読み込み中...宮崎県(みやざきけん)は日本列島を構成する島、九州の南東部に位置する日本の県。県庁所在地は宮崎市。県木フェニックスに代表される南国情緒豊かな気候から、1960年代には日南地区を中心に新婚旅行のメッカとして栄えた。現在も春季のプロ野球などのキャンプ地として知られる。
九州の東南端を占め、東経130度42分から131度53分、北緯31度21分から32度50分の間に位置する。
| 2007年のデータ | 宮崎 | 油津 | 都城 | 延岡 | 高千穂 |
| 平均気温(℃) | 18.1 | 18.9 | 17.3 | 17.3 | 14.5 |
| 降水量(mm) | 2464.5 | 2788.5 | 2249.5 | 2429.5 | 2152.0 |
| 日照時間(時間) | 2247.4 | 2080.8 | 2077.4 | 2202.3 | 1898.8 |
『古事記』に「竺紫(つくし)の日向の高千穂のくじふる嶺に天降りまさしめき」とあり、天照大神の孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が降り立った国。この神の曾孫のカミヤマトイワレヒコノミコトが初代の天皇、つまり神武天皇である。
1883年5月9日、日向国のうち志布志郷・松山郷・大崎郷を除いた地域をもって宮崎県が置県されたが、このことを特に宮崎県再置『宮崎県大百科事典』(宮崎日日新聞社、1983年)など。という。なお、同日に富山県・佐賀県も再置されている。
分県運動は「鹿児島県所属のままでは、日向国の発展は望まれない」との認識を背景に興り、1880年に徳島県が高知県から分離したことで活発になる。旧薩摩藩領であった都城が「表立っての賛成はできないが、運動には反対しない」との立場を採ったことは、分県運動を進める上でプラスに働くこととなった。
1882年に宮崎県再置の案が鹿児島県会に提出されたがこのときは否決。川越進が県議長となった後、1883年3月の県議会で再度案は提出され可決し、5月9日に太政官達示により宮崎県再置が成立した県議会のあゆみ 鹿児島県議会公式ウェブサイト内。。
江戸時代の日向国は複数の藩(延岡藩・高鍋藩・飫肥藩・薩摩藩・佐土原藩)が分立していた。このため住民の「日向国」としての意識は従来希薄であり、分県運動は日向国として一体となって行動した初めての出来事でもあった。
与党会派は自民党系無所属を中心とする保守系会派「愛みやざき」。東国原自身は対立候補だった持永哲志を副知事として迎えようとしたり、自民党宮崎県連の集会で協力・協調を表明するなど、自民・公明も与党として組み入れている。
県民所得に占める第1次産業の比率が国内で最も高い(5.6% 全国平均は1.2%)。
全国的に行われている市町村合併による新規市制の発足に於いて、新しい名称の市が誕生しなかった数少ない都府県(他に東京都、大阪府、神奈川県、山形県、鳥取県)のひとつである。
以上の路線は全区間単線となっており、徳島県と並んで単線のみの県となっている。ただし、徳島県の佐古駅〜徳島駅間は単線並列区間であるため、広義での複線区間がない県は宮崎県のみである。
宮崎県は九州で最も道路改良率の低い県となっている「」『みやざきの道路2008』 宮崎県県土整備部、1頁。。高規格幹線道路の供用率は42パーセント(2008年4月時点)で、これも九州平均(64パーセント)を下回る「」『みやざきの道路2008』 9-10頁。。
県は195の県道を指定しており、そのうち48路線が主要地方道(路線番号が1から54)、147路線が一般県道(路線番号が101から454)である「」『みやざきの道路2008』 15-16頁。。改良率は56.1パーセント。
路線名については宮崎県の県道一覧を参照。
1960年7月のNHK宮崎放送局開局までの宮崎市内においては鹿児島局を、鹿児島局開局以前は広島局を電離層反射を利用して受信していた『宮崎放送三十年史』より。。五ヶ瀬町や椎葉村では熊本局が視聴されていた『五ヶ瀬町史』(1981年)及び『椎葉村史』(1994年)より。いずれも周縁地域であったため受信は困難であった。五ヶ瀬町では「熊本県知事の名前は知っていても、宮崎県知事の名前は知らない」時期がしばらく続いた。椎葉村では西部で直接受信されており、中心部の上椎葉では1959年に熊本放送を受信するための共同受信組合が設立された。。五ヶ瀬町の事情については五ヶ瀬中継局を参照。
