読み込み中...橋下 徹(はしもと とおる、1969年6月29日 - )は、日本の政治家、弁護士、タレント。大阪府知事(第52代)。橋下綜合法律事務所代表。
東京都渋谷区幡ヶ谷生まれ。小学校5年生の時に大阪市東淀川区東中島に転居。中学3年生の時に母親が再婚 『徹子の部屋』2006年10月2日放送。大阪市立中島中学校を経て大阪府立北野高等学校卒業。高校時代の同級生には現自民党衆議院議員の川条志嘉がいる中学時代は仲間と共に川条をいじめて川条が転校したというエピソードを『たかじんのそこまで言って委員会』で紹介したが、川条にはいじめられた記憶がなく、2007年12月、川条から電話で問いただされた橋下は、「作ってました。申し訳ございません。」と謝罪している(38歳知事<上> メディア利用 計算ずく? 読売新聞 2008年1月28日)。高校では偶然、再び一緒になった。。中学・高校時代はラグビー部に所属ラグビー部に入部したのは当時放送されていた人気テレビドラマ『スクール☆ウォーズ』に影響されたからである。もう一つの理由は転校した中学校が不良の多い学校であったため、どうしたら自分を守れるかと考えた末、校内で一番強いグループであったラグビー部の番長の下につけば安心と考えたからだという。。北野高校3年時には、第67回全国高等学校ラグビーフットボール大会大阪予選を勝ち抜き全国大会に出場。3回戦で伏見工と対戦し敗退(この試合は、近畿勢同士の対戦、かつ進学校VS名門校の対戦ということで話題を呼んだ。しかもこの試合が1988年(昭和63年)の元旦だったため、会場の近鉄花園ラグビー場が満員札止めになってしまい、同会場の客席改装に至ったとのことである)。後に高校日本代表候補に選ばれ東西対抗にも出場する。
高校での成績は進級が危ぶまれるほどだった。現役時代は早稲田大学の2学部を受験するも失敗。1年間の浪人生活を経て、再び早稲田大学5学部を受験。5学部全てに合格した中で、政治経済学部経済学科に入学。大学時代には家庭教師の派遣業を行っていた他、革ジャンの卸売業傷物の革ジャンを安く仕入れ、その傷を蝋を塗って隠し、高額で売っていたといい、橋下自身、「ちょっと詐欺みたいなものなんですけども」と『徹子の部屋』で語っている。に携わっていた。その仕事上の契約で200万円の不渡り手形をつかまされ、それまでの貯金を失う。この時、手形法などを勉強し、訴訟を起こしたことがきっかけとなり、弁護士を志す。
早大を卒業した1994年に司法試験に合格。2年間の司法修習で法曹資格を得、1997年に大阪弁護士会に弁護士登録。大阪市内にある樺島法律事務所に1年間勤務。1998年、弁護士2年目という異例の早さで『週刊文春』(2006年6月15日号)大阪市内に「橋下綜合法律事務所」を設立する。示談交渉による解決を看板にする。弁護士としては珍しい飛び込み営業なども行い顧客を集め『いつみても波瀾万丈』 2005年1月30日放送、年間400〜500もの案件を手がける。開業から1年足らずで大手保険会社と顧問弁護士契約を結ぶ。弁護士としての主な担当業務は企業コンプライアンス、M&A、エンターテイメント法、スポーツビジネスなど。尚、2008年2月6日に大阪府知事に就任と同時に弁護士業を休業した為、法律事務所の運営は事務所を法人化した上で所属の別の弁護士が行っている。
芸能事務所タイタンと業務提携し、自身のタレントとしてのマネージメントを委託している。また、同社の顧問弁護士を務めていた。
2007年12月12日、大阪府知事選挙に出馬することを表明。2008年1月27日投開票の大阪府知事選挙で183万2857票を獲得し当選。同年2月6日に大阪府知事に就任。現在は豊中市に在住。
『行列のできる法律相談所』で島田紳助が韓国の俳優ペ・ヨンジュンに似ていると指摘したことが広まり、「法曹界のヨン様」「弁護士界のヨン様」と呼ばれることもあるが、本人は「似てない」と否定している。しかし『謎を解け!まさかのミステリー』ではマフラーを巻いて物真似をしたこともある。本人もまんざらではない。オロナミンCのCMでは、ペ・ヨンジュンのギャラが高い為、橋下になった経緯もある。また、『週刊文春』の調査で、女性30-50代が選ぶ「テレビ出演しているイケメン文化人ランキング」で堂々の1位に輝き、日本テレビ『行列のできる法律相談所』では「茶髪の風雲児」と称されている。
