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コンサドーレ札幌

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

コンサドーレ札幌(コンサドーレさっぽろ、Consadole Sapporo)は、日本北海道札幌市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

クラブの概要

1996年Jリーグ準会員に承認され、1998年にJリーグ加盟。前身は東芝サッカー部ホームタウン北海道札幌市。ホームスタジアムは札幌ドーム札幌厚別公園競技場。加えて年に1ないし2試合ずつを入江運動公園陸上競技場室蘭市)、千代台公園陸上競技場函館市)で行う。主な練習場は宮の沢・白い恋人サッカー場で、他に札幌ドーム・屋外サッカーグラウンドなども用いられる。球団事務所は札幌ドームの敷地内にある(同一施設内にプロ野球・北海道日本ハムファイターズ球団事務所も入居している)。チーム名は公募で決定したもので、「どさんこ」の逆さ読みに、ラテン風の「オーレ」(-ole)を組み合わせたもの。

クラブ名変遷

  • 1935年 ~ 東芝堀川町サッカー部
  • 1980年 ~ 東芝サッカー部
  • 1996年 ~ 北海道フットボールクラブ(略称 HFC)・コンサドーレ札幌

主要本拠地の遍歴

  • JFLにいた1995年までは主として、川崎市等々力陸上競技場など神奈川県各地を中心として開催。
  • 1996年〜97年 札幌厚別公園競技場へ移転したが、屋外スタジアムであるため積雪が残る4月までは本州各地で地方遠征を行う。
  • 1998年(Jリーグ参戦) 第1ステージ前半は厚別公園競技場が積雪と改修工事(芝生席の座席化)に伴って6月まで使えず、室蘭市入江運動公園陸上競技場をメインに使用(3月のナイターは仙台スタジアムで主催)。7月以後厚別で開催。
  • 1999年2000年 3月〜4月は積雪のため厚別公園競技場が使えないので室蘭を中心に主催。5月以後は厚別公園競技場で開催。
  • 2001年以後 札幌ドーム・厚別公園競技場併用開始。原則として、積雪時(春季と秋季)、平日ナイターは札幌ドーム、夏季の週末デーゲームは厚別公園競技場を使うが、2004年は運営予算の都合上、厚別公園競技場での試合をメインとし、札幌ドームでは8試合にとどまっていた。しかしその後はホームゲームの半数程度を開催するようになった。ただこの年から北海道日本ハムファイターズが札幌ドームをホームゲームの主会場とするようになったため、平日ナイターを札幌ドームで行えない事例(特に夏季〜秋季)もある。
#道外での公式戦主催を併せて参照

チームカラー

チームカラーは(ファイティングスピリットの象徴)、(北海道の大地=無限大のパワーを象徴)、(フェアプレイ精神の象徴であり、マスコットのシマフクロウや雪の色でもある)、ブルーグレー(深い針葉樹林の色=その静かさを冷静な判断力の象徴)である。また赤と黒は、実業団チーム時代の母体・東芝のコーポレートカラーであり、東芝サッカー部時代からのチームカラーの名残り、すなわち伝統の象徴でもある。

東芝サッカー部のユニフォームを赤と黒の縦縞に変更させたのは、当時チームに在籍していた石崎信弘であり、石崎が好きなACミランにあやかった日本経済新聞 2007年7月2日夕刊「駆ける魂」。これはコンサドーレ札幌となってからも引き継がれた(前身も参照)。

1997年と1998年のホームユニフォームでは、赤と黒の縦縞を基調にブルーグレーも使われた。

ユニフォームの「赤黒縦縞」に対するサポーターの思いは強く、縦縞模様が簡略化された2003年からデザインに対する批判が出始め、2005年のデザイン変更(正面は赤一色、背面は赤ベースに黒の三本線)で不満が爆発。一部サポーターがクラブに対して抗議を行い、ゴール裏には「札幌って赤だっけ?」等の横断幕が掲出される事態となった。2006年にはサプライヤーが変更となり、赤黒縦縞も復活した。

ユニフォームスポンサー

過去のユニフォームスポンサー

ユニフォームサプライヤー

歴代ユニフォームスポンサー

年度 背番号 パンツ サプライヤー
1996年ハドソンサッポロビール東芝-PUMA
1997年ハドソン石屋製菓サッポロビール-PUMA
1998年白い恋人JALグループサッポロビール-PUMA
1999年サッポロビールJALグループ白い恋人-adidas
2000年サッポロビール日本航空白い恋人-adidas
2001年サッポロビール日本航空白い恋人-adidas
2002年白い恋人日本航空サッポロビールJR北海道adidas
2003年白い恋人日本航空サッポロビールJR北海道adidas
2004年白い恋人日本航空サッポロビールJR北海道adidas
2005年白い恋人日本航空サッポロビールJR北海道adidas
2006年白い恋人日本航空サッポロビールJR北海道Kappa
2007年白い恋人日本航空サッポロビールJR北海道Kappa
2008年ニトリサッポロビール白い恋人日本航空Kappa

チームスポンサー

  • 札幌市交通局
  • 北海道新聞社
  • アインファーマシーズ
  • ジェイ・アール北海道バス
  • 北洋銀行
  • 丸井今井
  • 札幌大学
  • スポーツデポ
  • 道栄紙業
  • 原田建設工業
  • 丸大食品
 
  • アルバイト北海道
  • 岩田地崎建設
  • エナレディースクリニック
  • キャリアバンク
  • 玄米酵素
  • サザエ食品
  • さっぽろ健康スポーツ財団
  • 北海道観光事業
  • 札幌日産
  • さぽーとさっぽろ
  • サンピ&デュオ専門店街
  • JALカード
  • JALセールス北海道
  • JALUX
  • セブンイレブン・ジャパン
  • 東京エレクトロン
  • 日通航空
  • ハウスメイトパートナーズ
  • パソコンスクールパルティス
  • ピザハット
  • 富士メガネ
  • ほくせん
  • ホクレン
  • 北海道リコー
  • アイ アム アプロス
  • アクアクララ北海道
  • アルファビジネス
  • アントレ
  • イオレ
  • ヴァーナル北海道
  • カルビーポテト
  • ケーアイプランニング
  • サッポロ飲料
  • 札幌市芸術文化財団
  • 札幌市水道局
  • サッポロライオン
  • 札幌リゾート&スポーツ専門学校
  • CCAクレストグループ
  • JAバンク
  • JAようてい
  • 専門学校北海道体育大学校
  • 札幌第一ホテル
  • 痛快食堂
  • NEEDS Sapporo
  • 野口観光
  • 阪急交通社
  • ピヴォ
  • 北雄ラッキー
  • 北海道コカ・コーラボトリング
  • 森永乳業
  • ヨドバシカメラマルチメディア札幌
  • ろうきん
  • 進藤病院
  • 太洋飲料
  • テレ・マーカー
  • 東北海道トラベル