宮崎県のテレビ事情は全国でも一、二を争うほど悪いとされており、宮崎県を放送対象地域とする民放テレビはフジテレビ系列がメインのテレビ宮崎 (UMK) とTBS系列の宮崎放送 (MRT) 2局のみである。民放が2局しかない県は他に福井県と山梨県があるが、これらの県については、越境受信、共聴設備、ケーブルテレビで隣県の放送局が視聴可能な地域が大半である。民放が2つしかないため、テレビをつけているときは、視聴中でない方の局を「裏」または「反対」と呼ぶ『宮崎日日新聞』2006年1月1日。。
えびの市・都城市・串間市・三股町などの各一部では鹿児島の民放が宮崎日日新聞の番組表を参照。えびの市は吉松中継局、都城市は末吉中継局、串間市と三股町は鹿屋中継局のチャンネルが掲載されている。、五ヶ瀬町などの一部では熊本の民放が視聴できる『五ヶ瀬町史』(1981年)による。宮崎日日新聞の番組表にはケーブルテレビで再送信されていないテレビ熊本が掲載されている。が、大分や四国の民放が視聴できる地域はごく一部で、県内の大半の地域はケーブルテレビ (CATV) に加入しなければ、NHKの他、県内の民放2局しか視聴できない。しかし、ケーブルテレビに加入しても九州他県のフジテレビ・TBS系列の再送信が基本的には行われていないため、視聴することができないフジテレビ系列の全国ネット番組が多く存在する。また、民間放送局が2局以下の県の中ではケーブルテレビの普及率が最も低く 総務省、2007年10月5日。有線放送による放送の再送信に関する研究会第1回の配布資料。、宮崎民放2局しか見られない地域が多く存在する 九州総合通信局。。このため、衛星放送加入率が高く 衛星テレビ広告協議会(公式サイト)。ただし、ケーブルテレビ・IP放送の合算。『朝日新聞』 1997年10月26日宮崎版。1997年9月末時点でパーフェクTV!(現・スカパー!)の加入率が2.09%で1位(2位は福井県で1.69%)であり、NHK-BSやWOWOWの加入率も上位に位置していると記事にある。、また、ビデオリサーチによる通常の視聴率調査が行なわれていない都道府県のひとつとなっている(他に福井県、山梨県、徳島県、佐賀県)。なお、視聴率調査が行われた際の視聴率はキー局よりも高い傾向にある一例として、『世界まるごとHOWマッチ!!』の関東地区での番組最高視聴率は33.8%である(クイズ・ゲーム)のに対し、宮崎地区においては1985年2月の調査(宮崎放送三十年史を参照)で47.9%。ただし、宮崎地区における数値は番組最高視聴率とは限らない。。
逆に、親局がある鰐塚山は標高が1,119メートルと送信条件が良好であることから宮崎県外(特に鹿児島県の大隅地方)でも受信が容易であり、宮崎で遅れネットで放映されている番組を「再放送」感覚で視聴するために受信されている。
2011年を予定している「地上波放送の完全デジタル化」まではテレビ局の新規開局が不可能とされている(2011年問題 (日本のテレビジョン放送)#新規地上アナログ放送局開局が困難を参照)が、1990年代前半には民放第3局目の設置構想があり、東国原知事もマニフェストにテレビ局の増設を載せている東国原英夫のマニフェスト。
1990年に民放第3局の割り当て(宮崎21ch)がなされ約400件の免許申請があった『朝日新聞』 1997年8月8日、宮崎版。。その中でも日本テレビは沖縄とともに放送局設置計画を掲げていた(沖縄については南西放送を参照)が、バブル景気崩壊後の不況による影響や衛星放送へ資金を注入する必要があったことから、1993年4月までに「番組は無償で提供するが、開局支援はせずネット補償金は一切与えない(スポンサーを自ら探さなければならないことを意味する)」としてキー局としての宮崎への進出を断念した『宮崎日日新聞』 1993年4月21日1頁。『朝日新聞』 1993年4月21日夕刊8頁、西部本社版。。第3局の設置構想は暗礁に乗り上げたかたちとなり、2000年9月6日には電波割り当てが取り消された宮崎県における一般放送事業者のテレビジョン放送用周波数の変更 郵政省(当時)、2000年9月6日。(宮崎新局用地は駐車場に変更している)。
