読み込み中...ジャガイモ(英名:potato、学名:Solanum tuberosum L.)は、ナス科ナス属の植物。地下茎を食品として利用する。
ジャガイモは、地下の茎の部分(塊茎)を食用にする。加熱調理して食べられるほかに、デンプン原料としても利用される。比較的保存がきく食材であるが、温度が高く暗いところに保存すると発芽しやすい。芽には毒性成分ソラニンが多く含まれ中毒の元になる。
南米アンデス山脈の高地が原産といわれる。16世紀、スペイン人によりヨーロッパにもたらされた。日本には、1600年ごろにオランダ船によりジャカルタ港より運ばれた。当時は、観賞用として栽培されたという。
日本では、男爵薯、メークインなどの品種が広く栽培されている。北海道が最大の生産地で、夏の終わりから秋にかけて収穫される。九州では冬に植え付けて春に出荷する。
日本では単に「芋」というとたいていの人がジャガイモ、サツマイモ、サトイモのいずれかを思い浮かべるほどポピュラーな食材であるため、呼び名も様々ある徳川宗賢著『日本の方言地図』。
「ジャガイモ」という呼び名あるいは「ジャガイモ」を転じた「ジャイモ」「ジャガライモ」「ジャガタイモ」「ジャガタロ」「ジャガタ」「ジャカタ」「ジャガタライモ」(『日本の方言地図』より)は、これが16世紀末、オランダ人によって日本にもたらされた当時のジャカルタが「ジャガタラ」と呼ばれていたため、「ジャガタライモ」と呼ばれたことに起因する。これが変化して現在のジャガイモという呼び名になった伊藤章治著『ジャガイモの世界史』。その他の説としてはジャワ島の芋の意味のジャワイモが変化した『爪哇芋渡来三百五十年記念事業趣意書』(長崎県、1948年)、天保の大飢饉で、ジャガイモのおかげで餓死を免れた事から呼称された「御助芋」が転じたもの前掲書によるなど諸説がある。
「馬鈴薯」(ばれいしょ)という呼び名あるいは「馬鈴薯」を転じた「バレンショ」「バレーチョ」「バレージョ」(『日本の方言地図』より)もよく用いられる。これは中国での呼び名のひとつと漢字が同じで、中国語で読むとマーリンシュー(ピン音 )となる。18世紀に日本人の小野蘭山が命名したといわれているが、中国名をそのまま輸入したものなのか、新しく付けた名前がたまたま中国名と同じだったのか、それとも小野蘭山の命名が中国に伝わったのかは明らかではない。一説には、ジャガイモの形が馬につける鈴に似ているという事からこの名前になったという伊藤章治著『ジャガイモの世界史』。また、「マレーの芋」という意味からこの名前が付けられたという説もある。なお、中国ではほかに「土豆」(トゥードウ)、「洋芋」(ヤンユー)、「薯仔」(シューザイ)などの呼び方もある。
地方名として、「きんかいも」とも呼ばれる(「きんか」とは金柑転じて禿げのこと)。また、1年に2〜3回収穫できることから「にどいも(二度芋)」「さんどいも(三度芋)」とも呼ばれる『南信州・上村 遠山谷の民俗』(長野県下伊那郡上村民俗誌刊行会編)。「南京イモ」「ごしょいも収穫量が多い事からきた「五升芋」「五斗芋」から」と呼ばれる事もある『爪哇芋渡来三百五十年記念事業趣意書』(長崎県、1948年)。
痩せた土壌でも栽培しやすく、ビタミンやデンプンが豊富に含まれている上に、茹でる等の簡単な調理で食べられ、加熱してもビタミンが壊れにくいジャガイモは、江戸時代に幾度となく発生した飢饉の際に、サツマイモと同じく主食である米等の穀物の代用品として食べられ、ジャガイモによって飢餓から救われたという記録が残っている。このために「お助けイモ」と呼ばれた事がある『岐阜県史』。また、飢饉の際にジャガイモ活用を勧めた代官の名を取って、「善太夫芋1748年に信州より種芋を移入した飛騨の代官、幸田善太夫にちなむ。」「清太夫芋17世紀末にジャガイモの普及に尽力した甲州の代官、中井清太夫にちなむ」と呼んだ地方もあった『岐阜県史』。
