読み込み中...駆逐艦(くちくかん、英語:、デストロイヤー)は、もともとの名前を水雷艇駆逐艦(トーピードボート デストロイヤー)と呼び、19世紀末に出現した艦種。すなわち、水雷艇(トーピードボート)を駆逐する艦種であった。第二次世界大戦までは魚雷を主兵装とし、駆逐艦隊は別名水雷戦隊と呼ばれていた。現在の海軍では対空・対潜能力を兼ね備えた5,000t程度の軍艦を指すことが多いが、定義は曖昧である。
ドイツ語では と呼ばれる。このためドイツの駆逐艦はZ26 のように Z xx と略される。
魚雷が実用化され、その魚雷を主兵装とする魚雷艇(水雷艇)が実用化されたのが1870年代。その20年後の日清戦争では日本の水雷艇が、軍港内に潜む清国艦隊を攻撃し戦艦定遠を撃沈した。水雷艇による魚雷攻撃は戦艦戦隊に対する深刻な脅威と見なされ、大型艦をも撃沈しうる厄介な小型高速艇を捕捉し退治する艦艇が求められた。そのためには砲力を強化した大型の水雷艇が良いと考えられ、駆逐艦(水雷艇駆逐艦)として具現化した。すなわち駆逐艦は元々侵攻型海軍(英国が代表的)における直衛艦として開発されたのである。第一号はイギリスのハヴォック(1894年、240t)で、当時の水雷艇の2倍の大きさがあり27ノットの高速を誇った。この後、十分な航洋性を持たないため近海でしか使用できない水雷艇に替わり、駆逐艦は水雷艇の役目も包含した汎用性の高い戦闘艦として進化を始める。
日露戦争では、両国とも300tクラスの駆逐艦を所有していた。駆逐艦の任務は水雷艇の撃破からさらに発展し、日本の駆逐艦はもっぱら魚雷を使ってロシア艦隊を夜襲する部隊として使われた。まずは、海戦劈頭に旅順港に停泊していたロシア海軍への夜襲が行われている。しかしながら、この攻撃は失敗に終わっている。
また、日本海海戦の5月27日夜、日本の水雷戦隊が昼間の戦闘で傷ついたロシア戦艦群を攻撃した。丁字戦法による主力艦同士の打撃もさることながら、この駆逐艦による攻撃が多くの戦艦を葬ったのである。これは秋山真之の考えた七段構えの戦法の一部であり、駆逐艦の攻撃によって敵主力を削ぎ落とし主力艦同士の戦いを有利に運ぶための策であった。この戦法は後に発展してこれに潜水艦も加えた漸減邀撃作戦となった。駆逐艦の重要性は増大し、主力艦に肉薄して攻撃を行うことが恒常的に期待されるようになり、日本はこの戦い以降駆逐艦とその主兵器である魚雷の強化に尽力するようになった。一方、ロシアの駆逐艦(当時は水雷艇などと呼ばれた)の活動は不活発であった。日本海軍は来るべき海戦に備えて初代神風型駆逐艦を建造したが、日本海海戦には間に合わなかった。
対するロシア帝国は、露土戦争で世界最初の水雷艇(水雷カッター)による奇襲作戦を成功させた国家であった。ロシアはその後も水雷艇を重視しており、その発展に力を入れていた。しかし、日露戦争の時点ではロシア海軍には駆逐艦という類別は存在しなかった。ロシアで駆逐艦に相当する艦種が制定されたのは、1907年10月10日のことであった。
なお、ロシア海軍では他国海軍での駆逐艦に相当する艦艇類別を「艦隊水雷艇」()と呼んでいる。制定時、従来は「水雷艇」()に分類されたミノノーセツ(大型の水雷艇)、ミノノースカ(小型の水雷艇)、イストレビーテリ=ミノノースツェフ(水雷艇駆逐艦、たんにイストレビーテリ即ち駆逐艦とも)の内、ミノノーセツとイストレビーテリの比較的新しい艦級が、そして従来は巡洋艦に分類された水雷巡洋艦の比較的新しい艦級が「艦隊水雷艇」に編入された。ロシア語で駆逐艦は「イストレビーテリ」()と呼ぶが、これは海軍の正式な艦艇類別ではなく、1907年10月10日までは水雷艇、それ以降は艦隊水雷艇に含有されていた。
この頃の駆逐艦は高速を武器に敵艦隊に肉薄して魚雷攻撃を行い、また逆に敵の高速艦の攻撃から味方の主力部隊を守る任務を重視されていた。このため高速と航洋性の要望から速力30ノット、排水量1000t程度に大型化していた。
第一次世界大戦ではドイツが無制限潜水艦戦を行いイギリスの通商路を脅かした。イギリスは対潜水艦戦の主力として駆逐艦を大量に建造し使用した。この時、手薄となった地中海にイギリスの要請で派遣された日本海軍の第二特務艦隊も駆逐艦を中心とした編成で、輸送船の護衛を行った。
対潜作戦の初期は機雷処分に用いるような掃海索の先端に爆薬を設置して、任意に起爆するというものであったが、やがて爆雷が発明されるにつれて駆逐艦にも装備されるようになっていく。このころから駆逐艦の主要な任務に対潜作戦が加えられるようになる。
この第一次大戦以降、駆逐艦は艦隊戦のための艦隊型駆逐艦と輸送船の護衛のための護衛駆逐艦の系統に分化するようになった。護衛駆逐艦は海上輸送に重きを置くイギリスで発達していった。このような対潜艦は大量に存在する輸送船にいちいち張りつけなければならなかったため大量に建造する必要があり、必然的に艦隊型駆逐艦に比べて小型のものとなった。
