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| 軍種 | |
|---|---|
| 防衛省 | 陸上自衛隊 |
| 海上自衛隊 | |
| 航空自衛隊 | |
| 兵力 | |
| 現役 | 自衛官:248,303 (2008) |
| 予備役 | 即応予備自衛官:8408 (2008) |
| 予備自衛官:47,900 (2008) | |
| 予備自衛官補:3,920 (2008) | |
| 軍事費 | |
| 円 | 4兆7,797億円(2008) (本体予算4兆7,426億円+SACO経費180億円+米軍再編関係経費191億円) |
| ドル | 437億ドル(MER)第5位 352億ドル(PPP)第8位(2006) |
| 対GDP比 | 0.8% (2008)第149位 |
| 出典 | |
| 防衛省・自衛隊の人員構成 | |
| CIA | |
| SIPRI | |
自衛隊(じえいたい)は、1954年7月1日に設立された日本の防衛組織。法令上では国軍(軍隊)と位置付けられていないが、戦力を世界的に展開する戦力投射能力以外では実質その能力を備えており、日本国民からも軍隊と見なされる場合がある。英訳では『Self Defense Force(自衛軍)』と表記されるが、日本以外での報道や書籍では、陸海空自衛隊がそれぞれ『Japanese Army(日本陸軍)』『Japanese Navy(日本海軍)』『Japanese Air Force(日本空軍)』と表記される事もある。また、日本国内の一部の書籍でも「事実上の軍隊である」と表記されている場合がある。
「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たる」(自衛隊法第3条第1項)ことを任務とする。
防衛大臣以下防衛省本省の内部部局、施設等機関、特別の機関および陸・海・空の三自衛隊を含んだものであり、防衛省とほぼ同一の組織を指す(自衛隊法第2条第1項)。行政組織を指すときは「防衛省」、活動や人員など軍事面を指すときは「自衛隊」と呼ぶのが一般的である。一般には実力部隊としての陸・海・空の三自衛隊の全体またはいずれかを指すことが多い。
内閣総理大臣が最高指揮監督権を有し、防衛大臣が隊務を統括する。陸・海・空の三自衛隊を一体的に運用するための統括組織として統合幕僚監部が置かれ、防衛大臣は統合幕僚長を通じて三自衛隊に命令を発する。専守防衛に基づき、他国からの直接および間接侵略に対して、国民の生命と財産を守ることを基本理念とする。
陸上自衛隊は1950年の朝鮮戦争勃発時、SCAPの指令に基づくポツダム政令により警察予備隊が総理府の機関として組織されたのが始まりである。同時期、旧海軍の残存部隊はいくつかの省庁を渡り歩き海上警備隊として再編。1952年8月1日にはその2つの機関を管理運営のための総理府外局として保安庁が設置された。同年10月15日、警察予備隊は保安隊に改組。そして1954年7月1日「自衛隊の任務、自衛隊の部隊の組織及び編成、自衛隊の行動及び権限、隊員の身分取扱等を定める」(自衛隊法第1条)自衛隊法(昭和29年6月9日法律第165号)が施行され、新たに領空警備を行う組織も新設。3つの自衛隊が成立した。また同日付で防衛庁設置法も施行されている。
1954年には三自衛隊統合運用のため統合幕僚会議も設置され統合幕僚会議議長がこれを統括したが、2006年にはより広範な権限を持つ統合幕僚監部に組織替えとなり統合幕僚長がこれを統括することとなった。
冷戦期は専守防衛の枠内で日米安全保障条約に従って在日米軍の日本防衛機能を補完する役割を負った。1990年代からは国際協力の目的で、海外派遣が行われはじめている。
2007年1月9日、防衛庁は防衛省に昇格した。
シビリアン・コントロール(文民統制)の原則の下、国会が定員、予算、組織などの重要事項を議決し、防衛出動に承認を与える。自衛隊を統括する内閣は憲法の規定により文民で構成されているため、最高指揮監督権をもつ内閣総理大臣と自衛隊の隊務を統括する防衛大臣は文民である。また、内閣に安全保障会議がおかれ、防衛に関する事項を審議する。
陸海空三自衛隊を統合運用するための機関として、統合幕僚監部が置かれ、服務等監督、防衛大臣補佐、命令執行を行う。最高指揮監督権をもつ内閣総理大臣は統合幕僚長を通じて陸上幕僚長(陸上自衛隊)、海上幕僚長(海上自衛隊)及び航空幕僚長(航空自衛隊)に命令を発する。