チームスローガン

  • 2003年 We Shall Return
  • 2004年 全力蹴球
  • 2005年 真っ攻勝負! 
  • 2006年 
  • 2007年 Power to 1
  • 2008年 Progress

下部組織

コンサドーレ札幌ユース・U-18、コンサドーレ札幌ユース・U-15
コンサドーレ旭川ユース・U-15、コンサドーレ札幌ユース・U-12

長期的視点に立った強化計画の一環として、下部組織の充実に力を入れている。財政の緊縮化を図った2004年度においてさえ下部組織の予算は前年比で据え置かれている。コンサドーレ札幌ユース・U-18は2001年の日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会と2005年の高円宮杯全日本ユースサッカー選手権(U-18)大会、コンサドーレ札幌ユース・U-15は2002年と2003年の高円宮杯全日本ユースサッカー選手権(U-15)大会でそれぞれ準優勝するなど、サッカーの後進地域と見られてきた北海道において着々と進歩を続けている。また、さらなる才能の発掘を目指し、旭川にもコンサドーレ旭川ユース・U-15のチームを置いている。将来的には主要都市にユースチームを置くことも計画している。

マスコット

ドーレくん
北海道に生息するシマフクロウがモチーフ。チーム名のイニシャル「CS」が白い文字で入った赤いシャツと黒いパンツを着用しているが、2006年シーズンからは時折レプリカユニフォームを着用して登場している。特技はダンス(主にコンサドールズと踊る)と側転。2006年シーズンから持ちネタが増え、電動キックスケーターに乗ってのピッチ一周や、巨大ボールを使用しての一人PK戦(自分でボールを蹴って、走ってボールを追い越し、正面からボールキャッチ)をハーフタイム時に披露。
コンサドールズ
オフィシャルダンスドリルチーム。1997年5月15日、札幌厚別公園競技場でデビュー。試合開始50分前、ハーフタイム、ゲーム終了後(勝利試合のみ)にパフォーマンスを行う。サッカークラブでは初めてのクラブ専属ダンスチーム。ミスダンスドリルチーム日本大会で優勝の経験もある実力派。サテライト、ユースなどの下部組織を持ち、若手の育成にも力を入れている。近年、キックオフ50分前のパフォーマンスの際、アウェイ側スタンドの一角でコンサドールズとともに踊る一団が現れ、「バックスタンドダンサーズ」「アウェイドールズ」などと呼ばれ、コンサドールズとともにコンサドーレホームゲームの名物となっている。

スタジアムDJ

スタジアムDJは北海道内を放送対象地域とするラジオ局 FM ノースウェーブのDJが担当している。

歴史

前身

前身の東芝サッカー部は1935年に神奈川県川崎市で結成され、日本サッカーリーグの中-後期は1部リーグで活躍する強豪実業団チームだった。しかし川崎は当時ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)の本拠地だったことから、川崎でJリーグ昇格を目指そうとしてもまず人気・実力でハンディキャップを背負ってしまう。札幌市が札幌ドームを将来的な本拠地とすることを目指したプロサッカーチーム誘致活動を実施中だったこともあり、1996年のシーズン開幕時に設立された運営会社・株式会社北海道フットボールクラブ(HFC)が東芝サッカー部を受け入れることで、チームは札幌市に移転することになり、チーム名もコンサドーレ札幌と改められた。この時以来、東芝とHFCの間で資本的なつながりはないものの、通称「赤黒縦縞」と呼ばれる東芝サッカー部の赤と黒のストライプのユニフォームデザインはそのままコンサドーレに引き継がれ、サポーターの誇りとして応援歌にも歌われている。

1996年〜1997年

「北海道からJリーグチームを」の合い言葉のもと、アルシンドペレイラらJリーグでの実績を持つブラジル人選手を迎えてコンサドーレ札幌は華々しく誕生した。しかし、1996年(Jリーグ準会員承認)のプロ移行初年度、チームはプロ選手と東芝サッカー部から出向してきた社員選手が混在し、さらには期待されたアルシンドが審判への暴言で長期出場停止となり、復帰後すぐにまたも一発退場でそのまま退団するなど、結局最後までチームは噛み合わず当時JFLで20勝10敗の5位に終わり、Jリーグ入りの条件である2位以内をクリアできなかった。しかし一方ではルーキー吉原宏太の活躍や、同年のチーム得点王である川合孝治を含む東芝社員選手を中心にしたチーム構成でシーズン後半は内容が向上するなど、明るい展望もあった。

ところが、シーズン終了後には彼ら東芝社員選手の契約更新がなされなかったことでクラブとマスコミ・サポーターの間に緊張関係が発生するなど、誕生したばかりのクラブとして運営の問題が表面化する。結局、チームに残留する意思を示した社員選手は東芝を退社しプロ選手になるというかたちで決着がついたものの、後味の悪さが残ったことは否めなかった。

1997年シーズン、ウルグアイからウーゴ・フェルナンデスを監督に招聘して本格的にJリーグを目指した。「チームはファミリー」を合言葉に周囲の期待通りに快進撃を続け、26勝4敗という成績でJFL優勝、念願のJリーグ昇格を果たした。また、パナマ代表FWバルデスが40得点で得点王に輝いているほか、ウーゴ・マラドーナとのホットラインがサポーターを魅了した。しかし、親会社を持たず資金力に乏しいチームにも関わらず、昇格を急ぐあまりに選手獲得に多大な資金を投入したしわ寄せは既にこの頃から表面化し始め、慢性的な赤字体質に悩まされるようになる。

1998年

戦いの場をJリーグに移した1998年、コンサドーレはトップカテゴリの洗礼を浴びる。1stステージでは内容的に善戦した試合も少なくなかったものの、結果としては4勝13敗と全く振るわず16位に低迷。巻き返しを期して臨んだ2ndステージではやや持ち直したが、フロントとの確執から10月にフェルナンデス監督が解任されチームは空中分解。石井肇ヘッドコーチが後任の座に就いたが持ち直すことが出来ず、結局12勝22敗で年間順位は18チーム中14位に終わった。

この年は翌1999年からJリーグが2部制に移行する関係で、シーズン終了後にJリーグの下位チームとJFL優勝チームによるJ1参入決定戦が予定されていたが、このJ1参入決定戦に回るチームはこの年のリーグ戦の順位ではなく、1997〜1998年の2シーズン通算の順位ポイントによるものだった。1997年シーズンは下部リーグJFLにいたコンサドーレには1998年1シーズンのみの順位ポイントしか計算されず、この2シーズン通算順位ポイントで16位となり、J1参入決定戦に回る。ここでヴィッセル神戸アビスパ福岡にそれぞれ2連敗を喫し、Jリーグ史上初の降格チームとなった。J1参入決定戦を回避するために繰り返した選手補強も実らず、またJリーグに上がったことで伸びると期待された観客動員も想定ほどではなく、累積赤字は27億円以上にのぼった。

