読み込み中...『週刊少年ジャンプ』(しゅうかんしょうねんジャンプ、WEEKLY JUMP) は日本において集英社が発行する週刊の少年向け漫画雑誌。1968年に『少年ジャンプ』として月2回刊誌として創刊、翌1969年より週刊となり『週刊少年ジャンプ』に改名。週刊誌の最高発行部数を記録した。略称は「ジャンプ」、「WJ」 など。
7月11日に『少年ジャンプ』の名称で同年の8月1日号として創刊。創刊時は月2回(第2・第4木曜日)発売、10月から週刊化された。毎週火曜日発売、2009年現在は毎週月曜日発売2003年5月19日発売の2003年25号より。。シンボルマークは海賊マーク(ジャンプパイレーツ)。
雑誌キーワードは「友情」「努力」「勝利」。すべての掲載作品のテーマにこの要素(を意味するもの)を最低1つは必ず入れることが編集方針になっている「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」(飛鳥新社)pp.31 - 32 ISBN 978-4870311725 。これは同誌の前身とも言える月刊漫画雑誌『少年ブック』の編集方針から受け継いだものであり、元は小学4・5年生を対象にしたアンケート(「一番心あたたまる言葉」「一番大切に思う言葉」「一番嬉しい言葉」)によって決められたものである斎藤次郎「『少年ジャンプ』の時代」(岩波書店)pp.11 - 12。
創刊時に後発の少年漫画誌として、当時の人気漫画家を確保出来なかったため、連載陣のごく少数を除き、全て専属契約の新人で揃えることになった。これは新人発掘に効果を発揮し、『ジャンプ』躍進の原動力となった。週刊少年漫画雑誌で最大部数を誇るようになった現在も、この方針は継承されている。初の漫画専門誌であり、この人気により少年向け総合誌だった他誌も漫画専門誌へと移行するきっかけとなった。
他社の週刊少年漫画誌で掲載されているような表紙および巻頭でのスポーツ選手やアイドルのグラビアは、1970年代後半から1980年代前半までと、1990年代後半の一時期にはあったが、現在は載っていない。スポーツ選手の特集やインタビュー記事自体は2色の情報ページなどで現在でも行われることがある。
現在、同誌の読者構成は小中高学生が中心であり、講談社の『週刊少年マガジン』や小学館の『週刊少年サンデー』、秋田書店の『週刊少年チャンピオン』よりも低年齢寄りである社団法人日本雑誌協会。近年は女性読者が増加。読者の半数が女性と言われている東京新聞2009年1月20日夕刊。
1971年、発行部数が100万部を突破。 1973年8月に『週刊少年マガジン』を抜いて雑誌発行部数で首位。
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(1976年 -)は少年漫画雑誌中、最長の連載記録を更新中。1978年、発行部数が200万部を突破。
1980年、発行部数が300万部を突破。少女、女性キャラクターに重きを置いた作品が多く登場する。「Dr.スランプ」・「3年奇面組(後の「ハイスクール!奇面組」)」(1980年 -)、「ストップ!! ひばりくん!」・「キャッツ♥アイ」(1981年 -)、「キックオフ」(1982年 -)、 「ウイングマン」(1983年 -)、「きまぐれオレンジ☆ロード」(1984年 -)など。他にも「キャプテン翼」・「ブラック・エンジェルズ」(1981年 -)、「風魔の小次郎」・「よろしくメカドック」(1982年 -)、「北斗の拳」・「銀牙 -流れ星 銀-」(1983年 -)等がヒット。
1985年、発行部数が400万部を突破。「魁!!男塾」・「ついでにとんちんかん」・「シティーハンター」(1985年 -)「聖闘士星矢」・「県立海空高校野球部員山下たろーくん」(1986年 -)等がヒット。
