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建築設計競技

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

建築設計競技(けんちくせっけいきょうぎ)とは、建築設計において、複数の設計者に設計案を出させ、優れたものを選ぶこと。設計コンペ、競技設計ともいう。

建造物(特に公共的な建物)の設計者を決める方法として、複数案を募集し、その中から優れた案を選定する設計競技(コンペ)が行われることがある。公平性を保つことや、能力のある新人にチャンスを与えられること、優れた建築家に依頼することができるなどのメリットがあるが、コンペの開催により費用が増大する側面もある。
誰に設計を頼むかという問題に対して、施主が指名する方式は(歴史的にも)広く見られる。例えば国王がお気に入りの建築家に設計させるものから、出入りの棟梁に自宅の改築を頼んだり、知り合いの建築士に設計を依頼したり、大小さまざまなものが見られる。また、現在の日本の公共建築の場合、複数の建築設計事務所等を対象に入札を行い、最も安い価格を提示した者に依頼する「設計入札」が行われることが多いが、日本建築家協会は建築家のプロフェッションを守る立場からダンピングだとして反対している。

コンペには、公募により行われる場合(公開コンペ)と、複数の建築家を指名しその中で競わせる場合(指名コンペ)がある。また完成した実施案として提出する前に、まず構想・コンセプトを問うアイディアコンペという形式で行われる場合もある(プロポーザル方式)。

建築史上では、ルネサンス期のイタリア・で行われた設計コンペが有名であり、後世の規範にもなった。コンペのあり方については様々な議論を呼んできたが、今日、公共的な建造物を造る際にはコンペで設計者を選ぶ方式が望ましいと考えられている。