1999年〜2000年

J2に降格となり、「1年でのJ1復帰」を目指したコンサドーレが切り札として迎え入れたのが、岡田武史日本代表監督だった。また、元日本代表で当時ベルマーレ平塚名塚善寛鹿島アントラーズで優勝経験のある佐藤洋平らも入団した。

日本を史上初のワールドカップ出場に導き、知名度と実績を兼ね備えた名将としてその手腕にかかる期待は大きかった。しかし、Jリーグでの監督経験がなかったことが災いしてなかなかチームを作り上げることができず、また外国人選手の獲得にも失敗したため、昇格争いに絡むことすら出来ずに、この年は17勝13敗6分5位で終了した。そして、A代表・五輪代表にも選出され人気・実力共にチームの柱であった吉原がガンバ大阪に移籍してしまう。J2降格によるスポンサー料の収入減もあり、累積赤字も30億円を突破し、経営状態は泥沼となっていた。

2000年は就任2年目の岡田がクラブの経営見直しも図り、徹底した緊縮財政を断行。同時に選手の獲得も自ら行い、ジェフユナイテッド市原(当時)から 野々村芳和、G大阪から播戸竜二京都パープルサンガ(当時)から大森健作FC東京からアウミールら自らの眼鏡にかなう選手を集めた。そしてブラジルの名門サンパウロFCからエメルソンという強力なブラジル人ストライカーが加わった。この他、大きな活躍は無かったが、1993年アメリカW杯予選日本代表で「アジアの大砲」と呼ばれた高木琢也もV川崎から入団し、若手選手の模範となった。

理想をいったん捨て、下部リーグを戦うための戦術を確立し、それを実行できる選手を各ポジションに揃えたこの年のチームは、J2を31勝4敗5分という圧倒的な成績で制覇する。とくにJ1から降格してきた浦和レッズとの4度にわたる激闘は今でも語りぐさになっている。この好成績に押されて観客動員数も増え、この年コンサドーレは初めて単年度黒字を達成する。何もかもがうまく行った年であった。また、この年に地元北海道出身の山瀬功治という期待のルーキーが出てきた。

しかし、少ない予算でJ1昇格を狙うためにクラブが採った策は、主力選手をレンタル移籍に頼り、メンバーを固定して戦うというものだった。その結果、エースのエメルソンを含む8人のレンタル選手が主力というチーム編成で、その実体は砂上の楼閣であった。

2001年〜2002年

再びJ1で戦うチャンスを得たコンサドーレにとって、このレンタル依存体質からの脱却が優先事項となり、とりわけ31得点でJ2得点王を獲得したエメルソンの完全移籍が最重要課題であった。この完全移籍のための資金を捻出する方法としてクラブが摂ったのは、サポーターから増資を募ることだった。最終的には、2億5千万円という目標を上回る3億円近くの資金を集めることに成功する。この増資の最大の目的だったエメルソンが金銭面の理由で退団してしまうが、いつからか「エメルソン基金」と呼ばれるようになったその資金をもとに他の主力選手を完全移籍させ、またエメルソンに替わるストライカーとして大分トリニータのFWウィルをレンタルで獲得した。

J1復帰となった2001年は、開幕戦でセレッソ大阪にアウェイで競り勝ち幸先のいいスタートを切ると、続く柏レイソル戦でも勝利。勢いに乗った札幌は一時は2位にまで上がるなど予想以上の戦いぶりを見せ、またウィルが24得点で得点王を獲得する活躍もあり、10勝15敗5分の11位でクラブ史上初のJ1残留を果たす。また、同年完成した札幌ドームの集客効果も加わり、平均観客動員数は2万人を突破。2年連続で単年度黒字を達成した。さらに、前年入団の山瀬はこの年J1最優秀新人選手賞を受賞。またこの年も新人の今野泰幸が高卒1年目でレギュラーを獲得しユース代表にも選出され、自チームでの戦力養成にも道筋がつき始めた。ようやくチーム全体が軌道に乗り始めたかと思われたが、その矢先にこのシーズンいっぱいを以て岡田監督が退任し、またエースのウィルが横浜F・マリノスへ、ウィルと2トップを組み9得点を挙げた播戸が神戸へそれぞれ移籍してしまう。さらに名塚がケガの影響で引退、主将の野々村もケガの影響もあり戦力外となって引退してしまった。カリスマ的な存在だった監督と、チーム総得点の実に4分の3を叩きだした2トップ、さらには精神的支柱でもあったまとめ役まで丸ごと失ったチームは、再び迷走を始めることとなる。とりわけ野々村芳和の戦力外はサポーターにも批判が多く、その後数年間は野々村の現役復帰を望む声も聞かれた。

J1復帰2年目の2002年、岡田監督の引き留めに失敗したクラブは、新監督としてS級ライセンスを取得したばかりで監督経験の無い柱谷哲二を迎え入れた。ウィルに替わるストライカーはロシアリーグの強豪スパルタク・モスクワからブラジル人FWロブソンを、そして日本人選手では東京ヴェルディ1969 から小倉隆史アトランタオリンピック予選日本代表)、ガンバ大阪から小島宏美らを獲得してシーズンに臨んだ。しかし、戦力的に恵まれていないチームをJ1に残留させるのは、新人監督には荷の重い仕事だった。ロシアリーグ得点王(後にこの経歴は虚偽と判明)、UEFAチャンピオンズリーグ出場という肩書きをひっさげて鳴り物入りで入団したロブソンも、ふたを開けてみればまったく振るわず、チームは開幕から黒星を重ねてしまう。結局ロブソンは同年入団したDFマクサンドロと共に5月末に退団、柱谷監督も6月に解任される。

クラブは後任の監督として レアル・オビエドスペイン)のチームコーディネータを務めていたユーゴスラビア(現:セルビア)人のイバンチェビッチ・ラドミロを招聘し、また同じくユーゴスラビア(現セルビア)人FWバーヤック、ブラジル人MFジャディウソンの2人の外国人選手をはじめ、日本人選手も次々と獲得して立て直しを図ったが、試合内容は改善したものの勝負弱さは払拭できず、成績は一向に上向くことなくイバンチェビッチ監督は9月にほぼ解任に近い形で辞任してしまう。わずか4ヶ月という就任期間であった。後任には張外龍ヘッドコーチが内部昇格したが、もはや一度狂った歯車は元には戻らなかった。

10月27日カシマスタジアムでの鹿島アントラーズ戦、2-2で迎えた延長前半ロスタイムに鹿島の石川竜也にVゴールを決められた瞬間、コンサドーレの2度目のJ2降格が確定した。シーズン通算では5勝24敗1分、最下位に終わった。度重なる監督交代や選手獲得によりチームの財政は再び悪化、9千万円近い赤字となった。

