読み込み中...上地 雄輔(かみじ ゆうすけ、4月18日 - )は、日本の俳優、タレント、歌手。歌手グループ「羞恥心」の「心」・アラジンのメンバー。神奈川県横須賀市浦賀出身。身長178cm『クイズ!ヘキサゴンII』の番組内及び『弱虫サンタ』の特典DVDにおいて「1.5cm伸びた」と発言している事から自身は179.5cmと公表している。、体重67kg。所属事務所はジャパン・ミュージックエンターテインメント。愛称は「ゆうちゃん」、「ゆうにい」「心」(羞恥心の「心」より。)、「上地君」「かみちゃん」「ユースケ」など多数。2009年3月11日に遊助名義で「ひまわり」という楽曲でソロでも歌手デビューした。血液型はО型。ペンは右、箸は左。
1979年4月18日、神奈川県横須賀市で長男として誕生。6歳から野球を始める。1995年、高校野球の強豪高である横浜高等学校に進学し硬式野球部に所属。捕手を務め松坂大輔らと甲子園出場を目指した。(後述1)。
複数の大学から推薦入学の誘いを受けていたが、芸能界のスカウトを受け、俳優としての道を志す。1999年にTBS系の連続ドラマ『L×I×V×E』でデビュー。2005年には、ドラマ『アストロ球団』に出演。その後も端役ながら数々のドラマや映画に出演し、活躍する。
2007年6月、『クイズ!ヘキサゴンII』にスリルな夜 子育ての天才(2007年)で、ゲスト出演した結果、ゲストとして初の最下位で、珍解答を連発。その後レギュラー解答者となり、『おバカキャラ』として一躍ブレイク。また、2007年8月には、同時期に出演していたつるの・野久保とともに『羞恥心』というユニットを結成し、2008年4月には歌手デビューも果たした(詳細は後述2を参照)。
2008年6月4日には自身のオフィシャルブログ『神児遊助』が「世界で最も1日の閲覧ユニークユーザー(重複しない人)数が多いブログ」(1日23万人観覧)としてギネスブックに認定された上地雄輔のブログがギネス認定産経ニュース 2008年6月5日閲覧。2008年10月、『セレブと貧乏太郎』にて上戸彩と共に自身初の主演を務め、同時期放送の『スクラップ・ティーチャー〜教師再生〜』では準主役での出演を果たす。
両親が共働きだったため、上地は自他共に認めるおじいちゃんっ子と自称している。
実父は横須賀市議会議員の上地克明(無所属・昭和62年初当選・現在6期目)。公式サイトの中の日記においても本人とのやり取りについて度々綴られているかっちゃん日記(上地克明氏HP)。実母は元CAとしても知られている。また、弟が1人いるが、一般人ということもありほとんど公表されていない。
上地が小学生の頃父親に言われた「これからは良い事をされたら100倍にして返せ! その代わり嫌な事をされたら100分の1にして返せ。」という言葉は、長い月日が経ってもブログ等に登場しており、上地の心の内に強く残っている。
1985年(当時6歳)に阪神が優勝したのを見て感動し、自らも野球をやることを決意したという読売テレビ『あさパラ!』より。少年時代の夢はプロ野球選手だった。
1991年(小学生時代)、1994年(中学生時代)と、全日本選抜メンバーとして世界大会に出場。小学生時代はキャプテンとしてチームをまとめ、4番を張る。中学時代でも軟式野球クラブチームの横須賀スターズでキャプテンを務める。また、中学三年生の年、所属チームは全国大会出場、関東大会優勝を果たした。横須賀スターズでの練習、試合、自主練習などに専念するべく、中学では形だけ理科部に所属した。
中学時代に計38校からスカウトを受け、名門私立横浜高等学校に進学。在学時は硬式野球部に所属し、捕手を務め、悲劇のエース・丹波慎也とバッテリーを組んでいた。1年後輩には松坂大輔がおり、松坂が入部すると最初にバッテリーを組んだ。2年生から背番号2を背負ったが、2年夏の甲子園予選の試合中に右肘の神経を断裂したため正捕手の座を1年後輩の小山良男に譲った。
右腕の神経を断裂した際、監督や家族にも言わず、回復していると嘘をつき数え切れないほどの病院を五ヶ月間一人で渡り歩いたが、回復の兆しはなく、部屋で一人泣く日もあったという。しかし、泣いていたのを見つかり全てを明かし、その翌日枕元に置いてあった母親からの手紙の最後の三行に、「降り止まない雨はないんだよ」「出口がないトンネルはないんだよ」「今が最低だと思うなら、これ以上の最低はないんだよ」と記述してあり心打たれたという。そして、治る可能性は五分五分という手術を迷わず受け、リハビリを経てなんとか大会に間に合わせた。また、足の靭帯も怪我をしている時期がある等、高校時代は怪我とも戦う事が多かった。
