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フェルディナンド・デ・メディチ (大公子)

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
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フェルディナンド・デ・メディチ (Ferdinando de' Medici,1663年8月9日 - 1713年10月31日)は、トスカーナ大公子。トスカーナ大公コジモ3世と妃マルゲリータ・ルイーザの長男。『フェルディナンド3世』と表記しているものもあるが、彼は大公に即位していないので、ここでは大公子とする。

父コジモと母マルゲリータは、長男のあとに長女アンナ・マリーア、次男ジャン・ガストーネと子供をもうけたが、1675年に別居した。彼女は夫を軽蔑しきっており、フィレンツェにいるよりも、モンマルトルの修道院に限っていられる、パリに戻る方がほんのわずかでもましだった。コジモがフィレンツェに戻るよう要請した時、マルゲリータは初めて夫に出会ったときから地獄にいたと返答した。

フェルディナンドは、父の弟フランチェスコ・マリーアや弟ジャン・ガストーネと同様、音楽家を保護した。バルトロメロ・クリストフォリゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルアレッサンドロ・スカルラッティアルカンジェロ・コレッリヴィヴァルディらである。また、画家ジュゼッペ・マリーア・クレスピセバスティアーノ・リッチのパトロンでもあった。

フェルディナンドの秘めたる情事は、ジャン・ガストーネと同じく、ほとんどの相手が男性であった。プラトリーノのヴィラにたびたび出かけては音楽の催しを開いていたが、そこは男性の愛人と密会する場でもあった。このヴィラにはアントニオ・フェッリがデザインした室内劇場があり、ヴィラは現オーナーの名前にちなんでヴィラ・デミドフと呼ばれている。1696年にヴェネツィアのカーニヴァルを訪れたと推測されており、彼はそこで梅毒に感染したといわれる。

1689年、フェルディナンドは渋々妻ヴィオランテ・ベアトリーチェ・ディ・バヴィエーラ(バイエルン選帝侯フェルディナント・マリアと妃アーデルハイトの子)を娶った。ヴィオランテは夫と同じく音楽好きで、フェルディナンドを愛していたが、結婚生活は不幸で子供もなかった。コジモ3世は、子供たち3人がそれぞれ配偶者との間に子ができないという、将来のメディチ家断絶の危機に何の手だても打たなかった。

1713年、フェルディナンドは梅毒により、父コジモ3世より先に逝った。

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