なお、内閣総理大臣の立場について、自衛隊法第7条は「内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。」と表現し、また自衛官の心がまえでは「その最高指揮官は内閣の代表としての内閣総理大臣」と表現している。
2008年現在、軍事裁判所(軍法会議)と特別裁判所は憲法で禁止されているため置かれておらず、また諸外国の海兵隊に相当する部隊は攻撃的な印象を持つという政治的な理由により組織されていない。
日本国憲法第9条により戦力を保持することが禁止されているため、自国防衛の必要性から逸脱しているとされる兵備は保有しない。
陸上自衛隊は、隊員数が約16万人と最も多く、地元出身者が地元の駐屯地に配属されることが比較的多い。ただし北海道には、陸上自衛隊の約4分の1の人員が集中配置されており、各地方出身者の混成となる場合もある。
野山を駆け回って厳しい訓練に励むほか、民生協力や地元との交流行事に参加することも多い。
海上自衛隊は港湾施設や基地などを旧海軍から引き継いでおり、海軍旗と同様の意匠である自衛艦旗や海軍記念日の掃海殉職者慰霊祭、自衛艦の命名基準、軍艦マーチの演奏、海軍カレー、US-1飛行艇など日本海軍時代の文化も継承されている。
詳細は海上自衛隊文化を参照。
旧日本軍の航空部隊は陸海軍の一部として運用されていたため、航空自衛隊は、戦後に誕生した新しい組織である。創立の流れやマニュアルはアメリカ空軍を手本としている。
自衛隊は、外国の諸軍隊と防衛交流を強化してきている。防衛省高官の訪問、外国国防省高官の招待などを繰り返している。また、自衛官と外交官の身分を併有する防衛駐在官(駐在武官に相当)を関係の深い主要国に派遣している。海上自衛隊の初任幹部を乗せた練習艦隊の派遣もこれに貢献している。
自衛隊は日米安全保障条約と同条約に基づいて駐留している在日アメリカ軍の存在を前提にして組織されている。自衛隊は現在のところ防衛に限った兵器しか導入していないため敵国への直接的な攻撃は米軍に頼ることとなるが、作戦の連携を保つために定期的に共同演習を行なっている。
1997年日米両政府により締結された「SACO合意」(Special Action Committee on Okinawa、沖縄に関する特別行動委員会)により、日本の国防については日本が主に対処し、米軍は補助であるという原則が、文書の上でも確認された。
日本とオーストラリアは、双方ともアメリカ合衆国と極めて緊密な軍事関係を構築しており、その関係から防衛首脳の会談も他国と比べて頻繁に行われている。自衛隊がイラクに派遣されたときには、サマーワでオーストラリア軍と共に復興活動に従事した。
2007年2月15日には、外務・防衛当局の審議官級協議が行われ、自衛隊とオーストラリア国防軍の共同演習などを今後行うという方針を確認した。2007年3月には、ジョン・ハワードオーストラリア首相が来日し、安倍晋三首相と「安全保障協力に関する日豪共同宣言(日豪安保共同宣言)」に署名、PKOの共同訓練、核・ミサイルなど大量破壊兵器遮断とテロ対策、国境を越えた犯罪予防協力など9項目での協力が成立した。
両国の外交・防衛閣僚による定期協議(2プラス2)の実施も盛り込まれ、これにより日本にとってオーストラリアは米国に次いで2番目の安保分野の協力国となった。
2007年4月11日に安倍晋三首相と温家宝首相が合意した日中共同プレス発表では、防衛交流として「両国の防衛当局間の連絡メカニズムを整備し、海上における不測の事態の発生を防止する外務省:」と述べられている。同年4月16日、日本政府は自衛隊と中国人民解放軍の間にホットラインを創設する方針を表明した。2008年には双方の艦艇による親善訪問も行われた。
1996年(平成8年)に海上自衛隊艦艇がウラジオストクを訪問して以来、毎年艦艇の相互訪問を行っている。1998年(平成10年)以降は捜索・救難共同訓練を行っている。
2002年(平成14年)10月には、海上自衛隊50周年を記念した国際観艦式に招待されソ連海軍時代を含めて初めてロシア海軍の潜水艦の日本寄港があった。
海上自衛隊と韓国海軍との間では、1994年(平成6年)年から艦艇の相互訪問が開始された。更に1999年(平成11年)年には初の捜索・救難共同訓練を行った。