高校卒業前も複数の大学から推薦入学の誘いを受けたが断り芸能界に入った。また、野球を止めた理由として怪我を強調される場面もあるが、本人は、「怪我が治って直ぐの大会で以前と変わらない2番で出場だと言い渡された時、喜びより安心感が大きかった自分に絶望した」という理由を挙げている。「いつの間にか好きと言う気持ちを焦りと義務感が上回り、大切なものを見失ってしまっていた」とも語っている。
2008年1月19日に行われた松坂軍団対茨城ゴールデンゴールズ(横浜スタジアム)では松坂チーム・SAMURAIとして途中出場。打撃では最初の打席でツーランホームランを放ち、その後決勝犠飛を放って3打点の活躍をあげた。守備では11年ぶりに松坂とバッテリーを組んだ。試合は松坂軍団が7対5で勝利し、上地はMVPに選ばれた。
阪神ファンである。ちなみに弟は巨人ファンでポジションはピッチャーだった上地雄輔公式ブログ「神児遊助」より。また、既に故人となっている祖父の1人はかつて、社会人野球で鳴らしたプレイヤーと「上地雄輔物語」で語っている事から、野球とは縁があった模様。
初出演は2007年6月27日放送分。同局『スリルな夜・子育ての天才』の撮影時にスタッフに普段の面白さを見初められ、番組宣伝もかねての出演であった。この回の予選ペーパーテストで、初出演にして最下位となった。またクイズ本編では珍解答を連発したり前の問題の答え「フランクフルト」が頭に残り、ヘキサゴンコールの際にフランクフルトの「フランク…」と言いかけてしまい、それが原因でつるのと揉める等、司会の島田紳助から「メジャー級のアホ」と評された。その後すぐに準レギュラーとなり、里田まい、つるの剛士、木下優樹菜、スザンヌ、野久保直樹と共に「ヘキサゴンおバカ6人組」と呼ばれるようになり「おバカキャラ」としてバラエティ番組への出演が増えるようになる。
2007年9月頃から出演回の最下位をほぼ独占しており、最下位常連となる。特に2007年の9月5日の放送分では2点という低成績になり最下位となる。またクイズ本編でもなかなか答えられず「行列早抜け!リレークイズ」では優勝チームが決まった後も彼のためだけにクイズを続ける事もしばしあった。里田の記録を抜き最下位総数のトップ(26回)となるが、2008年下半期頃からは自身の点数の向上により以前に比べると圧倒的に最下位になる事が減っていたが、2009年4月からは点数の下降したPaboの3人とmisonoと再び最下位争いをするようになる。2008年7月26日のFNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!内でのスペシャル放送分では明石家さんま率いる『パーでんねん軍団』の予選ペーパーテストの成績が悪かった影響で12位と初の中位入りを果たした。そして、2009年1月14日放送分では13位と下位だったが初の20点台を獲得した。そして最高点数は2009年2月18日で22点と言う高得点を取った。2009年になってから最下位になったのは1月7日と3月18日と5月13日だけである。だが崎本大海と共演したときは最下位になることが多い。
番組内では共演機会の多いつるの、野久保と共に「イケメンおバカ三銃士」の愛称で呼ばれる。その後、2007年8月1日放送分の「アナウンスクイズ」で、上地が羞恥心を「さじしん」と読み、正解を教えられても理解できなかったことから、その日から3人のユニット名は「羞恥心」となった。羞恥心の「心」と呼ばれるようになったのは番組内で羞恥心が誕生した直後紳助が「お前ら三人(つるの、野久保、上地)は羞恥心や」と言い、つるのがスザンヌから「羞」と囃し立てられた事から、上地に向かい「心」と言ったことが始まり。2008年3月5日放送分でデビュー曲「羞恥心」を披露した。また2008年10月4日のヘキサゴンファミリーによるコンサートでは、自身がこのコンサートのために作詞した楽曲「ひまわり」をソロで歌い、2009年3月11日に「遊助」名義でこのひまわりをCD化した。また、セカンドシングルも6月24日に発売される。
| 1st | 2008年4月9日 | 羞恥心 |
| 2nd | 2008年6月25日 | 泣かないで |
| 3rd | 2008年12月10日 | 弱虫サンタ |
| 2008年7月30日 | 陽は、また昇る |
| 1st | 2009年3月11日 | ひまわり | フジテレビ系ドラマ「上地雄輔ひまわり物語」主題歌 |
| 2nd | 2009年6月24日 | たんぽぽ/海賊船/其の拳 |
| 2008年10月22日 | WE LOVE ? ヘキサゴン | 「ヘキサゴンオールスターズ」名義のコンピレーションアルバム 羞恥心・アラジンの他、エアバンドfeat.雄&直 のメンバーとして参加 |