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スーパークイズスペシャル

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

スーパークイズスペシャルは、日本テレビ系列で毎年、番組改編期に、1990年春から1999年秋に放送されていた、さまざまなタイプのクイズと主に各バラエティ番組ゲームなどを中心とした、日本テレビの各番組のレギュラー・司会者などが総出演したバラエティ番組の別称。1996年秋までは『クイズスーパースペシャル』または『4時間クイズスーパースペシャル』と呼ばれていたが、スーパースペシャルと間違えやすいことからこのタイトルに変更された。タイトルは『春(秋)は人気番組で!!-』『春(秋)は超人気番組大集合!!-』

概要

  • 1989年までは春・秋には『巨泉のワールドスタークイズ』、新春には『番組対抗歌合戦』(1975年1978年)、『番組対抗かくし芸大会』(1979年1984年)→『番組対抗スターお年玉大会』(1985年1987年)を放送していた新春の特別番組は『平成あっぱれテレビ』(1990年〜2001年)→『平成あっぱれ開運祭!!チョー縁起いいTV!』(2002年2005年)→『大笑点』(2006年2008年)を経て2009年は『謹賀ラジかるッ2009』が放送されている。
  • 1990年春〜1991年春までは、当時の日テレの看板クイズ番組であった『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』のクイズのみで構成された。そのため、番組名も『4月は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』、『秋は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』などと題された。1991年秋の放送以降は『ショーバイ』に限らず様々な番組のクイズが出題された。この番組の特徴は、クイズ番組ではない番組からからもその番組にちなんだクイズも出題されるというところである世界まる見え!世界のCMクイズ、特ホウ王国4択クイズ、夜もヒッパレ・クイズ!サビからヒッパレ!!など。。タイトルも日テレの人気番組をつぎはぎしたものとなった。
  • 基本的にこの番組は『ショーバイ』がメインの番組で、他の番組はサブ的な扱いだった。しかし、1995年から『ショーバイ』自体の視聴率、人気が低迷してきたため、1995年春以降から他の番組と同等の扱いとなっていった。その様子が番組タイトルから読み取れる。また番組で出されるクイズも同回から徐々に減少し、『ショーバイ』が最後に参加した1996年春の放送では、『バラ珍』と合同の2択クイズとラストクイズの2つのみとなっていた。
  • 総合司会は基本的に『ショーバイ』の逸見政孝1993年春まで)、渡辺正行(1996年春まで)、福澤朗1994年春から)と『マジカル』の板東英二(1991年秋から)、木村優子(1992年秋まで)、永井美奈子(1993年春から)などが務めた。また、1993年以降はビートたけし1994年以降は島田紳助所ジョージ笑福亭鶴瓶ウッチャンナンチャンなどの大物タレントも総合司会者に昇進している。
  • 1996年9月に『ショーバイ』は放送を終了したが、同番組のロゴマーク(ミリオンスロットの顔マーク、キャラクター)と得点単位(ショーバイマネー)の「」のみは1999年秋の最終回まで引き続き使用されていた。番組終了後、3年間も使用されていたということは、いかに『ショーバイ』が重要視されていたかということであろう。また、『ショーバイ』終了後にも「フリフリ早押しクイズ」など『ショーバイ』末期のクイズを番組名を言うことなく行った回があった。
  • 末期(1997年春〜1999年秋まで)は番組からのクイズから番組独自クイズが中心となり、個人のプライバシーに要する自分や他人の暴露をし得点を競うクイズや代表者が体力を競うクイズも存在した。
  • 『ショーバイ!!』の後を受けて1995年以降に番組の中核を担っていた『マジカル頭脳パワー!!』も1998年頃から『ショーバイ』同様に番組自体の視聴率、人気が徐々に低迷し始めた。当時、日本テレビには『マジカル』以外に人気のあったクイズ番組がなく、この『スーパークイズスペシャル』の内容も末期には独自のゲームやクイズが大半を占めていた。そのため、1999年9月の『マジカル』の終了に合わせ『スーパークイズスペシャル』放送の翌日に『マジカル』の最終回が放送された。、1999年秋の放送が最後の放送となったのである。

番組タイトルの歴史

基本的に番組タイトルに入っている番組は、その放送回でクイズを出題している(「お笑いウルトラクイズ」や「EXテレビ」のように、クイズを出題したが番組タイトルに入っていない番組もある)。

当初はクイズ番組のみが番組タイトルに入っていたが、1994年秋以降はクイズ番組以外の番組も番組タイトルに入るようになり、さらに1996年秋以降はクイズを出題していない番組も入るようになった。