海外のコンペ事例

日本のコンペ事例

明治末から次第に行われる機会が多くなったが、コンペでは建築家を選ぶのではなく、優れたデザインを選ぶものと考えられ、当選者が実際の設計まで担当することは少なかった。
日本における建築設計競技の初期の事例である。1912年に当時の中堅建築家による指名コンペが行われた結果、岡田信一郎案が1等当選。その後、辰野片岡建築事務所(辰野金吾片岡安)が修正を加えて実施した。この当時は設計者の著作権を尊重するという発想に乏しく、応募案から選んだものに審査員などが大きく手を加えることは普通であった。岡田信一郎は原案のみであり、実施設計には関与していない。
明治10年代から国会議事堂建設の計画が度々持ち上がったが、財政上から仮建築のままであった。日露戦争後には本建築への機運が高まり、大蔵省臨時建築部が計画を進めていたが、建築学会会長の辰野金吾らは公開コンペを要求して批判を行った。
曲折を経て1919年(大正8年)に公開コンペが行われたが、1等当選案(渡辺福三案)は大きく設計変更されて建設された(1936年竣工)。渡辺福三の一等案ほか、西欧追随的な案ばかりに対し、当時の若手建築らが建築会を組織して抗議運動を展開し、最競技の実施を決議、下田菊太郎が議会に請願書を提出し無効を訴えている。
1923年の指名コンペにより佐藤功一が1等となった。関東大震災による中断の後、佐藤が当初案から大きく設計変更を行って実施した。
1923年の公開コンペにより前田健二郎らの案が1等となった。関東大震災による中断の後、当選案は破棄され、佐藤功一はじめ早稲田大学の教授らが改めて設計を行い、実施した。
  • 明治神宮宝物殿建築意匠設計競技
大正4年に実施され、一等当選した大森喜一の案が都合によって没になり、6年後3等であった後藤慶二の案を借用、大江新太郎が実施設計を担当した。
1931年の公開コンペで渡辺仁案が1等当選。宮内省内匠寮が手を加えて実施した。要綱に、日本趣味を貴重とする東洋式と、規定があり、日本インターナショナル建築会から拒否声明文が発表され、中村鎮が批判する。
  • 神奈川県庁舎
大正14年。中村順平が応募規程を批判。398件の応募があり、一等当選案に佐野利器が手を加え、帝冠様式にならうものとした。
  • パリ万国博覧会指名競技
前川国男や吉田鉄郎らが指名されて参加したが、実施案は敷地など現地で相次ぐ条件変更が生じて、現地滞在の坂倉準三によって変更、結果博覧会の建築競技審査で一等に輝く。
  • 震災記念塔設計競技
前田健二郎の当選案を没にして、審査員の伊東忠太がまったく異なるものに改変する。
  • 大東亜建設記念造営計画設計競技
昭和17年に建築学会主催で施行される。丹下健三が一等を獲得。富士山麓に忠霊を祭る造営計画で鉄筋コンクリート造の神明造りを提案している。
  • 在バンコック日本文化会館
昭和18年に施行、丹下健三が師の前川国男を抑えて一等当選。寝殿造りのブロックを模したプランを提示。
第2次世界大戦後の1948年に公開コンペが行われた。1等当選作は該当なしとされ、審査員の1人村野藤吾が自ら設計を行うことになったため、コンペの公平性などについて大きな議論を呼んだ。
1949年に公開コンペが行われ、丹下健三らが1等当選、実施設計を行った。
1952年、指名コンペにより丹下健三が1等当選、実施設計を行った。
1954年、公開コンペで大高正人らMID同人が1等当選、基本設計を行った(実施設計は建設局営繕局)。
1963年、指名コンペで山田守が1等当選、実施設計を行った。
木島安史のドーム型と秋元和雄の近隣埋没型の勝負となり、秋元案が当選。
1963年、公開コンペで大谷幸夫菊竹清訓らが争い、大谷案が当選。
1963年、木造モチーフ(校倉造り風)を採り入れた岩本博行が率いる竹中工務店設計部の案が当選(清水建設設計部の案も入賞していた)。実施設計は建設省営繕局が行い、施工は竹中工務店が受注した。
:このころ国のプロジェクトで公開のコンペを実施すると、ゼネコンが組織を挙げて設計して入選していた。1965年に実施された日本建築センターコンペの大林組のケースも同様であったが、設計をとったゼネコンが施工までを受注していた。
このころ国のプロジェクトで公開のコンペを実施すると、ゼネコンが組織を挙げて設計して入選していた。1965年に実施された日本建築センターコンペの大林組のケースも同様であったが、設計をとったゼネコンが施工までを受注していた。
1968年の公開コンペにより、鹿島建設設計部に所属する岡田新一の案が採用された。工事受注についての公正さを保つ(設計・施工の分離)ため、実施設計に当たって岡田は建設会社から独立し自身の設計事務所を組織した。このころからコンペへの応募資格自体からいろいろ意見が出されていた。
1986年、公開コンペを経て、竹中工務店設計部に所属する柳澤孝彦の案が採用された。コンペの規定により(設計・施工の分離)、柳澤は独立して自身の設計事務所を組織し、実施設計に当たった。