同じタイタン所属の山中秀樹(元フジテレビアナウンサー)とは「山ちゃん」「ハッシー」という仲である(爆笑問題の田中裕二から「気持ち悪い」と言われたことがある)。
好きな音楽はORANGE RANGEの「花」(小説『いま、会いにゆきます』に感動したといい、この曲がこの小説の世界観と大変マッチしていて、聞くと号泣してしまうほどだという)讀賣テレビ放送『たかじんのそこまで言って委員会』より。
巨人ファンである。
時間に対してとても厳しいらしく、『週刊女性』で小説家岩井志麻子との対談の企画があったが、岩井が15分程遅刻したため、対談を拒否した。このため橋下の代わりに徳光正行が岩井と対談を行った2007年12月13日放送分の『5時に夢中』での岩井の発言より。 。
小学校4年生まで東京で育ち、5年生から大阪に引っ越す。成長が早く、大阪に引っ越した時には体が大きく髭も濃く、小学校5年生の時のクリスマスプレゼントが電気カミソリだった。
1999年から2004年まで消費者金融大手「アイフル」の子会社である商工ローン企業「シティズ」の顧問弁護士であった『週刊新潮』2008年1月17日号より。また、「シティズ」はグレーゾーン金利(29%〜40%)問題で裁判を起こされているhttp://www.shomin-law.com/shakkinSC20060113.html。橋下はこの時代を含め、「(担当した裁判は)8年間負け知らずだった」と語っている『たかじんのそこまで言って委員会』2006年4月23日放送などでの発言。。
大阪で弁護士活動をしている中、高校時代の先輩からラジオの代理出演を依頼され、出演。偶然その時の放送を聞いていた朝日放送のプロデューサーから出演依頼を受け、朝日放送『ワイドABCDE〜す』にジャーナリストの大谷昭宏と共に出演するようになる。大谷とはその後も『スーパーモーニング』や『ムーブ!』でも共演している。同番組の火曜日に出演していたデーブ・スペクターが橋下の存在を知り、橋下が出演した放送のテープを東京に送ったことから在京キー局各社に名前が知られるようになった。
2003年4月に全国ネットの『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系列)に久保田紀昭弁護士に代わりレギュラーとなる。同年7月には関西ローカルの『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)でもレギュラーとなり、これらの番組におけるユニークな言動で全国的に知名度が上がって行った。また、同時期にデーブ・スペクターと共に TBS『サンデージャポン』にもレギュラー出演していたが、同番組における問題発言の責任を取る形で自ら降板した(詳細は#問題視された言動の節を参照)。
しばしば下ネタや、タレント・文化人を批判する発言(特に『行列のできる法律相談所』ではしばしば発言が問題になる)をする一方、ワイドショーなどでは事故・事件・時事問題について強く言及する行動も見られる。また、司法問題や法曹界全般、弁護士・裁判官の資質に至るまで幅広く批判している。 大阪に事務所があり、出演前後に公判を入れることがあるため、出演は関西ローカルの番組が多い。強気な発言で批判されることも多い。
一方、著書の中で、『僕は子供が6人いるけど、妻がいなければ子供と一緒にいるのは30分が限界かな』「まっとう勝負」P253、『まあ僕も、避妊の方法をしっかり学ばなきゃいけない立場なんだけどね。6人だもんなあ。さすがに7人目は、ちとキツイからね....』「まっとう勝負」p191と述べている。なお、子供の数6人は、執筆当時の数と思われる。尚行列の出来る法律相談所に出ていた頃、「妻の実家から子供ばかり産んで、君は避妊の方法をしらないのか」と叱られたとコメントしていた。
