読み込み中...フェルディナント1世(ドイツ語:Ferdinand I, 1503年3月10日 - 1564年7月27日)は、神聖ローマ皇帝(在位:1556年 - 1564年)、オーストリア大公、ボヘミア王(在位:1526年 - 1564年)、ハンガリー王(在位:同)。
オーストリア系ハプスブルク家(後のハプスブルク=ロートリンゲン家)の初代当主であり、オーストリア、ドイツ、ボヘミア、ハンガリーを統治した。神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の長男フィリップ美公とカスティーリャ女王フアナの間の次男で、皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)の弟。スペイン生まれのスペイン育ち。スペイン名はフェルナンド(Fernando)。
1503年3月10日、スペインのアルカラ・デ・エナーレスで生まれる。スペインで育ち、スペイン語が母語であったため、スペインの人々はフェルナンドのスペイン王位継承を望んでいたが、1516年に兄カルロスとトレードされる様な形でオーストリアへ趨き、生涯スペインに戻ることはなかった。また1515年に祖父マクシミリアン1世により、ボヘミアとハンガリーの王ウラースロー2世の娘アンナとの結婚が定められるが、この時点ではアンナ王女の夫はカールかフェルディナントか決定されていなかった。最終的に結婚相手を、将来の皇帝であるカールではなく弟フェルナンドに決めると、ハンガリー側からは猛反発を受けた。しかし結果としてフェルナンドとアンナの2人とっては幸福な結婚となった。
1521年、マクシミリアン1世の遺領分割で、兄カールの意向によりオーストリアを相続し、ハンガリー王女アンナと結婚した。1526年、モハーチの戦いでアンナの弟ラヨシュ2世が戦死したため、ボヘミア王とハンガリー王が空位となると、フェルディナントはこの2ヶ国の王位を継承し、ハプスブルク君主国の成立の礎を築いた。カール5世の皇帝在位中の1531年にはアーヘンでドイツ王の戴冠を受けた。1549年にフェルディナントとその子孫の帝位世襲が取り決められ、1556年にカール5世の退位を受けてフェルディナントが帝位を継承した。
兄カールとの生前の取り決めでは、フェルディナントの次はカールの息子フェリペ(スペイン王フェリペ2世)が帝位を継承し、以後カールとフェルディナントの家系が交互に継承することになっていたが、これは無視されて次の皇帝にはフェルディナントの息子マクシミリアン2世が即位した。スペイン・ハプスブルク家もこれを容認したため、以後もフェルディナントの家系、オーストリア・ハプスブルク家が帝位を世襲していくことになる。
| フェルディナント1世 | 父: フィリップ美公(ブルゴーニュ公) |
祖父: 神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世 |
| 祖母: ブルゴーニュ女公マリー |
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| 母: カスティーリャ女王フアナ |
祖父: アラゴン王フェルナンド2世 |
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| 祖母: カスティーリャ女王イサベル1世 |
がいる。
| 先代: ラヨシュ2世 |
ハンガリー王 兼ボヘミア王 |
次代: マクシミリアン2世 |
| カール5世 | ドイツ王・神聖ローマ皇帝 神聖ローマ帝国参照 オーストリア大公 カール5世参照 |
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| シュタイアーマルク、ケルンテン、 クラーニスカ摂政 | マクシミリアン2世 | |
| チロル、前オーストリア摂政 | マクシミリアン2世 |
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