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マリア2世 (ポルトガル女王)

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

マリア2世Maria II de Portugal, 1819年4月4日 - 1853年11月15日)はポルトガルブラガンサ王朝の女王(在位:1826年 - 1853年)。

父はブラジル皇帝ペドロ1世、母はオーストリア皇帝フランツ1世の次女の皇后マリア・レオポルディナ。ブラジル皇帝ペドロ2世の姉。

生涯

ポルトガル宮廷のブラジル亡命中、1819年4月4日リオデジャネイロで生まれた。新大陸で生まれ育った最初で唯一のヨーロッパ君主だろう。1821年、リオデジャネイロからリスボンに帰還したポルトガル王ジョアン6世が没すると、ブラジル皇帝ペドロ1世にポルトガル王位継承権が生じたが、ブラジルが離さず、ペドロ1世は7歳の長女マリア・ダ・グロリアをポルトガル女王と宣言した。これがマリア2世である。マリア2世は在ブラジルのまま叔父のドン・ミゲルと婚約したが、1828年にオーストリア外遊からポルトガルに帰国したミゲルはマリアを無視して王位を僭称、ポルトガルはマリア2世とミゲル1世という2人の国王が並立する事態となった。

外遊中にオーストリアの宰相メッテルニヒの薫陶を受けたミゲルは、絶対君主として極端な保守反動政治を行った。これに対抗して自由主義の立場にたつペドロは、1831年にブラジル皇帝位を5歳の長男ペドロ2世に譲り、1832年に軍を率いてポルトに上陸、ここにポルトガルは2人の兄弟が相争う内戦に突入した。パルメラ公を中心としたペドロ派は1833年7月リスボンに入城、若き女王マリア2世も9月にリスボン入りを果たした。内戦は1834年ミゲルの敗退に終わり、ペドロも同年に死んだ。

同年9月、ポルトガルのコルテス(議会)は15歳のマリア2世に国王権力を正式に委譲した。同時にマリアと、ナポレオンの養子ウジェーヌ・ド・ボアルネの長男、ロイヒテンベルク公アウグストとの結婚も承認した。しかしアウグストは翌1835年3月に25歳で病死した。マリアは1836年4月、ザクセン=コーブルク=ゴータ公子フェルディナント(フェルナンド2世)と再婚した。

女王の治世下、先の内戦で活躍したコスタ・カブラル将軍が長く独裁的な権力を振るった。1846年北部で発生した反乱はリスボンの女王政府を脅かしたが、翌年スペインイギリスの軍事介入により終息した。1851年にはサルダーニャ将軍がクーデターによって実権を掌握、政情は比較的安定する。1853年11月15日マリア2世はリスボンで亡くなり、マリアの長男ペドロ5世がポルトガル王位を継承した。

備考

彼女の肖像は、共和国になってから、1970年代の1000エスクード紙幣に描かれていた。

外部リンク

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