1988年13号で創刊号から1000号を達成し、この年に創刊20周年を迎える。さらには1988年12月の年末最終号(1989年3・4合併号)で発行部数が500万部を突破。
1993年31号で創刊25周年を迎え、記念イベントとしてこの年の夏休みに「ジャンプマルチワールド」が東京後楽園で開催された。発行部数は1991年3・4号で602万部を突破。週刊誌が全国紙の発行部数を抜いたとして一般メディアも報道する。さらに1994年12月の1995年3-4号で653万部の歴代最高部数を達成する。
1996年52号で「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が連載1000回を達成する。この時期は長年行われていなかったアイドルグラビアの掲載と『愛読者賞』の復活があった。後者は企画に参加した連載作家のほとんどが連載を休載するなどあり1回で終了。また、13年間親しまれた誌名ロゴの変更、経済面を考慮し表紙のギミックを廃止するなどの試行錯誤が続いた。
1995年から始まった発行部数減少に歯止めがかからず、1997年までに約230万部減少。10年をかけて伸ばした部数が2年で逆戻りし、1997年48号で『週刊少年マガジン』に発行部数を抜かれる。その一方で、様々なコミック記録を塗り替えて漫画売り上げ日本一となった「ONE PIECE」(1997年 -)を始め、「HUNTER×HUNTER」(1998年 -)「NARUTO -ナルト-」(1999年 -)等が新たな看板作品として登場。これらの作品は2000年代のジャンプの牽引役となり、2009年現在も連載が続いている。その他に「ROOKIES」・「ホイッスル!」・「シャーマンキング」(1998年 -)「ヒカルの碁」・「テニスの王子様」(1999年 -)などもヒットし、部数の降下傾向は続くものの、『週刊少年マガジン』についで2位は維持。
「BLACK CAT」・「ピューと吹く!ジャガー」(2000年 -)「ボボボーボ・ボーボボ」・「BLEACH」・「Mr.FULLSWING」(2001年 -)「いちご100%」・「アイシールド21」(2002年 -)などがヒット。特に「DEATH NOTE」(2003年 -)は、アクションがほとんどなく台詞重視で話が進むなど、内容・表現ともに従来の「少年ジャンプ」の傾向とはかけ離れたものだったにも関わらず、単行本の初版100万部最速到達記録を作り、実写映画化・アニメ化なども行われるヒット作となった。その後も「銀魂」(2003年 -)・「家庭教師ヒットマンREBORN!」・「D.Gray-man」(2004年 -)「魔人探偵脳噛ネウロ」(2005年-)「To LOVEる -とらぶる-」(2006年 -)がヒットし、連載作品の単行本売り上げは好調に推移している。最近では、「トリコ」・「バクマン。」・「ぬらりひょんの孫」(2008年-)が掲載順位や単行本の売れ行きなどでヒット作として大きく上昇している。
漫画業界全体の発行部数が落ち込む中、2002年に『週刊少年マガジン』を抜いて再び漫画誌の発行部数1位となる。この時期から誌面を越えた活動が多く見られるようになる。1998年から開設した公式サイト「POP WEB JUMP」が拡張を続け「デジタルマンガ部門」が新設、サイト上で漫画を連載させるなど新しい試みが行われた。2000年からはジャンプフェスタが開催され、イベント限定グッズの販売や連載作家を招待するなどして盛況を続けている。
2008年34号で創刊40周年を迎え、同年48号にて創刊号から通算2000号を達成した。
2009年4月3日から、テレビ東京系列毎週金曜日18:00〜18:30に週刊少年ジャンプ・ジャンプスクエア・Vジャンプ共同のジャンプ専門情報番組「サキよみ ジャンBANG!」を放送している。