2003年

2度目のJ2を戦うこととなったコンサドーレは、再度1年でのJ1復帰を掲げ、鹿島アントラーズ、名古屋グランパスエイトでリーグ制覇と天皇杯優勝を果たした実績を持つジョアン・カルロスを招聘(その代わり、過去に同監督と確執・衝突のあった小倉に退団を決意させてしまう)。また横浜F・マリノスを退団していたウィルを呼び戻し、MFホベルッチ、MFベットという2人の元ブラジル代表選手を獲得。若手のホープだった山瀬功治が浦和レッズに移籍したものの、U-20日本代表主将今野泰幸を含めてJ2トップクラスの戦力を揃えることに成功した。

ところが、開幕戦で横浜FCに1-3で完敗してスタートダッシュに失敗。期待されたブラジルトリオもベットがホームシックで帰国し退団、ケガで療養中のウィルが深夜の繁華街で傷害事件を起こしそのまま退団、ホベルッチも監督との確執が原因で退団と、全員がシーズン半ばで退団してしまう。その後MFビタウ、FWアンドラジーニャ(大分トリニータ在籍中の2002年、J2得点ランク2位)、オランダ人MFウリダとJリーグでの実績を持つ助っ人を獲得するも、戦い方は安定しないまま2003年8月2日のアルビレックス新潟とのアウェイ戦で1-5の大敗を喫したのを最後にジョアン・カルロスが辞任。後任は再び張外龍となったが、既にチームには巻き返すだけの余力はなかった。J1昇格どころか昇格争いにすら絡めないまま13勝18敗13分の9位というクラブワーストの記録でシーズンを終えた。J1昇格のために繰り返した選手獲得と、成績低迷や不祥事による観客動員の低迷により、この年2億8千万円もの赤字を出す。累積赤字は再び30億円を突破し、債務超過も4億5千万円にまで膨らんでしまう。この結果、クラブは大幅な方針転換を強いられることとなる。

2004年

2003年に社長に就任した佐々木利幸のもと、事実上の倒産状態から生き残るためには抜本的な改革が必要と判断したクラブは、この年の末に、その方針転換の指標となる「5段階計画」を打ち出した。 それは、人件費をはじめとした経費の圧縮により経営の黒字化を図り、債務超過を解消すると同時に、若手主体のチーム編成とユースチームの強化を軸とする長期育成計画を立て、レンタル移籍や外国籍選手に頼らずともJ1で安定して戦えるチーム作りを目指すというものである。

この計画を実行するにあたっては、当然若手育成に最適な監督を捜す必要があったが、ジュビロ磐田ユースサテライトチームの監督を長く努め、同トップチームの監督を務めていた柳下正明が2003年シーズン限りで退団することが明らかになり、彼に白羽の矢が立った。監督就任交渉時において「パスを回して自分たちから積極的に攻撃を仕掛けられるチームを作りたい」と述べた城福敬強化部長の言葉に、「そのスタイルならば、受けます」と応じた柳下が2004年シーズンから監督に就任することとなった。

この5段階計画元年の2004年シーズンは、柳下監督こそ同年元日の天皇杯を制した実績があるものの、中心選手だった今野泰幸や高年俸のベテラン選手・外国籍選手を放出し、逆に加入選手はユース昇格者の鈴木智樹蛯沢匠吾、高卒新人の上田常幸上里一将桑原剛斉川雄介、大卒新人の河端和哉鎌田安啓という8人もの新人選手と、テスト生から入団した元磐田・静岡FC清野智秋のみという極端な体制でシーズンに臨んだ。 開幕戦のホームゲームではヴァンフォーレ甲府にロスタイムに追いつかれはしたものの、その内容はおおむね満足できるもので順調なスタートが切れたかに見えた。 しかし、プロ3年目までの選手が大半を占めるチームならではの戦力・経験不足を露呈。さらに三原廣樹の大ケガによる戦線離脱や新居辰基及び中尾康二の不祥事による契約解除(解雇)といった事態が続き、横浜F・マリノスから金子勇樹、ヴィッセル神戸から西嶋弘之を補強、特別指定選手としてチームに加わっていた権東勇介と正式契約するなどして局面打開を図ろうとするも、勝利から見放される状況に長く陥ることとなる。 育成面で定評のある柳下監督の指導のもと、試合を追うごとに内容は改善されていったが、ある意味で勝利を度外視して若手育成にあてたメンバー構成のチームではなかなか勝ちを重ねることが出来ず、この年は5勝24敗15分でJ1経験チーム初のJ2最下位に終わった。 しかし、この年の終わりに行われた天皇杯ではJ1のジェフユナイテッド市原、大分トリニータを破りベスト8に進出。準々決勝でジュビロ磐田に延長Vゴール負けはしたが互角の戦いを見せ、チームが確かな成長をしていることを示した。

経営面では経費の削減が実を結び、今野泰幸がFC東京へ移籍した際の移籍金も含めて、クラブ史上最高の約3億5千万円の黒字を達成したことにより債務超過は一気に1億円以下にまで減少した。

2005年

柳下監督体制2年目となった2005年。昨年の正GK藤ヶ谷陽介がガンバ大阪へ移籍したものの、サンフレッチェ広島から林卓人中山元気、鹿島アントラーズから池内友彦、ジュビロ磐田から高原寿康加賀健一を補強。 新人では大卒の徐暁飛、ユース昇格者の石井謙伍野田達郎が加入。

前年と同じ5位以内を目標に掲げシーズンに挑んだ。

堀井岳也、上里一将、西澤淳二らが負傷により長期離脱を余儀なくされ、チーム力が低下したが、シーズン中盤に浦和レッズから獲得した西谷正也が攻撃力の向上に大きく寄与した。一方、得点力を期待して水戸ホーリーホックから獲得したデルリスはチーム戦術にフィットせず、満足な成績を挙げることができずに同年限りで退団した。クラブは17勝15敗12分の6位でシーズンを終え、当初目標としていた5位以内には入らなかったものの、第4クール後半までJ1昇格戦線に食い込む活躍を見せ、柳下が2006年も指揮を執ることとなった。

経営面では、シーズン中にクラブ取締役が女子中学生買春容疑で逮捕されるという不祥事があり、大手スポンサーである学習塾が撤退するなど大きな動揺をもたらす事態が発生した。

しかし、チーム成績の上昇や新たな営業活動により観客動員・広告収入が回復して債務超過額は約4200万円に圧縮された。

2006年

柳下監督体制3年目となった2006年。川崎フロンターレからフッキ、ジェフ千葉から芳賀博信モンテディオ山形から大塚真司川崎健太郎、水戸ホーリーホックから関隆倫アルビレックス新潟・シンガポールから野本安啓、名古屋グランパスからセバスティアンを補強し、ユースからは藤田征也西大伍が昇格。J1昇格を目標に掲げてシーズンに挑んだ。