2000年以降、隔年で韓国で開催されている韓国国際軍楽祭には、2002年(陸自中央音楽隊が参加)・2004年(陸自中央音楽隊が参加)・2006年(空自航空中央音楽隊が参加)に参加している。
インド海軍艦艇の訪日は1969年(昭和44年)が初である。また、2007年(平成19年)4月16日には、日米印3ヶ国間訓練が初めて実施された。房総南方海域で行われ、海上自衛隊からは第1護衛隊群司令の指揮する護衛艦4隻、米海軍からは第5空母打撃群司令の指揮する駆逐艦2隻、インド海軍からは東部方面艦隊司令官(R・K・ドワン海軍少将)の指揮する駆駆逐艦「マイソール」とミサイルコルベット艦「クタール」、補給艦「ジョティ」が参加し、通信訓練、近接運動、戦術運動等が行われた。
フィンランドとの防衛交流は1959年に統合幕僚会議議長・林敬三陸将が同国を訪問して以来始まった。
自衛隊の活動は防衛出動、災害派遣、治安維持、広報などの多岐にわたっており、それらの出動命令などは自衛隊法によって定められている。
自衛隊の防衛出動は自衛隊法第76条によって定められており、日本が他国からの侵略を受けた時、または侵略を受ける恐れがある時に、国会の承認を受けた上で内閣総理大臣の命令により出動する。この命令が出された場合、他国からの侵略を受けている時に限り自衛隊は武力の行使が可能となる。
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自衛隊の災害派遣は自衛隊法第83条によって定められており、天災人災を問わず災害時に各都道府県知事、災害対策本部長などの要請によって防衛大臣やその指定するもの部隊等に出動を命令し、救済活動を行う。災害に際し、要請を待ついとまがない緊急事態と考えられる場合(震度5弱以上など)は要請を待たないで情報収集や救助のため部隊を派遣することができる。災害派遣には大規模災害派遣、原子力災害派遣が含まれている。 なお、震災直後の市街地における消火任務は自衛隊に課されていない為に、林野火災において中核的役割を果たしてきた自衛隊大型ヘリコプターによる空中消火体制は整備されていないため、都市における大規模災害時の消火能力には懸念も出されている。災害派遣は地震、台風などの大雨の際、また三宅島や大島の噴火の際などでも行われた。また地下鉄サリン事件や日本航空123便墜落事故など消防のみでは対処が困難な大きな事件、事故の際にも出動している。離島からの急患輸送や遭難者の捜索も災害派遣扱いとなる。
上記の命令系統と異なる災害派遣として防衛省施設などの近傍における火災(災害)がある。近傍火災は自衛隊法第83条第3項に定められており、近傍において火災その他の災害が発生した場合、部隊長が必要に応じて部隊の派遣を行うことができる。
災害派遣の件数は毎年約800回前後で、平成16年度では急患輸送が年616回、次いで消火支援が102回(うち近傍火災が92件)で、その他すべてをあわせ自衛隊全体で884回出動している。過去最大の災害派遣は1995年の阪神・淡路大震災で、のべ約225万人が派遣されている。
自衛隊の治安出動は自衛隊法第78条および第81条によって定められており、第78条では命令による治安維持を定めている。内乱や騒擾状態など何らかの理由により警察力のみでの治安維持が不可能となった場合に内閣総理大臣の命令により出動する。国会の承認は命令出動後20日以内に付議される。
第81条では都道府県知事からの要請を受けた場合の治安維持を定めており、国会の承認は必要なく内閣総理大臣の命令によって出動を行う。基本的に治安維持活動の場合警察官職務執行法を準用する。この治安出動は、1960年代の安保闘争の際、発動が検討されたが、実際には出動しなかった。
国民保護法並びに自衛隊法の一部を改正する法律により、改正されたいわゆる改正自衛隊法第75条には、自衛隊の新たな出動体制として国民保護等派遣の業務が加わることとなった。
武力攻撃やテロなどが発生した際、都道府県知事の要請に基づき、防衛大臣の命で国民保護のための措置をとることができるとされた。国民保護派遣ではなく、国民保護「等」派遣として規定されているのは、国民保護法が想定する事態として武力攻撃のみならず、テロに際しても武力攻撃事態に準じた措置がとれるように柔軟な表現を採ったため。