東国原知事はマニフェストの一つにテレビ局の増設を載せているが、必ずしも地上波民放のことではなく、インターネット・テレビのようなものもイメージしているとのこと【宮崎県知事 ソフトバンク ビジネス+IT、2008年3月27日。。早稲田大学マニフェスト研究所はこのマニフェストを「かなり遅れている、または方針転換」にあたるC評価(A・B・Cの3段階で最低)と判断している早大研究所、知事マニフェスト84点 宮崎日日新聞、2009年1月19日。ウェブ上では公開されていない部分で「テレビ局の増設」がC評価であることが記載されている。。
地上デジタルテレビジョン放送は2006年12月に鰐塚山親局から本放送を開始し、2008年7月にはすべての市で視聴可能となった。今後は山間部を中心に中継局整備が進められる。こちらもアナログ放送同様宮崎県外、特に鹿児島県の大隅地方でも視聴は可能である。
宮崎県内のテレビ局は鰐塚山に親局となる送信所を設置しており、県内の7割以上をカバーしている。鰐塚山からの電波が届きにくい地域には約50の中継局が設置されているが、送信出力や重要性に基づき中継局ごとに分類がなされている。プラン局以外(微小局の大部分とミニサテライト局)は地元自治体が建設費の一部を負担しており(これを宮崎方式と呼称する)山間部の一部でも直接受信することができる。中継局のない地域では共同受信設備を各々で設置しており、特に西米良村ではほぼ全域で共同受信設備を利用している。
プラン局(地上デジタル放送の置局計画では大規模中継局)と呼ばれる中継局は、中継局の設置によりカバーエリアの大幅な拡大が見込めることから、基本的に放送局ごとが単独で設置している(地上デジタル放送では一部は共建となる)。宮崎県内では延岡・高千穂・串間・飯野(えびの市)が該当し、放送局によっては日向・青島・日之影も追加される。
微小局はアナログ放送における送信出力が10W以下、0.5W以上の中継局を指し、難視聴地域のうち数百世帯をカバーする。日向・真幸(まさき)は当初微小局に分類される中継局であったが、地上デジタル放送では重要中継局とされ、大規模中継局とほぼ同等の扱いとされた。
ミニサテライト局はアナログ放送における送信出力が0.1Wの中継局を指し、数十世帯をカバーする。宮崎県内では美々津に最初に設置され、その後20ほどの中継局が設置された。地上デジタル放送においては一部の中継局は設置されない。
宮崎方式とは、中継局の設置費用の一部を受益者となる地元自治体が負担することをいう。
民間放送局としてはプラン局の設置だけで県内カバー率はほぼ100パーセントとなることから、山間部への中継局設置は費用対効果が見込めないものであった。これが設置の方向となったのは1973年に入郷地区(現在の美郷町・日向市東郷町・諸塚村・椎葉村)の自治体が設置費用の一部の負担を放送局側に申し入れたことによる。これにより入郷・日向西郷・東郷(1973年度)、北諸塚・南諸塚・椎葉(1974年度)に中継局が設置された。以後宮崎県内で設置された中継局に対しては基本的にこの方式が採用されている。
宮崎県におけるケーブルテレビは情報格差の是正(不足している系列局の補充)が主目的である。
デジタル放送における区域外再送信はケーブルメディアワイワイと宮崎ケーブルテレビ、BTVケーブルテレビで開始している『宮崎日日新聞』 2008年8月6日7面。。
宮崎市にはもう一局コミュニティFM局・宮崎シティエフエム (City FM77) があったが、2005年10月31日をもって閉局された。
ラジオ事情はテレビと比べてそれほど悪くなく、特にエフエム宮崎は1984年12月に開局(九州で3番目)と比較的早いほうであった。ただ、宮崎県におけるAMラジオ局の開局は当初動きがなく、MRTラジオが開局したのは鹿児島県の南日本放送の宮崎進出を阻止するためであった。
AMラジオは諸県方面では南日本放送が、高千穂・えびの方面では熊本放送が、延岡方面では大分放送・南海放送・高知放送がそれぞれ聴取可能である。また沿岸部では、昼間から大阪の朝日放送がステレオ放送で聴取でき(毎日放送・ラジオ大阪は感度が落ちる)、北部では山口放送が若干弱めながらも聴取することができる。
FMラジオはAMほど多くの局は聴取できないが、諸県方面及び宮崎市の一部でエフエム鹿児島(主に鹿屋中継局の79.0MHz)が聴取できる。ただし、宮崎市・清武町内は、宮崎ケーブルテレビがエフエム宮崎を79.0MHzで再送信していることによる混信がある。例外的にえびの高原では熊本県・長崎県のFM局が、更には九州国際エフエムが聴取できる。
また、ラジオ放送もテレビと同じく県外での聴取が可能であり、鹿児島県の地方紙・南日本新聞ではMRTラジオとエフエム宮崎の番組欄が掲載されている。