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宮崎市

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

宮崎市(みやざきし)は、宮崎県のほぼ中央にある都市で同県の県庁所在地である。

中核市に指定されている。

地理

thumb thumb 宮崎平野の南端に位置し、中央を大淀川が流れ、日向灘に注いでいる。南部が鰐塚山地の一部で山深い以外は、主に市街地となっている沖積平野と、洪積台地が大半を占める。

気候

年平均気温は18℃前後。年降水量はたいてい2,000mmを超えており、年によっては3,000mmを超えることもあるなど、極めて多い水準にある。また日照時間も年間2,000時間を割り込むことはほとんどない。平均気温・年降水量・年日照時間いずれも県庁所在地では第3位である。全体的に、九州以外の住人が一般的にイメージする「九州の気候」に最もよく当てはまる気候と言える。宮崎市の気象台では霜の観測はあるが、青島以南の沿岸部は無霜地帯である。

3月中旬から4月にかけてはすっきりしない天気が続く。天気は変わりやすく、低気圧が日本海を通過すると気温が上がり、フェーン現象で季節外れの高温になり、夏日や30℃近くまでになる。
5月下旬から7月上旬にかけて梅雨となり、梅雨末期は特に大きな被害をもたらすことがある。盛夏は海の方向である東からの季節風のため九州の他都市と比較して気温は上がりにくく、福岡市とほぼ変わらない平均気温である。なお、都市化が顕著でないため熱帯夜も多くない。
9月前半の残暑に続いて台風の襲来する季節となる。梅雨に匹敵する雨のシーズンで、台風がはるか南にある段階から湿った東風で強い雨が続くのは宮崎特有の現象。11月は爽やかな秋晴れとなる。

西風の強い乾燥した晴れが多い。九州各地(鹿児島市など九州南部も含む)が雪に見舞われた時でも宮崎市のみは晴れている時が多い(九州山地の影響で雪雲が来ない)。冬のは、降雪そのもの観測しない年もあり、積雪は非常に稀で1961年以降で1cm以上の積雪を観測した回数は4回のみである。記録的な寒波に見舞われた2005年12月22日に1cmの積雪を観測したが、1cm以上の積雪は約19年ぶりで、12月の積雪は60年ぶりのことであった。日中は暖かい一方で、特に冬型が緩んだ翌朝は放射冷却で最低気温が氷点下になることがある。春が近い晩冬では曇りや雨が目立ってくる。

市街地

thumb(国道220号)]] thumb(県道25号)]]

の古くからの市街地で城ヶ崎(じょうがさき)と隣接する中村と、の小さな街の花ヶ島(はながしま)・江平(えひら)が、その中間に位置する県庁の置かれた上別府村の市街化によって繋がり、南北に細長い連続した市街地となった。この最初の市域を核として市街地が拡大した。さらに1960年代からは平和が丘を皮切りに市街地を弧状に取り囲むようにニュータウンが次々と開発され、人口増加の受け皿となった。現在、市街地は実質的に清武町の加納(かのう)地区と一体化している。

隣接している自治体

歴史

室町時代1551年(天文20年)、太田七郎左衛門忠延が大淀川の右岸の河口付近にある城ヶ崎という地域に町を開いた。この城ヶ崎は赤江港を控えた商人の町として上方との交易が行われ、俳句などの町人文化が発達し、江戸時代が終わるまで繁栄した。それ以外の地域は農村であり、各藩の飛び地や天領が複雑に入り組んだ辺境の地であった。

明治時代に美々津(みみつ)県と都城(みやこのじょう)県の合併で宮崎県が誕生し、その後合併され鹿児島県となった。しかし、1877年明治10年)の西南戦争が勃発して薩摩士族西郷隆盛一派が敗れると、分県運動が起こり鹿児島県と宮崎県に分割され、また、同時に政策で主に四国から移住してきた人たちが現在の繁華街の基礎を造り、県庁が置かれると急速に発展し始めた。

