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マリア・シャラポワ

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

マリア・シャラポワMaria Sharapova, , , 1987年4月19日 - )は、ロシア・西シベリアに位置するチュメニ州ハンティ・マンシ自治管区ニャガン市出身の女子プロテニス選手である。

プロフィール

シャラポワは華やかな容姿とプレースタイルに加えて、4大大会で女子シングルス3冠も獲得した実力も備える。決勝でジュスティーヌ・エナンセリーナ・ウィリアムズのタフな選手を倒して優勝していることから、彼女の精神的な強さを知ることができる。ボールを打つ時に独特の甲高い叫び声を上げながらラケットを振り抜くことでも有名で、「シベリアン・サイレン」(Siberian Siren)と呼ばれることもある。ベースライン・プレーヤーで、恵まれた体格を活かした強烈なサーブとストロークを武器にパワーテニスを展開し、強靭な精神力で相手を圧倒する様子が試合でしばしば見られる。身長188cm、体重59kg。左利きだったというが、矯正で両方使える。バックハンド・ストロークは両手打ち。

両親はベラルーシゴメリの出身。1986年チェルノブイリ原発事故の影響により、両親がロシア・西シベリアにあるニャガンへ移住を決意する。マリアは4歳の時からテニスを始め、6歳の頃マルチナ・ナブラチロワに才能を見い出され、9歳の頃父親とともに渡米した。渡米後はフロリダ州ニック・ボロテリー・テニスアカデミーにて練習開始。2006年にロサンゼルスに自宅を購入しているが、両親はフロリダ州ブラーデントン(ボロテリー・アカデミーのあるところ)に住んでいる。

選手経歴

2003年

シャラポワは2003年ウィンブルドン3回戦で第11シードのエレナ・ドキッチを破り、一躍時の人になった。この大会では続く4回戦で同じロシアの選手、スベトラナ・クズネツォワに敗れた。

2004年

2004年には全仏オープンで準々決勝に進出した後、ウィンブルドンで初優勝を飾り、1997年のマルチナ・ヒンギス(16歳9ヶ月)に次ぐ大会史上2番目の年少優勝記録を樹立した。女子テニスで18歳未満の選手が4大大会を制したのは、1999年全米オープンのセリーナ・ウィリアムズ(17歳11ヶ月)以来であった。AIGジャパン・オープンには第1シードとして出場し、決勝でアメリカマショーナ・ワシントンマラビーヤ・ワシントンの妹)に 6-0, 6-1 のスコアで勝利し連覇を達成した。この日(10月9日)は台風22号が関東地方を直撃したが、例年より多い約9000人の観客が来場した。この年のAIGジャパン・オープンの入場者の総数は過去最多となり、“シャラポワ効果”という言葉で表現される場合もあった。

2005年

2005年は、2月に東京体育館で開催された東レ・パン・パシフィック・テニスにおいてリンゼイ・ダベンポートを破って初優勝を果たし、好調なスタートを切る。しかし、ウィンブルドンでは準決勝でビーナス・ウィリアムズに 6-7, 1-6 で敗れ、大会2連覇はならなかった。同年8月22日、ロシアの女子テニス選手としては初めて世界ランキング1位となる。また、大会のグレードがTier III(ティア3)であるAIGジャパン・オープンについては、2005年度以降WTAの世界ランキングの規定により出場する権利がなくなった。

2006年

2006年2月4日、東レ・パン・パシフィック・テニス準決勝で当年度から現役復帰したマルチナ・ヒンギスに 3-6, 1-6 で敗れ、大会連覇を逃した。(その後ヒンギスには3月上旬の「インディアンウェルズ・マスターズ」で勝った。)

2007年

2007年東レ・パン・パシフィック・テニスでは、全豪オープン決勝でセリーナ・ウィリアムズに完敗した試合の直後でもあり、脚の不調もあってサービスが乱れた。2月3日の準決勝でアナ・イワノビッチセルビア)と対戦した時、第1セットを 1-6 で落とした後メディカル・タイムアウトを取り、第2セットの第1ゲーム終了後に途中棄権を申し出た。2007年全米オープンでは、前年度優勝者のシャラポワは3回戦でアニエスカ・ラドワンスカポーランド)に不覚を取った。同年度のWTAツアー選手権では決勝まで進んだが、ジュスティーヌ・エナンに 7-5, 5-7, 3-6 で敗れ、2度目の優勝を逃している。

