読み込み中...高橋 英樹(たかはし ひでき、1944年2月10日 - )は、千葉県木更津市出身の俳優、タレント。本名は同じ。二宮小、私立市川高校、日本大学藝術学部演劇学科卒業。
実父の意向で応募させられたという。
1961年、日活から映画デビュー、石原裕次郎や小林旭の実測身長よりはるかに高い長身と圧倒的な美男ぶりで人気を呼ぶ。大部屋を経験せずいきなり役つきで出演するという当時の新人俳優としては異例のデビューであった。だが、股下が短かったため本人談。アクションや青春ものでは主役がなかなか回ってこなかった。1963年、『伊豆の踊子』では当時最大のアイドルスター吉永小百合の相手役を務める。同年以降、10代にして貫禄充分の英樹は、着流しを着ての任侠はどうだということで『男の紋章』シリーズを初めとする任侠映画の主演スターとして活躍するようになる。1966年には鈴木清順監督の青春映画『けんかえれじい』の主役南部麒六を好演。現在も映画と共に高い評価を得ている。しかし当時日本の映画産業は衰退期に入り、日活も客が入らず、1971年、ポルノ映画会社に変わってしまい、これを機にテレビに活躍の場を移す。
日活で量産される仁侠映画の主演スターとして多忙な中、合間を縫って1968年、NHK大河ドラマ司馬遼太郎原作の『竜馬がゆく』で土佐勤王党の盟主・武市半平太役を演じる。これが初の時代劇出演となり、以後高橋は大河ドラマには欠かせないキャストとなる。特に司馬原作の作品では重要な役柄を続けて演じており、1973年の『国盗り物語』では共同主役で織田信長『国盗り物語』の前半の主役が平幹二朗演じる斎藤道三、後半の主役が高橋演じる信長だった。を演じ、その若々しく、しかも安定感のある演技力で絶大な人気を得る。続く1977年の『花神』では司馬の肝煎りで準主役級の河井継之助を演じ、この幕末期の越後長岡藩の家老の名を全国のお茶の間に浸透させることに一躍買った。1990年の『翔ぶが如く』では一転して憎まれ役の幕末薩摩藩国主・島津久光を好演して芸域を広げており、2008年の『篤姫』ではさらに一転して久光の兄で薩摩藩主島津斉彬を演じることになり注目されている。
映画では1973年、松竹大作「宮本武蔵」に主演。1976年以降は映画を離れる。
この間民放でも数々の時代劇シリーズに主演、1970年代から1990年代前半にかけて時代劇を代表する大スターとしての地位を確立する。『桃太郎侍』では主役を務めるも、放映当初の視聴率は芳しくなかったが、主題歌を歌っていた三波春夫から「お地味ですねえ。もっと時代劇はすっきりしないと」と言われたことをきっかけに、高橋の提案でそれまで原作どおりみねうちだったものを派手な殺陣に変え、黒だった服を三波ばりの白に柄の入った派手なものにし、般若の面をかぶって「ひとつ、…」などとセリフを言いながら登場するように変えたところ、人気が急上昇し、『遠山の金さん』と並び高橋の代表作となった。
既存の時代劇に批判的な一面もあり、『ぶらり信兵衛 道場破り』のような軽妙で意欲的な作品・役を演じてみたり、「それなりのキャリアを積んだからといって “黄門様” になろうとは思わない」と発言したりもしている。現代劇作品も多く、近年は2時間サスペンスの主演でもおなじみ。陽気さ、快活さが魅力だが、近年は年齢もあって滋味を滲ませた演技も披露している。またバラエティ番組でも巧みなトークで活躍。殺陣の上手さは、スピードや気迫、その綺麗さから存命の時代劇俳優の中で一番とも称される。2007年3月4日に高橋が『いつみても波瀾万丈』に出演した際、最近は殺陣をやってないことについて、「本当は殺陣やりたいんですよ。自信あるんです!」とアピールしていた。
バラエティに出るようになったのは『ドキド欽ちゃんスピリッツ!!』(TBS)にレギュラー出演した事から始まり、現在もバラエティ番組にレギュラー・ゲスト出演している。
また、「パパは何でSMAPといっしょに出ないの?」という娘・真麻の発言があったからだという。2007年3月4日に高橋が『いつみても波瀾万丈』に出演した際、番組から「こんな理想的なパパはいないと思う」といった真麻の手紙を紹介され、うっすら涙を浮かべた。
デビュー当時に共演した浅丘ルリ子には公私にわたって指導を受けており、今でも頭が上がらないとのこと。
因みに高橋英樹本人の血液型はB型ではあるものの、娘の真麻がO型である為、厳密に言えばBO型である(BB型ではない。)。
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