読み込み中...コグ船(こぐせん、英:Cogs または cog-built vessels)は、12世紀頃から広く使われた船である。コグ船は一般にバルト海沿岸地方で豊富な木材であったオークで造られた。この船は一本マストで一枚の横帆を備えたものであった。この横帆のみの装備では風上に向かって帆走することはできなかったが、乗組員が少なくても操船でき、運航費用を下げることができた。この船は中世ヨーロッパの特にバルト海での主に海上貿易に使われた。
現代の考古学的史料によれば、最初期のコグ船はユトランド半島西部のフリジア(:en:Frisia)海岸で作られた可能性が高い。コグ船を実際に海上貿易に転用するようになったのは、ヨーロッパの東西で活発に交易が行われた時期だけではなく、リムフィヨルドの西側入り口が砂州により閉塞されたことに直接の答えを求めることができる。何世紀もの間、ユトランド半島北部のリムフィヨルドは北海とバルト海を結んでかなり安全な航路を提供していた。その西端部にある北海側の口では、潮流などにより砂州が発達し、その水路は砂で埋められ、12世紀頃までには完全に閉塞された。この変化に対し人々は新たなことを始めた。砂州上を牽引によって通過することができない大型の船はユトランド半島を北へ、危険なスカゲン(:en:Skagen)岬を巡りバルト海に向かうことになった。このことはそれまでの船の構造に大きな変化をもたらした。それは最初期のコグ船発掘物Kollerup, Skagen, および Koldingの変遷を分析することで分かる。
広々とした比較的安価にできる船の必要性があり、ハンザ同盟の最初の馬車馬つまりコグ船が開発された。この新しく改良されたコグ船は、もはや単なるフリジア海岸だけのものではなく、作りがしっかりしている海上貿易にも使えるものになり、最も危険な水路をも航行できるものになった。海賊に対する防御のために船首と船尾には防御楼(castle)が設けられたり、戦闘用に用いられたりした。1340年のスロイスの海戦(:en:Battle of Sluys)の例もある。
最終的に14世紀頃、コグ船の構造は限界に達し、早急な代替船が望まれるようになった。しかし代替船は既にあり条件が整うのを待っていた。ハルク船(hulk ships)がコグ船から生まれたという証拠はないが、この2種の船について14世紀や15世紀に多くの技術的な考えの交流があったのは確かである。Crumlin-Pedersen, 2000本質的にコグ船からハルク船への移行は直線的なものではなかった。ある学説では、2種の船は何世紀も共存し多様な変遷を遂げたとも言われている。Gardnier, 1994
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