読み込み中...マリア・シャラポワ (Maria Sharapova, , , 1987年4月19日 - )は、ロシア・西シベリアに位置するチュメニ州ハンティ・マンシ自治管区・ニャガン市出身の女子プロテニス選手である。
シャラポワは華やかな容姿とプレースタイルに加えて、4大大会で女子シングルス3冠も獲得した実力も備える。決勝でジュスティーヌ・エナン、セリーナ・ウィリアムズのタフな選手を倒して優勝していることから、彼女の精神的な強さを知ることができる。ボールを打つ時に独特の甲高い叫び声を上げながらラケットを振り抜くことでも有名で、「シベリアン・サイレン」(Siberian Siren)と呼ばれることもある。ベースライン・プレーヤーで、恵まれた体格を活かした強烈なサーブとストロークを武器にパワーテニスを展開し、強靭な精神力で相手を圧倒する様子が試合でしばしば見られる。身長188cm、体重59kg。左利きだったというが、矯正で両方使える。バックハンド・ストロークは両手打ち。
両親はベラルーシ・ゴメリの出身。1986年チェルノブイリ原発事故の影響により、両親がロシア・西シベリアにあるニャガンへ移住を決意する。マリアは4歳の時からテニスを始め、6歳の頃マルチナ・ナブラチロワに才能を見い出され、9歳の頃父親とともに渡米した。渡米後はフロリダ州のニック・ボロテリー・テニスアカデミーにて練習開始。2006年にロサンゼルスに自宅を購入しているが、両親はフロリダ州ブラーデントン(ボロテリー・アカデミーのあるところ)に住んでいる。
シャラポワは2003年のウィンブルドン3回戦で第11シードのエレナ・ドキッチを破り、一躍時の人になった。この大会では続く4回戦で同じロシアの選手、スベトラナ・クズネツォワに敗れた。
2004年には全仏オープンで準々決勝に進出した後、ウィンブルドンで初優勝を飾り、1997年のマルチナ・ヒンギス(16歳9ヶ月)に次ぐ大会史上2番目の年少優勝記録を樹立した。女子テニスで18歳未満の選手が4大大会を制したのは、1999年全米オープンのセリーナ・ウィリアムズ(17歳11ヶ月)以来であった。AIGジャパン・オープンには第1シードとして出場し、決勝でアメリカのマショーナ・ワシントン(マラビーヤ・ワシントンの妹)に 6-0, 6-1 のスコアで勝利し連覇を達成した。この日(10月9日)は台風22号が関東地方を直撃したが、例年より多い約9000人の観客が来場した。この年のAIGジャパン・オープンの入場者の総数は過去最多となり、“シャラポワ効果”という言葉で表現される場合もあった。
2005年は、2月に東京体育館で開催された東レ・パン・パシフィック・テニスにおいてリンゼイ・ダベンポートを破って初優勝を果たし、好調なスタートを切る。しかし、ウィンブルドンでは準決勝でビーナス・ウィリアムズに 6-7, 1-6 で敗れ、大会2連覇はならなかった。同年8月22日、ロシアの女子テニス選手としては初めて世界ランキング1位となる。また、大会のグレードがTier III(ティア3)であるAIGジャパン・オープンについては、2005年度以降WTAの世界ランキングの規定により出場する権利がなくなった。
2007年の東レ・パン・パシフィック・テニスでは、全豪オープン決勝でセリーナ・ウィリアムズに完敗した試合の直後でもあり、脚の不調もあってサービスが乱れた。2月3日の準決勝でアナ・イワノビッチ(セルビア)と対戦した時、第1セットを 1-6 で落とした後メディカル・タイムアウトを取り、第2セットの第1ゲーム終了後に途中棄権を申し出た。2007年全米オープンでは、前年度優勝者のシャラポワは3回戦でアニエスカ・ラドワンスカ(ポーランド)に不覚を取った。同年度のWTAツアー選手権では決勝まで進んだが、ジュスティーヌ・エナンに 7-5, 5-7, 3-6 で敗れ、2度目の優勝を逃している。
2008年1月26日、シャラポワは全豪オープン準々決勝で第1シードのジュスティーヌ・エナンを 6-4, 6-0 のストレートで圧倒した。準決勝でもエレナ・ヤンコビッチに 6-3, 6-1 で快勝し、2年連続2度目の決勝ではアナ・イワノビッチ(セルビア)を 7-5, 6-3 (セットカウント 2-0)のストレートで下し、全豪初優勝を飾るとともに、4大大会優勝回数を「3勝」に伸ばした。
| 年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
|---|---|---|---|
| 2004年 | ウィンブルドン | セリーナ・ウィリアムズ | 6-1, 6-4 |
| 2006年 | 全米オープン | ジュスティーヌ・エナン・アーデン | 6-4, 6-4 |
| 2008年 | 全豪オープン | アナ・イワノビッチ | 7-5, 6-3 |
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