以下に挙げられている新人契約制度やアンケートシステムに関する詳細は、『少年ジャンプ』草創期に編集長を務めた西村繁男の著した書籍「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」内に詳しい記述がある。
創刊以来、新人作家を積極的に登用しており、新人のチャンスが多い雑誌であるといえる一方、本誌でデビューした作家は必ず集英社と専属契約を結ぶ必要があり、連載が短期に終わった場合も他の出版社で仕事を行うことができない。各作品の欄外における「○○先生の漫画が読めるのはジャンプだけ!」などの煽り文句に、その一端が受け取れる。
この点については新人を「飼い殺し」にしているとの批判も根強く、八神健、木多康昭、鈴木央など、本誌ではヒット作を出せなかった作家が他誌・他社へと活動の場を移して成功した例がある。
また1960 - 1970年代にジャンプに連載を持っていた小室孝太郎は編集部の都合で人気のあった連載が打ち切られた上、この契約を知らない間に結ばされていたために、他誌で仕事をしようとしても集英社から交渉を妨害され、しばらく作品発表の場が持てなかったことをインタビューにて語っている『まんが秘宝Vol.2 つっぱりアナーキー王』 洋泉社、1997年 ISBN 978-4896912777。
本誌3代目編集長だった西村繁男も集英社の退社後に出版した自著で「漫画家に対する執筆保証の項目がない他、契約期間中は他誌との執筆交渉すらできないという点で、極めて編集部に有利な契約である」と、問題が存在することを認める発言をしている「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」(飛鳥新社)pp.158 - 159。
なお、この「専属契約制」は(他誌で連載経験があったものの)「ハレンチ学園」でブレイクした永井豪がジャンプでの連載の傍ら他誌での連載を開始したことに危機感を覚えた当時の編集長の長野規が発案したもので、同制度の適用第1号となったのは本宮ひろ志である。
一般に漫画雑誌では読者アンケートを参考にして編集の方針を定めることが多いが、本誌では特にその傾向が強く、人気の低下した連載作品はすぐに連載終了、つまりは打ち切りの対象にされる。
この「アンケート至上主義」と呼ばれる体制は「アストロ球団」を連載中の中島徳博の「大御所というだけで人気もない漫画が載っているのはおかしい。アンケートの結果を1週で出すようにして、サバイバルにせよ」という提案が発端となっている。ただし、その中島自身「アストロ球団」以後はアンケート結果が芳しくなく、幾度も打ち切りとなっている。これは作家や作品の経歴などに関係なく平等に適用され、すでに「リングにかけろ」や「風魔の小次郎」で人気作家となっていた車田正美が長期大河作品として構想した「男坂」が約半年で打ち切られた例などもある。またアニメ化やグッズ化なども行われるほどの人気を博した「聖闘士星矢」や「シャーマンキング」が、人気が落ち込むやいなや中途半端な展開で終了した例もある。
この制度の厳しさのため、本誌では10 - 20週前後で終了した連載作品が他誌と比べ際立って多い。「地獄先生ぬ〜べ〜」の文庫版において、作者の真倉翔・岡野剛がこれに対し、「アンケートの結果に基づき作品の内容を変えたり、あらゆる創意工夫が求められ、いつ連載を打ち切られるか、常に心配していた」と言及している。西村繁男は「アンケートが2位以下の作品はすべて終了候補である」とまで述べた「少年ジャンプというジャンル!」『STUDIO VOICE』2008年2月号 22、24ページ。逆に、読者人気の高い作品が物語を完結させたい作者の意向に反して連載を引き延ばされることも多い。