  • 1990年春・・『4月は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』
  • *放送日・・1990年4月11日水曜日(19:00〜20:54)視聴率 不明
  • 1990年秋・・『秋は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』
  • *放送日・・1990年10月3日水曜日(19:00〜20:54)視聴率 不明
  • 1991年春・・『4月は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』
  • *放送日・・1991年4月3日水曜日(19:00〜20:54)視聴率 不明
  • 1991年秋・・『10月は人気番組でSHOW by ショーバイ世界まる見えマジカルで笑ってヨロシク』
  • *放送日・・1991年10月2日水曜日(19:00〜22:46)視聴率 21.3%(視聴率12位)〜この特番から、別称が『4時間クイズスーパースペシャル』になる〜
  • 1992年春・・『4月は人気番組でSHOW by ショーバイ世界まる見えマジカルで笑ってヨロシク』
  • *放送日・・1992年4月1日水曜日(19:00〜22:46)視聴率 22.5%(視聴率8位)
  • 1992年秋・・『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?!』
  • *放送日・・1992年9月30日水曜日(19:00〜22:46)視聴率 21.8%(視聴率10位)
  • 1993年春・・『春は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?!』
  • *放送日・・1993年3月31日水曜日(19:00〜22:46)視聴率 23.3%(視聴率6位)
  • 1993年秋・・『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?!』
  • *放送日・・1993年10月6日水曜日(19:00〜22:48)視聴率 21.3%(視聴率12位)
  • 1994年春・・『春は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシク』
  • *放送日・・1994年3月30日水曜日(19:00〜22:54)視聴率 25.1%(視聴率1位)
  • 1994年秋・・『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシク特ホウ王国!』
  • *放送日・・1994年10月5日水曜日(19:00〜22:54)視聴率 22.8%(視聴率7位)
  • 1995年春・・『春は人気番組で!!笑ってヨロシク世界まる見えマジカル頭脳で特ホウ王国!SHOW by ショーバイ!!』
  • *放送日・・1995年3月22日水曜日(19:00〜22:54)視聴率 22.4%(視聴率9位)
  • 1995年秋・・『秋は人気番組で!!マジカル頭脳まる見え特ホウ王国SHOWby笑ってヨロシク!バラ珍もヒッパレ!!』
  • *放送日・・1995年9月28日木曜日(19:00〜22:54)視聴率 24.4%(視聴率3位)
  • 1996年春・・『春は超人気番組大集合!!マジカル頭脳まる見え特ホウ王国ショーバイ笑ってヨロシクバラ珍ウリナリもヒッパレ!!』
  • *放送日・・1996年3月21日木曜日(19:00〜22:24)視聴率 24.0%(視聴率4位)〜この特番から、『春(秋)は超人気番組大集合!!』が使われるようになる〜
  • 1996年秋・・『秋は超人気番組大集合!!マジカル頭脳まる見え笑ってコラえてバラ珍特ホウ王国ウリナリもヒッパレ!!』
  • *放送日・・1996年9月26日木曜日(19:00〜21:54)視聴率 24.7%(視聴率2位)
  • 1997年春・・『春は超人気番組大集合!!マジカルまる見えバラ珍コラえて特ホウ特命おしゃれに大辞テンもヒッパレ!!』
  • *放送日・・1997年3月20日木曜日(19:00〜21:54)視聴率 23.5%(視聴率5位)〜この特番から、別称が『スーパークイズスペシャル』になる〜
  • 1997年秋・・『秋は超人気番組大集合!!マジカルまる見えバラ珍コラえて200Xウリナリぐるぐる大辞テンもヒッパレ!!』
  • *放送日・・1997年9月25日木曜日(19:00〜21:24)視聴率 21.2%(視聴率14位)
  • 1998年春・・『春は超人気番組大集合マジカル特命まる見えバラ珍DASHコラえて大辞テンGyu!っとメレンゲぐるぐる快傑おしゃれにヒッパレ!!』
  • *放送日・・1998年3月19日木曜日(19:00〜21:24)視聴率 21.5%(視聴率11位)
  • 1998年秋・・『秋は超人気番組大集合!!特命まる見え大辞10バラ珍ウリナリGyu!ぐるナイマジカル御殿コラえて!おしゃれにメレンゲ龍DASHでヒッパレ!!』
  • *放送日・・1998年9月24日木曜日(19:00〜21:24)視聴率 19.6%(視聴率16位)
  • 1999年春・・『春は超人気番組大集合!!電波ウリナリまる見えぐるナイDASH御殿伊東家バラ珍マジカルGyu!メレンゲ大辞10特命笑って龍ヒッパレ』
  • *放送日・・1999年3月18日木曜日(19:00〜21:24)視聴率 20.5%(視聴率15位)
  • 1999年秋・・『秋は超人気番組大集合おもいッきりまる見え伊東家コラえて大辞10バラ珍マジでぐるナイ電波ピカイチDASHヒッパレ200X!!』
  • *放送日・・1999年9月15日水曜日(19:00〜21:24)視聴率 18.7%(視聴率17位)

司会者

  • 1990年春〜1991年春:逸見政孝渡辺正行
  • 1991年秋〜1992年春:逸見、板東英二ビートたけし所ジョージ、渡辺、木村優子
  • 1992年秋:逸見、板東、たけし、所、渡辺、島田紳助、木村
  • 1993年春:逸見、板東、たけし、所、渡辺、島田、永井美奈子
  • 1993年秋:板東、たけし、所、渡辺、島田、永井
  • 1994年春:板東、所、たけし、島田、渡辺、永井、福澤朗
  • 1994年秋〜1995年春:板東、所、島田、笑福亭鶴瓶、渡辺、ウッチャンナンチャン、永井、福澤
  • 1995年秋:板東、たけし、所、島田、鶴瓶、渡辺、ウッチャンナンチャン、永井、福澤
  • 1996年以降は司会者およびタイトルになっている番組が乱立。事実上、板東英二と福澤朗が総合司会者的役割を担い全体をまとめた。