そのほか、オランダ語のaardappelからきた「アップラ」「アンプラ」「カンプラ」という呼称も存在する徳川宗賢著『日本の方言地図』。
英語のpotatoの語源は、タイノ族の言葉でさつまいもを意味するbatataがスペインのスペイン語のpatataに変化したものによる大修館書店スタンダード英語語源辞典。なお、ケチュア語や中南米スペイン語ではpapaと言うが、この単語はそのままスペイン語でも使われている。スペインのスペイン語でbatataがpatataに変化したのはこのpapaの影響であると考えられている小学館『西和中辞典』初版4刷 p1413,p1437。
ジャガイモはペルー南部に位置するチチカカ湖の畔が発祥とされる山本紀夫は自著『ジャガイモとインカ帝国』において「中央アンデス高地の市で売られている多種多様な品種のジャガイモはアンデスの人々が何千年もかけて改良した結果に他ならない」と述べている。山本の前掲書において、同時にジャガイモの祖先種と見られる野生種の存在についても言及している。。もっとも初期に栽培化されたジャガイモはSolanum stenotomumと呼ばれる染色体数24本の二倍体のもので、その後四倍体のSolanum tuberosumが栽培化され、現在世界中で広く普及するに至ったとされている山本、前掲書。
このジャガイモがヨーロッパ大陸に伝えられたのは、インカ帝国の時代、15世紀から16世紀頃とされている。当初、インカ帝国の食の基盤はトウモロコシではないかと伝えられていたが、ワマン・ポマが残した記録1615年にワマン・ポマが残したアンデスの歴史や文化について書かれた資料『新しい記録と良き統治』において、ジャガイモの植え付けを行う人の様子が記録されている。やマチュ・ピチュの段々畑の史跡研究、気象地理条件トウモロコシは温暖な気候に適した作物であり、3500mを超える高地での栽培跡が確認できていない一方、ジャガイモは4000m級の場所でも栽培跡が確認されている。、食生活の解析インカ人の人骨に含まれるたんぱく質から生前の食生活を解析した結果、主要な食料源はイモ類、豆類であった事が判明した。など、複数方面からの結果が、食基盤がジャガイモであったことを示しており、近年見直しが図られている石毛直道『食文化探訪』。しかし、具体的に「いつ」「誰が」伝えたのかについてはっきりとした資料は残っておらず、スペイン人がジャガイモを本国に持ち帰ったのは1570年頃で、新大陸の「お土産」として船乗りや兵士達によってもたらされたものであろうと推測付けられているラリー・ザッカーマン『じゃがいもが世界を救った』。さらに1600年頃になるとスペインからヨーロッパ諸国に伝播するが、この伝播方法にも諸説あり、はっきりとは判明していない伊藤章治『ジャガイモの世界史』ではイギリスへの伝播についてはスペインの船がアイルランド沖で座礁し、積荷のジャガイモが知られるようになったとする説や、航海家ウォルター・ローリーによる説などが紹介されている。。いずれにせよ16世紀末から17世紀にかけては植物学者による菜園栽培が主であり、ヨーロッパの一般家庭に食料としてジャガイモが登場するのはさらに時を待たねばならない。さらにジャガイモは18世紀にはアイルランド移民の手によりアメリカへ渡り、アメリカ独立戦争における兵士たちの胃袋を満たす貴重な食料源となった。
このように、寒冷地にも強く、年に複数回の栽培が可能で、地中に作られることから鳥害にも影響されないジャガイモは庶民の食料として爆発的な普及を見せた。アダム・スミスは『国富論』において「小麦の三倍の生産量がある」と評価しており、瞬く間に麦、米、トウモロコシに並ぶ「世界四大作物」としてその地位を確立した。