2007年10月7日、電子掲示板サイト『2ちゃんねる』に「橋下弁護士の一家惨殺してやる」というタイトルの殺害予告スレッドが投稿された。これに対し、橋下は法律の専門家として一般市民の言論に対してはできる限りアクションは起こしたくなかったが、内容や自分の立場や家族のことを考え、所属法律事務所、マネジメント会社、警察との協議により刑事告訴を行ったことを自身のブログで明らかにした2ちゃんねらーの方,大変残念ですが(橋下徹のLawyer’s EYE)。
2007年5月27日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』において、「あの弁護団に対してもし許せないと思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたいんですよ」、「何万何十万という形で、あの21人の弁護士の懲戒請求をたててもらいたいんですよ」と山口県の光市母子殺害事件の弁護団に懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけたこの番組は収録なので、橋下自身は「もしカットされたらもうしょうがないんですけど」と放送されない可能性もあることをわかった上で発言している。共演していた勝谷誠彦も橋下に同調し、「(懲戒請求を)出したったらええねん」と述べたが、読売テレビはそれらをカットせずに放送した。。これによりテレビやインターネットなどで、「懲戒請求書の記載の仕方」を見た人たちの懲戒請求書約7,558通(2006年度における全弁護士会に来た懲戒請求総数の6倍以上)が弁護士会に殺到することになった東京弁護士会、光母子殺害の弁護士は懲戒せず(産経ニュース 2007年11月27日 12*33)。
これに反発した弁護団のうち4人が業務を妨害されたとして、2007年9月に橋下に1人当たり300万円の損害賠償を求めて広島地裁に提訴した。橋下は「発言に違法性はない」、「懲戒請求は市民の自発的意思」、「自身のテレビでの発言と一般市民の懲戒請求の間には因果関係はない」などと反論した。
後に橋下自身は懲戒請求していなかったことが明らかになり、そのことを批判されたが、橋下はその理由について「時間と労力を費やすのを避けた」母子殺害めぐる懲戒請求発言 橋下弁護士「違法性ないと確信」争う2007年9月6日 11:49(イザ!)、「自分がべったり張り付いて懲戒請求はできなくはないが、私も家族がいるし、食わしていかねばならないので…」などと釈明した橋下弁護士と週刊朝日編集長が「懲戒請求」で激論 2007年9月10日(Jcastテレビウォッチ)。
この懲戒請求呼びかけについて、ジャーナリストの江川紹子は「請求の内容によっては、懲戒請求をされた弁護士の側から訴えられる可能性もあるという負担やリスクを説明せず、ただ”誰でも簡単に”できると、気楽なノリでしゃべっている」、「「世間」を煽っている感じさえする」などと批判刑事弁護を考える〜光市母子殺害事件をめぐって 2007年9月9日(江川紹子ジャーナル)。
同年8月6日、橋下は弁護団が開いた緊急報告集会に出席していたが、その場では「安田弁護士が最高裁の弁論を欠席したこと、これは究極の弁護方針として、弁護戦術として、これはもうもっともだと思う」などと発言していたが、翌8月7日の自身のブログにおいては、自分たちだけが正義の実現者だと思い上っているとして、「この集会はカルト集団の自慰(オナニー)集会だね。」と酷評した。また、「チンカス弁護士」、「オタク法律家」、「法律オタクのお坊ちゃん弁護士」などと述べた光市母子殺害事件弁護団緊急報告集会出席報告(1)(橋下徹のLawyer’s EYE)。
また、横浜弁護士会が懲戒請求者に対して住民票の提出を要求したことに対して、自身のブログで、「横浜弁護士会のインチキ野郎」「偽善に満ちた行為」と激しく非難馬鹿な横浜弁護士会に代わってお詫びします (橋下徹のLawyer’s EYE)。