序盤戦はフッキの出場停止や大塚真司ら主力の怪我も影響し、10試合連続未勝利など成績は低迷。シーズン中盤以降に状況は改善しつつあったが、結局前年と同じシーズン6位(20勝16敗12分)で終了した。しかし、第41節湘南ベルマーレ戦、第42節徳島ヴォルティス戦ではクラブ史上初の2試合連続6得点を挙げるなど、歯車が噛み合った試合には爆発的な攻撃力を発揮。「走って繋いで撃ちまくれ それが札幌スタイル」という横断幕も登場し、3年間継続した攻撃的サッカーが根付いたシーズンとなった。

また、天皇杯ではJ1のジェフ千葉、アルビレックス新潟、ヴァンフォーレ甲府を破りクラブ史上初のベスト4に進出。準決勝でガンバ大阪に1-2で惜しくも敗れ決勝進出はならなかったが、チームの成長ぶりを示すこととなった。

一方、柳下監督は翌シーズンの監督続投の意志が無いことをフロントに伝え、フロント側も本人の意志を尊重して続投のオファーをせず、2006年シーズンでの退任が決まった。

経営面では、J1昇格を目標に強化費の大幅増加に踏み切るも、観客動員などが伸び悩み1億6千万円の赤字を計上。翌年度の強化費圧縮が明言されるなど厳しい状況となった。

2007年

2007年は前大宮アルディージャ監督の三浦俊也が新監督に就任。前年の主力選手であったフッキが東京ヴェルディ1969へ移籍、加賀健一がジュビロ磐田に復帰するなどしたが、2006年に途中加入し天皇杯で好プレイを見せたGK佐藤優也をヴァンフォーレ甲府から完全移籍で獲得。さらにセレッソ大阪からDFブルーノ・クアドロスECヴィトーリアからFWダヴィ・MFカウエ、大宮アルディージャからGK高木貴弘、高卒新人の岡本賢明岩沼俊介を獲得した。

チームは1月22日より沖縄県国頭村で第一次キャンプを実施。4バックによる組織的守備の練習などに重点が置かれ、守備の再構築に取り組んだ。1月31日からは熊本県熊本市に移動して第二次キャンプを実施。練習試合では9戦負けなしの結果を残し、シーズンに臨むこととなった。

開幕戦では0-2で京都サンガF.C.に敗れたが、堅守速攻を武器にリーグ序盤に7連勝を果たすなど順調に勝ち点を積み上げ、シーズン途中から首位に浮上。一時は2位に勝ち点差10以上をつける独走状態だったが、シーズン当初から連携強化のために出場選手を固定してきたことによる主力選手の疲労の蓄積や、台風接近による試合順延で不運な日程を余儀なくされるなど、第3クールとなる8月後半頃から急激に失速、他チームにあっという間に勝ち点差を詰められ熾烈な昇格争いに巻き込まれた。この苦しい終盤戦に3年目の石井謙伍、2年目の西大伍、ルーキーの岡本賢明などの若い選手や横浜FCから途中移籍した鄭容臺が起用に応えて活躍し、第45節から48節まで4連勝を飾って首位を死守、J1昇格まであと一歩と迫る。

第49節のサガン鳥栖戦に敗れ、第50節の京都サンガF.C.戦は勝てば昇格が決まる試合だったがロスタイムに追いつかれてドロー、さらに試合のない第51節には東京ヴェルディ1969に勝ち点で並ばれ得失点差で首位陥落と、なかなか昇格を決める事ができなかったが、それでも最終節の水戸ホーリーホック戦をダヴィの2ゴールによる逆転で制し、悲願のJ1復帰を果たした。同日、東京ヴェルディ1969がセレッソ大阪と引き分けたことでJ2優勝も決まった。

2008年

三浦監督体制2年目となる2008年は舞台をJ1に移して戦いを挑むこととなった。ただし経営面は、前年度優勝にも関わらず黒字幅が小さかったこと、膨大な債務超過を解消する目途を立てなければJ1参入を認めないと指摘されたことにより、資本金を80%減資してその上で増資する計画をたてる(後に実行)など、かなり苦しい状況となった。そのため、大型補強ではなく身の丈にあった堅実な補強が行われた。前年にJ1昇格に大きく貢献したCBのブルーノクアドロスを解雇し、DFとして新たにサンフレッチェ広島から吉弘充志を完全移籍、ヴィッセル神戸から坪内秀介清水エスパルスから平岡康裕をレンタル移籍で獲得し純国産DFで構築した。他にも、MFはアルビレックス新潟からディビッドソン純マーカスをレンタル移籍で獲得、FWダヴィを完全移籍させたほかブラジルのECバイーアからノナトを獲得した。また、新入団選手として、柴田慎吾堀田秀平、各年代別日本代表のFW宮澤裕樹が加入、またユースから横野純貴が昇格した。

チームは1月21日よりグアムで第一次キャンプを実施。しかし、新加入として期待されたMFアルセウはチームと自身の起用法などとの方向性の違いによりキャンプ中に退団し、新たにパラナエンセからMFクライトンを獲得してシーズンに挑むことになった。

しかし2007年に堅守を誇ったDFラインに負傷者が相次ぎ、監督自身の戦術も早々に研究され、ゾーンの穴を突かれての失点やセットプレー時での失点癖が目立ち、守備が崩壊。また、点取り屋として期待されたノナトも調整不足などからレギュラーにも至らない状態であった。戦力不足が影響し、中断期間突入時点で降格圏内の17位と低迷することとなる。この状況を打破するためノナトを解雇し、FWアンデルソン、更に川崎フロンターレから箕輪義信を獲得した。しかし前途にも書かれた怪我人の離脱だけではなく、三浦監督の消極的な采配が裏目に出たのか、悪質なファールによる選手の退場が多く、1試合に2人以上の退場者が出る試合もたびたびあった。その結果、10人以下での戦いや、怪我に加え出場停止などで離脱する選手が増え、戦力差を埋めきれずにさらに失点を重ねていった。大量に得点してもすぐに追いつかれる試合や大量失点で負ける試合が多く、最下位に低迷。10月19日の第29節柏レイソル戦に敗れたことで17位以下が確定、1年でのJ2降格が決まった。5試合を残しての降格は2007年の横浜FCと並ぶ最速記録。さらに、10月26日の対川崎フロンターレ戦に負けたため、最下位が確定した。

チーム成績

 