ただし、連載開始直後の「キン肉マン」が、アンケート順位が低かったにもかかわらず、低年齢層の人気が高い傾向があったため打ち切りを猶予して推移を見守った結果、後のヒットにつながるなど、単純に数字だけを追わずに判断する例もあった。「サーキットの狼」のように、打ち切り決定後にアンケート結果が急上昇したため急遽連載を続行した例や、一度は連載終了となったもののそれから数ヵ月後に連載が再開された「はだしのゲン」「ライジングインパクト」などのような例も少数ながら存在する。近年では、「聖闘士星矢」のようにストーリー半ばで終了した作品の「完結編」を他誌に掲載した例もあり、あるいは連載終了まで一定の猶予期間を与えるなど、初期の厳しさが若干緩和された。ただし、完結編を掲載した作品は、連載終了後にアニメ化された「武装錬金」や、作者の体調面も終了理由となった「べしゃり暮らし」(その後、週刊ヤングジャンプで不定期連載として移籍)など特異な理由がある場合で、不人気により連載終了となった場合は行われていない。
掲載順はアンケート結果を元に副編集長がその週ごとの雑誌構成を考慮して決めている「ONE PIECE 47巻」(集英社、2007年 ISBN 978-4088744117)の質問コーナーで尾田栄一郎が読者の質問に回答した内容より。基本的には人気順が掲載順に直接反映され、票が多いほど誌面の前面に掲載される好循環が得られるが、票が少ないほど誌面の後面に掲載される悪循環となっている。だが、「王様はロバ〜はったり帝国の逆襲〜」や「ピューと吹く!ジャガー」など例外的にほぼ毎回巻末に固定的に掲載される場合や、原稿の入稿が遅れたために後面に掲載される場合「ONE PIECE」の掲載位置が通常よりも後ろとなった『WJ』2008年46号の巻末において、尾田は「原稿が遅れたため」と説明している。もある。
『少年ジャンプ』の人気作品はそのほとんどがテレビアニメ化されているが、かつての『ジャンプ』編集部は作品のアニメ化には乗り気ではなかった。現在でいうところのメディアミックス効果には懐疑的で、(特に関東広域圏内に在住の)読者が無料で見られるテレビアニメ関東広域圏内であれば、地上波の民放で放映される、ほぼ全てのテレビアニメが視聴できる。を見て満足してしまい、原作の収録されている雑誌や単行本の売れ行きが落ちるのではないかと懸念していたためである株式会社ワールドフォトプレス 『フィギュア王№119』 嶋田隆司インタビューより。
転機となったのは1981年に放映が開始された「Dr.スランプ」のアニメ化作品「Dr.スランプ アラレちゃん」の大成功である。この作品については在京の複数のテレビ局からオファーがあり、中でも当時編成局長(通常の会社の部長級幹部に相当する)だった日枝久が何度も集英社を訪ねたというほどの、フジテレビの熱烈な要望に集英社側が折れる形でアニメ化を許諾した。しかし、「Dr.スランプ」アニメがもたらした雑誌や単行本との相乗効果や、これに派生したキャラクター商品による著作権収入は集英社の想像をはるかに超えたものがあり、これ以後集英社は自社作品のアニメ化に積極的になった。
しかし近年では、少子化の煽りを受けて4大キー局各局で全日帯アニメ枠は削減されており、4大キー局でのゴールデンタイム帯で放送の作品は、2006年10月に枠降格となった「ONE PIECE」を最後に消滅した(テレビ東京を含めた場合はまだ「NARUTO -ナルト- 疾風伝」がゴールデンタイムで放送されている)。テレビ東京系列の放送で、かつ地上波でしか放送しないアニメが増えてきたため、ほぼ全ての作品が(事実上の)関東ローカル(在京キー局のみでの放送)もしくは、三大都市圏や五大都市圏+岡山県・香川県のみの放映となり、ローカル局ではほとんど放送できない事態となった。これは、スポンサーがほとんどつかないことで番組販売を受ける為に必要なローカル局の予算が割かれることによる。一部BSジャパン(日本全域)で視聴できる作品もあるが、「BSジャパンのみで放映」される作品が存在しないことや、BSジャパンはテレビ東京系よりも後に放映されるため、完全に公平な放送になっていない。