通常の場合、ジャガイモは種芋を植え付け培土し、栽培される。種芋は芋から発芽した芽を中心にして適度な大きさに切り分けたものである。直立する地上茎は50cm〜1m程度の高さにまで生長する。葉は奇数羽状複葉。葉の付け根から花茎が長く伸び先端に多数の花をつける。花は星形で黄色い花心と5枚の花弁をもち、色は品種によって異なり赤・白・紫と様々である。受粉能力は低いが、品種や条件によっては受粉してミニトマトに似た小型の実をつける。実は熟するにしたがい緑から黄色、さらに赤へと変化するが、落果しやすく完熟に至るものは極希である。果実の中には種子があり、これを発芽させて生長させることも可能である。ジャガイモの交配はこの種子を利用して行われるが、種芋から育たないため生長しても全体的に小柄である。これを親株と同様の大きさ程度にまで育てるには、3年(3代)程度かかるため一年生植物としては交配に時間のかかる植物と言える。
地下茎は種芋より上(地表に近い位置)にできるため、ジャガイモを収穫するためには、この肥大する地下茎を日光に晒さないように土寄せが行われる。
栽培にはPH6前後の酸性の土地が適している。また冷涼な気候や硬く痩せた土地にも強い。その反面、病害や虫の被害を受けやすく連作障害も発生しやすい。ジャガイモの地下茎は水分と栄養が豊富なため雑菌が繁殖しやすく、保存状態の悪い種芋や、収穫から漏れて地中へ残された芋は病害の原因となる。そのため、日本では植物防疫法の指定種苗となっており、種芋の売買が規制されている。
前述の通りジャガイモは連作障害が発生しやすい。連作を行うと土壌のバランスが崩れ単純に生育が悪くなるだけでなく、病害や寄生虫が発生しやすくなる。
特にジャガイモに大きな被害を与える原因として、ジャガイモシストセンチュウによる生育阻害がある。このセンチュウは地中で増殖し高密度になるとジャガイモの生育を大きく妨げる。例えば乾土1グラム中に100卵が存在する状態(高密度)では収穫量が60%程度低下する。センチュウは宿主(ジャガイモ等)が無い状態でも、卵状態(シスト)になり10年以上も生存し続ける場合があり、シスト状態は薬剤にも強いため根絶が難しい。卵を含む可能性のある土を移動させない、付着の恐れのある農具や運搬具の洗浄、といった拡散防止策や、抵抗品種を植えたり長期の休閑期によるセンチュウ密度の低下などが対策として行われているが、抜本的な解決策はみつかっていない。ただし、センチュウはジャガイモには被害を与えるが人体には無害である。このセンチュウは動物糞から伝染するとされている。そのため、日本ではアイルランド経由以外の検疫を受けていない塊茎類の直接持ち込みは禁止されている。植物防疫法の指定種苗とされ種芋の販売が規制され、検査が義務づけられている。
ジャガイモの原産地であるアンデス中央高地では、古くから連作障害について認識されており、長期の休閑と輪作が行われている。ジャガイモの次は別の作物を植えるようにするだけでなく、3~4サイクルで一つの区画を利用したあと長期の休閑をとる。休閑の長さは、人口密度や畑の大きさによって様々である。ただし、1950年代に行われた農地改革などで、共有地が崩壊し始め、耕作地が私有地化され、個人が所有する土地区画が狭くなったため、長期の休閑が行えず、シストセンチュウ(スペイン語でNematodos)が再び問題になってきている。また、アンデスのいくつかの地域では、マシュア(イサーニョ)と呼ばれる別種の塊茎類を混植することで、シストセンチュウの発生を抑えている。マシュアは、その根からシストセンチュウを避ける分泌物を発生することが科学的に確認されている。また、インカ時代には、このマシュアは、男性の生殖能力を抑える働きがあることが知られており、長期間にわたる兵士の出征や労働賦役のため、男性の生殖能力を抑える目的で利用されていたことが、スペイン人の記録文書に記されている。
国際連合食糧農業機関 (FAO) の統計資料 (FAOSTAT)FAOSTATによると、2005年の全世界におけるジャガイモの生産量は3億2310万トンであり、主食となるイモ類ではもっとも生産量が多い。生産地域は大陸別ではアジアとヨーロッパが4割ずつを占め、インドを除くといずれも中緯度から高緯度北部に分布する。上位5カ国で全生産量の54%を占める。日本の生産量は275万トン(世界シェア0.85%)。