番組ルール

  • 解答席は、『ショーバイ』のミリオンスロットが設置されている1軍、その上段に2軍・3軍(1991年春までは3軍がない)となっている。得点単位は『ショーバイ』で使用しているショーバイマネーの「」。
  • オープニングで席決め早押しクイズに挑戦し、正解順によりこれらの席を決める。1軍席争奪はショーバイから「何を作ってるんでしょうか?」をはじめとする早押しクイズを出題。1991年秋〜1994年秋の2軍席争奪はマジカルから「マジカルスキャナ」(〜1992年春)→「早押しエラーを探せ!」(1992年秋〜)。1軍に関しては正解後に司会者席のスロットでショーバイマネーを獲得して正解順に着席。2軍に関しては1992年秋までは1軍と同じく司会者席のミリオンスロットで、1993年春以降はエラーの難易度によって5萬〜50萬のショーバイマネーを獲得し、1軍の顔ぶれを見て好きな色の座席に着席する。それでも席が決まらないチームは「3軍席決め抽選」(これは「〜ショーバイ」時代の「2軍席決め抽選」から続くルール)で席が決定。
  • 本戦は基本的にはクイズに正解すると1軍はミリオンスロットのショーバイマネーを獲得することができ、2軍は一律10萬、3軍は一律5萬しか獲得できない(『ショーバイ』のみで番組が放送されていた初期の頃は2軍には解答権がなく、1軍不正解を待つのみであった。1991年春から3回は自チームの前列の1軍チームが正解しているかを○×で予想する方式に、1992年秋以降は同上のルールに変更される)。1軍が不正解すると2軍、3軍と入れ替わる。早押しクイズの場合に限り、1軍の出したミリオンスロットの金額が得点になり、正解すれば、3軍のチームでも一気に1軍へ進んだ。また、ミリオンスロットは使用せずに予めショーバイマネーが定められているクイズや縦列連帯で行われるクイズも存在したショーバイからの「順金クイズ」・「世界年齢順クイズ」やどんなMONだいからの「対決ドボン」では1軍のみに解答権が与えられ、1軍と同じショーバイマネーが同じタテ列の2・3軍にも入った。ただし、減点となる場合でも連帯責任となったため、3チーム一気に破産や-50萬になってしまったこともあった。また、予選・本戦のシステムが廃止された1995年春以降、マジカルからの「エラーを探せ」では正解したチームと同じタテ列の他のチームにも同じショーバイマネーが入った。
  • 本戦ラストクイズでショーバイから「ウソつき4択」(1993年秋〜1994年春は「ホンモノいくつ」)を出題し、正解チームは司会者席のミリオンスロットに挑戦できる。この時点で上位数チーム1991年春までは5チーム、1991年秋と1992年春は6チーム、1992年秋以降は7チーム(1993年秋以降は敗者復活1チームを加え8チーム)が決勝に進出が決勝進出となる。1993年秋以降は敗者復活戦福澤が司会を担当。全て○×クイズで、1問目は「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」から出題。2問目以降は「日本テレビネット局縦断○×クイズ」を出題し、サドンデス方式で1チームになるまで続けられる。を行って、最後まで残った1チームも決勝に進出する。決勝戦は全て早押しクイズで、マジカルから「エラーを探せ」(1992年秋〜1994年春)、世界まる見えから「世界のCM早押しクイズ」、ショーバイから「何を作ってるんでしょうか?」をはじめとする早押しクイズを出題。「エラーを探せ」はエラーの難易度により5萬〜100萬、それ以外は正解すると司会者席のミリオンスロットに挑戦することができる。優勝チームは、獲得したショーバイマネーと同額の純金が授与された。1992年秋までは準優勝チームは最終売り上げの半額分の純金を贈呈されたただし、1991年秋のみドイツ旅行が贈呈される。。また1994年春は香港旅行が贈呈されている。決勝に進めなかったチームは、優勝チームを予想し応援していた。的中すれば、ゴールドバーが贈呈されるようになっていた。1991年春までは優勝チームが獲得した金額の1割が贈呈されていた。
  • 1992年春まで、優勝チーム決定後の余興として『ショーバイ!!』の特製・時価100万円相当の「ゴールドプレート」争奪戦を行っていた。ルールは、各チームが一回ミリオンスロットに挑戦し、最高額を出したチームに贈られた。最高額チームが複数の場合は、勝ち抜き方式で1チーム決定までスロットを続ける。
  • 1994年春からは、司会者席のミリオンスロットがスーパーミリオンスロットになり、200萬と25萬の出目が追加された。
  • 1994年秋からは、解答者席のミリオンスロットもスーパーミリオンスロットになり、100萬と25萬の出目が追加されたこの回から本番中に盛り上がりに欠けたと思われる問題やコーナーを丸々カットする編集を行うようになった。後、1996年当たりから収録したコーナーを順番通りに放送せず、バラバラに編集した物を放送する様になった。本家、マジカル頭脳パワーでも同じ様な傾向にあった。
  • 1995年春からは、予選・決勝のシステムが廃止。司会者席のミリオンスロットも廃止され、解答者席にのみミリオンスロットが設置されていた。ミリオンスロット場面や席の入れ替わりやリアルタイムの得点発表の場面を放送カット、もしくは使用しなくなった。(1996年以降は、得点ボードを写す事は全くなかった。)この回から『ショーバイ』をメインとした内容ではなくなり、クイズよりゲームコーナーの割合が多くなっていった。また、同じく1995年春からは、最後に全員参加で「スーパージャックポットクイズ」が行われた。これにピタリ正解すれば最下位のチームでも一気に優勝に立てるルールだった(なお、『ショーバイ』終了後の1996年秋以降はそれに代わって「体重計ピタリ当てましょう」になり、美女3人+松村邦洋の合計体重を当てるというものだった)。1995年秋からは、ミリオンスロットが廃止。これにより、1軍・2軍・3軍が「上段・中段・下段」となって入れ替わりがなくなり、番組名の書かれている札は番組タイトルを固定するものへと変わった。このようにこの番組は1995年春の放送から内容が大幅に変わっていくこととなるのである。
  • チーム数は1990年春〜1991年春までが10チーム。1991年秋〜1992年春は12チーム。1992年秋〜1993年春は15チーム。1993年秋〜1999年春は18チーム(但し、1996年春は例外的に20チーム)1999年秋は16チーム。
  • 初期のルールが次々と廃止される中、得点の単位(ショーバイマネー)である「萬」は1999年秋の番組最終回まで受け継がれていた。
  • 1999年春と秋は一部の出場チームが放送中に変更されていた。理由は不明。