懲戒請求自体は弁護団を懲戒するだけの事由及び信憑性が無かったとして各弁護士会で次々と却下されており、懲戒処分された弁護士は1人もいなかった。これに対し橋下は、2007年12月9日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』において、「7,000通も(懲戒)請求が出てるのに何にも意味が無いんだ」と懲戒請求制度及び弁護士会の態度に不満を洩らしている。同年12月17日、今度は反対に、市民約350人が「刑事弁護の正当性をおとしめたことは、弁護士の品位を失うべき非行だ」として、大阪弁護士会に橋下に対する懲戒処分を請求した市民ら350人、橋下弁護士の懲戒請求へ 光市事件(asahi.com 2007年12月16日08時01分閲覧)。2009年4月14日、弁護士会綱紀委員会は懲戒相当である旨議決「大阪弁護士会:橋下知事は懲戒相当 母子殺害の発言で議決」毎日.jp 2009年4月14日。
なお、2008年3月18日、広島弁護士会に請求申し立てされた7弁護士への懲戒請求は、「弁護士らの活動は職責を果たすもので、適正な刑事弁護」であるとして認められない事が正式に議決された。また、2008年10月2日、広島地裁は弁護士たちの損害賠償請求を認め、橋下に対し1人当たり200万円(合計800万円)の賠償を命じる判決をした「光母子殺害:橋下氏に賠償命令 元少年の弁護士への発言で」毎日.jp。これを受け、発言について反省している旨を述べたが、「高裁の意見も聞いてみたい」として控訴した。
また、この件を報じた『週刊文春』(2006年6月15日号)がマスメディアでは公開していなかった橋下の家族のプライバシーを明かしたことについて、取材した記者の実名を挙げ、この問題は脱税事件などの違法性を帯びた社会的な事件ではないのに家族のプライバシーを侵害したとして、『週刊文春』を「三流以下の死に体週刊誌」、「魂の欠けたジャーナリズム」と厳しく非難した三流以下の週刊文春へ(橋下徹のつぶやきダイアリー 2006年 7月 6日閲覧)。
12月12日の大阪府庁で行われた記者会見において、正式に出馬表明。
普段のラフなスタイルと打って変わって、髪は黒く、眼鏡も掛けず、スーツにネクタイ姿で現れた。二転三転した理由については、仕事の調整の手続き上であるとしている。番組で共演する評論家で友人の宮崎哲弥は「橋下がウソを付いた理由」もウソであるとし、『「番組調整が理由ではないと思います。自公推薦だけでなく、財界の支援取り付けの確認ができるまで待っていたため」であると述べている「ウソついた理由」もウソ 橋下出馬で宮崎哲弥指摘(Jcast テレビウォッチ)。
また、以前から自民党大阪府議会議員から打診があり、12月3日に立候補の正式要請を受けたこと、島田紳助ややしきたかじん、辛坊治郎からの後押しが出馬を決意するきっかけとなったとしたが、たかじんはその後「(知事選出馬への)GOサインを出したかどうかは、微妙だと思う」と語った。ただし、『たかじんのそこまで言って委員会』収録後に楽屋で出馬を説得した事実を選挙戦終了後に認めている。
公明党大阪府議団は、「核武装論など、今までの発言に支持者から反発があった」と過去の言動から「推薦」を見送り「支持」に留め、公明党本部もこれを尊重することを表明した。2008年1月7日、自民党、公明党共に党本部としての推薦・支持を見送ることを表明し、自民党は「府連推薦」、公明党は「府本部支持」とし、共に府連レベルでの支援を決定した。公明党は同年1月16日新春年賀会に橋下を招き、支持母体である創価学会を初めとする支持者らに橋下への支援を訴えた。
現在、公明党との関係は良好である。2009年1月14日の公明党府本部新春年賀会に出席した際には、「僕は強い人の力を借りて騒ぐのが得意。国に対して言いたい放題できるのは、公明党の先生方が後ろにいてくださるから」と挨拶した【橋下日記】(14日)「僕は強い人の力を借りて騒ぐのが得意」 産経新聞 2009年1月14日。
