読み込み中...首都(しゅと)とは、一国の中心となる都市のことを指す。ほとんどの場合にはその国の中央政府が所在し、国家元首等の国の最高指導者が拠点とする都市のことである。ただ、場合によっては、中央政府の所在とは別に、その国のシンボル的存在として認められている都市が首都とされることもある。首府、国都、都、みやこ、京などとも呼ばれるし、帝制国家や王制国家の場合は帝都、王都等の称がある。
日本の首都については定める法令はないが、首都圏整備法にて間接的に示されているため、事実上は東京都とされる。ただ、東京都の全域を首都とするか、東京都の特別区だけをひとつの都市とみなして首都とするかは、見解が分かれる。東京都としては、何度か日本の首都がどこかを法的に明確にすべきだとの要望を出しているが、東京遷都の詔勅が発布されていないため、正式には東京は副都で京都が日本の首都であると看做す見解も一部にある。
首都と呼べる都市を複数持つ国もある。
古代の東アジアでは、中国の唐が長安と洛陽と太原の三都制(後には鳳翔と成都を加えた五都制となる)を採用しており、さらに日本(天武朝など)や渤海などの諸国がそれを模倣したように、複都制が広く行われた。この類型の中には、首都が移動するという場合もある。複都制を採っていた唐も、実質的には長安が第一首都(正都)であってその他の都は名目上(副都)にとどまっていたが、時には皇帝は長安を離れて洛陽に移動し、後者が正都としての機能を果たすこともあった。
江戸時代の日本でも首都機能が分散されており江戸、京都、そして経済商業の中心であった大坂の三都市は当時の日本を代表する大都市であり、三都と通称されていた。、名目上の首都(天皇のいる京)と、行政機関所在地(幕府のある江戸)とが別々に置かれていた考え方によっては、幕府の外交機関所在地(貿易港・出島のある長崎)も、首都機能のある部分を分担していたと見ることもできる。ただし、外交の決定は江戸で行われ、また、長崎は対ヨーロッパ・中国のみで、幕府以外が管轄する異域との外交機関も他に存在した。蝦夷地・和人地では松前藩がアイヌ人との、薩摩藩の鹿児島では仮屋(在番親方)にて琉球王国との外交があった(国際法上の国に当たらないとして外交と見ないこともある。なお、在外公館にあたるものに、李氏朝鮮にあった対馬藩の倭館、琉球王国にあった薩摩藩の仮屋(在番奉行)、清国福建にあった琉球王国の柔遠駅がある。。
南アフリカ共和国では、三権分立の観点から、国会はケープタウン都市圏、行政府はプレトリア(ツワネ都市圏)、最高裁判所はブルームフォンテーン(マンガウング地方自治体)に所在する。同国の首都はプレトリアであるとするのが通例であるが、厳密にいうと南アフリカ共和国には首都が三つあるということになる。
王制時代のリビア(1951〜63年はリビア連合王国、1963〜69年はリビア王国)では、トリポリとベンガジの二つの首都を置いており、国王と政府機関は季節によって両首都を使い分けていた。
王国では、王宮所在地と首都が一致しないことがあるタイ王国の現在の首都はバンコクであるが、現国王のラーマ9世の主要な居住地は、プラチュワップキーリーカン県のリゾート地ホアヒンにあるクライカンウォン宮殿である。ただし、クライカンウォン宮殿はあくまで離宮であり、一般に国王自身の療養のための一時的な滞在と説明されている。また、タイの場合、宮殿、離宮あるいはその他の王室の住居がタイ国内各地に存在する。国王の形式上の住居はバンコクにある王宮であり、国王やその家族が実質的に住居し公務が行われる場所は同じくバンコクのチットラダー宮殿である。そのため、クライカンウォン宮殿への国王の一時滞在という事例は、首都と王宮所在地が必ずしも一致しない例とはなり得ないするのは難しい。。かつてのラオス王国(1945-1975)では、首都はヴィエンチャンであったが、国王はルアンパバーン(ルアンプラバン)に居住しており、後者はラオスの「王都」と呼ばれていた。これも、「複都制」の類型のひとつとみなすことができよう。
