ブラー (Blur) は、イギリスロンドン郊外出身のロックバンド。
1989年にシーモア (Seymour) 名義でインディーズデビュー。1991年に現在のブラー名義でデビューした。デビュー時はそのポップな曲調からブリットポップムーブメントの代表格として一世を風靡したが、以後はローファイなオルタナ、ゴスペル、アフリカ音楽、エレクトロニカからポスト・ロック的なアプローチまで、様々に音楽性を変化させながら現在に至っている。後進のバンドに与えた影響は大きく、90年代のUKシーンを代表する存在としてリスペクトを寄せる者は多い。
メンバー
来歴
Leisure
1989年にシーモア名義で結成するが、フード・レコーズと契約する際に
ブラーと改名し、
1991年に1stシングル『シーズ・ソー・ハイ』でメジャーデビューする。2ndシングル『ゼアズ・ノー・アザー・ウェイ』がスマッシュヒットを記録し、デビューアルバム『レジャー』は全英7位まで上昇。英「Select」誌は「
ザ・スミス以来最高のグループ」と彼らを評した。
しかし、この頃はまだ一部の評論家からは、
シューゲイザー、
マンチェスター・サウンドに影響されて出現したバンド程度でしか認識されていなかった。
しかし、後の1997年の映画「トレインスポッティング」のサントラに、『レジャー』に収録されているシングル曲でもない「シング」が抜擢され話題を呼び再評価されている。
シングル『ポップシーン』リリース以降バンドは2ndアルバムの製作に入り、ブリットポップの発明に取掛りかかることになる。
Modern Life Is Rubbish
1993年に2ndアルバム『モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ』をリリース。グランジ旋風吹き荒れるアメリカで苦いツアーを経験した後、マッドチェスター・サウンドを意識した前作と違い、時代の主流(グランジ・ロック)に乗らず、意図的に捻ったメロディーや英国人としてのアイデンティティとポップイズムを披露。前作以上の評価を獲得し、このアルバムによってブラーはスターへの階段を駆け上がっていくことになる。また、この頃からデーモンは自分の心情を直接吐露するのを避け、第三者からの独特の視点から見た登場人物やありふれた社会通念、情勢等の様を風刺しシニカルに追っていくというソングライティングを打ち出した。
Parklife
翌年
1994年に3rd『パークライフ』をリリース。この後の英国音楽シーンの流れを決定づけたアルバムであり、ブリティッシュ・ポップの金字塔と評され、英国の伝統性あふれるポップサウンドや叙情サウンドに、シニカルでどこか明るくユーモアに溢れた英国人的な日常や文化を描いたこのアルバムはイギリス国民に賞賛の賛美を送られた。ここからリリースされたシングル『ガールズ&ボーイズ』、『パークライフ』等が大ヒットし、この時期に英国で頻出したポップバンドを纏めて呼んだ総称、
ブリットポップの代表格と呼ばれるようになる。その後ブリット・アワードではベスト・アルバム他4部門を受賞している。
The Great Escape
更に翌年の1995年、ブリットポップ三部作の完結編と呼ばれる『ザ・グレート・エスケープ』をリリース。日本では初の武道館ライヴを記念してジャパンオンリーでライブアルバムがリリースされた。また、アルバム収録曲の『イット・クッド・ビー・ユー』もジャパンオンリーでシングルカットされている。シングル『カントリー・ハウス』が同日発売だったオアシスの『ロール・ウィズ・イット』と売り上げを競うという茶番に巻き込まれる。(マスメディアの煽りによるものであったというのが事実)。同時期アメリカでのツアーは不盛況に終わってしまい、バンドは一時脆弱な状態に陥る。
バンド全体が機能不全に陥ってやや疎遠状態にあったデーモンとグレアムが、手紙で遣り取りしお互いの仲を深め合った
エピソードがあり、これが基でブラー復活のきっかけにもなる。
Blur
そして
1997年、原点に戻るという意味でもあろうセルフタイトルの5th『ブラー』をリリース。これまでの捻くれたポップスの路線を排し、アイデンティティであるロンドンと相対する存在にしていたアメリカに接近する。この時期
デーモン・アルバーンは
ペイヴメントのスティーブン・マルクマスと友人であったらしく、ローファイやガレージなど、アメリカのインディーズに影響を受けた楽曲へと大きくハンドルを切った。
また、このアルバムは予てからアメリカンインディーズに傾倒していたギターリストの
グレアム・コクソンが最も「働いている」アルバムとしても知られている。全英1位を記録。中でも収録曲の「Song 2」は世界的ヒットを記録し、ブラーの代表作の中の一つにもなった。
13
1999年には6th『13(サーティーン)』をリリース。長年連添った盟友
スティーブン・ストリートと訣別し、
ウィリアム・オービットをプロデューサーに起用し、シンセサイザーやノイジーな音の狂気に更にオルタナティブな独自性を獲得していった。シングル『テンダー』では
ゴスペルの形式をとるなど、更に実験性を増し、新たな土壌を開拓した。また、
グレアム・コクソンがリードボーカルを務めた『コーヒー&TV』では牛乳パックがグレアムを捜し求めて奔走するというPV の愛らしさも話題となった。この年、初の
苗場開催となった
フジロック・フェスティバルにて大トリを務めたが、近年ではほとんど演奏しない「パークライフ」等の
ブリットポップ全盛期の楽曲を多く含むベスト的なセットリストを披露した。
The best of
2000年にはシングル『ミュージック・イズ・マイ・レーダー』をリリースし、今後のブラーの新しい方向性が垣間見える曲となった。同年10月には初のベストアルバム『ザ・ベスト・オブ』をリリース。また、この頃から個人活動が盛んになり、一時活動休止状態に入る。デーモンは