各国は大戦後しばらく第一次大戦型駆逐艦の建造を続けていた。しかし1920年代になると主要国は新しい航洋駆逐艦として1,500t以上で速力も35ノットの艦を建造し始めた。日本の特型駆逐艦(1,850t、35ノット、12.7cm砲6門、61cm魚雷発射管9門)はその代表例である。特型駆逐艦就役以降、各国で大型、重武装の駆逐艦が建造されるようになった。例としてはトライバル級駆逐艦やポーター級駆逐艦があるが、中でもフランス海軍は大型駆逐艦だけで戦隊を組む特異な戦略を選択し、通商破壊艦と共に大洋を駆ける戦力として多く整備した。海軍軍縮条約(ロンドン軍縮条約など)の発効にともなって駆逐艦の建造数と排水量は他の軍艦同様削減されることになった。
この時期に建造された駆逐艦は条約型駆逐艦と呼ばれる。欧米各国に比べて低い駆逐艦保有率を義務付けられた大日本帝国の海軍は個々の艦の性能を上げて対抗しようとした。また、600tに満たない艦は条約の制限には関係なかったためにこれ以下の排水量をもつ艦を建造し、水雷艇と称した。これには日本の千鳥型水雷艇やイタリアのスピカ級水雷艇などがあるが、速度や武装からみて、ほとんど駆逐艦の如きものである。
また、駆逐艦にはソナーが設置されるようになり対潜索敵能力が付与されることとなった。
第二次世界大戦では駆逐艦は対空・対潜が主任務となった。このため駆逐艦は主砲を対空砲または両用(対空・対艦両用)砲とし、多数の爆雷を搭載し、対空レーダーや対潜音響兵器が必需装備となった。
大戦中、アメリカは、4クラス340隻の艦隊型駆逐艦及び500隻を超える護衛駆逐艦を就役させ、ドイツのUボートから船団を守り、日本の航空機に対抗した。日本海軍は、日露戦争のような艦隊決戦を想定した艦艇を建造していたが、戦争末期には大量損失を補うために戦時急造型の駆逐艦(松型駆逐艦)を建造した。太平洋戦争で手を広げすぎた日本は、アメリカ軍の目を逃れて南方諸島へ物資を送るために高速の駆逐艦を利用した(下記「駆逐艦による輸送」参照)。駆逐艦同士の戦いにおいては帝国海軍が勝利を収めた例は少なくないが、駆逐艦が戦争の趨勢に関わることはなかった。
駆逐艦の対潜艦艇としての位置付けはこの戦争以降後退した。イギリス海軍は駆逐艦よりも排水量の少ない対潜艦艇であるコルベットやフリゲートを建造するようになった。これらの艦艇は魚雷を搭載しないこと除けば駆逐艦と大した変わりはなかった。
大戦後しばらくの間は、戦時中に大量建造された駆逐艦が大量に余剰となっており、新しい艦はほとんど作られなかった。その後に建造された駆逐艦は潜水艦・航空機・ミサイルの進歩に対して、充分な対潜・対空能力を有することが求められ、必然的に大型化していった。また、フリゲートやコルベットが魚雷を装備するようになり、駆逐艦との違いが曖昧となった。
今日では、駆逐艦は大排水量の汎用艦である。イージスシステムを搭載するアメリカ海軍のアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の満載排水量は8,422tに達し、過去の大日本帝国海軍の古鷹型重巡洋艦並となった。現在計画されているアメリカ海軍のズムウォルト級ミサイル駆逐艦などは更に大型化している。
なお、海上自衛隊の汎用護衛艦であるむらさめ型やたかなみ型、ミサイル護衛艦であるこんごう型やあたご型などは英語ではと表記され、駆逐艦とみなされている。
また、ソ連などの大型対潜艦などもその装備や艦の規模から駆逐艦とみなされることがある。なお、ソ連では大型対潜艦とは別に駆逐艦という艦種も定めており、ソ連崩壊前に計画された最後の駆逐艦はソヴレメンヌイ級で、艦隊防空を任務とする西側でいうミサイル駆逐艦であった。
通常、物資の輸送には低速だが大量輸送が可能な輸送船を用いる。しかし、太平洋戦争時、日本海軍は制空権を持たない戦場(主に南方の島嶼部)へ輸送を行うために駆逐艦を用いた。
これは、輸送船を用いて輸送を行うと、輸送量は多いものの、その機動性が悪く、速度も遅いため、輸送途中に敵機に発見・撃沈されてしまうためである。その点、高速な駆逐艦を用いることにより、輸送途中に敵機に発見される可能性は減少した。ただし、駆逐艦は艦体が細長く、大量の物資を運ぶことはできなかった。この輸送法は、ガダルカナル戦とニューギニア戦で多用され、特にガダルカナル戦では、陸軍が撤退するまでかなりの期間続けられた。
方法としては、日没後に敵哨戒機索敵圏内に侵入し、予め示し合わせておいた海岸に接近、駆逐艦から補給物資を詰め込んだドラム缶などを海中に投入する。あとは潮の流れで陸地に打ち寄せられたドラム缶を待機していた陸上部隊が回収するのである。そしてできうる限り、帰り際に敵基地や飛行場を砲撃し、夜間に敵哨戒機索敵圏外に脱出していた。この夜中に敵の目を盗んでコソコソ輸送することから、これを日本側は鼠輸送(ねずみ輸送)と呼んだ(米軍はと呼称した)。しかし敵に遭遇した際には魚雷を発射するために物資を破棄するなど、任務を果たせないこともあった。
日本海軍は後に駆逐艦をベースにした一等輸送艦を生み出している。一方のアメリカでも高速輸送のメリットを認め、建造中の新鋭艦や就役済の旧式艦などを改装した高速輸送艦多数を完成させ、比島攻略戦などに投入している。