# 中国 7346万トン(22.7%) # ロシア 3728万トン(11.5%) # インド 2363万トン(7.3%) # ウクライナ 1946万トン(6.0%) # アメリカ合衆国 1909万トン(5.9%) # ドイツ 1162万トン(3.6%) # ポーランド 1037万トン(3.2%) # ベラルーシ 819万トン(2.5%) # オランダ 678万トン(2.1%) # フランス 668万トン(2.1%)ジャガイモは、生食用、加工用、デンプン原料用の3種類に大別される。ジャガイモの「生食用」とは、家庭や飲食店での調理利用を指しており、通常、加熱して食する。加工用としては、ポテトサラダ、ポテトチップス、フライドポテト、冷凍食品(コロッケなど)がある。澱粉は、いわゆる片栗粉であり、インスタント麺などの原料にもなる。
ジャガイモの皮は、それを使ってガラスや鏡を磨くと曇り止めになる。
ジャガイモは各国で様々な料理に用いられる。
日本では一般家庭料理の範疇に属するものとして、肉じゃがや粉吹き芋、ポテトサラダ、じゃがバター、いももちなど、じゃがいもを主な食材とする料理がある他、カレー、シチュー、グラタン、おでん、味噌汁などの具にも広く用いられている。
単に茹でたジャガイモに、バターや塩をかけて食べるだけでも美味しい。北海道の観光地ではよく名物として売られている。
フライドポテト、マッシュポテト、ベークドポテト、ビシソワーズなどのポテトのスープ、コロッケなど、欧米ではジャガイモを主体とした料理が多くあり、主食としての食べ方をする場合もある。
中国では、千切りしたジャガイモの炒め物も一般的である。
ジャガイモが主体とは言えないかもしれないが、ジャガイモが欠かせない料理としては、アイリッシュシチュー、トルティージャなどがある。
また、日本以外では、パンの材料に用いられることがあるほか、パスタ(ニョッキ)に使われることもある。
電気炊飯器で、ご飯を炊くときに、落とし蓋を入れて、その上にジャガイモを置いておくと、手間をかけずに、茹でることができる。
スナック菓子としてポテトチップスが広く食べられている。ただし、タンパク質の成分としてトリプトファンが多く、焦がした場合ニトロソアミンに変化することがあるので注意が必要である。
先コロンブス時代、中央アンデス地域において、冷凍したジャガイモを踏みつけることを繰り返すことで水分と毒を抜く方法が発明され、長期にわたる保存・備蓄が可能になった。この凍結乾燥したジャガイモのことを「チューニョ」と呼ぶ。現在でもボリビアやペルーの高地(アルティプラーノ)ではチューニョが利用されている。乾燥したチューニョはまるで小石のように見える。塩味のスープに入れて長時間煮込んで食べるが、質の悪いチューニョはアンモニアのような臭いがすることがある。
また、若干作り方が異なり、イモの種類も異なるが、原理的にはチューニョと同じ凍結乾燥ジャガイモに、トゥンタと呼ばれるものがある。これもペルー南部やボリビアなどで広く食べられている。
日本でも、山梨県の鳴沢村や長野県の一部地域にジャガイモを寒冷期の外気温で冷凍し踏みつけることを繰り返して、重量と体積を減らし、保存性を高める方法が存在する。「しみいも」「ちぢみいも」などと呼ぶ。
ジャガイモは、そのものを調理に使うだけでなく、豊富に含まれるデンプンを抽出して片栗粉として販売されている(片栗粉は本来はカタクリのデンプンを粉にしたものであるが、現在市場に出回っている片栗粉のほとんどはジャガイモのデンプンである)。
なお、デンプン質だけでなくビタミンCも豊富で、フランスでは「大地のリンゴ(:ポム・ド・テール)」と呼ばれる。ジャガイモのビタミンCはデンプンに保護されるため加熱による崩壊が少ないという。一般的に市販されているビタミンCの原料はほとんどの場合、ジャガイモのデンプンである。
