読み込み中...また、世界三大夕日の都市で北海道の三大名橋幣舞橋から見る夕日は、世界三大一覧バリ島、マニラ<サントリーニ島>であるともいわれている。
北海道釧路支庁がおかれ、北海道内では札幌市・旭川市・函館市に次ぐ4番目の人口規模である山梨県の甲府市とほぼ同じ人口である。。面積は、北海道内では北見市・足寄郡足寄町に次いで3番目に広い2005年の合併の結果。。
更に詳細な歴史については、釧路市が作成・ネット公開している釧路市統合年表にて閲覧可能である。
市内を釧路川、阿寒川が流れるほか、阿寒湖、春採湖(はるとりこ)がある。旧釧路市は平地に位置するため山はほとんどなかったが、合併により北西部に旧阿寒町の雄阿寒岳などの山岳地帯を含むようになった。北東部は釧路湿原国立公園と隣接し、釧路湿原との境界ぎりぎりのところまで住宅が立ち並ぶ。
夏季は南北からの暖気と冷気がぶつかり霧が発生しやすく、最高気温が20度に満たない日も珍しくない。25度以上の夏日は年に数日〜十数日程度、30度以上の真夏日にいたっては極めて稀だが(に30.0度を記録。これは以来、平成になって初の真夏日である。)、湿度は平均的に高く、霧の日などは100%に達することもある。 冬季は積雪量が比較的少なく、晴天が多く天候は穏やか。秋季と冬季では、日照時間が道内の諸都市に比べ長い。なお、ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属する。
在来の駅前の北大通地区に対し、愛国・春採・武佐地区に生協を中心とした購買圏が出来、近年では郊外地区を中心に大型ショッピングセンターが展開している。他の地方都市と同様、中心部の商業地はラルズ、丸井今井撤退、KOMくしろ閉店で活気がない状態である。
なお、釧路市はホーマック発祥の地である。
釧路湿原国立公園、阿寒国立公園への入口であり、国土交通省の国際会議観光都市として充実した国際級のコンベンション施設を有し、国連環境会議等、数次の国際会議の開催実績がある。
しかし、水産業が輸入品によって押され、観光産業も東京や札幌など大都市から遠いことも災いして伸び悩んでいる。さらに、イオン北海道が展開するイオン釧路昭和ショッピングセンターや隣の釧路町にあるポスフールなどの郊外型商業施設に押され、中心地にあったラルズ(旧金市館)や丸井今井が撤退し、その代替施設も買手がつかない状態であり、シャッター街となってしまっている。
釧路市、白糠町全域が釧路・白糠次世代エネルギー特区に指定され、ジメチルエーテルの研究・供給拠点の集積を図っている。将来到来する国のエネルギー政策転換・民間での燃料需要変化を見込み、太平洋炭礦にて石炭の液化技術の研究が進められ、完成にこぎつけた。しかし、製造コストを計上すると石油の国際価格の安価さには及ばず、閉山までに商用化に踏み切る事はなかった。但し、この技術はジメチルエーテル開発に影響を与えている。※札幌銀行釧路支店・鳥取支店は、をもって営業を終了した。
TVhは釧路に中継局がなく、地上デジタル放送も現在開局計画はない。
北海道内の新幹線について、かつて札幌〜釧路間をも繋ぐ構想があがったことがある。
、運輸省(現国土交通省)により、国鉄(現JR)構想案も反映・包含させた新全国総合開発計画(新全総)が決定・発表される。、当時の自民党案をそっくり呑んで決議されたとも言われる鉄道建設審議会(運輸大臣の諮問機関の一つ)作成の「全国新幹線整備網」要綱では「北海道3号線(札幌〜釧路)」として盛り込まれた(完成目標時期は15年後の1985年を想定)。この要綱に対し「財源の事をまるで考慮していない」という批判が起こったため、、批判を和らげる狙いであえて故意に内容をぼかし(優先順位の低い路線の路線名記述を避ける等)曖昧にした法案が全国新幹線鉄道整備法として国会で可決された。しかし以後(同年11月以降)は同法で優先順位が高いと明記されていた5路線(東京〜札幌間を含む)ばかりが討議される事になり、このまま構想が立ち消えする様相を見せた。
再び注目され脚光を浴びたのは、に首相に就任した田中角栄が就任直前の同年6月に著しベストセラーとなった「日本列島改造論」による。同書では具体的な路線について「北海道横断新幹線(札幌〜釧路間)」と明記された。時の政権与党の有力者かつ首相であり、また同書に記した幾つかの構想を首相任期中に実行する事に只ならぬ意欲も見せており、構想が復活する期待が高まった。しかし翌年(1973年)10月16日に発生した第一次オイルショックの影響で地価や物価が急上昇し高度経済成長に陰りも見え始めたため、需要抑制および省エネルギー政策への転換が発表された。ちょうど、この時期に決定された新幹線整備計画(5路線)・新幹線基本計画(12路線)にもその影響は強く反映され、整備計画に「北海道新幹線・青森〜札幌間」、基本計画に「北海道新幹線・札幌〜旭川間」「北海道南回り新幹線・長万部〜札幌間(室蘭経由)」は残るものの、他の道内新幹線路線構想は一切外されることとなった。
翌年、政策転換の旗振り役であった福田赳夫運輸大臣との対立(結局、同大臣は職を辞して閣外に去ってしまった)のほか、同年の参議院選挙大敗による党内求心力低下や国会での金脈問題追求などにより田中が政権の座を追われる事で、同構想に潜在的な支援を期待出来そうな大物政治家を事実上失うこととなり、以後、釧路まで新幹線を延伸させる構想は官民問わず表立って浮上しなくなった。
現在、同構想は時折政治家の発言で触れられる程度となっている。、自由民主党幹事長だった武部勤(北海道新幹線早期実現推進議員連盟会長)が講演会にて「北海道新幹線の着工式が5月22日に行われる。これこそ私たちが公約を実行できるという証。札幌、旭川、網走稚内、釧路へと、新幹線を延ばし大きくいこう。21世紀は北海道の時代。」と発言。また、JR関係者が軌間可変電車を念頭に置いた発言を行ったこともある。、坂本眞一JR北海道会長が帯広市での講演会にて、軌間可変電車(フリーゲージ)技術を取り入れたフル規格北海道新幹線を道東方面(但し、この席では「帯広まで」と言うに留める)まで延伸・運行する構想を発表。帯広乗り入れを検討 - (十勝毎日新聞)]