十勝岳(とかちだけ)は、北海道の中央部にある、標高2,077mの活火山。上川管内の美瑛町・上富良野町、十勝管内の新得町の境にある。北東のオプタテシケ山(2,012m)、美瑛岳(2,052m)、南西の上ホロカメットク山(1,920m)、富良野岳(1,912m)へと続く十勝岳連峰(十勝火山群)の主峰である。
十勝岳のなりたち
十勝火山群は新生代第三紀末に起こった大規模な火山活動による火山岩、さらに第四紀前期、約100万年前ころまでに噴出した流紋岩・デイサイト質溶結凝灰岩などが、約1,200mの標高で広大な基盤岩を形づくった。
約50万年前から、まず南西部で前富良野岳・富良野岳など苦鉄質安山岩質成層火山が現れた。次いで北東部の美瑛岳・オプタテシケ山・上ホロカメットク山など安山岩質の成層火山が形成されたのち、現在の十勝岳の主体をなす安山岩質の溶岩円頂丘が生じた。
その後十勝火山群は休息期に入ったが、約1万年前に活動を再開した。この新期の活動はまず美瑛富士などの成層火山の形成に始まった。ついで十勝岳に新火口を開いていくことになる。約3000年前に溶岩を流出させて生じた山頂北西のグラウンド火口は、約2200年前には北西山麓の白金温泉にまで到達する大規模な火砕流を発生させた。その後グラウンド火口に生じた中央火口丘や、摺鉢火口・北向火口・焼山火口などの新火口から溶岩流があった。これらの活動の噴出物は苦鉄質安山岩質が主であり、十勝岳の北〜北西斜面を覆う形になっている。
噴火の歴史
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安政噴火・明治噴火
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十勝岳の噴火が歴史に登場するのは1857年(安政4年)のことである。この年、松田一太郎なる人物が石狩川水源踏査の帰途に十勝岳に登頂したとの記録があり、この中で硫気活動についても触れている。松浦武四郎は6月2日「山半腹にして火脈燃立て黒烟刺上るを見る」と記している。
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1887年(明治20年)の噴火は黒煙を噴出し、周辺に降灰したと記録されている。
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大正噴火
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1925年より十勝岳は小規模な噴火を繰り返していたが、1926年5月24日に大規模な噴火が発生した。まず12時ごろにグラウンド火口の中央火口丘西側で水蒸気爆発が発生、小規模な火山泥流が発生して現在の望岳台付近まで流下した。16時すぎには大規模な水蒸気爆発が起こり中央火口丘の西半分が崩壊、これにより生じた岩屑なだれは噴火から約1分で火口から2.4kmの地点にあった硫黄鉱山の平山鉱業所宿舎を飲み込み、さらに山頂付近の残雪を融かして泥流を発生させた。この泥流は美瑛川と富良野川を一気に流下し、25分で約25km離れた上富良野市街に到達した。火山弾・スコリア流によるものも含めると、上富良野を中心に死者・行方不明者144名、負傷者200名、流失・破壊家屋372棟という大災害となった。
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9月8日にも十勝岳は小噴火を起こし、2名が行方不明となった。その後も火山活動は続き、終息を迎えたのは1928年(昭和3年)12月4日の小噴火後であった。中央火口丘が崩壊した跡にはごく低い非対称なスコリア丘が形成され、その火口は大正火口と呼ばれるようになった。
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このときの噴火を描いた小説として、三浦綾子の『泥流地帯』(新潮文庫 ISBN 4-10-116206-9)と『続泥流地帯』(新潮文庫 ISBN 4-10-116207-7)がある。
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1962年噴火
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十勝岳では1952年頃から摺鉢火口北西側で噴気が活発となっており(52年噴気孔群または昭和火口群)、直前には地震も頻発していた。1962年6月29日22時40分ころ、中央火口丘南側にあった湯沼火口付近で水蒸気爆発が発生。翌30日に2時45分には大規模なブルカノ式噴火が発生、噴煙は高度12,000mにも達した。東の広い範囲に降灰し、千島列島中部でも降灰が観測された。大正火口付近の硫黄鉱業所には火山弾が直撃し、死者・行方不明者5名、負傷者11名を出した。この噴火は同年8月末には終息し、湯沼火口を通って北西-南東方向に伸びる線上に火口群を残した。最も活発だった62-2火口は中央火口丘とほぼ同じ高さのスコリア丘を形成している。
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人的被害とは対照的に、1962年噴火では大正噴火をはるかに上回るエネルギーが放出されている(『十勝岳』(北海道防災会議、1971)参照)。
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1988〜89年噴火
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1988年 小噴火、群発地震の発生を繰り返す。
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1989年 小噴火、群発地震の発生を繰り返す。火砕流、火砕サージ(火砕流の先端部で発生する高温ガス流、熱雲)の発生を確認。周辺140kmにわたり降灰。美瑛町、上富良野町の住民約300名が一時避難。
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この噴火により1990年(平成2年)まで入山禁止となった。
この他にも1985年や2004年などにごく小規模な噴火をしている。
登山
十勝岳の登山ルートは多様である。望岳台、吹上温泉、十勝岳温泉など比較的高い標高まで舗装道路が整備されており、また山容も比較的なだらかで夏は一般登山者でも容易に登頂することができる。一方で積雪期の新得町側からの入山や各山からの縦走は難易度が高く、熟練した登山者が挑むにも適した山である。
以下に主な登山コースを示す。
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望岳台コース
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望岳台登山口より入山、摺鉢火口を通り、前十勝岳を回り込むようにして登る。大正噴火の泥流跡を登ることとなり最も容易。美瑛岳への分岐の直後に十勝岳避難小屋が設置されていたが、2006年春に積雪により破損した。北海道は予算上建て替えを断念し、2006年9月に解体された。
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三段山コース
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吹上温泉、あるいは十勝岳温泉より三段山(1,748m)に登頂し、大砲岩から「馬の背」と呼ばれる部分を通って登頂する。現在では危険なため通行禁止となっている。
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上ホロカメットク山コース
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十勝岳温泉より入山し、安政火口から上ホロカメットク山へ登頂、「馬の背」と呼ばれる部分を通って十勝岳へ。
火口付近の一部は、現在も300度を超える高温となっている。立ち入り規制に従うのは当然のこと、状況に応じて引き返す判断も求められる。
十勝岳の自然
十勝岳の周辺
十勝岳の防災
冬場に火山活動が活発化した場合、融雪により大規模な泥流、土石流の発生が見込まれる。発生が懸念される泥流規模は極めて大きく、流下を完全に防ぐことは難しいことから、白金温泉の高台には避難所が設置されている。地震計、空震計、GPS観測点などのテレメトリー観測、治山事業、砂防事業、被災範囲や避難経路などを整理したハザードマップの整備が進められている。
その他
中央火口丘付近からは良質な硫黄が採掘されていた。1962年噴火で施設が破壊され、また大正火口の噴気孔の大半が噴石で埋没したことを契機に、廃鉱となっている。
関連項目
参考文献
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高橋正樹・小林哲夫 編『フィールドガイド日本の火山3 北海道の火山』築地書館、1998年
外部リンク