12 | 2.95 | 35 | 35 | 0 | 238.1 | 222 | 90 | 78 | 13 | 82 | 135 |
| 1990 | CHC | 15 | 15 | 3.46 | 35 | 35 | 0 | 237.0 | 242 | 116 | 91 | 11 | 71 | 144 |
| 1991 | CHC | 15 | 11 | 3.35 | 37 | 37 | 0 | 263.0 | 232 | 113 | 98 | 18 | 66 | 198 |
| 1992 | CHC | 20 | 11 | 2.18 | 35 | 35 | 0 | 268.0 | 201 | 68 | 65 | 7 | 70 | 199 |
| 1993 | ATL | 20 | 10 | 2.36 | 36 | 36 | 0 | 267.0 | 228 | 85 | 70 | 14 | 52 | 197 |
| 1994 | ATL | 16 | 6 | 1.56 | 25 | 25 | 0 | 202.0 | 150 | 44 | 35 | 4 | 31 | 156 |
| 1995 | ATL | 19 | 2 | 1.63 | 28 | 28 | 0 | 209.2 | 147 | 39 | 38 | 8 | 23 | 181 |
| 1996 | ATL | 15 | 11 | 2.72 | 35 | 35 | 0 | 245.0 | 225 | 85 | 74 | 11 | 28 | 172 |
| 1997 | ATL | 19 | 4 | 2.20 | 33 | 33 | 0 | 232.2 | 200 | 58 | 57 | 9 | 20 | 177 |
| 1998 | ATL | 18 | 9 | 2.22 | 34 | 34 | 0 | 251.0 | 201 | 75 | 62 | 13 | 45 | 204 |
| 1999 | ATL | 19 | 9 | 3.57 | 33 | 33 | 0 | 219.1 | 258 | 103 | 87 | 16 | 37 | 136 |
| 2000 | ATL | 19 | 9 | 3.00 | 35 | 35 | 0 | 249.1 | 225 | 91 | 83 | 19 | 42 | 190 |
| 2001 | ATL | 17 | 11 | 3.05 | 34 | 34 | 0 | 233.0 | 220 | 86 | 79 | 20 | 27 | 173 |
| 2002 | ATL | 16 | 6 | 2.62 | 34 | 34 | 0 | 199.1 | 194 | 67 | 58 | 14 | 45 | 118 |
| 2003 | ATL | 16 | 11 | 3.96 | 36 | 36 | 0 | 218.1 | 225 | 112 | 96 | 24 | 33 | 124 |
| 2004 | CHC | 16 | 11 | 4.02 | 33 | 33 | 0 | 212.2 | 218 | 103 | 95 | 35 | 33 | 151 |
| 2005 | CHC | 13 | 15 | 4.24 | 35 | 35 | 0 | 225.0 | 239 | 112 | 106 | 29 | 36 | 136 |
| 2006 | CHC-LAD | 15 | 14 | 4.20 | 34 | 34 | 0 | 210.0 | 219 | 109 | 98 | 20 | 37 | 117 |
| 2007 | SD | 14 | 11 | 4.14 | 34 | 34 | 0 | 198.0 | 221 | 92 | 91 | 14 | 25 | 104 |
| 2008 | SD-LAD | 8 | 13 | 4.22 | 33 | 33 | 0 | 194.0 | 204 | 105 | 91 | 21 | 30 | 98 |
| 通算 | 23年 | 355 | 227 | 3.16 | 744 | 740 | 0 | 5008.1 | 4726 | 1981 | 1756 | 353 | 999 | 3371 |
| 獲得タイトル・記録 |
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