番組セット

一回休みのプレートについて
  • 1991年秋・1992年春 - 文字が白、絨毯が薄緑色
  • 1992年秋 - 文字が赤、絨毯が黒
  • 1993年春以降 - 文字が黒、絨毯が黄色
早押し音について
  • 1992年春まで - 早押しクイズで比較的多く用いられる音。いわゆる「ピンポン」音。
  • 1992年秋以降 - 特徴的な低い音。
早押しのお手つきについて
  • 1992年秋まで - 一律してお手つきしたチームのみ一回休み
  • 1993年春 - 「アナウンサー早押しクイズ」2問目までは上記の通りだが、3問目と「スペシャルゲストクイズ」はお手つきしたチームの同色の3チームが一回休み
  • 1993年秋・1994年春 - 「アナウンサー早押しクイズ」まではお手つきしたチームの同色の3チームが一回休み。「スペシャルゲストクイズ」以降はお手つきしたチームのヨコ一列の6チームが一回休み
  • 1994年秋 - 一律してお手つきしたチームのヨコ一列の6チームが一回休み

主なオリジナルクイズ

元々クイズ番組ではない番組も多いため、『スーパークイズスペシャル』のためにクイズを作って出題する場合もあった。ほとんどは番組制作のVTRを見て、そこからクイズを出題する。
100人に聞いたら1人しか答えませんでした
1993年春に『EXテレビ』からの出題クイズとして初登場。『EXテレビ』が終了した1994年春以降も人気コーナーだったため、1999年春まで行われた。『EXテレビ』参照。なお「100人に聞いたら〜」自体は現在も、島田紳助司会の『芸能界の厳しさ教えますスペシャル!』で継続中。
日本テレビ縦断ビッグスターお笑いウルトラクイズ
1995年春〜1996年秋まで行われた。『アメリカ横断ウルトラクイズ』の「ばらまきクイズ」が基本ルール。1995年春はスカを引いた場合(スカが存在したのはこの回のみ)、1995年秋からはクイズに間違えると、着ぐるみや被り物を着用して走らなければいけないというルールだった。なお、1997年春は背負った風船が爆発するまでに面白いギャグを披露する「お笑い風船爆発バトル」、1997年秋は選んだ物を使ってダジャレを披露する「ダジャレバトル」として行われたが、「スカ」を引いた場合および不正解の場合の着ぐるみ・被り物着用は無くなった。1995年は18チーム全員参加で9チーム毎2回戦実施。1996年は4チームにつき2人の割合で参加し、勝ち抜けると4チームに得点が加算されるというルール、1996年秋は2チームにつき1人の割合で参加し、勝ちぬけると2チームに得点が加算されるというルールに変更ただし1996年春は勝ちぬけるとそのチームがある縦一列に得点が加算された。1995年は先着4チームに30萬加算。1995年は1位ぬけで30萬、以後20萬・10萬・5萬加算。1996年は1抜け50萬、2抜け:40萬(横取りなし)、以下30萬、20萬、10萬と加算。1996年秋は1位ぬけで40萬(横取りなし)、以後30萬・20萬・10萬・5萬が加算。
一流芸能人トップは誰だ!?
1994年秋〜1995年秋まで行われた。出演者の中から選ばれた3人が「うかんむりの付く漢字」などのテーマが出され、それに合うものを制限時間内にどれだけ書けるかを競い、各チームは優勝者を予想した。
イス取りクイズ
1996年春〜1999年秋まで行われた。イス取りゲームの要領で出場者がイスの周りをグルグル回るが、座れなかった出場者は敗者復活クイズに臨むことになる。クイズに正解すれば再びゲームに参加できるが、その場合、イスに座っている出場者からターゲットを一人絞り「○○(呼び捨て)、どけ!」と言わなければならない(言われた出場者は失格)。必ず安岡力也などコワモテな芸能人が座っており、司会の紳助が若手芸能人をコワモテなベテラン芸能人の前に連れて行っていた。若手芸能人に対しては、わざと誰でも分かるような簡単な問題を出題していたこともある。
覆面クイズ正解は多数決!!
1997年秋〜1999年秋まで行われた最終問題の前の問題で芸能人にまつわる問題が出題される。9人の解答者は目の部分をすりガラスで隠され、声も加工して(とは言いつつ、自ら持ちネタを披露するなど誰が書いているのかがバレバレだったのがお約束だった)、その問いに対し、かぶった解答だと得点が加算されるクイズ形式である。「正直に答えない場合は-10萬」というルールもあったが、あまり適用されなかった。アンダーグラウンドな話ばかり飛び出し、解答にモザイクを入れなければいけないことも多々あったため、別名「アングラクイズ」とも呼ばれる。進行役は今田耕司東野幸治で出題アナウンサーは松永二三男アナ(当時)だった(1999年秋のみ藤井恒久アナ)。『スーパークイズスペシャル』終了後、2001年10月に1度だけ特番枠スーパースペシャル2001でこのコーナーの2時間拡大版が放送された。