近現代

  • 1873年1月15日 美々津県都城県が合併し宮崎県が発足。県庁が現在の地(当時の宮崎郡上別府村)に置かれた
  • 1876年8月21日 宮崎県が鹿児島県に合併される
  • 1883年5月9日 鹿児島県と宮崎県に分割され再置県が行なわれる。
  • 1889年5月1日 町村制施行により現在の市域となる次の町村が発足
    • 宮崎郡 - 宮崎町・大淀村・大宮村・生目(いきめ)村・瓜生野(うりゅうの)村・田野村
    • 北那珂郡 - 赤江村・檍(あおき)村・木花村・青島村・住吉村・佐土原村・広瀬村・那珂村
    • 東諸県郡 - 倉岡村・高岡村・穆佐(むかさ)村
  • 1896年4月1日 佐土原村が町制施行(同時に北那珂郡は宮崎郡に編入)
  • 1916年2月11日 大淀村が町制施行
  • 1920年4月1日 高岡村が町制施行
  • 1924年4月1日 宮崎町・大淀町・大宮村が合体し、市制施行
  • 1926年4月1日 赤江村が町制施行
  • 1932年4月20日 檍村を編入
  • 1943年4月1日 赤江町を編入
  • 1950年5月3日 田野村が町制施行
  • 1951年3月25日 瓜生野村・木花村・青島村・倉岡村を編入
  • 1951年4月1日 広瀬村が町制施行
  • 1955年3月10日 高岡町が西諸県郡野尻町大字紙屋の瀬越地区を編入
  • 1955年4月1日 佐土原町・那珂村が合体し佐土原町に
  • 1955年4月1日 高岡町・穆佐村が合併し高岡町に
  • 1957年10月1日 住吉村を編入
  • 1958年4月1日 佐土原町・広瀬町が合体し佐土原町に
  • 1963年4月1日 生目村を編入
  • 1998年4月1日 中核市に指定される
  • 2005年2月18日 佐土原町が児湯郡新富町大字下富田の二ツ立地区を編入
  • 2006年1月1日 田野町佐土原町高岡町を編入

行政

歴代市長

1大迫元繁1924年8月28日1927年10月21日
2・3川越壮介1927年12月20日1935年2月26日
4柿原政一郎1935年7月11日1937年6月7日
5根井久吾1937年6月7日1940年12月29日
6青木善祐1941年1月21日1945年1月20日
7和田一次1945年2月2日1945年6月27日
8萱嶋高1945年6月29日1945年12月8日
9二見甚郷1945年12月10日1947年3月26日
10 - 11荒川岩吉1947年4月6日1955年4月22日
12 - 14有馬美利1955年4月30日1966年7月4日
15 - 17清山芳雄1966年8月21日1978年8月20日
18中村隆則1978年8月21日1982年8月20日
19 - 21長友貞藏1982年8月21日1994年1月10日
22 - 25津村重光1994年2月6日(現職)

行政機構

  • 市長事務部局
  • * 助役(2人) - 企画部、総務部、財務部、市民部、環境部、福祉部(福祉事務所)、健康管理部(保健所)、農政部、観光商工部、建設部、都市整備部
  • * 佐土原区域担当助役 - 佐土原総合支所
  • * 田野区域担当助役 - 田野総合支所
  • * 高岡区域担当助役 - 高岡総合支所
  • * 収入役 - 出納室
  • 議会 - 事務局
  • 選挙管理委員会 - 事務局
  • 監査委員 - 事務局
  • 農業委員会 - 事務局
  • 公平委員会
  • 教育委員会 - 教育局
  • 上下水道事業管理者 - 上下水道局 - 管理部、事業部
  • 消防長 - 消防局

議会

  • 議長:日高義幸(2007年7月11日時点)
  • 定数:46人
  • 会派構成:市政同志会 - 11人、政新会 - 8人、公明党 - 6人、市民クラブ - 5人、政友会 - 5人、社民党 - 4人、日本共産党 - 3人、市政みやざき - 1人、眞政会 - 1人、地域力ネットワーク - 1人、広sei海 - 1人。