他誌のアニメ化作品に比べて深夜枠で放送された作品は少なく、「HARELUYA II BØY」・「いちご100%」・「魔人探偵脳噛ネウロ」・「To LOVEる -とらぶる-」など、描写がハードなものや、「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」・「BLACK CAT」・「DEATH NOTE」・「武装錬金」など、放送時にはすでに本誌での連載が終了していた作品が多い。ただし、近年は上記の全日帯アニメ枠削減の影響もあり深夜枠での放送も珍しくない。「DEATH NOTE」はゴールデンタイムで放送の要望が主要4局のTV局からあったが、死の描写が多いために原案者の方からゴールデンタイムでの放送を断った。また、深夜ながらも全国ネット枠で放送する予定だったが、TV局の都合によりローカル枠での放送となった(しかし、アニマックスでの放送は夜7時からであり、ゴールデンタイムの時間帯である)。
今のところ民放キー局各局で同誌掲載の作品はアニメ化されている。そのうちTBSとテレビ朝日は極端に作品は少ない(2000年代では前者が「BLACK CAT」・「To LOVEる -とらぶる-」、後者が「ボボボーボ・ボーボボ」・「いちご100%」を放送した程度である。)。また、テレビ東京系での放送となる作品中は「銀魂」を除き2008年10月付けでハイビジョン製作に移行している。 「ONE PIECE」・「家庭教師ヒットマンREBORN!」は同誌連載作品では珍しく、製作局の本放送時刻が朝帯 (6:00 - 11:00) である(無論、番組販売・振替放送・遅れネットは除いた場合)。
一方、全国放送の可能なNHKにおいてはほとんど放映されていない(『少年マガジン』『少年サンデー』のアニメ作品は近年NHKにて放映されている)。
『少年ジャンプ』の編集者は、創刊当初こそ嘱託・アルバイトも存在したものの、現在は全員が基本的に正社員である。そのため集英社発行の他雑誌はもちろん、総務部や人事部など編集者と全く関係ない部署に異動することもある。一方で『ジャンプ』系列誌から全く異動がない者もおり、第4代以降の編集長は全て、入社以来一貫して『ジャンプ』系列誌の編集者だった者が就任している。部署内異動や『ジャンプ』系列誌相互間での異動は頻繁にあり、打ち切り・新連載がなくとも、担当が変更になることも多く、漫画家が困惑することもある。尾田栄一郎は「また担当交代。最低3年はやって欲しいです編集長。」週刊少年ジャンプ・2007年49号の尾田栄一郎による巻末コメントと書いている。編集者の交替があると、漫画家がジャンプの巻末コメントで言及することが多い。
編集者は漫画家または作品の担当を割り当てられ、その漫画家と一緒になって作品づくりを行ってゆく。編集者によっては連載作品2作品以上担当することもある。持ち込み、未デビュー、次作品制作中の漫画家も担当するため、実際はそれ以上の数を担当する。こういったことから漫画の方向性・内容にも影響を与える大きな力を持つ。『週刊少年ジャンプ』には担当編集者にすべて任せるという伝統があり、編集の方法にマニュアルは存在しない。ある漫画家を引継ぐときも、前任の編集者から今までの編集方法を指導することはなく、引継ぎも一日で終わる夏目房之介の「で?」。他方で、週刊連載のジャンプの漫画家の労働は過酷と言われるが、編集者・編集部の勤務も上述の様な事情などから多忙を極めるかなりの激務であると言われており、2003年、編集者上がりの人物で当時編集長だった高橋俊昌が記者会見中にクモ膜下出血で突然死した一件は、ジャンプ関係者のみならず読者にも少なからぬ衝撃を与えた。
作品づくりの際に漫画家と非常に緊密な関係を築くことから、「トイレット博士」のスナミ先生(角南攻)・「キン肉マン」のアデランスの中野さん(中野和雄)・「Dr.スランプ」のDr.マシリト(鳥嶋和彦)・「シェイプアップ乱」及び「ついでにとんちんかん」のマッチ茨木(茨木政彦)・「銀魂」の小西恒平(大西恒平)や吉沢(吉田幸司)など、『少年ジャンプ』編集者をモデルにしたキャラクターが漫画に登場することも少なくない。