1997年秋には「このスタジオの中で知名度の低い芸能人は?」と出題され、9人中8人が『ものまねバトル』チームのノブ&フッキーに集中し、それぞれ「ものまねチームの茶髪の人」(大石恵)・「茶色の髪にボーダーシャツの人」(岡村隆史)・「一番上のしましまの人」(飯島愛)などと解答し、チームメートのコロッケまでもがフッキーを指差す場面があった。ただし、このときに千秋山田隆夫を指しており、山田は激怒していた。
1999年秋には吉野紗香が、放送上とてもヤバすぎて流せないゴシップネタを出したために、2度も参加する珍事が起きた。
人間すごろく
1996年秋〜1997年秋まで行われた。島田紳助が司会。さいころを振り、止まったマスの指示にしたがう。指示は「網タイツをかぶる」「爆竹100本つき帽子をかぶる」「子供にくすぐられる」などがあり、成功するとさらに進むことができるそのとき進んだ先のマスの指示は受けない。失敗すると戻るという指示があるマスもある。。爆竹つきの帽子をかぶったナイナイの岡村隆史が板東英二を追いかけたり、「ワサビたっぷりの寿司を食べる」の指示に当たった加藤紀子は、紳助に「これに穴開くよ」と言われて断念したりした以前、紳助が出演した『EXテレビ』で実施し、1回で終了したものを多少アレンジした。
芸能人秘密のイエスを探せ!
末期の1998年秋〜1999年秋の3回実施。最初の2回はナイナイの矢部浩之、1999年秋のみ島田紳助と楠田枝里子が担当。ある質問にイエスを挙げるパネラーを当てるクイズで予想したパネラーが「イエス」を挙げればそのチームメイトがいるチームに10萬加算される。初回は予想屋の岡村隆史がイエスを挙げるパネラーの予想を参考にして答えたが、2回目は岡村が全問を通して解答者として参加した。初回の問題では「バブルの頃、株を手を出し失敗したことがある」を出題し、岡村は板東英二を予想し「この人は、確実に失敗しています」と断言し、3人のうちTOKIO城島茂モト冬樹が板東と予想一方の原千晶は「ギャンブルをやってることから」を理由に蛭子能収と予想。。結果、板東本人はイエスを出し、周りの久本雅美・加藤紀子を中心とした『マジカル頭脳パワー!!』&『メレンゲの気持ち』チームのメンバーや『スーパーJOCKEY』チームの辺見えみりと『いろもん2』チームの山本圭壱も「イエス」の札をあげた。
顔面!にらめっこバトル
1997年春〜1997年秋の2回実施。1997年春の回は今田耕司・東野幸治、1997年秋の回は所ジョージと楠田枝里子が担当。代表者の顔をチームメイトがメイクし相手チームの代表者が牛乳を吐き出したらそのチームが勝ちとなり、そのチームの代表者とチームメイトがいるチームに20萬が加算される。1997年春の回では『速報!歌の大辞テン』の司会者である徳光和夫と『マジカル頭脳パワー!!』の高橋英樹が対戦したが両者とも他のチームのメンバーを驚かすメイクになったが両者とも我慢し進行の所の判断でチームの代表者とチームメイトがいるチームに10萬ずつ加点された。
今夜だけOK!カンニングクイズ
1998年春に1回だけ実施。今田耕司と東野幸治が司会。ある問題に対して解答するのだが、仕切りの壁には穴が2つ開いており、解答者は隣の解答者が書いた答えを覗き見る事が出来る上に、隣の解答者と同じ答えをカンニングして書き、隣の解答者の答えが正解だった場合、同じ答えを書いた解答者も正解になるという、クイズとしては正に非常識な方法であった。

出場番組

1990年〜1999年の間に参加し、現在は終了した番組

※アニメは1番組とも出場せず、情報番組の一部の出演者は出演しなかった。

現在も放送している番組

優勝チーム

  • (1990年春)クイズ世界は(クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!は1990年春と秋は「クイズ世界は」「SHOW by ショーバイ!!」の2チームで参加)
  • (1990年秋)知ってるつもり?!
  • (1991年春)ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!
  • (1991年秋)世界まる見え!テレビ特捜部
  • (1992年春)お世話になってます
  • (1992年秋)クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!
  • (1993年春)ビートたけしのお笑いウルトラクイズ
  • (1993年秋)大人のキス(TVドラマ)
  • (1994年春)家なき子(TVドラマ)
  • (1994年秋)ウンナン世界征服宣言&投稿!特ホウ王国
  • (1995年春)家なき子2(TVドラマ)
  • (1995年秋)THE夜もヒッパレ
  • (1996年春)それ行けKinKi大冒険
  • (1996年秋)鉄腕!DASH!!
  • (1997年春)それ行けKinKi大放送
  • (1997年秋)快傑!コウジ園
  • (1998年春)スーパーJOCKEY
  • (1998年秋)P.A. プライベート・アクトレス(TVドラマ)
  • (1999年春)特命リサーチ200X!
  • (1999年秋)マジカル頭脳パワー!!