また、維新政党・新風が「同和対策予算はゼロにします」という橋下の姿勢を評価し、勝手連として支援することを表明した橋下弁護士を応援しよう 2007年12月30日(せと弘幸Blog『日本よ何処へ』)他、2008年1月7日には人材派遣会社株式会社「パソナ」グループ代表南部靖之や元経済企画庁長官堺屋太一や井手正敬・JR西日本元相談役らが橋下徹の政策に賛意を示し、勝手連を立ち上げた。
記者会見では、認証保育施設の増設、公立中学での米食給食の実施、大阪市中心部を石畳とガス灯で整備する、歩行者天国を設置するなどを主張。しかしながら、それらの政策は大阪市など大阪府以外の自治体が実施権限を持つ政策であるため、自民党府議団と会談した際に、公約となる政策を再度ちゃんと考えてくるよう資料を渡され出直しを命じられた。
大阪府立大学を名指しし、「府立大の必要性を吟味したい」と“国公立大学不要論”を展開しており、「大学経営って、160億円も使ってやることか。私は大学は私立がやるものと思っている」との見解を示した。また、府立高校の入試制度について、学業成績以外にスポーツなどでの評価を重視する、多様な入試制度プランを提唱している。
府庁改革については告示前に「府庁解体」を行うとして「ちゃぶ台をひっくり返す」「汗をかかない方は去って下さってかまいません」と発言するなど府庁職員に対して敵対姿勢を見せていたが、その後一転して府庁職員の前で話す際には「皆さん(府庁職員)の盾、サンドバッグになります。一緒にスクラムを組んでください。 」と対応を180度変えた『スポーツ報知』 2008年1月11日 。
推薦・支持している自民党と公明党は表立った支援をせず、選挙対策本部は所属事務所タイタンと高校時代のラグビー部OBを中心とし、政党色を薄めた選挙戦を展開。自民、公明の大阪選出国会議員、地方議員がいっさい応援演説をせず、著名人の応援は選挙戦終盤に参議院議員丸山和也と宮崎県知事東国原英夫程度であった。7人の子持ちであることを前面に押し出し、「子供が笑う」をキャッチフレーズに「4つのトライ」と17点の重点事業をマニフェストとして掲げた。
選挙戦中盤の1月20日には、橋下のテレビなどでの言動を問題視した300万枚もの選挙法定ビラ(対立候補の熊谷貞俊?事務所と同所在地にある団体が作成)が新聞折込広告として府内に配布された。
最終的には対立候補に80万票以上の大差を付けて当選。当選当時の都道府県知事の中で最も若い知事となった。いわゆる「タレント知事」の誕生は大阪府では横山ノック(2期を務め、途中で辞職)以来13年ぶり。弁護士出身の現職知事は愛知県知事神田真秋に次いで2人目である。公選の大阪府知事としては初の東京都出身である。38歳の公選知事は歴代3番目の若さである1番目に若い公選知事は北海道の田中敏文の35歳。2番目に若い公選知事は山口県の田中龍夫の36歳。
当選直後から各種メディアに出演。1月29日には内閣総理大臣福田康夫を表敬訪問。また、知事就任前に大阪府庁に登庁し事実上大阪府知事としての職務を始める。自民党大阪府議団の一室を借り、事実上の仮知事室として府職員と就任後の2008年当初予算の作成、政策協議を行う。
前知事が府内の全公立小学校に導入した「35人学級」について、「負担に見合う効果があるか疑問」として見直しを検討する意向を示した。また、「画一的に少人数にすればいいというものでもない。基礎ができている子の場合は、200人くらいでも授業は成立する」との見解を示している。
2008年9月6日には枚方市で開かれた日本青年会議所大阪ブロック協議会主催のフォーラムで、PTAが機能していない故の現状であり形式主義に陥っているとして「PTAを解体する」、全国学力テストの市町村別結果を公表するよう府教育委員会が市町村委員会に要請する事について「指導助言が無視されるようなら府教育委員会も解散する、小中学校課の予算は付けない」と発言。
就任3日目にNHKで生放送(関西ローカル)されたテレビ番組『かんさい特集 「新知事・市長に問う 大阪の、これから」』に出演した際の状況から、同局に対する今後のスタジオ出演には出ない旨の発言をした。