広域行政

宮崎東諸県広域市町村圏協議会
  • 宮崎市消防局(宮崎市・清武町国富町綾町
  • * 宮崎北消防署 - 大淀川以北
  • * 宮崎南消防署 - 大淀川以南
  • 宮崎公立大学事務組合(宮崎公立大学)
  • 宮崎市夜間急病センター
  • 宮崎市総合発達支援センター - 全県で評判の様々な障害を持った幼児のための医療・養育施設
  • 宮崎市葬祭センター

警察

市町村合併

2006年1月1日に田野町・佐土原町・高岡町を編入し、各町には編入と同時に合併特例区が設置された。合併特例区は5年後地域自治区に移行する。またそれ以外の地域でも2006年1月1日から、旧町村あるいは中学校の校区を基本にして地域自治区が設置された。

合併特例区
地域自治区

国の行政機関

宮崎地方検察庁
福岡法務局 宮崎地方法務局
矯正局 宮崎刑務所
九州財務局 宮崎財務事務所
熊本国税局 宮崎税務署
九州農政局 宮崎農政事務所
地方整備局 宮崎河川国道事務所
地方整備局 宮崎港湾・空港整備事務所
自衛隊宮崎地方協力本部

裁判所

経済

産業

第一次産業

赤江、木花、住吉、瓜生野地区を中心にトマトピーマンキュウリをはじめとする促成栽培が盛ん。マンゴーも名物の一つになっている。青島地区では漁業が中心。

第二次産業

宮崎東諸地域は宮崎SUNテクノポリス圏域に指定されているものの、メインは清武町・国富町・旧佐土原町で、印刷業を除き宮崎市においては大規模な工業は行われていない。産業構成は第二次産業の占める割合が極端に小さいのが特徴。

第三次産業

市と周辺地域による小売業とともに、大都市からの交通の便が悪いことから卸売業も発達している。また観光都市であるためにサービス業も大きなウエイトを占める。近年は情報産業を積極的に誘致している。

主な商業施設

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産業人口(2005年国勢調査

市内に本社のある主な企業


姉妹都市・提携都市

国内

海外

地域

人口

健康

  • 平均年齢(2000年国勢調査) - 40.1歳

教育

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宮崎学園都市開発整備事業により、宮崎大学は附属幼・小・中を除き1984年〜1988年にかけて霧島・船塚の旧キャンパスから順次市南部の木花台に移転した。木花から清武町にかけては高等教育機関が集中し新しい文教地区が形成されている。宮崎大学の旧キャンパスには宮崎県立図書館宮崎県立美術館宮崎県立芸術劇場(以上旧農学部跡地・宮崎県総合文化公園)、宮崎公立大学(旧教育学部跡地)・南九州大学宮崎キャンパス(旧農学部跡地)が新たに立地し、こちらも伝統をつぐ文教地区として恥じぬものとなった。

中等教育については、2003年から県立高校の普通科合同選抜が廃止され、市内の普通科高校を自由に志望することが可能となった。伝統的に公立高校が強い風土であるが、県内の私立の中高一貫校の台頭や県外の有名私立高校へ頭脳の流出が続いており、その対策として2007年宮崎県立宮崎西高等学校に付属中学を併設した。

大学・短期大学

高等学校

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公立
私立

専門学校・専修学校

中学校

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国立
県立
市立

私立

小学校

46校

学校教育以外の教育訓練施設

社会教育

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文化施設
体育施設

交通

空港

鉄道

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バス

路線バス

thumbとなる宮交シティ]]

宮崎交通が市内および近隣市町村の路線バスを一手に受け持っている。かつてはJR九州バスの路線があったが現在では廃止され、宮崎交通に譲渡されている。

高速バス

廃止した路線

道路

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市の道路網の特徴として、大淀川が市街地を分断する形で流れており、交通路が限られてしまうため、その橋の周辺では渋滞が頻繁に発生する。特に大淀川を渡って市街地に入り込む市街地を通過するだけの交通を減少させるべく、内環状線外環状線が整備中である。

高速道路
地域高規格道路
一般国道
都道府県道主要地方道のみ)
道の駅

航路

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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宮崎市を舞台にした作品

宮崎市出身の有名人

芸能

スポーツ

その他

宮崎市在住の有名人

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外部リンク

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