また、豊富なデンプンを持つジャガイモは、ジンやソジュ(韓国焼酎)など蒸留酒の原料にも用いられる。日本においても、北海道ではジャガイモ焼酎を特産品として製造している地域がある。
生食用品種。明治時代に川田龍吉(かわだ・りょうきち)男爵がイギリスから持ち込んで日本に定着させた品種という説の他に、アメリカからとする説もある。デンプンが多くホクホクした食感が得られるが、煮くずれしやすい。このため、粉吹き芋やマッシュドポテト、コロッケなど潰してから使う料理に適している。芽の部分が大きく窪んでおり、でこぼこした形状なので皮をむきにくい。主に、東日本で主流の品種である。花は白い。
生食用品種。男爵薯を母親として、線虫抵抗性を持たせるよう農林水産省北海道農業試験場(現:北海道農業研究センター)で品種改良したもの。カロテンやビタミンCの含有量が多い。男爵薯同様、粉吹き芋やマッシュドポテトに適している。黄色が強めである。
生食用品種。内部が黄色く、カロテンやビタミンCの含有量が多い。口当たりがなめらかで、ポテトサラダに適している。黄爵(こうしゃく)と呼ばれるが、最初に名づけたのは、JAたんの(現、JAきたみらい端野支所)である。
加工用品種。ポテトチップの材料として生産されている品種。風味は男爵薯に較べると劣るといわれるが、揚げると男爵に比べ色合いがよい。
2002年に種苗登録された、小粒で黄色みの強い品種。アンデス産の品種を日本向けに改良したもの。甘みが強く、サツマイモや栗に似た味を持つなど食味はよいが、収量は少なく、他の品種と比較して栽培が難しい。また発芽しやすく、長期の保存には不向きである。生食用として人気が高まってきているが、生産量は少なくジャガイモのなかでは高価である。
長崎県の農林試験場で交配・育成された品種で、1971年(昭和46年)に品種登録された。品種名は江戸時代に外国への窓口であった長崎の出島にちなんだもの。長崎県を中心に九州で多く栽培される。
1875年にアメリカの種苗家ルーサー・バーバンクが開発した『バーバンク』の突然変異により1910年頃に誕生。大きくなるためフライドポテトに向き、日本へも加工品が多く輸出されている。Russet Burbank potatoを参照。
他の品種と比べ卵形のシンプルな形状をしており、貯蔵性に優れ煮物にしたときの煮崩れが少ないなどを理由に人気がある。
16世紀に南米からヨーロッパにもたらされたジャガイモは当初はその見た目の悪さ(現在のものより小さく、黒かった)からなかなか受け入れられずにいた。さらに民衆は、ジャガイモは聖書に載っておらず、種芋で増えるという理由で「悪魔の作物」として嫌った。
しかし、ヨーロッパで栽培される主要な作物よりも寒冷な気候に耐えること、痩せている土地でも育つこと、作付面積当たりの収量も大きいことから、17世紀にヨーロッパ各地で飢饉が起こると、各国の王は寒さに強いジャガイモの栽培を広めようとした。やがてアイルランドや北ヨーロッパの一部では重要な食料になった。
ジャガイモがヨーロッパにもたらされた当初、ヨーロッパには芋という概念が無かった。そのため、芋というものを食べると分かるまで、本当は有毒である葉や茎を食用とする旨が書かれた料理本がイングランドで出版され、それを真に受けたイングランド人がソラニン中毒を起こした。
アイルランドでは栽培の容易さや収量の為だけではなく、征服者のイングランド貴族が熱心に勧めたことにも原因があった。ジャガイモの栽培を増やして農民がそれを食べるように仕向ければ自分達が収奪する麦の分量が増えると考えてのことである。
結果としてアイルランドでは主食としてジャガイモが非常に重要になった。このため1840年代にジャガイモの疫病がヨーロッパに蔓延した際に、ジャガイモに依存していたアイルランドではジャガイモ飢饉が起こり、大勢のアイルランド人が北アメリカに移住することになった。その移民の中に後に第35代アメリカ合衆国大統領になるジョン・F・ケネディの曽祖父・パトリックがいたのはよく知られている話である(ケネディはパトリックの次男の孫、すなわち四代目である)。