ゴリラズへの参加や
マリで現地の音楽に触れ、
グレアム・コクソンはソロ・アルバムを作り、
アレックス・ジェームスは他バンドに参加したり曲を提供したりしている。
Think Tank
2002年に新アルバムのレコーディングに入るものの、4人とも個性的な音楽嗜好の為作業に行き詰まり、グレアムがバンドとの距離を置き始める。一方、新アルバムのプロデュースを
ファットボーイ・スリム(ノーマン・クック)に依頼し、グレアム抜きでマリでレコーディングが始まった。
2003年初頭にグレアムが正式に脱退を表明し、前後して7th『シンクタンク』をリリース。マリでの経験から、原点音楽への傾倒を見せ、また同時に政治的色彩を色濃くしていくなど、更にそのスタイルを変化させていった。ジャケットはグラフィティ・アーティストのバンクシーが手がけている。全英1位を記録。同年のサマーソニックではヘッドライナーで出演。
2003年12月、天文学に興味のあったアレックスとデイヴの提案で、イギリスの火星探査機 マーズ・エクスプレスに搭載された着陸機であるビーグル2にブラーの楽曲を火星で流すというプロジェクトに挑んだが、残念ながらビーグル2からの返答はなかった。尚CGで作られたこのビーグル2を基にして作ったPVは、DVD盤の『ノー・ディスタンス・レフト・トゥ・ラン』に収録されている。
2007年現在、脱退したグレアムの復帰に関して、アレックスやデイヴがコンタクトを取り、関係は修復されつつあるとされながらも、正式な復帰に関するアナウンスはされていない。
ディスコグラフィー
アルバム
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レジャー - Leisure (1991年) 全英7位
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モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ - Modern Life Is Rubbish (1993年) 全英15位
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パークライフ - Parklife (1994年) 全英1位
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グレイト・エスケープ - The Great Escape (1995年) 全英1位
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ブラー - Blur (1997年) 全英1位
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バスティン+ドローニン - Bustin' + Dronin (1998年) 全英50位
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13 (サーティーン) - 13 (1999年) 全英1位
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ザ・ベスト・オブ - The best of (2000年) 全英3位
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シンク・タンク - Think Tank (2003年) 全英1位
映像
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ショウ・タイム - Show Time (1995年)
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ノー・ディスタンス・レフト・トゥ・ラン - No Distance Left To Run (1999年)
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ザ・ベスト・オブ - the best of (2000年)
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スターシェイプト - Starshaped (2004年)
外部リンク
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Official - 公式ウェブサイト(英語)
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Fan - 公式ファンクラブ(英語)
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Blur - Blur cast(英語)
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Blur - ブラーの歌詞(英語)
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The - デーモンの新バンドの公式ウェブサイト(英語)
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Graham - グレアムの公式ウェブサイト
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The - デイヴの新バンドの公式ウェブサイト(英語)