読み込み中...枝幸町(えさしちょう)は、北海道最北の宗谷支庁の東部に位置する町である。毛がにの漁獲高日本一。毛がにの旬である毎年夏には、枝幸かに祭りが開催され、多くの人々で賑わう。
町名の由来は、枝幸町によれば公式ウェブサイト「町名の由来」アイヌ語「esausi」(エサウシ/岬の意)によるとしている。知里真志保「地名アイヌ語小辞典」によれば、エサウシはesasi(エサシ/岬の意)のナヨロ(名寄)地方のアイヌ方言。
宗谷支庁の南東部に位置する。東部はオホーツク海に面する。海と山にはさまれた険しい地形で国道238号が南北に縦貫する。幌別川河口付近は湿原地帯。
西部(旧歌登町)は山岳が広がり、面積の8割が森林。内陸であることから冬季は非常に寒冷であり、しばしば道内の朝の最低気温でニュースに「歌登」の地名が登場する。
明治中期には、町内に金鉱床が発見され、金の採掘で賑わったことがある。その名残は今町内のウソタンナイ砂金採掘公園に見られる。
に、旧枝幸町と、隣接する旧歌登町が対等合併し、現在の新たな枝幸町が誕生した。合併まで経緯は、旧枝幸町と旧歌登町が法定合併協議会を設置、をもって新設合併を行い新町名を枝幸町とすることで合意しに調印。同月21日に両町議会で合併関連議案を可決した。に合併申請書を提出、同年3月24日の道議会で合併議案が可決、合併。
毛蟹の産地として知られ、日本一の漁獲量を誇る。また、鮭の水揚げ産地として市場関係者には名が知られ、脂がのったメヂカ鮭も水揚げされる。水揚げ金額は道内でも屈指の水準を誇る。近年はホタテ稚貝撒き漁業の漁獲高が伸び、ホタテ貝柱を遠く中国やフランス、北米などに輸出している。
最近、最も近い大消費地の札幌でも、藻岩山展望台、札幌駅や大通り付近のレストランやホテルなどで枝幸産のホタテを使った料理がメニューに加えられるようになり、品質が認知されつつある。また、東京でも、生協などでホタテや毛蟹、鮭などが取り扱われ始めている。
檜山支庁に同じ読みの江差町がある。区別のために枝幸町は「北見枝幸」、江差町は「檜山江差」と呼んで区別することがある。また、テレビやラジオ等では枝幸町は「道北の枝幸町」、江差町は「道南の江差町」と呼んで区別する。
明治29年(1896年)、国内および世界各国から枝幸に皆既日食の観測隊が次々と訪れた。米国の天文学者デビッド・トッド博士を隊長とする一行も枝幸に観測小屋を建設し皆既日食を待ち構えていたが、当日は曇天で観測は失敗した。それにもかかわらず当時の枝幸の人々が非常に協力的であったことにトッド博士は感激、世話になったお礼として百科事典や文学書などを何冊も寄贈し、何年も続いた結果千冊余りにものぼった。人々は寄贈された図書を後世に読み継がせようと明治36年(1903年)に道の認可を得て北海道最初の公立図書館を枝幸に誕生させた。昭和15年(1940年)の大火で全焼したが、地元の医師の発起と図書の寄贈により昭和53年(1978年)に再建され、今日に至る。
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