読み込み中...札幌オリンピック(XI Olympic Winter Games、第11回冬季オリンピック)は、日本の北海道札幌市で1972年2月3日から2月13日まで行われた冬季オリンピック。日本およびアジアで初めて開催された冬季オリンピックである。
| |style="text-align:left"| | 8 | 5 | 3 | 16 |
| |style="text-align:left"| | 4 | 3 | 7 | 14 |
| |style="text-align:left"| | 4 | 3 | 3 | 10 |
| |style="text-align:left"| | 4 | 3 | 2 | 9 |
| |style="text-align:left"| | 3 | 2 | 3 | 8 |
| |style="text-align:left"| | 3 | 1 | 1 | 5 |
| |style="text-align:left"| | 2 | 5 | 5 | 12 |
| |style="text-align:left"| | 2 | 2 | 1 | 5 |
| |style="text-align:left"| | 1 | 2 | 2 | 5 |
| |style="text-align:left"| | 1 | 1 | 2 | 4 |
| |style="text-align:left"| (開催国) | 1 | 1 | 1 | 3 |
1972年2月13日に行われた閉会式で、当時の札幌市長・板垣武四が次期開催都市の市長に五輪旗を手渡しているが、このとき手渡したのはオーストリアのインスブルックの市長ではなくアメリカ合衆国コロラド州デンバーの市長だった。これは閉会式が行われた当時、次期冬季五輪1976年大会の開催地がデンバーとなっていたためである。ところが、この後にデンバー市が財政難を理由に地元住民の強い反対により開催を返上し、1976年大会はインスブルックに変更となった。この閉会式は、大会旗が次期開催都市にリレーされなかった唯一の例となっている。
世界的にも希な積雪都市として有名な札幌の交通環境を向上させた地下鉄開通や、地下街の建設、真駒内地区の整備や市街の近代化などインフラ整備に多大な貢献をしたと評価されている。また、インフラ整備だけでなく、オリンピックの開催により、札幌の知名度が世界的に向上し、国際化に大いに役だった。北米大陸では三菱自動車がその知名度の向上に着目し、「sapporo(日本名はギャランΛ)」という名称の車種を売り出すなどの事例もあった。更に冬季スポーツ用施設が充実したことにより、後にスキージャンプのワールドカップに組み込まれるなど、アジアの冬季競技の拠点としての地位を築いたと言われる。
東京オリンピックと同様に記録映画が作られた。タイトルは「札幌オリンピック」で、監督は篠田正浩。同年夏に公開。二部構成の大作で、「東京オリンピック」と比較すると記録性に配慮した手堅い作りになっている。2005年に東宝からDVDが発売された。
1966年4月26日にローマで開催された第64回IOC総会において開催が決定した。札幌は32票。対抗都市はカナダのバンフが16票、フィンランドのラハティが9票、アメリカのソルトレークシティが4票だった。
1940年に札幌で冬季オリンピックが開催される予定だったが、第二次世界大戦の影響で中止となった。同年には東京でも夏季オリンピック大会開催が決まっていたが、同じく中止の憂き目に遭っている。
1984年に2回目の冬季オリンピックを開催しようと立候補したが、サラエヴォに敗れた。
2016年に夏季オリンピックを開催しようと東京都や福岡市と共に立候補する予定だった。実現すれば史上初めての夏季・冬季両五輪開催都市として話題を集めるはずだっだが、上田文雄札幌市長は市議会で財政難に伴い辞退を表明した。
なお、誘致に際して札幌市は市民アンケートを行い、「反対」が「賛成」を僅かながら上回っていたとした。もっともこのアンケートは、対象が20歳以上の市民1万人、回答もその半分の5,103人に過ぎず、サンプル数が少なすぎるのではないかとの批判がされた。実数としては、「反対」が35.3%、「賛成」が33.3%、「どちらともいえない」が26.9%、「関心がない」が2.3%の内訳となり、「反対」と「賛成」の差は僅か102人だった。
また、アンケート直前に札幌市が開催経費は1兆8,328億円にのぼるとの概算値を公表したことから、公正性にかけるとの非難がされた。またこの概算値も、同時期に試算した福岡市は、条件の違いはあるにせよ総経費を4864億円と算出しており、後に過大と非難された。
読み込み中...