エピソード

  • この番組(『スーパークイズスペシャル』)では所ジョージ間寛平ただし、第1回は「マジカルミステリー劇場」でのVTR出演。がすべての回に出演した。
  • 番組開始当初から1995年秋のスペシャルまでは『ショーバイ』の山城新伍、『マジカル』の千堂あきほ俵孝太郎といったレギュラー陣が登場したが、山城、千堂、俵などが降板した1996年春のスペシャル以降は加藤紀子北野大久本雅美ガダルカナル・タカダンカンなど常連メンバーが出演した。
  • また『ショーバイ』チームではジャイアント馬場が1995年春のスペシャルまで5回出演した。また1993年春と秋のスペシャルは出演しなかったが、春の回では『ショーバイ』チームが再び一軍に戻ったことでたけしは「馬場さんは?」と話し「大道具倉庫に馬場さんの人形置いていた」と話した。その後の秋のスペシャルで、たけしはオープニングで馬場と戦っているレスラーに扮した衣装で登場した。
  • 1991年秋のスペシャルの「決勝早押しクイズ」で、ダウンタウン浜田雅功加山雄三「おい雄三、コラァ」喧嘩を売るシーンもあったが、浜田は加山が大物歌手であることは承知の上だったことから番組終了後には平謝りした。また逸見が「お前らしっかりしろや!」「何でお前らいるんや!」との言葉に対し、浜田は「いつみ〜!」「いつみのオッサンだけは! あのガキは!」「逸見、後で裏来い!」と大暴走した。さらにダウンタウンの松本人志はハコウマを持って早押しボタンを押そうとする一幕があった司会の板東英二に「おまえたばこ吸うな!こんなところで」とたしなめられた
  • たけし関連のチーム、特に『スーパーJOCKEY』チームは、勝手にチーム名を変えることがよくあった。番組名が書かれている札の裏に『笑点』『クイズハンター』『プレイガールQ』などと手書きし、裏面を表に出しておくことがよくあり、それでも司会の逸見は「笑点」、「クイズハンターチーム」と呼んでいた。また、1994年のスペシャルでは『スーパースペシャル』チームが『紳助のこんな巨泉いらない?』や『巨泉のクイズダービー』、『前武ハゲハゲ90分!!』、『11PMいずれも同局あるいは他局で放送された番組のパロディ。とチーム名を勝手に変えてゆき、優勝チーム予想クイズ時では『巨泉の友なき子』になった。
  • 1991年秋のスペシャルでは『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』も「笑点」と書き換えた。また、1992年秋のスペシャルでは「スーパーJOCKEY」が点いた後、逸見が「プレイガールQ」と言ってしまい、その翌年の1993年春のスペシャル以後、書き換えはなかった。
  • 1992年秋のスペシャルでは『おもいッきりテレビ』が横取り40萬出し、現在7位『進め!電波少年』から取ると8位の『どちら様も!!笑ってヨロシク』が7位に上がるとのことで『笑ってヨロシク』『電波少年』の両チーム関係者が司会者席へ駆け寄り、場内大騒ぎに発展した。結局、『おもいッきりテレビ』は『電波少年』から40萬を横取りし『笑ってヨロシク』が7位に浮上し決勝進出に至った。
  • 同じ1992年秋のスペシャルではたけしのお笑いウルトラクイズの近似値クイズで『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』チームが一番近い値を答えたものの、三軍席にいたため5萬しか獲得できなかったことこのときは書き問題を準じた得点だったが入れ替えなしだった。また一軍のショーバイマネーが50萬だったために対して高田純次らが延々と司会陣に抗議をしていた。
  • また、1992年秋のスペシャルで、たけしは休憩中に客用の弁当を食べたことを「アナウンサー早押しクイズ」前やエンディングで話した。
  • 1992年秋のスペシャルと1993年の春のスペシャルでは「アナウンサー早押しクイズ」で放送禁止を言った解答者の後、たけしは「こんばんわ、俵孝太郎です」と本人がいながらも発言していた。
  • 『世界まる見え!テレビ特捜部』名物のたけしのピコハン攻撃では珍解答をした渡辺正行・高嶋政伸・北野大・松本明子や席決めクイズで正解したのにスロットで破産を出した松村邦洋も叩いた。
  • ほぼすべてのコーナーに参加し、番組中ほとんど休憩する時間が無かった所とたけしであるが、おふざけも多く、たけしは担当司会者である際にも答えを知らないことが多かった。1992年秋の決勝戦ではいつも逸見・板東などといる司会席のところにいなく解答席に座った。また、所の担当コーナー『どちら様も!!笑ってヨロシク』の「スペシャルゲストクイズ」では、スペシャルゲストが入っているべきボックスの中にたけしが入っていたこともあり、このことが本来のスペシャルゲストが登場した後にボーナス問題として出題されたこともあった後にたけしは1995年春のスペシャルゲストクイズでスペシャルゲストとして登場。
  • 1994年春のスペシャルではくっつきバトルロイヤルで真ん中に「か」のつく言葉を出題され、飯島直子は「ムカつく」と答えたところ、「真ん中にくっついている言葉でないとだめ」と言い直しされ、答えることができず、時間切れでアウト。しばらくして安達祐実が「味覚」と答えたところ、司会から「偉いね〜」とほめられたのに対し、答えられなかった飯島は司会から「祐実ちゃんを見習いなさい」とたしなめられた。
  • 1994年春、決勝進出を賭けたミリオンスロットで2回ミリオンスロットを叩くことができるダブルチャンスの「マジカル頭脳パワー」チームが2回目のミリオンスロットで破産を叩きだしてしまった。
  • 1994年春、番組のラスト近くで最後のミリオンスロットをやろうと盛り上がった時、たけしが現れて「その前にCMをどうぞ」と言ってCMとなった(この後CM明けでは、たけしが「いよいよ盛り上がって参りました!!ここでちょっと休憩です」とボケた)。さらに同年秋では、やはりラストで盛り上がった時、板東が現れて「ちょっと待ったァ!!ここでCMをどうぞ」言ってCMとなった。今では当たり前となってる「クライマックスの前のCM」は、是の番組が最初ではないかと思われる。
