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ベトミン

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

ベトミンvi: Vi?t Minh漢字: 越盟)、正式名称ベトナム独立同盟会viVi?t Nam ??c L?p ??ng Minh H?i漢字越南獨立同盟會)は、フランス植民地からの独立を求めるために、1941年5月19日に結成されたベトナムの独立運動組織である。ホー・チ・ミンによって率いられ、ヴォー・グエン・ザップおよびファン・バン・ドンは、ベトミンをともに指導した。

第二次世界大戦中に日本フランス領インドシナを占領した。ベトミンはフランス人との戦い同様に、日本人に対する戦いを始めた。アメリカおよび中国の日本への敵対関係により、それらの国からベトミンは資金を調達した。日本が1945年8月14日に降伏した後、ベトミンは八月革命によって日本の傀儡政権から権力を奪取、ベトナム民主共和国の樹立を宣言する。しかし、インドシナに復帰したフランス軍との間に第一次インドシナ戦争が勃発する。フランス軍の圧倒的軍事力とアメリカ合衆国のフランス援助によってベトミンは壊滅的打撃を受けるが、すぐにゲリラ戦術に切り替え抵抗を継続。フランスはベトミンを一年半で全滅させることを宣言したが、抵抗が激化したため次第に防戦に回るようになる。

この間、ベトミンは1951年3月3日、インドシナ共産党の別の統一戦線組織であったリエンベト(ベトナム国民連合会)と合同して「リエンベト戦線」となるが、その後も一般には「ベトミン」と呼ばれた。

1954年ディエンビエンフーの戦いにてフランスの要塞を完全包囲。昼夜を問わず続けられた砲撃によってフランス軍は降伏し、第一次インドシナ戦争は終結した。

ジュネーヴ和平協定の後、ベトナムは1956年の選挙で統一されるまでの臨時措置として北ベトナムと南ベトナムに分割された。ベトミン軍は1954年10月10日ハノイを解放し、フランス軍はベトナムから撤退した。1955年、ベトミン(リエンベト戦線)は植民地からの解放という任務は達成されたとしてみずからの解散を宣言し、同年9月10日、これを継承する統一戦線組織として現在まで続く「ベトナム祖国戦線」が樹立された。

南ベトナムとアメリカは、ホー・チ・ミンが国民的な英雄と見なされて選挙に勝つことを心配して、1954年の協定を破り選挙での統一を拒絶した。その結果、多くの元ベトミンを含む南ベトナム国内のゲリラはアメリカと南ベトナムによってベトコンと呼ばれて、南ベトナム解放民族戦線を形成し反共政権と敵対した。

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