読み込み中...ジャネット・ゲイナー(Janet Gaynor、1906年10月6日 - 1984年9月14日)はアメリカ合衆国ペンシルバニア州フィラデルフィア出身の女優。第1回(1927-1928年)アカデミー主演女優賞を受賞。
本名はローラ・オーガスタ・ゲイナー(Laura Augusta Gaynor)。彼女が幼い時に、カリフォルニア州サンフランシスコに移住、1923年高校を卒業。彼女はロサンジェルスの秘書養成学校で学ぶ傍ら、靴屋の会計係として週給18ドルで働き始める。彼女はその後いくつかの長編映画やコメディ短編映画の無給の「その他大勢」として出演するが、2年間は芽が出ずに職を求めて、シカゴ、フロリダ、サンフランシスコ、ロサンジェルスを転々とするが、古い諺の「待てば海路の日和あり」の通り、20歳の時『ジョンスタウンの大洪水』 (1926)で主演女優の座をつかむ。彼女は他の共演者よりも素晴らしい演技を見せた。
ハリウッドのタイクーンたちは、トップスターを獲得したことを確信し、その年主演女優としてフォックス映画社に専属となった。『明け行く魂 』(1926)、『青鷲』 (1926)、『誉れの一番乗』 (1926)で主演を演じる。翌年1927年は2本のクラシック映画『第七天国』(1927)と『サンライズ』(1927)で絶賛された演技力を見せ、翌年の『街の天使』(1928)と共に、ジャネットは史上初のアカデミー主演女優賞を獲得した(彼女は複数の作品で受賞した唯一の女優であった)。また1986年まで最も若いアカデミー主演女優賞受賞者であった。
サイレント映画からトーキー映画に移った時代であるが、ジャネットはうまく乗り換えられた女優の一人である。なぜなら、彼女は演技力が抜群であるだけでなく、美しいチャーミングな声の持ち主だったからである。疑いなくジャネットはアメリカン・ドリームを体現したのであった。1930年代も何ら問題なく彼女主演の映画は作られ続けた。
彼女は数本の平凡な出来の映画のあと、再び素晴らしい演技を見せた。それは『スタア誕生』 (1937)である。彼女はヴィッキー・レスリー(本名はエスター・ブロジェット)として、女優として成功しようと奮闘する姿を見せ、非常に説得力があった。この中の1シーンで演ずる彼女がセントラル・キャスティングで端役を登録しようとする場面がある。受付の女性は彼女に大勢職を求める女性が押しかけていることや交換台のところに連れて行き大勢の交換手がその件で後で電話をしてくれるよう応対している場面である。それらは、受付嬢が彼女をやんわりと失望させて「貴方のチャンスは何かしら?100万分の1の確率なのよ」と告げているのである。エスター/ヴィッキーは「でもたぶん私はその100万分の1なのよ」と答える。当然、エスター/ヴィッキーは困難を乗り越えて大物になっていくのだが、実際の彼女の実像とはかなり異なる。この見事な演技でももう一つのアカデミー賞にノミネートされたが実際には『大地』(1937)のルイーゼ・ライナーが獲得した。
彼女はその後『心の青春』(1938)に出演した後、遺作となる『バーナディン』 (1957)まで舞台やテレビにしばしば現れて往年のファンを喜ばせた。彼女の最後の仕事は、1980年代ブロードウエイでの「ハロルドとモード」の出演だった。劇としては失敗だったが、ジャネットの演技はありとあらゆるものを助け出した。彼女は、未だに大衆を喜ばせていたのだ。
1982年9月、ゲイナーが75歳の時、同乗していた乗客が死傷するタクシー事故に遭遇し、彼女は11本の胸骨、膀胱破裂、頸椎骨折、腎臓からの出血、骨盤の複雑骨折等重傷を負った。彼女は次の年までいくつかの手術に耐えたが、1984年死去するまで著しく体力を失った。
1984年9月14日にカリフォルニア州パームスプリングにて肺炎で死去。77歳であった。
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