政治的な事情により、事実上の首都と形式上の首都が異なる国もある。極端な場合、実際には統治していない場所を政治的理由から首都と主張することもある。中華民国(台湾)は、実質上の首都は台北であるが、同国政府は台北は「臨時首都」に過ぎず、あくまで首都は南京であると主張する。もちろん現在の南京は中華人民共和国の支配下にあるが、中華民国は大陸を支配していた時代には南京に首都を置いていたことに由来する。また、朝鮮民主主義人民共和国の首都は平壌であるが、1972年までは憲法上の首都はソウルであり、平壌は統一までの臨時首都とされていた。
これも政治的な事情により、事実上の首都が国際的には認知されていないという場合もある。イスラエルは、国会の決議によりエルサレムを首都に選定し、国家機関の多くもエルサレムに置かれている。しかし、国際連合や諸外国の多くはこれを認めず、テルアビブを首都と見なし、在外公館(大使館など)を同市に置いている。面積の小さな国では、首都が存在しない場合もある。
主権国家として承認されている都市国家については、1つの都市が主権を持ち国家となっているため、理論上「首都」は存在しないことになっている。シンガポールやバチカン市国がその例である。モナコの事例も外見上はこれに似ているが、同国は首都であるモナコ市のみが存在する国であるとされている。
ナウル共和国の首都は通例、政府機関が位置するヤレンであるとされているが、同国には「都市」と呼べるものが存在せず、さらにヤレンもナウルの「地区」にしかすぎず、その上にナウル政府も自国の「首都」の存在を公認していないため、ナウルには首都は存在しないとする方が正確である。
首都は、国政の中心として交通の便が良い場所が選定されることが多い。したがって、首都と国家内最大都市は、必ずしも一致しない。首都が最大都市かつ経済の中心地である国(例:日本、韓国、北朝鮮、フランス、ロシア連邦、イギリスなど)もあれば、首都と最大都市が異なる国(例:中国、ベトナム、アメリカ、トルコなど)もある。
外国大使館は基本的に首都に置かれるが、前述したイスラエルのように、承認に係る事情から外国大使館が外の都市(テルアビブ)に置かれる例もある。
また、政治の中心地と経済の中心地(その国の最大都市であることが多い)を分離する場合もある。パキスタン最大の都市カラチ(旧首都)は人口1200万人を超える(非公式推計では2000万人に達するともいわれる)が、首都イスラマバードは人口80万人程度であるという極端な例もある。これらの中には、それまで政治中枢と経済中枢を兼ねていた首都が過密になりすぎ、また一極集中の弊害も無視できなくなったために、別の場所に新都市を建設して遷都したという例もある。以下、「首都」とある都市はすべてその国の政治中枢である。遷都(首都の移転)の例としては、以下のパターンがある。
一般に、首都は過密地になりやすい。これは、国家機関(日本でいうところの国会議事堂、中央省庁、最高裁判所)が置かれているために、国家機関の周りに企業が密集するためである。このように、本来、首都は政治と行政の中心地であるが、経済の中心地になることも珍しくない(例:東京特別区、ソウル)。こういう経過に至った国家では、遷都によって、経済の中心地ではない都市を新しく首都に選定することもある。
ただし、ブラジリア(ブラジル)やキャンベラ(オーストラリア)のように、何もない原野などに国家機関だけを建設した場合は、この限りではない。ベリーズの首都であるベルモパンに至っては、人口が1万人未満である。
1市単独で広域自治体(県や州)を構成する市は、特別市と称される。特に首都は過密化しやすい点から、特別市となっている所が多い。また、首都以外でも、首都に伍する過密都市(大抵は1つ)は、特別市とされる所もある。