読み込み中...マリ共和国(マリきょうわこく)、通称マリは、西アフリカに位置する共和制国家。西をモーリタニア、北をアルジェリア、東をニジェール、南をブルキナファソ、コートジボワール、南西をギニア、西をセネガルに囲まれた内陸国である。首都はバマコ。
国土の北側3分の1はサハラ砂漠の一部であり、残りの中南部も、ちょうど中心を流れるニジェール川沿岸だけが農耕地となっている以外は、乾燥地帯である。
正式名称は、République du Mali(レピュブリック・ドゥ・マリ)。通称、Mali。
公式の英語表記は、Republic of Mali(リパブリック・オブ・マリ)。通称、Mali。
日本語の表記は、マリ共和国。通称、マリ。
植民地時代はフランス領スーダンと呼ばれていたが、独立時に現在の国名となった。マリの名は、かつてこの地にあったマリ帝国の繁栄にあやかって名づけられた。マリとは、バンバラ語で「カバ」という意味で、首都バマコにはカバの像がある。
古代におけるこの領域での歴史は、1076年まで栄えたガーナ王国(8世紀以前の歴史は不明)、1240年から1473年に北アフリカとの貿易で栄えたマリ帝国、それを滅ぼしたソンガイ帝国(1473年から1591年ソンガイ王国とも)などにさかのぼる。ニジェール川上流域が豊富な金の産地であったことからムスリム商人らが訪れ、サハラ交易が盛んに行われた。
1904年にフランスの植民地となり、フランス領スーダンと呼ばれた。1960年6月、隣国のセネガルと共に、マリ連邦を結成し、フランスから独立。しかし、その年の8月にセネガルが連邦から離脱したため、翌9月にマリ共和国と国名を改めた。モーディッボ・ケイタ大統領のもとで社会主義政策が推進されたが徐々に行き詰まり、1968年にムーサ・トラオレのクーデタが発生し、長い軍事独裁体制の時期に入った。民主化運動が成功し、1991年に暫定政府が発足。翌1992年に憲法を制定し、大統領選挙が行われた。北部ではトゥアレグ族が過激な分離闘争を繰り返してきたが、1996年に武装解除が行われた後、内政は安定している。
マリは共和制、大統領制をとる立憲国家である。現行憲法は1992年1月12日に制定されたもの。
国家元首である大統領(Président de la République du Mali)は、国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選は禁止されている。首相は大統領により任命される。内閣に相当する閣僚評議会(Conseil des Ministres)のメンバーは、首相が任命する。
議会は一院制で、正式名称は国民議会(Assemblée Nationale)。憲法によると、国家唯一の立法機関とされている。定数147議席。国民議会議員は、マリを構成する8州と1特別区の人口比に基づき、国民の直接選挙で選出され、任期は5年である。
マリは実質的に複数政党制が機能する、アフリカでは数少ない国家である。宗教や民族を基盤とした政党、地域政党、性別による差別を主張する政党は禁止。主要政党としては、ムーサ・トラオレ軍事独裁政権の打倒後に政権の座に就いたマリ民主同盟(ADEMA)が最大のものとして挙げられる。他の有力政党にはマリ連合があり、民主化主導全国会議(CNID)、愛国復興運動(MPR)という小政党と共に選挙同盟希望2002を形成している。国民議会内の勢力は以下の通り。最高司法機関は最高裁判所(Cour suprême)である。
リン鉱石、金、ウランなどの鉱物資源が豊富。中でも、ウランは日本が独占契約を結んでいる。
公用語はフランス語であるが、国内の多数部族が使用している4つの言語を、国語と定め、教育その他の分野で使用している。
イスラム教が90%、伝統的宗教が9%、キリスト教が1%である。
マリ共和国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、複合遺産が1件ある。詳細は、マリ共和国の世界遺産を参照せよ。
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1月1日 | 元日 | Jour de l'an | |
| 1月20日 | 軍隊記念日 | Fête de l'armée | |
| 3月26日 | 殉教者の日 | Journée des Martyrs | ムーサ・トラオレ政権崩壊の日 |
| 5月1日 | メーデー | Fête du Travail | |
| 5月25日 | アフリカの日 | Fête de l'Afrique | アフリカ統一機構発足の日 |
| 9月22日 | 独立記念日 | Jour de l'Indépendance | |
| 12月25日 | クリスマス | Noël | イエズス・クリストゥス生誕の日 |