  • 1994年春の放送では25.1%の最高視聴率をマーク。また、この回で「ショーバイ」時代のネット局だった鹿児島テレビがこの週で打ち切り。2日後に新規開局の鹿児島読売テレビへと入れ替えられた。
  • 1995年秋のスペシャルでは「日本テレビ縦断ビッグスターお笑いウルトラクイズ」2回戦で、本来は上位4人で終了だったが、4人中、東山紀之清水圭川島なお美の3人が1巡目で正解してしまったため、勝手にコーナーを続けた。まず、問題の内容を後付で本来の物とはまったく違う物にして出題し、不正解を出させた。その後、不正解の罰を被り物からGスタジオにあった品々を持って走るに変わっていき織田無道には氷の入った器+カメラスタンド、ウド鈴木には畳二枚、松村邦洋にはテーブルなどを持たせた。所は出場者にいろんな物を持たせるたけしを見て「引越じゃないから…。」と突っ込んだ。その後の「マジカルアクション伝言バトル」がセットが組まれ、スタンバイしていて、そろそろ始まろうとしていてもまだ続き、Gスタジオの反対側の入口に移動し最終的には板東・永井に突っ込まれてコーナーはいったん終了したが結局コーナーを続け、最終的には日本テレビ前のとある歩道に移動した。本放送では流れてなく番宣CMで放送したが松村邦洋下着姿で自分の衣装を持ちながら登場し、永井があきれる場面が放送された。
  • 1996年春のスペシャルでは、スペシャルバナナ時に「たばこといったら吸う」というお題に対し回答者の飯島愛放送禁止用語を発言。発言時には飯島の発言に代わり爆発音がなり、飯島の口元は「×××」の表示になっていた。そのため、番組史上初となる前代未聞の途中退場となった。テロップには「本人だけの思い込み!退場!!」と書かれていた。それまでは仕事のスケジュールの都合などで中抜け・途中退席する出演者もいたが、このことは最初で最後である。
  • 1996年秋のスペシャルでは、この番組の応援団団名はピーチーズ。として明石家さんまラサール石井村上ショージ松尾伴内その後ラサールは『世界まる見え!テレビ特捜部』チームに参加。の「さんまファミリー」が登場。チアガール姿で応援したが、まったく応援になってない歌「ビバ日テレ」を歌った(下記参照)。また、1995年の『裏番組をブッ飛ばせ!!大晦日スペシャル』、1996年の『紅白なんてブッ飛ばせ!!』にも乱入した。
  • * ビバ・ビバ・ビバ日テレ
  • * たけし・たけし・家帰れ
  • * ジョージ・ジョージ・CM出すぎ
  • * 板東・板東・バブルで弾けた
  • * ウッチャン・ナンチャン・仲悪い
  • * 楠田・枝里子・背が高い
  • * 永井・美奈子・フリーになった
  • * ギバ・ギバ・酒癖悪い
  • * 川合・俊一・男好き
  • 1995年秋の「アクション伝言バトル」でビートたけしが出演したとき、お題は「ソフトクリーム舌でクリームをなめる。であったが、たけしが故意に卑猥なアクションに変えてしまい、そのせいで彼以降の全員が不正解になったことがある。その際、司会者に事前注意を何度も受けていたにもかかわらず、その行為と思われる解答をした(「ナイショ」で処理)が、訂正を入れ正解となった。
  • 1996年秋の「アート伝言バトル」でたけしが出演したとき、お題は「みのむし」であったが、同様に卑猥な絵に変えてしまい、放送時に「禁」マークで絵の上部が隠された(次の役のリサ・ステッグマイヤーはたけしの描いた絵を見た瞬間、「キャー!!」。また絵を書いてるときも「もーっ!」と言っていた)当然リサから以降の回答者は不正解。たけしが回答するときに、板東英二が鬼の形相でたけしに詰め寄り、「コレは全国ネットですよ!非常に多くのお子さんも見てるんですよ!あなた何書いたんですか!言いなさいよ!!」。しかし、たけしは「×××(放送禁止用語)!」(たけし発言の際に、口が禁の文字で隠され、爆発音がなった)と発言。その瞬間、板東は逃げるたけしを追い掛け回した。二人がその場を離れた後、最初の回答者である所ジョージがたけしの書いた絵と前の回答者の楠田枝里子のものを見たとき、「これがおじさんの絵心をくすぐっちゃたんだね。」と冷静に状況を分析していた。
  • 別の回の「アクション伝言バトル」でもたけしはふざけてブリーフ姿で出場し、彼に対しアクションを行い内容を必死に伝えようとしている実兄の北野大に対してピコハンで叩いたこともある。
  • 1997年春の「オープニングチェンジ」でたけしが出演したとき、「まいご(迷子)という字を1文字変えて」というお題に対し、たけしが下ネタを言ったのか、言葉が「ドキューン、ドキューン、ドキューン」という音で潰されたうえにアウトになり、チームメイト全員に批判を浴び袋叩きにあった。テロップには「放送できない!アウト!」と書かれていた。
  • 1997年秋のスペシャルにビートたけしが出演しなかったのは、ヴェネチア国際映画祭に出席したためである。なお、理由は不明だが、たけしは1998年秋のスペシャル以降この番組に出演しなくなった。
  • 1998年のスペシャルでは、優勝決定バトルで巨大水槽に潜って正解の物をとってくるというあまりにも無謀な企画が行われた。しかも衣装着用のまま水槽に入るというルールだった。その中で榎本加奈子堂本剛研ナオコの3人が巨大水槽に潜りスタジオ内が大パニックになり、しかも榎本は「P.A. プライベート・アクトレス」の衣装であるセーラー服姿であったため、スカートの中から短いスパッツ下着が見えるのを防ぐ為に穿く。が見えてしまった。最後は榎本が正解の物を手にし『P.A. プライベート・アクトレス』チームが優勝した。
  • 年末には静岡第一テレビなどでも再放送された。

