読み込み中...ジパング(Zipangu)は、ヨーロッパにおいて、日本だといわれる島の旧名。
語源については、「日本国」を中世中国語で発音した音(ピンインの場合 /rì-běn-guó/ となり「リーベングォ」と発音)大元朝時代後期に編纂された韻書『中原音韻』(1324年)などから再現される大元朝時代前後の近古音を対応させると「日」は riət (入声)、「本」は puən (上声)、「国」は kuo (入声)に比定される。一方、同じ大元朝時代にパスパ文字と漢字音を対応させた朱宗文 撰の韻書『蒙古字韻』(1308年)によると、「日」は ži の入声、「本」は bun の上声、「国」は gu? の入声にそれぞれ分類されている。が語源とされ、ヨーロッパにはマルコ・ポーロがCipangu(あるいChipangu)として最初に紹介したと言われる。なお10世紀頃から地理学者イブン・フルダーズ=ビフ Ibn Khurdādh-Bih などをはじめアラビア語・ペルシア語の地理書において、後のジパングにあたると思われる金山を有する島(国)、ワークワーク( ???????? al-Wāqwāq, 倭国?)について都度都度言及されている。
現代の多くの言語で日本を意味するJapan/Japon/Giappone/Yaponiyaなどの言葉は、一般にジパングが語源とされるが、ポルトガルが到達した16世紀頃の東南アジアで日本のことを中国語からの借用語でJapangと呼んでいたことに由来するという説など、異説もある。
日本ではマルコ・ポーロが紹介した事実が非常によく知られており、日本の一種の別名としてとらえられている。
マルコ・ポーロの『東方見聞録』は、以下のように伝えている。
モンゴル帝国時代、大元朝時代の「日本観」についてであるが、大元朝後期に中書右丞相トクトらによって編纂された『宋史』「日本伝」では、「年代紀に記するところ」として天御中主尊から天照大神尊などの二十三世、神武天皇から冷泉天皇、(宋代初期の)当代の守平天皇(円融天皇)までの約六十四代を列記し、「その地は、東西南北がおのおの数千里あり、西南は海に至り、東北隅は大山をもって隔てられている。山の外は毛人(蝦夷、アイヌなど)の国である」「国中に五経の書及び仏経、白居易集七十巻があり、皆中国から得たものである。」「(土地は)五穀に宜しく、麦は少ない。」「絲蠶(蚕)を産し、多く絹を織るが(その布地は)緻密で愛すべきものである」「四時(春夏秋冬)の寒暑は」と記し、「東の奥洲」で黄金を産出し、対馬のことと思われる「西の別島で白銀を産出する」など、日本の地理などの情報は全体的にほぼ正確に伝えているが、「犀、象が多い」など事実と異なった記述も一部ある。
また、『集史』「クビライ・カアン紀」によると、東南方、「環海中、女直と高麗( ????? ? ???? Jūrja wa Kūlī)地方沿岸近くに大島があり、それはジマングー( ????? Jimangū?)という名前である。(女直や高麗の地域から)400ファルサング(約2,000km)離れている」とあり、女直、高麗などから東南海上の彼方に大元朝に敵対する地域として「日本国」の音写とおぼしき「?????j-m-n-k-w」と呼ばれる大島についての記述がある『集史』の校訂者の一人であるフランスの東洋学者ブロシュ E. Blochet は「?????j-m-n-k-w」を「日本國」 Dji-pen-koué の音写であるとし、脚注においてマルコ・ポーロの "Sypangu" に対応したものだろうと論じている。Djami el-Tévarikh, Histoire générale du monde par Fadl Allah Rashid ed-Din, Tarikh-i Moubarek-i Ghazani, Histoire des Mongols, (Contenant l'histoire des empereurs mongols successeurs de Tchinkkiz Khaghan, tome II), éditée par E. Blochet, Leyden-London, 1911., p.498.参照。 。
などの理由から、ジパングと日本を結びつけたのは16世紀の宣教師の誤解であるとする説もある。またジパングの語源としても、元が遠征した東南アジアの小国家群を示す「諸蕃国」(ツィァパングォ)の訛りであるとする。またイスラーム世界(アラビア語・ペルシア語圏)に伝わった日本の旧称「倭國」に由来するといわれる「ワークワーク( ???????? al-Wāqwāq)」ないし「ワクワーク( ??????? al-Waqwāq)」は金山を有する土地として知られているが、「ワクワク」に類する地名はアラビア語・ペルシア語による地理書や地図においてアフリカや東南アジアによく見られる地名でもあり、日本のことを指したものではないとする説もある。