この国民保護等派遣において自衛隊が果たす役割としては、武力攻撃事態等又は緊急対処事態において、避難住民の誘導、集合場所での人員整理、避難状況の把握などの他、避難住民への食料品及び飲料水の供給、物資の供給、医療活動、捜索及び救出などの活動が主に期待されている。その他にも、武力攻撃災害などへの対処、被災状況の把握や人命救助活動、消防及び水防活動、NBC汚染対処などが想定され、また、武力攻撃災害などの応急の復旧において危険な瓦礫の除去、施設などの応急復旧、汚染の除去なども想定されている。改正自衛隊法では、第75条において即応予備自衛官、予備自衛官の国民保護等派遣が可能となる。
国民保護等派遣における自衛隊の権限は、警察官職務執行法の避難等の措置、犯罪の予防及び制止、立入、武器の使用の権限を行使することができるいわゆる警察官としての権限を行使できる他、市町村長などがその場にいない場合に限り、自衛官は退避の指示、応急公用負担、警戒区域の設定、住民などに対する協力要請などの権限を行使することができるとされている(警察官#警察官職務執行法参照)。
領空侵犯に関しては、自衛隊法第84条により防衛大臣は他国の航空機が国際法などに違反して日本の領空に侵入した場合、若しくは領空侵犯の畏れがある場合にこれを阻止する措置を行うことが出来る。領空侵犯に対する措置では領空侵犯機を日本の空港に着陸させるか日本の領空から退去させるために必要な無線による警告、誘導、武器による警告などの措置をとることができる。
スクランブルは冷戦期には最高で年1,000回近く行なわれていたが、冷戦後は比較的少なくなりおおよそ年100回〜200回程度となっている。飛行機は高速で移動するので、単純に領空侵犯が行なわれた時点でスクランブル発進するのではなく、防空識別圏(ADIZ:air defense identification zone)に入った時点で発進し、実際に領空侵犯が起きるのは年数回程度である。2004年現在、領空侵犯機に対して警告射撃を行なったのは1987年に起きた沖縄本島上空におけるソ連機侵犯事案の1回のみである。スクランブルは、領空侵犯の恐れのある機に対する発進のほか、ハイジャックなど非常事態が起こった民間機のエスコート(護衛・誘導)などにも行われる。
1980年代までは、専守防衛論議とのからみで、部隊の海外派遣は行われなかった。冷戦終結に伴う、国際政治環境の変化を受けて、湾岸戦争後の1992年のペルシャ湾への掃海艇派遣(自衛隊ペルシャ湾派遣)を皮切りに、それ以降PKO協力法に基づくカンボジアや東ティモールなどへのPKO業務、国際緊急援助隊業務を行っている。
その他に、自衛隊はアメリカ同時多発テロ事件を受けテロ対策特別措置法によりインド洋周辺にて補給艦による他国の艦船への燃料や物資の補給や輸送機による物資の輸送を行なっている。インド洋に派遣する船舶は補給艦2隻および護衛艦3隻以内と定められている。また輸送機においては輸送を行う航空自衛隊の部隊の自衛官の数に相応する数量の拳銃等の所持が認められている。また、イラク戦争後のイラク復興援助のために、イラク復興支援特別措置法に基づき、陸上自衛隊を中心とする部隊のイラク派遣を行っていた。航空自衛隊による輸送活動は継続中。
不発弾処理に関しては自衛隊法附則第14項に記載されている。この不発弾処理に関しては自衛隊法上では防衛大臣の命令で出動するという旨のみが記載されているだけで、その他の細かい規定はない。出動回数は災害派遣より多く、2003年度までに113,703回出動しており計5,444tの不発弾を処理している。自衛隊は今日まで国内での不発弾処理において失敗した例がなく、不発弾処理の失敗により毎年数人の犠牲者が出ている欧州などで、自衛隊の処理技術が「ゴールドフィンガー」「ゴッドフィンガー」と呼ばることもある。
海上警備行動は自衛隊法第82条に定められており、海上における人命、財産、治安の維持のため特別の必要がある場合、防衛大臣が自衛隊に必要な行動をとるよう命じ、内閣総理大臣の承認を受ける。
海上警備行動は1999年3月23日から24日にかけて不審船(北朝鮮の工作船)が日本の領海内に侵入した事件(能登半島沖不審船事件)の際初めて発動され、この命令に基づき威嚇として護衛艦が計25回の射撃、対潜哨戒機P-3Cが計12発の対潜爆弾投下を実施した。また2004年11月10日に沖縄県先島諸島周辺で中国海軍の潜水艦が潜航状態で領海侵犯した事件の際にも発動され、哨戒機P-3C、対潜ヘリSH-60J、護衛艦「ゆうだち」「くらま」による追跡が行われた。
