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ベルトラン・ガショー

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

ベルトラン・ガショーBertrand Gachot, 1962年12月22日 - )は、フランス国籍の元F1ドライバー。1991年ル・マン24時間レースの優勝者である。

フランス人国籍だが、ライセンスをベルギーで取得している為、資料によってはベルギー人ドライバーとして紹介されていることもある。

経歴

ルクセンブルグ生まれ。父はEC(現EU)の高官。そのためか、ヘルメットにはECの旗がデザインされていた。

15歳の頃にカートからキャリアをスタート。1984年からベネルクスFF1600に参戦、3年連続でチャンピオンを獲得する。

1987年イギリスF31988年国際F3000と着実にステップアップし、1989年にオニクスからF1に参戦する。この1989年はF1のレギュレーションが大幅改正され、史上最多の1レースあたり39人のエントリーがあり、新参チーム・ドライバーには予備予選が厚い壁となっていた。ガショーもその例に漏れず最初の6戦は予備予選不通過であったが、第7戦フランスGPで予備予選をトップ通過するとレースでも快走。これ以降全戦予備予選を通過し、1レース以外は予選を通過するものの、なかなかレースで結果を残せずシーズン途中で解雇。ラスト2戦はリアルからエントリーしたが予選落ちに終わった。

1990年は日本のスバル水平対向12気筒エンジンを搭載したコローニから参戦。このエンジンは非常に重い上に信頼性もなく、全くまともに走れず。シーズン途中でコスワースエンジンに変更してからは辛うじて予備予選は通過できたものの、この年は予選を1度も通過できなかった。

翌1991年が、ガショーのレース人生にとって最高、そして最悪の年となる。新規参戦のジョーダンからエントリーしたが、この年のマシンであるジョーダン191は後に『1990年代において最も美しいF1マシン』と言われるように参戦初年度とは思われぬ性能を見せ、予備予選・予選はおろか決勝でも度々好走。第5戦カナダGPで5位に初入賞。この後もイギリスGPドイツGPで連続6位入賞。ハンガリーGPではファステストラップを記録する。またF1以外でも活躍し、ジョニー・ハーバートフォルカー・バイドラーと組んでマツダからエントリーしたル・マン24時間レースでは日本車初、さらにロータリーエンジン唯一の優勝を飾る。

しかし先述のハンガリーGP後、シーズン前のパーティーの帰りにイギリスでタクシーの運転手に痴漢撃退用スプレーを噴霧(イギリスでの使用が禁止)したとして傷害容疑で逮捕。その後釈放されるものの、ジョーダンには復帰できず。ガショーの代役でジョーダンに乗ったミハエル・シューマッハの印象の強さによりガショーの活躍は関係者から薄れてしまう。結局ラルース・パシフィックなどの弱小チームを渡り歩いた後、1995年をもってF1から引退した。

F1以外の経歴では、1994〜97年までル・マン24時間レースに出場(96年は予選不通過。94年ル・マンではツーリングカーを指して「こんな車サンドイッチ食べながら走れるぞ」と言って偉い目に遭った)した他、97年にはセルモから全日本GT選手権に参戦した。

日本におけるカルト的人気

日本人のコアなモータースポーツファンには、引退後10年経った今でもガショーは強烈な印象を残している。それは、現在最強のドライバーと思われるミハエル・シューマッハがF1にデビューするきっかけを通常有り得ない形で与えたこともあるが、その読みが日本において縁起のいい賀正、逆に縁起の悪い合掌谷啓のギャグであるガチョーンなどの言葉に通じることも大きな理由となっている。

関連項目

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