隔週の間を埋めるという目的から創刊の翌年から発行されている。
1973年 - 1983年、1997年に行われた。読者アンケートで選ばれた10人の作家が45ページの読切作品を執筆する。掲載する順番はクジで決める。1位に選ばれた作家は海外旅行のプレゼントがあった。
2006年現在、『少年ジャンプ』は日本国外でも発行され、「ドラゴンボール」・「ONE PIECE」などの名作が翻訳されている。
漫画表現の過激さや作者の不祥事により連載作品が打ち切りに至ったり、本誌が回収されたケースがある。それらの原因となった作品とそれぞれの詳細について以下に示す。
「ハレンチ学園」(永井豪)が問題となった現象。
1968年の創刊号から連載したこの作品の影響で、全国の学校でスカートめくりなどの「ハレンチな」行為が流行したことによりPTAや教育委員会から猛抗議が来た。しかし『ジャンプ』は漫画表現の多様性という名の下に連載を続行。当時の編集長長野規は教育評論家の阿部進と連携し、自ら積極的にテレビ番組やPTAの会合などに出向き『ハレンチ学園』の擁護に勤めている。
この件に関する限りは、編集部はむしろ権力に負けずに連載を続けたことを誇りにしている節があり、『ジャンプ』30周年の時の特集でそのようなコメントが見られた。
「私立極道(きわめみち)高校」(宮下あきら)が問題となった事件。
滋賀県にある実在の中学校名と校章、そして卒業生の名前を無断で作品内に掲載して滋賀県教育委員会から抗議を受けた。この行為はプライバシーの侵害にもあたる。1980年第9号と第10号が回収され、「私立極道高校」は第11号で打ち切りとなった。ストーリーは41話まで連載され、単行本は読切版の1話と連載最初の6話を収録した1巻のみ発売されていたが、事件がきっかけで絶版となった。なお、回収に協力した人には、アドレス帳が送られた。
宮下はしばらくの謹慎期間を経て「激!!極虎一家」で連載復帰。「激!!極虎一家」には「私立極道高校」のキャラが多数登場している。
1990年第45号の「燃える!お兄さん」(佐藤正)が問題となった事件。
主人公の担任教諭が仕事上の失敗から担任を外され同校の用務員をすることになり(現実にはこのような人事はあり得ない。教員と職員は全く別の職種である)、それに対して主人公が「先生ではなく用務員になったのだから何をしても構わない」という理屈の元に、その教諭にやりたい放題するという内容だった。
この号が発売された直後から「用務員をバカにしている」などの抗議が用務員組合や読者等から殺到。その事態を重く見た本誌編集部はその掲載号を回収するという決断に至った。掲載号を集英社に郵送すると、本誌のマークが入ったシャープペンシルが貰えた。後に発行された単行本でもこの回は不掲載となっている。なお、ストーリー上では、この教諭が居なくなった理由は「謎の転勤」によるものだったと最終回近くの登場人物のセリフで説明された。
2002年8月7日、「世紀末リーダー伝たけし!」の作者の島袋光年が16歳の女子高校生を買春したとして、児童買春禁止法違反で逮捕された事件。
この事件を受けて同年37・38合併号での掲載を最後に同作の連載打ち切り、予定されていた単行本25巻も発売中止となった。39号には、本誌1ページを使い、編集部からの謝罪文が掲載された。
その後、島袋は謹慎期間を経て青年漫画誌『スーパージャンプ』にて復帰、その際「関係者に多大な迷惑をかけた」とコメント欄で謝罪した。絶版となっていた単行本も「ワイド判」として再刊、同作品は『スーパージャンプ』で連載が再開されたのち完結した。その後、島袋は「トリコ」を、2007年に読切で、2008年に連載開始し、『ジャンプ』に復帰している。