2008年2月9日、同番組に出演した橋下は、元鳥取県知事片山善博、大阪市長平松邦夫、上山信一(慶應義塾大学教授)らが出演していた討論の途中でスタジオ入りした。事前に遅れることをNHK側も承知していたことであったが、登場した橋下に司会のNHKアナウンサー藤井彩子は「ちょっと遅刻ですけども、およそ30分で遅刻して到着されました」と紹介した。橋下はこれらの言動に対して激昂 し、同日行われた記者会見で、東京での公務がある為に出演が遅れる事は依頼があった日から再三NHK側に伝えてあった事、NHK社員が公務中や移動中でも執拗に公務を切り上げて早く出演してくれと迫ってきた事、 女性司会者の言動、現場のプロデューサーやディレクター及びスタッフの挨拶が無い事などを挙げ、今後、NHKのスタジオ出演はしないと発言した(それ以外の取材は受けるという)。これに対してNHK大阪放送局広報部は、「発言は場を和ませようとしたもの、挨拶はしている」とコメント。ちなみに藤井アナウンサーは高校時代橋下の同級生である。
4月11日、総額1100億円の予算削減を行う財政再建プロジェクトチーム案を発表。この案を元に議論を進めるとし、「賽は投げられた」述べた。この案は、職員人件費の大幅削減、警察官の定数削減、私学助成金のカットや助成団体への補助金見直しを含む大胆な案で、賛否入り乱れた大きな反響があった。4月17日には、市町村への補助金カット反対を訴える市町村長との交流会で、感極まって涙を見せる一幕を見せた。
6月5日には、試案を若干見直した「大阪維新プログラム」と称した案を発表。人件費や私学助成金など固定費を375億円削減し、全体で1100億円の歳出削減を図る骨子は変わらなかった。6月20日には、職員労働組合との徹夜の団体交渉に挑んだが、組合員から時節罵声が飛ぶなど荒れた雰囲気の中、両者の主張は平行線をたどり結局決裂したまま予算提出となった。
7月1日からの臨時大阪府議会では、府側が提出した2008年度本予算が審議され、知事与党からも厳しい批判がなされたことから、予算の見直しを表明した。しかし、府議会各会派の足並みの乱れもあって結局私学助成金や人件費のカットについて18億円の小幅修正を行った案が、土壇場で賛成に回った野党民主を含む共産を除いた主要3会派で可決された。2008年7月26日読売新聞大阪版36面府庁を大阪ワールドトレードセンタービルディングへ移転する提案を出したが、条例は2009年3月議会で否決(26日。入居を見込んでいたビル側はこれにより会社更生法適用が確実となる)。直後の記者会見で「やっぱり日本は北朝鮮じゃないってことですよ。何でも思い通りに物事を進めたら独裁者になってしまう」と発言。無関係な事を喩えに挙げた行為への抗議及び生徒保護を求める要望書を朝鮮学校保護者会「大阪府オモニ会」から手交された橋下知事「日本は北朝鮮じゃない」 朝鮮学校母親ら抗議アサヒコム2009年3月30日。
府知事選出馬前に、雑誌「フライデー」に無断撮影されたことで光文社を肖像権侵害で訴えたが敗訴、控訴しない旨を明らかにし、判決が確定した。また、7月25日、橋下の肖像画を無断使用したお菓子を池田市の第3セクターが販売しようとしたのに対し、「法的措置も辞さない」とした。しかし翌日になって「盛り上がるなら使ってもらってもよいが、品質保証はできない」と述べ、肖像画使用を黙認。この騒動について、本人は池田市長との出来レースだったと述べている。
関西国際空港活性化の要望をするために出向いた際、記者団に関西三空港についてのあり方について「伊丹空港の廃止も含めて検討し、きちんと方向を出さないといけない」と述べた。しかし、その後撤回し、関空利用促進のため伊丹〜成田便の廃止を主張している。
2009年北朝鮮ミサイル発射を受けて、「大阪にも多くの北朝鮮籍の人が住んでいる。言論の自由が保障されている日本に住む北朝鮮籍の人は、北朝鮮の今の体制について厳しく批判しないといけない。国民に変える気概がなければ、国は変わらない」と述べた「北朝鮮籍の人は国の体制批判を」ミサイルで橋下知事 産経ニュース 2009.4.6。
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