年度別成績・歴代監督

年度rowspan="2"|所属colspan="6"|リーグ戦rowspan="2"|ナビスコ杯rowspan="2"|天皇杯 rowspan="2"|監督
試合勝点勝利敗戦引分順位
|rowspan="2" align="left"|旧JFL1部18236755位 高橋武夫
1993年18-117-3位
|rowspan="4" align="left"|旧JFL30-1119-11位
|30461515-8位
1996年30622010-5位 3回戦敗退
|3076264-優勝準々決勝敗退3回戦敗退ウーゴ・フェルナンデス
1998年J 1st1711413-16位予選敗退4回戦敗退
J 2nd172489-10位ウーゴ・フェルナンデス( -第11節)
石井肇(第12節- )
|rowspan="2" align="left"|J23655171365位1回戦敗退3回戦敗退岡田武史
|40943145優勝1回戦敗退4回戦敗退
2001年J1 1st15216638位予選敗退3回戦敗退
J1 2nd151349214位
2002年J1 1st156213016位予選敗退3回戦敗退柱谷哲二 ( -第7節)
イバンチェビッチ (第8節- )
J1 2nd159311116位イバンチェビッチ ( -第3節)
張外龍 (第4節- )
2003年J244521318139位3回戦敗退ジョアン・カルロス ( -第26節)
張外龍 (第27節- )
|44305241512位ベスト8柳下正明
|44631715126位3回戦敗退
|48722016126位ベスト4
|4891271110優勝3回戦敗退三浦俊也
|align="left"|J134 18位予選敗退4回戦敗退

通算成績

カテ
ゴリ
rowspan="3"| colspan="13"|リーグ戦rowspan="3"|・colspan="6" rowspan="2"|ナビスコ杯rowspan="3"|・rowspan="2" colspan="5"|天皇杯rowspan="3"|・colspan="6" rowspan="2"|その他rowspan="3"|・rowspan="2" colspan="6" |通算
ホーム colspan="6" |アウェイ
J1 19 425 8193 8 236 4995 6513 2545 2011 6135 004 28 22483202 755683
J2 663646 236174 593653 164164
JFL 28 0 2 7221 18 012 6548
 

獲得タイトル

チーム

  • 1997年 旧JFL(ジャパンフットボールリーグ)優勝
  • 2000年 J2リーグ優勝
  • 2007年 J2リーグ優勝

個人別

最優秀選手
  • 1997年 バルデス
ベストイレブン
  • 2001年 ウィル
得点王
  • 1997年 バルデス(JFL)
  • 2000年 エメルソン(J2)
  • 2001年 ウィル(J1)
新人王
  • 2001年 山瀬功治

その他の記録

ハットトリック

試合日会場対戦相手スコアcolspan="4"|得点時間
1997年吉原宏太5月15日JFL 第5節厚別大塚製薬5-1○16分45分67分
バルデス5月25日JFL 第7節厚別川崎F4-3○89分89分112分
バルデス7月6日JFL 第13節刈谷デンソー6-1○23分52分76分86分
バルデス7月12日JFL 第14節厚別甲府3-0○40分56分63分
バルデス8月17日JFL 第16節帯広水戸6-1○5分36分53分87分
バルデス8月31日JFL 第19節厚別仙台3-0○0分38分77分
バルデス9月4日JFL 第20節等々力川崎F4-3○76分80分116分
バルデス10月26日JFL 第29節大宮NTT関東5-3○31分44分59分
|align="left"|バルデス5月9日J 1st 第12節室蘭市原3-2○16分46分103分
|align="left"|吉原宏太5月2日J2 第9節厚別甲府6-0○22分27分48分
|align="left"|エメルソン3月12日J2 第1節鳥栖鳥栖4-0○41分58分74分
|align="left"|ウィル9月29日J1 2nd 第7節厚別神戸5-2○29分62分78分
|align="left"|曽田雄志11月30日J1 2nd 第15節札幌ド広島5-4○55分88分99分
|align="left"|ウィル4月12日J2 第6節室蘭福岡5-0○61分71分85分
|align="left"|清野智秋11月19日J2 第41節札幌ド京都3-3△19分69分70分
|align="left"|フッキ9月23日J2 第41節平塚湘南6-1○69分81分89分89分
 

チーム最多得点試合

JFLリーグ戦
  • ホーム
1997年8月17日 第16節 コンサドーレ札幌 6 - 1 水戸ホーリーホック @帯広
:得点者:バルデス×4、マラドーナ、太田
得点者:バルデス×4、マラドーナ、太田
  • アウェイ
1997年7月6日 第13節 デンソーサッカー部 1 - 6 コンサドーレ札幌 @刈谷
:得点者:吉原、バルデス×4、オウンゴール
得点者:吉原、バルデス×4、オウンゴール
J2リーグ戦
  • ホーム
1999年5月2日 第9節 コンサドーレ札幌 6 - 0 ヴァンフォーレ甲府 @厚別
:得点者:吉原×3、アシス×2、リカルジーニョ
得点者:吉原×3、アシス×2、リカルジーニョ
2003年7月2日 第21節 コンサドーレ札幌 6 - 2 大宮アルディージャ @札幌ドーム
:得点者:西澤、アンドラジーニャ、砂川、ビタウ、岡田、佐藤
得点者:西澤、アンドラジーニャ、砂川、ビタウ、岡田、佐藤
2006年9月27日 第42節 コンサドーレ札幌 6 - 0 徳島ヴォルティス @厚別
:得点者:フッキ、関、西嶋、石井×2、砂川
得点者:フッキ、関、西嶋、石井×2、砂川
  • アウェイ
2006年9月23日 第41節 湘南ベルマーレ 1 - 6 コンサドーレ札幌 @平塚
:得点者:大塚、フッキ×4、相川
得点者:大塚、フッキ×4、相川
J1リーグ戦
  • ホーム
2001年9月29日 2nd 第7節 コンサドーレ札幌 5 - 2 ヴィッセル神戸 @厚別
:得点者:ウィル×3、山瀬、播戸
得点者:ウィル×3、山瀬、播戸
2002年11月30日 2nd 第15節 コンサドーレ札幌 5 - 4 サンフレッチェ広島 @札幌ドーム
:得点者:小倉、曽田×3、相川
得点者:小倉、曽田×3、相川
  • アウェイ
1998年5月5日 1st 第11節 ヴィッセル神戸 2 - 3 コンサドーレ札幌 @神戸ユ
:得点者:吉原、バウテル、バルデス
得点者:吉原、バウテル、バルデス
1998年8月1日 1st 第15節 サンフレッチェ広島 4 - 3 コンサドーレ札幌 @広島ス
:得点者:バルデス、吉原×2
得点者:バルデス、吉原×2
1998年8月22日 2nd 第1節 セレッソ大阪 1 - 3 コンサドーレ札幌 @長居
:得点者:深川、バウテル、村田
得点者:深川、バウテル、村田
1998年11月7日 2nd 第16節 ジェフ市原 1 - 3 コンサドーレ札幌 @市原
:得点者:バルデス、吉原、棚田
得点者:バルデス、吉原、棚田
2002年3月31日 1st 第4節 名古屋グランパスエイト 0 - 3 コンサドーレ札幌 @瑞穂陸
:得点者:オウンゴール、山瀬、森下
得点者:オウンゴール、山瀬、森下
2008年7月13日 第16節 ジェフユナイテッド市原・千葉 0 - 3 コンサドーレ札幌 @フクア
:得点者:中山、ダヴィ×2
得点者:中山、ダヴィ×2
カップ戦(ナビスコ杯)
  • ホーム
1998年5月30日 第3節 コンサドーレ札幌 3 - 2 横浜F・マリノス @室蘭
:得点者:吉原、マラドーナ、古川
得点者:吉原、マラドーナ、古川
  • アウェイ
1997年3月8日 第1節 ガンバ大阪 3 - 3 コンサドーレ札幌 @万博
:得点者:バルデス×2、鳥居塚
得点者:バルデス×2、鳥居塚
1997年3月19日 第3節 横浜マリノス 1 - 3 コンサドーレ札幌 @三ツ沢
:得点者:バルデス、後藤×2
得点者:バルデス、後藤×2
天皇杯・その他
2003年11月30日 天皇杯 1回戦 コンサドーレ札幌 8 - 0 尽誠学園高校
:得点者:アンドラジーニャ、堀井、市村、曽田、砂川×2、藤田、鈴木
得点者:アンドラジーニャ、堀井、市村、曽田、砂川×2、藤田、鈴木