ドイツ料理にはジャガイモが多用される。ドイツでジャガイモが普及したのはプロイセンである。プロイセンの支配地であるブランデンブルク地方は南ドイツなどとは違い寒冷で痩せた土地が多くしばしば食糧難に悩まされた。そのため荒地でも育つジャガイモは食糧難克服の切り札とみなされ、フリードリヒ大王が栽培を奨励した。しかし、他のヨーロッパ諸国同様、不恰好な外見から人々から嫌われた。そのためフリードリヒ大王は自ら範を垂れ、毎日ジャガイモを食べたという。
また、王のジャガイモ畑に、わざと昼間だけ見張りをつけ、夜にジャガイモを盗ませ民衆に広めたという話も残っている。
朝鮮中央放送では「偉大なる指導者金正日同志は、ジャガイモは白米と同等であるとおっしゃった」などと報道しており、平壌にはジャガイモ料理専門店が開店したとも報じている。
行き過ぎた二毛作によって、土地の栄養分が不足する事態も発生しているといわれているが、白米に比べて、気候や土地に依存せず大量に生産できるジャガイモにより(連作障害などによる弊害もあるが)、北朝鮮の食料危機はある程度の解決をみた。
このように食糧問題の解決に用いられる例がある。
品種により貯蔵性が異なり、加工業者は使用時期別にいくつかの品種を組み合わせて使う場合がある。例えば、長期貯蔵性に優れる「スノーデン」種(ポテトチップスの原料の一つ)は、4〜6月頃の原料として使われる。
また、ジャガイモ単独で茹でる場合は、皮はついたまま茹でた方が、ふっくらする。
収穫後2〜3ヶ月は休眠期であり、好適な温度や湿度条件下でも発芽しない。しかし、その後、本来繁殖器官である塊茎は発芽を始める。発芽することにより、生食用では商品価値を失い、加工用やでんぷん原料用では減耗や歩留まりの低下、品質の劣化が起こる。そのため、貯蔵中の発芽を抑制するためにいくつかの方法が用いられている。
3〜10℃の低温で貯蔵することにより発芽を防ぐ方法が一般的である。最適な貯蔵温度は品種によって異なる。低温保存することにより、可溶性糖の含量が増える。
クロロプロファムは欧米人が通常の食生活において最も大量に摂取する化学合成薬品の一つであり、健康への懸念から残留基準値の見直しが進められており、すでに米国の環境保護庁では30ppm、欧州連合では10ppmへの低下が答申されているが、日本においては基準値の見直しの動きはない。
日本国内では、現在、登録されている発芽抑制剤はないが、以前はマレイン酸ヒドラジド(商品名:エルノー)が使われていた。
放射線であるガンマ線を照射する方法がある。コバルト60から放出されるガンマ線により芽の組織の細胞分裂を阻害することで発芽を抑制する。ジャガイモへの放射線照射は 1972年に厚生省(現厚生労働省)により認可されたが、1974年1月から道の許可を得て北海道の士幌町農業協同組合が実施しているのみである。なお、日本において放射線の食品照射が認められている食品はジャガイモだけである。
放射線照射によって直接に有害物質が生じることはなく、ガンマ線が原因でじゃがいもに放射能が生じることなども起こり得ない。しかし、その言葉のイメージから普及率は低く、一部からは根拠のない非難を受けることがある。また一方では放射線照射が生体に与える影響について未知の部分も多く、発芽が抑制されるという影響の他に生化学的な影響があるのではないかと危ぶむ声も根強い。
ジャガイモは通常5°C以下の冷暗所で保存するといつまでも芽は伸びないので、そのような場所で保存することが最も重要である。但し、一度高温にさらして芽が伸び始めたものは長い期間の保存には適さないので、もともと芽が伸びていないジャガイモを選ぶことがこつである。リンゴと一緒に保存する方法については、濃度や時間・温度のコントロールが困難で失敗の確率が高く、勧められない。