2004年の中国原子力潜水艦による領海内沈没航行事案を受け、政府は以後国籍不明の潜水艦が潜航状態で領海内に進入した場合、原則として海上警備行動を発令し、自衛隊が追跡を行うこととした。
弾道ミサイル防衛(BMD)に関しては自衛隊法第82条の2に定められている。この条項は2003年に弾道ミサイル防衛システム導入が決定されたことを受け、2005年の法改正で整備された。2006年3月31日までに施行される予定となっている。
弾道ミサイル等の落下により人命または財産に対して重大な被害が生じると認められる事態に対して適用される条項で、内閣総理大臣の承認を得て防衛大臣が部隊に必要な措置をとることを命ずる。内閣総理大臣の承認を受ける暇がない緊急の場合にはあらかじめ作成された緊急対処要領に従って部隊に出動を命ずる。同条による措置がとられた場合、内閣総理大臣はその結果を国会に報告する必要がある。
各自衛隊は弾道ミサイル防衛に関する装備の整備を進めており、弾道ミサイルの探知手段としてイージス艦の改修と新型地上配備型レーダーの配備と既存レーダーの改修が行われる。また迎撃ミサイルとしてスタンダードミサイル SM-3とパトリオットミサイル PAC-3の配備を決定している。
また、広報活動として2泊3日程度の体験入隊(生活体験)が行われ、企業の研修などにも用いられている。申込は、各地方に設置された自衛隊地方協力本部に申し込むことになっている。周辺住民等を対象に施設見学会なども開催されている。
自衛隊は他国に侵攻せず防衛に徹するという専守防衛を基本戦略として組織されているため、攻撃よりも防衛に特化した兵器を開発、調達している。過去にはアメリカの戦闘機を輸入、ライセンス生産する際に対地攻撃能力や空中給油装置を取り外す措置を行ったり、輸送機を開発する際、周辺国の脅威になるという点からあえて航続距離を短くした例もある。
主力戦車など、兵器の能力は世界的にも一線級を維持しており、潜水艦技術では、通常動力型において世界最大級のそうりゅう型潜水艦を配備する。
装備は基本的に日本製とされている。日本に製造技術がない物の場合、既製品を輸入するよりもノックダウン生産やライセンス生産を選択し、保守や改良、後継品の国産化に役立つ工業技術の獲得、維持に努めている。武器輸出三原則および政府統一見解による武器輸出規制のため、輸出や量産ができず、結果として高価になった装備品もある。
憲法解釈と専守防衛の理念、周辺情勢などに関連して各種の弾道ミサイルや対地巡航ミサイル、航空母艦、戦略爆撃機などの開発や配備の是非については議論がある。核兵器に対しては“防御用の小型核兵器であれば憲法解釈上は装備可能であるが非核三原則にもとづき装備はしない”という政府見解が出されている。
空中給油機の配備も困難とされてきたが、飛行訓練の効率化や海外派遣時の航続距離延長のため、KC-767空中給油機が配備される。航空母艦については、対潜能力や輸送能力の向上を目的として、ヘリ空母に相当するひゅうが型護衛艦が導入された。
自衛隊の任務や体制にとって障害となる、他国に関する懸念事項および情勢。
中国人民解放軍第二砲兵部隊は吉林省通化基地の中距離弾道ミサイルを配備していて、日本に対して核ミサイルの照準を合わせていると見られている。
巡航ミサイルの開発、配備を進め、ミサイル司令部を新設した。射程1500kmとみられるタイプの巡航ミサイルの開発もかなりの段階まで進んでおり、実戦配備されれば、日本のほぼ全域が射程に入る。1500kmの射程は明確に対北朝鮮用ではないとして、日本の防衛関係者からは強い懸念が寄せられている。
自衛隊の存在や運用に関して、未だ多くの議論がなされている。
一方、巡航ミサイル等の長距離攻撃兵器を全く保有していないため、侵略軍の本土の補給拠点や出撃拠点を攻撃する能力は無い。また長距離攻撃兵器がないため、上陸部隊の後方の補給線を叩く能力は低く、航空機の航続距離の範囲で攻撃する能力しかない。しかし侵略されてしまうということは、制空権を完全に有していないため、航空機の活動には制限がある。航空自衛隊へ空中給油機の導入が決定し、航続距離延長が可能となりより迅速な航空機運用が可能となった。