2008年

2008年1月26日、シャラポワは全豪オープン準々決勝で第1シードのジュスティーヌ・エナンを 6-4, 6-0 のストレートで圧倒した。準決勝でもエレナ・ヤンコビッチに 6-3, 6-1 で快勝し、2年連続2度目の決勝ではアナ・イワノビッチセルビア)を 7-5, 6-3 (セットカウント 2-0)のストレートで下し、全豪初優勝を飾るとともに、4大大会優勝回数を「3勝」に伸ばした。

エピソード

  • テニスプレーヤーとは別にファッションモデルとしても活躍しており、ファッション雑誌の人気も高い。特にダニエラ・ハンチュコワとの“美少女対決”はどこでも抜群の観客動員力がある。この対戦カードはウィンブルドン3回戦のほか、日本では2004年の東レ・パン・パシフィック・テニスで実現している。
  • 7歳からアメリカに居るため英語は堪能、逆に母語のロシア語はあまり得意ではないらしい(日常会話には支障はない)。また、国別対抗戦・フェドカップのロシア代表を辞退し続ける、ロシアを軽視する言動が目立つなどの理由によりロシア国内での人気はあまり高くない。一方、隣国ウクライナではロシア軽視は問題とならないのか人気はある。
  • プロ選手としてのトーナメント初優勝が日本での草津国際女子オープン大会だった。シャラポワ自身も「草津でのツアー初優勝は私の原点」と常々語っている。またトップ選手となって以降、ツアーでも日本のトーナメントとの相性は抜群である。そういったことも相俟って日本でのシャラポワファンも多い。また、シャラポワ本人も日本好きで有名である。好きな日本食はしゃぶしゃぶと抹茶アイス。
    2004年にはNECの、翌年にも本田技研工業キヤノンなどのテレビCMにも出演している。勿論アメリカでもモトローラ携帯電話イメージキャラクターに起用されたり、大手香水会社「パルロックス・フレグラン」とも契約していて、2005年には彼女の名前の付いた香水が発売された。これら副業の成功もあり、女子スポーツ選手としては世界トップの収入を誇る。
  • 2005年12月に行われたジャパンツアーでは、アメリカで携帯電話イメージキャラクターをしている関係で、限定一台のピンク色の携帯電話端末M1000が作られ、その後オークションにかけられた。
  • 使用ラケットはプリンス、ウェアとシューズはナイキ。趣味は切手収集。
  • 「シベリアン・サイレン」と呼ばれる彼女の声について、調査が行われたこともある。あるテレビ番組の企画で、彼女がボールを打つ時の声量を測定したところ101dBであった。この音の大きさは、パトカー等のサイレンや平均的な道路工事などと同等レベルで、その声は聞くものにとっては不快感を伴うにレベルに達するという。
  • 2002年に175cmだった身長は2003年に183cmまで伸び、現在は188cmとなっている。急激に身長が伸び手足が長くなったため、プレースタイルが体についていかない時期もあった。
  • 父親は彼女の試合だけではなく、練習にも常に同伴してくる。一時期ロシア・ナショナルチーム内でのアナスタシア・ミスキナとの確執が報道されたが、この時、ミスキナは彼女の父親が練習を参観する事を嫌っていた。
  • 2007年2月14日、国連開発計画親善大使に就任し、チェルノブイリ原発事故後遺症に苦しむ祖国ロシア・ベラルーシ・ウクライナの8つの若者支援プロジェクトに自身の基金から10万ドルを寄付すると発表した。2008年に現地を訪問する計画がある。なお親善大使の年俸は1ドルで、現地訪問にかかる費用はシャラポワの自己負担となる。

4大大会優勝

大会対戦相手試合結果
2004年 ウィンブルドン セリーナ・ウィリアムズ 6-1, 6-4
2006年 全米オープン ジュスティーヌ・エナン・アーデン 6-4, 6-4
2008年 全豪オープン アナ・イワノビッチ 7-5, 6-3

主な出演CM

外部リンク

参考文献

  • バド・コリンズ著『テニスの歴史−信頼の百科事典と記録集』(英語、2008年刊、ISBN 0942257413、ニュー・チャプター・プレス) シャラポワのニックネーム「シベリアン・サイレン」について、本書の659ページで確認した。
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