山本 一太(やまもと いちた、1958年1月24日 - )は、日本の政治家。参議院議員(3期)。
プロフィール
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群馬県吾妻郡草津町出身。
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外交・安全保障分野の若手論客と主張している
[山本一太のプロフィール]が、既に当選三回であり、参議院議員としてはいわゆる、ベテランの議員である。但し、閣僚経験はない。
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大学時代にロックバンドを組み、現在も作詞・作曲を行う政界有数のパフォーマー。
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大学卒業後は朝日新聞社に入社。
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妻は国連職員。
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好きな漫画は『あしたのジョー』。
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政治番組だけでなくバラエティ番組などあらゆるメディアに頻繁に登場するため知名度は高い。
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有吉弘行が付けたあだ名は「ハッタリくん」である。
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父は農林水産大臣や自由民主党参院幹事長等を歴任し、福田赳夫側近であった山本富雄。山本一太は、自身が世襲議員であるにもかかわらず、選挙の世襲制には強く反対し、小泉元首相の地盤世襲についても反対している。
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父方の祖父は元群馬県草津町長の山本泰太郎
[【第2のバンソウコウ大臣は誰だ】山本一太、ゲンダイネット、2007年8月9日]。
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姉の夫は群馬県議会議員の田島雄一(1949年1月13日 - )。田島の父・由雄(1917年 - 1975年)も群馬県議を一期務めている
[『サンケイ日本紳士年鑑 第18版』(サンケイ新聞データシステム)][『群馬県人名大事典』(上毛新聞社)]。
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父の死去に伴って第17回参院選に群馬県選挙区から出馬し当選。
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1995年の自民党総裁選挙において小泉純一郎が出馬するため必要な推薦人集めに奔走。
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第44回衆議院議員総選挙において、衆議院への鞍替えを志向し自ら刺客として出馬の意向を表明した。しかし、首相秘書官の飯島勲によって却下された。
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2006年の自民党総裁選挙では早くから安倍晋三の総裁擁立を訴えてきた。そのため、福田康夫を推す福田寄りの自民党群馬県議が反発。自民党群馬県連では福田系から現職の山本を推薦せず、2004年参院選で落選した上野公成を群馬県選挙区の自民党公認候補とする動きも出たが、最終的に山本が選挙区公認候補となった(上野は比例に回った)。
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2007年7月の第21回参議院議員通常選挙においては年金問題や政治と金の問題などでの与党への逆風と同時期に起きた群馬県知事選挙で自民群馬県連が県知事と参院選に分かれて運動しており参院選のみに力を注げない状況ではあったが、自民・公明の組織票のほか、角田義一の違法献金疑惑でレースから外れた民主党支持層の一部にも食い込み戦いを優位に進め、結果的には、参議院・群馬選挙区史上最大の得票数で当選する。
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2007年の自民党総裁選挙では、安倍晋三内閣の後継者と目された麻生太郎ではなく、同じ群馬県選出議員であり同じ派閥に所属する福田康夫を、福田の総裁選挙の政策が発表されていない時期から支持した。
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2007年9月27日、安倍晋三が麻生包囲網の原因となった「麻生太郎クーデター説」を否定するために記者会見を開こうとすると、「やめたほうがいい。安倍総理の将来にとって、けっしてポジティブな結果を生まない」とブログに掲載した。
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2008年8月発足の福田康夫内閣改造内閣で外務副大臣に就任した。
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福田康夫の総理総裁辞任を受け、2008年9月5日、自民党総裁選出馬を表明し、外務副大臣を辞任を表明。1972年に自民党総裁選で推薦制が導入されて以来、参議院議員の自民党総裁選立候補表明は初めて。河野太郎ら、プロジェクト日本復活のメンバー6人に支持される。しかし、3日後の9月8日の時点において、出馬に必要な20人の推薦人集めに難航し、新たな推薦人を確保できぬまま棚橋泰文との一本化も決裂し、結局同日正式に出馬を断念した。
政策
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改革派の若手議員と称しベテラン議員や派閥批判を行うが、政局(特に自民党総裁選挙)においては町村派(旧三塚派・旧森派)のために働くことで一貫している。小泉純一郎・安倍晋三・福田康夫など政策理念の異なる人物であっても、同じ派閥に所属する人物を自民党総裁にするため奔走した。かつて除名勧告を受けるも派閥を辞めることはまったくないと宣言している。
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外交においては小泉/安倍内閣時代は親米保守のスタンスをとっていたが、親中リベラルの福田が自民党総裁に立候補すると、外交姿勢を首相に合わせて修正した。自称「外交問題のエキスパート」。
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実家が旅館、新聞販売店を経営していたことなどから、それら業界とのつながりが強い。
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* 旅館業においては全国旅館生活衛生同業組合連合会(全旅連)や全国旅館政治連盟などの支援を受け特別地方消費税の廃止などに動いた。元自民党観光産業振興議員連盟事務局長。父・富雄も同連盟事務局長を務め、全旅連会長だった。
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* 新聞業では自民党新聞販売懇話会事務局長、新聞の特殊指定に関する議員立法検討チーム事務局長を務め、特殊指定の見直しに反対している。父・富雄は新聞販売協会顧問であった。
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いわゆる「上げ潮派」で、財政再建は消費税率の上昇による増収ではなく、経済成長による増収によって行うべきとの立場。
経歴
政歴
主な所属議員連盟等
エピソードと発言
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「ポスト小泉」では早くから安倍晋三支持を明確にするも、応援歌を披露するといった派手なパフォーマンスや言動で顰蹙を買い、安倍応援団の中心から外れ、安倍内閣成立後も冷遇された。
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あまりに奇矯な応援活動から安倍陣営の中からは(山本と同じ群馬県選出の)福田康夫の刺客ではないかとの声も上がった。
