読み込み中...リッカルド・ムーティ(Riccardo Muti, 1941年7月28日 ナポリ - )はイタリア人のクラシック音楽の指揮者である。
1967年に若手指揮者のためのグィード・カンテッリ賞を受賞。1972年からフィルハーモニア管弦楽団を定期的に指揮し、オットー・クレンペラー以来の首席指揮者に任命される。1980年から1992年までフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任し、しばしば同楽団を率いて世界的な演奏旅行を行なった。フィラデルフィア管弦楽団と制作したレスピーギ作品やロシア作品(ストラヴィンスキー、チャイコフスキー、スクリャービン)、ブラームスの交響曲の録音は、現在でも評価が高い。
1986年から2005年までミラノ・スカラ座の芸術監督を務める。1987年にミラノ・スカラ座管弦楽団の首席指揮者に任命され、1988年には同楽団とともにヴィオッティ・ドーロ賞(Viotti d'Oro)を獲得。同楽団を率いてイタリア国内から欧州各地まで演奏活動を続けた。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団にも定期的に客演している。1996年にはウィーン音楽週間の最終公演でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したほか、同楽団の極東ツアー(日本、韓国、香港)やドイツツアーのほか、1993年、1997年、2000年、2004年のニューイヤーコンサートでも指揮をとった。
1971年以来ザルツブルク音楽祭にも定期的に参加し、オペラや演奏会を指揮しているが、とりわけ同地ではモーツァルトの歌劇の指揮で有名である。スカラ座のほかにも、フィラデルフィアやロンドン、ミュンヘン、ウィーン、ラヴェンナ音楽祭などでオペラ公演を指揮してきた。
スカラ座では、比較的無名の古典派のオペラ、例えばケルビーニの歌劇《ロドイスカ》や、スポンティーニの歌劇《ヴェスタの巫女 La Vestale 》を上演、その一方でスカラ座管弦楽団を指揮して、こんにち無名の20世紀イタリア人の新古典主義者(ブゾーニ、カゼッラ、ロータ)の作品を録音した。
ヴェルディやプッチーニの有名作品についても、伝統的に行われてきた改変(アリアのクライマックスでの高音の挿入、冗長と考えられる部分のカット等)に対して批判的であり、「演奏は常に作曲者によって書かれたまま(come scritto)でなされなければならない」との強い信念をもち、自筆譜の綿密な研究を通じてそれを実行してきた。
性格はきわめて内向的で真面目である。練習風景や指揮姿を見るとカリスマ指揮者としてのオーラに満ち溢れ「帝王」のように見えるが、実は口下手でシャイという話が多く聞かれる。責任感の強さは随一である。
交友はさほど広くないが大物が並ぶ。小澤、バレンボイム、メータ、ポリーニ、フリットリ、ブルゾン等。またカルロス・クライバーの数少ない親友でもある。
2005年3月16日に、スカラ座の管弦楽団員と職員の投票により、圧倒的多数で不信任を表明される。これは、スカラ座総支配人カルロ・フォンターナとムーティとのいさかいがきっかけであり、これによって2月にフォンターナが免職される結果となっていた。ムーティは投票に先立ち演奏会をキャンセルするが、フォンターナの支持者との絶え間ない亀裂のためにその他の公演も立ち行かない状態だった。同年4月2日にスカラ座を辞任した際、ムーティは職員からの「敵意」を辞任の理由として挙げていた。ムーティがベルルスコーニ首相と親しい間柄であるのに対し、フォンターナは左派に属することから、この抗争自体芸術面でのそれというより高度に政治的なものだったとの見方もある。
スカラ座の辞任後は、親密な同僚指揮者である小澤征爾やダニエル・バレンボイム、ロリン・マゼールなどから引く手数多の招待を受けて世界中を往復している。もっとも親密なウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とは毎年指揮台に立ち、2005-2006シーズンは30回以上も指揮台に立っている。同楽団から名誉会員の称号、ゴールドリングが贈られ、同楽団の中枢メンバーで構成されるウィーン宮廷楽団の初代名誉音楽監督に任命されている。Wph専用機(エアバス機)に搭乗が許される唯一の指揮者であり、大巨匠であるカール・ベームやヘルベルト・フォン・カラヤン並の待遇を受けている。現在は自らが創設したケルビーニ管弦楽団の音楽監督を務めている。2008年からはニューヨーク・フィルハーモニックの首席客演指揮者に就任する。しかし2007年にシカゴ交響楽団を率いてヨーロッパツアーを行い、その後音楽監督就任が決定した(後述)。過去にバイエルン放送交響楽団やニューヨーク・フィルの音楽監督依頼を固辞して周囲を騒がせた。現在でもウィーン国立歌劇場、バイエルン放送響、ニューヨーク・フィル、フランス国立管弦楽団、フィラデルフィア(再登板)から音楽監督の依頼が非公式(一部公式)に出ている。最近ではロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(後に引き受ける)の客演依頼を断って、臨時オーケストラや無名の楽団を振る。最近の来日は東京オペラの森音楽祭やPMFという若手指導の仕事ばかりだったが2008年秋にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団並びにウィーン国立歌劇場の来日公演の指揮を行う予定。
また後任の音楽監督としてニューヨーク・フィル(ギルバートで決定)やフィラデルフィア管弦楽団(ここ数年距離を取る)、シカゴ交響楽団、ベルリン・フィルなどの名前が挙がっていた。
2008年5月5日、シカゴ交響楽団の次期音楽監督に就任することが双方から発表された。楽団のメンバーから多くの手紙や署名が届けられ、決心に至ったという。任期は2010年から5年間となるが、就任前に事実上の活動(スポンサー対応やオーディションなど)を開始することがアナウンスされている。またこれに伴いニューヨーク・フィルからは非公式ながら絶縁状が届いた。このニュースは予定通りとしつつも世界を驚かせた。シカゴ交響楽団はスカラ辞任直後のムーティに猛アタックを掛け、客演を要請していた。客演後はヨーロッパツアーを率いるなど大切な業務を次々と依頼した。その過程から「次期音楽監督か」と憶測が飛び交ったが、近年のムーティの音楽スタイルとシカゴ交響楽団の性質は極端にかけ離れるため、意外と受け取られることもある。この両極がどんな化学反応を起こすか期待される。なおシカゴ交響楽団の歴代音楽監督に厳しい視線を送っていたシカゴ・トリビューン紙の支持を得ている唯一の音楽監督である。
アバドがパイオニアとして乗り込んだ地域(オーケストラ)の後任としてムーティが乗り込み、成功を収める例が多く、その他でも何かと因縁で切っても切れない様相を呈す(スカラ座・ウィーン・ベルリン・ロンドン・シカゴ・ニューヨークなど)。
仕事相手に対するこだわり、慣習の拒否、同じプログラムばかり用いることなどから一部の聴衆からは拒絶されている。スカラ座では「カラスの亡霊」と呼ばれるブーイング集団を場外に追いやったり、ウィーン・フィルからお気に入りの奏者を引き抜いてスカラへ入団させたり、カラス以来の禁じ手とされてきた「椿姫」を敢行したりした。椿姫上演の際にオーケストラのストライキが発生すると、一人でピアノを弾いてまで強引に上演させた逸話を持つ。
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