スーパークイズスペシャル以降

  • 2000年春・秋の2回は『超人気番組CMの祭典』として各番組が紅白に分かれて各番組CMを観て審査をし勝敗を競った。
  • 2001年春・秋の2回は『日テレ人気番組大集合オイシイとこだけ全部見せますSP』として放送され、日テレの人気番組・新番組の名珍場面の紹介を基に、賞品や賞金100万円を賭けたクイズコーナーもあった。
  • 2001年秋をもって番組対抗特番は一旦は消滅したが、2004年のみ、『オールスター☆夢祭り超人気番組が大集合!行列まる見え伊東家DASH笑コラ大辞10エンタぐるナイSP』という番組名となり久々のクイズ・ゲーム主体の番組として行われた。この時の得点単位も「萬」であったが、裏番組に『いきなり!黄金伝説。報道STATION』の準備期間時の4時間SP。と『[[クイズ$ミリオネア]]』のスペシャルがあり、視聴率の方も低迷してダブルパンチを食らった。
  • 1年後の2005年春には『行列のできる法律相談所』の特番という形で、同番組に日テレの人気番組・新番組の出演者がゲスト出演する内容で放送クイズ・ゲーム企画はなし。
  • 2005年秋は『踊る!さんま御殿!!』の特番で、同様の内容が放送され2006年春以降も同様の特番が継続中であるこちらもクイズ・ゲーム企画はなし。
  • さらに2006年春には、クイズ・ゲーム主体では2年振りとなる、クイズ番組『サルヂエ』をメインに据えた形式の番組対抗特番『超人気番組大集合!春のサルヂエ祭り』も制作されたが、視聴率はそれほど高くなかった。しかし、『サルヂエ』のレギュラー放送時の視聴率よりは若干良かったため、2006年秋も『サルヂエ』をメインに据えた形式の番組対抗特番は制作されたただし、この『サルヂエ』形式の特番は『スーパークイズスペシャル』とは言わないようである。。しかし、『サルヂエ』自体が2007年1月限りで打ち切りとなったため、再びクイズ・ゲーム主体の特番は消滅した。
  • しかし、2007年10月6日に『世界一受けたい授業』で人気番組・新番組の司会者が教師、出演者がゲストとして集まって授業を受ける3時間の特番が放送され、視聴率も好調だったことから2008年春に4時間、2008年秋に3時間、2009年春に3時間半の同様の特番この大会では、『名探偵コナン』から江戸川コナン毛利蘭(声優ではなく着ぐるみ)が参加し、史上初のアニメチームの参加となった。しかし『コナン』はYTV制作であるため、日本テレビ制作のアニメは未だ参加していない(なお『コナン』は、『サルヂエ』特番にアニメで問題を出した事が有る)。を放送した。この特番では、通常の授業に加えて日テレ系の各番組からの授業も行われている。
  • このほか、2007年12月22日には『番組対抗2007 まちがいだらけのニュース検定』と題して、日テレの情報エンタテインメント局制作生放送番組おもいッきりイイ!!テレビ』のみのもんたは『裏番組「みのもんたVS国会議員ずばッとコロシアムIV」』生放送に出演しているのでみのの分身の人形で参加。の出演者が集まって2007年1年間のニュースをコントで再現しそこからクイズを出題する特別番組が放送された。

スタッフ

初期は構成に伊藤輝夫(現・テリー伊藤)、監修に菅原正豊の名前があった。

テーマ曲

脚注

関連項目

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