チーム最多失点試合

JFLリーグ戦
  • ホーム
1997年9月4日 第20節 コンサドーレ札幌 4 - 3 川崎フロンターレ @厚別
  • アウェイ
1996年9月15日 第21節 ヴィッセル神戸 5 - 1 コンサドーレ札幌 @神戸ユ
J2リーグ戦
  • ホーム
2006年5月14日 第15節 コンサドーレ札幌 1 - 6 ヴィッセル神戸 @厚別
  • アウェイ
2004年6月23日 第19節 川崎フロンターレ 6 - 0 コンサドーレ札幌 @等々力
J1リーグ戦
  • ホーム
1998年10月24日 2nd 第13節 コンサドーレ札幌 1 - 6 ジュビロ磐田 @厚別
  • アウェイ
2001年5月3日 1st 第7節 清水エスパルス 5 - 2 コンサドーレ札幌 @日本平
2002年3月3日 1st 第1節 サンフレッチェ広島 5 - 1 コンサドーレ札幌 @広島ビ
2008年10月5日 第28節 ジュビロ磐田 5 - 0 コンサドーレ札幌 @ヤマハ
カップ戦(ナビスコ杯)
  • ホーム
1997年3月15日 第2節 コンサドーレ札幌 2 - 2 ヴェルディ川崎 @長崎
1997年3月26日 第5節 コンサドーレ札幌 1 - 2 横浜マリノス @岐阜
1998年5月30日 第3節 コンサドーレ札幌 3 - 2 横浜マリノス @室蘭
1998年6月6日 第5節 コンサドーレ札幌 0 - 2 川崎フロンターレ @室蘭
  • アウェイ
1997年10月18日 準々決勝 鹿島アントラーズ 7 - 0 コンサドーレ札幌 @カシマ
天皇杯・その他 
2002年12月15日 天皇杯 3回戦 コンサドーレ札幌 0 - 5 大分トリニータ @大分

Tips

  • J2リーグ最多連勝記録   2000年 J2 第9節-第23節 14連勝
  • Jリーグ最後のVゴール   2002年11月30日 J1 2nd 第15節 vs サンフレッチェ広島(@札幌ドーム) 得点者:曽田雄志
  • J2リーグ戦連続得点試合記録  2007年 J2 第9節-第38節 27試合
  • リーグ戦ホームゲーム無敗記録  2007年 J2 第2節-第33節 16試合(チーム記録)
  • Jリーグ在籍全チームから敗戦   2007年9月5日 J2 第28節 vs 徳島ヴォルティス戦で達成(2007年当時 31チーム)

リーグ戦ホームゲーム入場者数など

入場者数(年度別・最多/最少動員)

rowspan="2"|カテ
ゴリ
colspan="2" rowspan="2"|試合数 ・ 
年間入場者
rowspan="2"| rowspan="2"|1試合
平均
rowspan="2"|-colspan="5"|最多動員 colspan="5"|最少動員
動員数||試合日||対戦
相手||会場||勝敗|| ||動員数||試合日||対戦
相手||会場||勝敗
|align="center"|JFL1583,000 5,533 10,0247月7日仙台厚別3-0 ○ 6155月16日甲府平塚2-1 ○
1997年JFL15153,181 10,212 17,49210月22日大分厚別2-1 ○ 5,6098月17日水戸帯広6-1 ○
1998年J17203,195 11,953 19,73910月24日磐田厚別1-6 ● 5,1185月9日市原室蘭3-2 ○
1999年J218197,752 10,986 17,4278月29日東京厚別4-1 ○ 4,3174月25日山形室蘭3-2 ○
2000年J220258,206 12,910 19,86310月29日大宮厚別2-0 ○ 3,1623月30日新潟室蘭3-0 ○
2001年J115333,425 22,228 39,3197月21日横浜M札幌ド1-1 △ 6,2763月17日高知2-1 ○
2002年J115287,098 19,140 32,4169月29日磐田札幌ド0-1 ● 7,2363月9日仙台高知0-1 ●
2003年J222236,861 10,766 23,5903月15日横浜FC札幌ド1-3 ● 3,65310月25日大宮室蘭0-1 ●
2004年J222208,241 9,466 19,87311月23日大宮札幌ド0-1 ● 5,06110月23日湘南厚別0-0 △
2005年J222244,935 11,133 20,3748月2日横浜FC札幌ド1-2 ● 4,95910月22日山形函館3-1 ○
2006年J224251,476 10,478 18,54710月21日神戸札幌ド1-4 ● 3,8969月27日徳島厚別6-0 ○
2007年J224290,676 12,112 32,59911月18日京都札幌ド2-2 △ 2,1614月11日福岡西が丘0-0 △
 

入場者数(年度別・会場別)

colspan="3"|厚別colspan="3"|札幌ドームcolspan="3"|室蘭colspan="3"|函館colspan="4"|その他
試合||動員||勝-分-負||試合||動員||勝-分-負||試合||動員||勝-分-負||試合||動員||勝-分-負||会場||試合||動員||勝-分-負
1996年962,0019-0-0   29,2852-0-0   花咲15,9431-0-0
帯広14,1901-0-0
町田19660-0-1
平塚16151-0-0
1997年12131,09912-0-0   18,4421-0-0   釧路18,0311-0-0
帯広15,6091-0-0
|11145,4585-0-6   430,8842-0-2   仙台226,8531-0-1
1999年15182,64310-1-4   315,1091-0-2      
2000年17233,62614-2-1   213,3081-1-0111,2720-0-1   
2001年7116,7583-1-35185,8141-2-219,2891-0-0115,2881-0-0高知16,2761-0-0
2002年343,2421-1-19212,2893-0-6110,2030-0-1114,1280-0-1高知17,2360-0-1
2003年1081,0764-4-29140,5592-2-429,3271-0-115,8990-0-1   
2004年1284,0681-2-98112,6942-5-115,5340-0-115,9450-0-1   
2005年754,6924-0-313179,5344-5-415,7500-0-114,9591-0-0   
2006年1183,4285-3-311156,3755-3-315,0650-0-116,6080-0-1   
2007年971,5705-4-011198,9007-3-1 211,5811-0-116,4640-1-0西が丘12,1610-1-0
 