日本政府の見解は一貫して「自衛隊は、憲法上必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の制約を課せられており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものと考える。 また、自衛隊が国際法上『軍隊』として取り扱われるか否かは、個々の国際法の趣旨に照らして判断されるべきものであると考える 」となっている。
「国際法上の軍隊」として取り扱われるか否かについては、外務大臣の国会答弁において、「自衛隊は、憲法上必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の厳しい制約を課せられております。通常の観念で考えられます軍隊ではありませんが、国際法上は軍隊として取り扱われておりまして、自衛官は軍隊の構成員に該当いたします平成2年10月18日衆議院本会議における外務大臣答弁。」と述べられた。「軍隊」という語は多義的で、防衛庁長官の国会答弁においても、「近代戦を有効に遂行し得る意味の軍隊ではないのでございます。ただ、防衛的の、防衛力を発揮できるという意味におきまして、もし軍隊とおっしゃるならば、おっしゃってもよろしいというのが従来の防衛庁、政府の発言でございます昭和42年03月31日参議院予算委員会における増田甲子七国務大臣の答弁。これは、昭和29年4月1日衆議院内閣委員会における木村篤太郎国務大臣の発言等を前提としたもの。」と述べられ、「自衛隊は軍隊か」という問題は、軍隊の定義如何の問題に帰結するのであって、さほど重要な問題ではないとしている。
しかし、諸外国から見れば明らかに軍隊であり、国内の中だけで軍であるか否かを議論しても政治目的であって、対外的には全くの無意味な議論との指摘がある。自衛隊が日本国憲法第9条にてその保持が禁じられている「陸海空軍その他の戦力」に当たるか否かに関しては長らく議論が交わされてきた。現在の通説では戦力を“軍隊および有事の際にそれに転化しうる程度の実力部隊”と解釈し、目的と実体の二つの側面から「軍隊」と「警察力」を区別する。後者を越えるものが「戦力」に該当すると考える者もいる。現在自衛隊が保持している戦闘艦や戦車、ミサイルなどの武力を考えれば、有事の際に軍隊に転化しうる戦力に該当するといわざるを得ず、自衛隊は日本国憲法9条2項の戦力に該当し、違憲であると主張する者もいる。一方で政府見解では戦力を「自衛のために必要な最小限度の実力」と解釈しており、自衛隊は憲法9条2項の戦力に該当せず合憲としている。
政府の一般的な理解としては、条文中の「国際紛争を解決する手段としては、」の文言を根拠として日本国は自衛戦争の放棄をしておらず、従って自衛戦争を行使するための実力を持つことを合憲と解釈している。そのため、外国からの急迫不正な侵略行為に対抗する手段までを放棄していないので、「専守防衛」に基づいた防衛力を保持することが出来るとしている。しかし、自衛戦争が放棄されておらず、そのための戦力を保持することを肯定すれば、自衛のための戦力と侵略のための戦力は実際上区別することは不可能であり、結局戦力一般を肯定することになり憲法9条2項の規定が無意味となるという考え方から、憲法9条2項では「前項の目的(正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する目的)を達するため」に戦力の保持が一切禁止され、交戦権も認めないとする趣旨から自衛戦争もまた放棄されていると主張する者もいる。この問題に関する最高裁判所の判断はまだ行われておらず、自衛隊自体が合憲であるか違憲であるかの憲法判断は下されていないが、「憲法9条は自衛権を否定してはいない」という判例は存在する。
憲法第9条についてはさまざまな政府解釈が施されており、かつてよりもはるかに広い運用が可能となっているが、政府解釈においても占領地域へ占領行政に参加するために派遣する行為は違憲と考えられている。他方、憲法を厳密に解釈して自衛隊の軍備を放棄すべきだとする意見も存在している。
自衛隊の身分がこうした「憲法の解釈」によって保証されているというあやふやな状態に対して、憲法を改正して自衛隊保持を明記すべきという意見もある(憲法改正論議)。