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安倍内閣の広報担当補佐官として官邸入りした世耕弘成をYS懇談(山本と世耕のイニシャルから)と称して頻繁に訪ね辟易させた。
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河野太郎が総裁選立候補の記者会見を行っている最中、突然「今は未だ早い!!」と出馬を諌める演説を始め周囲を唖然とさせた。
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河野太郎とは米国ジョージタウン大学の先輩後輩の関係であり、親友だと称している。
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山本の一連のパフォーマンスや言動に対し、所属派閥の会長森喜朗から「山本君は自分や安倍氏のことしか考えていない、レッドカードだ」と派閥退会を勧告されるも拒否。この件に関して安倍は「誤解があるなら誤解を解くよう努力をし、失礼があったのなら森会長にお詫びをすべきだ」と苦言を呈した。
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自身が参議院議員であるにもかかわらず「参議院はマイナーリーグ」と発言
[『週刊アサ秘ジャーナル』東京放送]。
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外務政務次官、参院外交防衛委員会委員長を歴任し、自身のホームページでは「外交・安全保障分野の若手論客」と名乗るが、既に50歳の初老の議員であり政治理念も揺れが多く、国民の支持は極めて薄い。
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* 2000年、外務政務次官だった山本は、北朝鮮へのコメ支援を行なわないと拉致被害者家族会に対し表明したものの、支援を決定。また、その後の対応の不味さから後に拉致被害者家族等から批判されることとなった。
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* 2003年にはイラク戦争でのアメリカ支持の正当性を説明、「(イラクで)大量破壊兵器はいずれ見つかりますよ」と発言。結局イラク戦争後、イラクで大量破壊兵器が見つからなかったため2006年元旦の『朝まで生テレビ』(テレビ朝日系)でこの発言を問いただされ、「あのときはとにかくアメリカを支持するしかなかった」と返答。
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* 2006年4月14日に放送された太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。(日本テレビ系列)に出演した際、白地図にイラクの位置を塗りつぶすという問いに対し、参院イラク事態特別委員会理事であったにもかかわらずシリアの位置を選択し、他の出演者から失笑された。
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** 隣にいた同じ自民党衆院議員の甘利明もシリアを塗りつぶしていたことから、「カンニングをした挙句の不正解ではないか?」と他の出演者から指摘された。
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** 放送日前々日のブログで「地図に対して興味が無い」と暗に釈明している
[地図の苦手な政治家、山本一太の「気分はいつも直滑降」]。
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2006年6月、朝日新聞記者の経歴を公表していなかったことと、その警察担当をしていた当時、山本富雄の盟友の当時の草津町長の贈収賄事件に関する捜査状況を外部に漏洩したとの疑惑が一部週刊誌で報じられた。
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* 本人は週刊誌発売前々日から4日間に渡り自身のブログで記事を「ガセネタ」として疑惑を否定
[山本一太の「気分はいつも直滑降」]。
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* 朝日新聞記者の経歴については就労期間が研修期間であり2ヶ月と短かったことを理由に今後も記者時代の経歴を掲載しないとしている。
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* 「飯島勲首相秘書官(当時)の力を借りて情報源を割り出し反撃を加えなければいけない」と発言している。
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* 朝日新聞社は個人情報保護を理由に説明を拒否。
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ホームページに政治活動完結の日というカウントダウンをつけていたが、完結の日を迎える2007年参院選前に何故か削除され、当選後に数字を巻き戻したうえで復活した。
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郵政造反組復党問題について、2007年の参議院選挙目当ての復党に反対していた。2006年9月6日、自民党を離党していたある国会議員(おそらく平沼赳夫氏)とテレビの収録で鉢合わせし、「おい、お前、俺の復党の件について反対だとか何だとか言ってるらしいじゃないか。あんまり調子に乗るなよ。抹殺するぞ」と脅されたと自身のブログに書いている
[山本一太の「気分はいつも直滑降」][タマブログ山本のブログでは相手の名前は明確に書かれていないが、玉袋筋太郎のブログには同日に山本が出演したテレビ番組名と、その番組に出演した政治家の名前が明かされており、その中で郵政民営化に反対し自民党を離党させられた政治家は平沼赳夫だけであるため、恐らく相手は平沼である。また、現在は消されているが、当初は平沼が山本に対して抗議したシーンを玉袋が目撃したという文章も載せられていた。]。だが、復党認可決定後はテレビで「総理が決定したことなので応援していきたい」と安倍晋三の判断を支持した。
不祥事
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政治家の年金未納問題に関連し、国民年金の9ヶ月未納が発覚。
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2008年8月26日にアフガニスタンで起きた、NGO活動家伊藤和也氏の拘束・殺害事件について、外務副大臣として対策本部長を務めた。しかし事件発生の当日、自身のブログで「これから10日間は(理由があって)『頻繁な更新』は出来そうもない」と事件発生をほのめかしながら、被害者の死亡が確認された翌日までの間に11度、ブログの更新を行い、「(笑)」「(ニッコリ!)」「(苦笑)」などを連発。さらに、こうしたブログの更新を、外務副大臣室でも頻繁に行っていることを自ら明らかにした。
著作
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『なぜいま安倍晋三なのか』 リヨン社、2006年7月、ISBN 457606083X
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『私が総理になったなら-若き日本のリーダーたち- 』角川書店、2002年11月
音楽活動
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『見せかけのデモクラシー』1998年
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『かいかくの詩』2003年
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「チャレンジャーにささげる詩」(作曲:西井慶太、作詞:山本一太)2006年
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* 自民党総裁選出に際し安倍晋三を応援する歌。
脚注
関連項目
外部リンク