道外での公式戦主催

コンサドーレ札幌は道内では札幌市、函館市、室蘭市、帯広市釧路市で公式戦を主催しているが、厚別競技場の改修工事(1996年、1998年)、冬季間の積雪による競技場閉鎖、ナイトゲーム用の照明設備が備えられていない等の理由により、道外で公式戦を主催したことがある。

特に2001年と2002年の高知県での開催は、同年のJリーグで最初のホームゲームだった。当時の橋本大二郎県知事の誘致活動もあり、YOSAKOIソーラン祭りなどで北海道と高知県の関係が深まった事もあって、コンサドーレは高知を準ホームタウンとして定め、2002年にはキャンプも開催した。北海道から四国の遠距離移動にも関わらず、札幌(新千歳空港)と高知(高知空港)を往復するチャーター航空機利用ツアーなどでコンサドーレサポーターが駆けつけたが、地元での反応は芳しくなく、2万人を期待していた観客動員も伸び悩んだため、2002年限りで支出削減を図るコンサドーレは高知との準ホームタウン関係を解消し、ホームゲームの開幕戦を札幌ドーム開催に切り替えた高知新聞 コンサドーレ札幌情報2002http://www.kochinews.co.jp/consa/consa02.htm

試合日対戦相手勝敗観客数
1996年 町田陸上競技場 5月 5日 JFL 第3節 コスモ四日市 1-2 ●966
平塚競技場 >| 5月16日 JFL 第5節 ヴァンフォーレ甲府  2-1 ○615
1997年 長崎陸上競技場 3月15日 ナビスコ予選 ヴェルディ川崎 2-2 △4,823
長良川陸上競技場 >| 3月26日 ナビスコ予選 横浜マリノス 1-2 ●2,913
熊本水前寺競技場 >| 3月29日 ナビスコ予選 ガンバ大阪 1-0 ○2,881
1998年 仙台スタジアム 3月25日 J 1st 第2節 鹿島アントラーズ 1-3 ●14,682
| 4月15日 J 1st 第6節 浦和レッズ 2-0 ○12,171
| 高知県春野総合運動公園陸上競技場 3月17日 J1 1st 第2節 柏レイソル 2-1 ○6,276
| 高知県春野総合運動公園陸上競技場 3月 2日 J1 1st 第2節 ベガルタ仙台 0-1 ●7,236
| 国立西が丘サッカー場 4月11日 J2 第8節 アビスパ福岡 0-0 △2,161
 

シーズン前キャンプ地

積雪寒冷地がホームタウンである関係で、チームは1月下旬から開幕直前まで北海道外でキャンプを行っている。

チーム創設時から現在までのキャンプ地の変遷は以下のとおりである。

1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
  • オーストラリア
  • 静岡県
  • 宮崎県
2001年
練習試合 全北現代(2-2△) 横浜FC(1-0○)
  • 宮崎県
2002年
  • オーストラリア
練習試合 南オーストラリア州選抜(4-0○) アデレード・ブルーイーグルス(1-0○) 東京ヴェルディ(0-0△) アデレードシティフォース(1-1△)
練習試合 阪南大学(2-2△) 城南一和(3-0○) プロフェソール宮崎FC(4-4△) 南国高知FC(4-0○)
  • 高知県高知市 春野運動公園陸上競技場
3月3日-9日 3日(@広島)、9日(@高知)に公式戦実施
2003年
練習試合 京セラ川内FC(2-0○) ヴォルカ鹿児島(1-0○) 鹿屋体育大学(4-0○,3-0○) 本田技研(2-1○) アビスパ福岡(1-1○) 流通経済大学(5-0○,3-0○)
2004年
練習試合 グアム代表(7-0○) 東京ヴェルディ(0-1●)
  • 鹿児島県指宿市
練習試合 柏レイソル(0-1●,0-1●) 名古屋グランパスエイト(0-3●) 佐川印刷(2-2△) 本田技研(0-0△) 静岡産業大学(2-0○) アルビレックス新潟(0-1●)
2005年
練習試合 京都パープルサンガ(0-2●,0-1●) 城南一和(1-1△,1-3●,1-1△) ロッソ熊本(0-0△,0-0△,1-2●)
練習試合 ジュビロ磐田(2-1○)
PSM 磐田(0-1●) 
2006年
  • 宮崎県宮崎市 国際海浜エントランスプラザ
練習試合 ホンダロック(6-3○) アビスパ福岡(2-1○) 川崎フロンターレ(1-2●) 横浜F・マリノス(1-1△) ヴァンフォーレ甲府(2-3●)  
練習試合 横浜FC(3-0○) 水原三星(0-2●) ロッソ熊本(8-2○)
  • 鹿児島県薩摩町 インターナショナルゴルフリゾート京セラ
練習試合 サンフレッチェ広島(2-3●) 鹿屋体育大学(4-1○) ヴォルカ鹿児島(2-1○)
2007年
  • 沖縄県 国頭村ふれあい広場・恩納村赤間運動公園
  • 熊本県熊本市 KK WING
練習試合 川崎フロンターレ(2-2△) 城南一和(4-4△) 水原三星(3-1○) ヴァンフォーレ甲府(1-1△) ヴィッセル神戸(2-0○) 国民銀行(2-2△) U-22日本代表(1-0○) アビスパ福岡(1-1△) NW北九州(2-2△)
2008年
  • グアム レオパレスリゾートグアム
練習試合 仁川ユナイテッドFC(1-1△) FC東京(1-1△) 大宮アルディージャ(0-2●) アルビレックス新潟(1-1△) 仁川ユナイテッドFC(2-2△)
  • 熊本県熊本市 KK WING
練習試合 水原三星(0-4●) 上海申花(2-2△,0-0△) サガン鳥栖(0-1●,0-1●) アビスパ福岡(3-2○) 福岡大学(1-1△) ロアッソ熊本(2-1○)

コンサドーレ札幌に所属するサッカー漫画の登場人物

北海道出身の選手(松山光・小田和正・氷室明彦)が多い。

関連項目

外部リンク

公式サイト

道央

道北

道南

道東

道外

コンサドーレ応援番組

コラム

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