自衛隊の英語表記はarmyやnavy、air forceなどの直接的な語を避けSelf-Defense Forceとしているが、日本以外の国の報道機関で自衛隊が紹介される場合、「Japanese Army」(日本陸軍)「Japanese Navy」(日本海軍)「Japanese Air Force」(日本空軍)とされる場合もある。
用語については、独特の用語を用いて、軍事色を薄めているものがある(自衛隊用語)。
自由民主党は党内の意見は様々で憲法9条そのものを改正して自衛隊を軍隊と位置づけ自衛軍とするべきと主張している者もいる。
民主党は党内の意見は様々で国連軍に参加するために「自衛隊」とは別組織の「国連待機部隊(国連待機軍)」(憲法前文の平和主義と憲法9条の第一項と第二項は保持)を設置すべきと主張している者もいる。
公明党はかつては自衛隊を憲法違反として廃止を主張、現在は自民党とほぼ同じ主張を行なっている。但し、海外派遣や防衛費増額などは自民党に比べやや消極的である。
社会民主党は現状の自衛隊を「違憲状態にある」として自衛隊は縮小を図り、国境警備、災害救助、国際協力などの任務別組織に改編・解消して非武装の日本を目指す立場にいる。
日本共産党は日米安保条約の解消を目指しながら、解消前はできるかぎり自衛隊を縮小し、日米安保条約解消後も国民が望めば存続し、国民が国際情勢などから解消しても問題ないと判断すれば自衛隊をなくすという『段階的解消論』に立っている。大規模災害や急迫不正の主権侵害など必要な場合においては活用すべきとの立場をとる。
参考:沖縄タイムス社説 2004年9月22日])
、教師による自衛隊員の子供へのいじめや差別(これらは警察官の子供に対しても行われることがあった佐々淳行著、文藝春秋刊『連合赤軍「あさま山荘」事件』)、自衛隊の公共施設使用に対する妨害や抗議などのような、自衛隊員や関係者の人権を侵害する事件が起こっている。また、自衛隊という組織を犯罪者集団、自衛隊員という職業を賤しいものとする偏見が流布され、平成7年の阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件における自衛隊の活躍で下火になるまで長く続いた。中でも自衛隊員の配偶者や子供の中には差別を恐れ、配偶者や親の職業を隠さざるを得なかった事例がある。また、現在でも小中学校の社会科授業では日教組系列の教師により反自衛隊教育が公然と行われている学校も存在し、高校卒業時の進路指導でも自衛隊入隊を希望した生徒に対し入隊を辞退するよう説得する傾向も存在する。特に社会の授業に於いては自衛隊に関する部分の授業を行わなかったり、他国との比較の際に事実をねじ曲げた教育を行う教師も散見される。災害地への派遣において、派遣先自治体の対応が遅れた事例を一部新聞が「(市長個人の)イデオロギーのために」「自衛隊を活用する気がなかったとしか思えない」と指摘したことがある平成11年6月23日から7月3日まで、九州から東北南部までを襲った集中豪雨災害。最も被害の大きかった広島県では、土砂崩れや土石流が多発して死者・行方不明者が31人に上った。6月29日の夕方から被害が拡大しはじめ、死者・行方不明者が続々と確認される中、20時の時点で自衛隊から広島県に対して災害派遣要請の必要性の確認が行われた。これを受け広島県は広島市の意向を確認したが、広島市は自衛隊の派遣は必要ないとして断っている。一夜明けた30日、被害はさらに拡大。結果、6月30日午前4時の時点で広島市は県へ災害派遣要請を行った。産経新聞は平成11年7月1日の記事で『秋葉忠利・広島市長は「何かできなかったかという思いはある。教訓として生かしたい」と述べたそうだが、冗談ではない。その能力を十分に持っている自衛隊を活用する気がなかったとしか思えない。自分のイデオロギーのために広島市民の生命をないがしろにした、重大なる「人災」と言っても過言ではないだろう』と批判した。この件では、広島市が対策に忙殺されており、広島県も災害対策本部の設置が遅れ、情報を消防庁に送ることが遅滞していたため、国土庁や官邸に連絡することが出来ないまま時間が経過していた。災害派遣要請の決め手となる被害地域の航空写真が広島市消防局長の手元に届いたのは30日午前零時であり、その4時間後には県知事に対して自衛隊派遣要請が行われている。(→平成11年6月23日から7月3日までの大雨による被害状況について(第47報)消防庁)(→県・広島市 1999年7月1日 中国新聞朝刊)(→第145回国会)。