1986年、指名コンペにより、すでに大御所だった丹下健三の案が選ばれた。議事堂が取り囲む市民広場などが実現したが、そのシンボリックで威圧的な超高層のフォルムに疑問をはさむ声もあった。丹下は近隣の新宿パークタワーも手がけ、一帯の超高層ビルのフォルムにある種の秩序を与えた。
丹下案についで支持されたのは”ツインタワー”の案であった。機能的には丹下案よりも優れているとも言えたが、審査員からは「首都東京の庁舎としては格調にかける」といった意見も出て採用されなかった。しかし、竣工後には丹下案の格調の高さが「贅沢すぎる」といった批判を生むことになった。
当初国内設計会社らの手で決まりつつあったビル設計案を覆して国際公募コンペが行われ物議をかもした。基本設計コンペは、国内線フロアを国際線の到着と出発フロアで上下から挟み込むパリ空港公団案が勝利をおさめ、それに基づく建築設計コンペではイタリア人のレンゾ・ピアノが勝利した。ただし彼はターミナルビルの周りの建物(鉄道駅やホテル、管理棟、管制塔など)をトータルに設計することはできず、ターミナルビルと周りのビルの不調和には不満を漏らしている。
大林組竹中工務店が争ったが、結局両者の案の長所を取り入れる形となった。
京都の景観論争とからんで、様々な議論を呼んだコンペである。最高120mまでの高さが許容されたが、最終的に勝利したのはもっとも高さが低い(それまでの高さ規制60mに収まる)原広司の案であった。
(そのほか)
  • サンフランシスコ万国博覧会日本政府出陣用陳列棚設計競技
  • 日清生命保険株式会社社屋建築設計競技
  • 名古屋市庁舎公開建築設計競技
  • 日本生命館公開建築設計競技
  • 大礼記念館京都美術館公開建築設計競技
  • 軍人会館公開建築設計競技
  • 仙台公会堂公開建築設計競技
  • 新潟市立美術館指名設計競技 1983年(昭和58年)
  • 練馬区医師会館指名設計競技 1984年(昭和59年)
  • 日本火災海上軽井沢厚生寮公開設計競技 1984年(昭和59年)
  • 日本歯科医師会館指名設計競技 1985年(昭和60年)
  • 日本コンベンションセンター(幕張メッセ
  • 名護市庁舎
  • アクロス福岡
  • 坂本龍馬記念館公開設計競技 1987年(昭和62年)
  • 愛知県新文化会館公開設計競技 1987年(昭和62年)
  • 東京造形大学キャンパス指名設計競技 1987年(昭和62年)
  • 三島市文化会館指名設計競技 1988年(昭和63年)
  • 富山県科学情報センター指名設計競技 1988年(昭和63年)
  • 東洋大学白山キャンパス指名設計競技 1988年(昭和63年)
  • 青山製図専門学校校舎公開設計競技 1988年(昭和63年)
  • 千代田生命広尾本社ビル事業コンペ 1988年(昭和63年)
  • 大阪堂島毎日新聞社事業コンペ 1989年(平成元年)
  • お茶ノ水駅公開設計競技 1989年(平成元年)
  • 文京区シビックセンター指名設計競技 1989年(平成元年)
  • 富山県警察本部指名設計競技 1990年(平成2年)
  • 墨田区科学学習センター指名設計競技 1990年(平成2年)
  • 小田原市体育館指名設計競技 1991年(平成3年)
  • 茂原市庁舎指名設計競技 1992年(平成4年)
  • 沖縄県立武道館公開設計競技 1992年(平成4年)
  • 兵庫県立芸術センター指名設計競技 1992年(平成4年)
  • 黒部市国際文化センター指名設計競技 1992年(平成4年)
  • 相模原市立体育館指名設計競技 1993年(平成5年)
  • 新潟県十日町文化会館指名設計競技 1993年(平成5年)
  • 桐生市文化会館指名設計競技 1993年(平成5年)
  • 新潟県長岡市音楽堂指名設計競技 1993年(平成5年)
  • 青梅市庁舎指名設計競技 1993年(平成5年)
  • 浦和市コミュニティセンター指名設計競技 1993年(平成5年)
  • 桶川市近代文学館セミオープンコンペ 1993年(平成5年)
  • ヤクルト社員厚生寮公開設計競技 1994年(平成6年)
  • 関西国際交流センター指名設計競技 1994年(平成6年)
  • せんだいメディアテーク
  • 湘南台文化センター公開コンペ
  • なら100年会館国際コンペ
  • 新潟市民芸術文化会館コンペ
  • 埼玉県環境科学国際センターエスキース 指名コンペ
  • 国立国会図書館関西館国際公開コンペ
  • 国立国際美術館 公募プロポーザルコンペ
  • 東京国際フォーラム国際コンペ
  • 横浜港大さん橋国際客船ターミナル
  • 武蔵境新公共施設設計プロポーザル
  • 青森県北国住宅計画国際コンペ
  • 富弘美術館設計国際コンペ

参考文献

  • 建築設計競技(近江栄、1986年)
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