読み込み中...信州大学は旧制松本高等学校、新八医科大学である旧制松本医科大学(旧松本医学専門学校)、旧制長野県立農林専門学校(旧長野県立農林専門学校)、旧制上田繊維専門学校(旧上田蚕糸専門学校)、旧制長野工業専門学校(旧長野高等工業学校)、旧制長野師範学校等を統合し、1949年に新制大学となった。全国に1つしかない繊維学部があるのは、信州の地がかつて生糸の産地であった土地柄を反映している。また、国立大学の中で最も高い場所(農学部:標高773メートル)にキャンパスを有する大学であり、歴史的経緯から典型的なタコ足大学として語られることが多い。
国立大学としては、珍しく現存していない地名(旧国名の美称)を冠する大学である(同様の大学には琉球大学などがある)。
大学本部のある「松本」を避け、また県名である「長野」も避けて、「信州」という名称を大学の名称としたのは、大学キャンパスが松本市、長野市だけではなく、北信、東信、中信、南信と呼ばれる長野県内の4つのそれぞれの地方に置かれていたことによる。また、長野と松本の間にあるいわゆる「南北戦争」(かつて、長野県南部は「筑摩県」と呼ばれ松本に県庁が置かれていた時代があり、長野県編入以降も改めて分県することを目指す動きがあった)をはじめとした県内地域同士の対抗意識の強さが影響したとも考えられている。
なお、長野大学の名称は、昭和41年に設立された上田市の私立大学で用いられている(但し、長野大学との名称使用は昭和49年から)。松本大学の名称も、平成14年に新設された松本市の私立大学で用いられている。
長野県は、北信、東信、中信、南信の大きく4つの地方に分かれるが、信州大学はそれぞれの地方にキャンパスを有する。
このように分散している様相から、ときに蛸足大学(タコ足大学)と揶揄されることもある。これまでの統合化の動きの中で一般教養は旭キャンパス(松本市)に集約されたが、学部・大学院教育は統合されず現在に至っている。
信州大学には画像情報ネットワークシステム(SUNS)が設置されており、一般教養と教職課程の授業ではネットワークを用いた映像中継による遠隔講義が行われている。しかし、専門教育は現状各キャンパスにて個々に行われており、例えば共通分野も少なくない繊維−農間、繊維−工間の教育も遠隔講義は実施されていない。IT技術を用いたキャンパス間の有機的連携をどのように今後行っていくかが課題となっている。
専門教育における連携の現状に比べ、サークル活動などでの学生同士の連携は盛んであり、「オール信大」として活動するサークルでは、100km以上の距離を移動し、サークル活動に参加する学生の姿が見られる。
旭キャンパスは、かつて旧日本陸軍松本歩兵第五十連隊の駐屯地であった。キャンパスの内には、その名残として赤煉瓦の兵舎(内部にペチカがあることから厨房棟であったと言われている)が残っている。1998年に大学構想のひとつとしてこの建物を遺産として保管しようとする計画がもちあがったが、現在に至るまで実現はしていない。
学生寮では、ほぼ全てが自治寮として運営されている(ただし、こまくさ寮と思誠女子寮には自治組織があるものの実質的には管理寮である)。例えば旧制松本高等学校からの寮である思誠寮には庶務部、生活部、炊事部、文化部の四委員会と、それを統括する総務委員会(総務委員長・副総務・対外総務・会計総務)が組織され、この総務委員会を筆頭に各部がそれぞれの担当を持ち、寮を運営している。また、委員会活動や特に寮予算に関しては半期ごとに方針・総括といった寮生全員での会議が行われ、特に寮予算を会計監査がチェックする機構を持つ。全国的には、このような自治組織を持つ寮が急速に減っている中で、高い自治能力を持つ学生寮が複数残っていることは比較的珍しく、信州大学の特徴の一つといえる。
学生寮が自治寮として維持できる理由は、寮生自身の自治意識が比較的高いことがまず挙げられる。加えて、そもそも長野県には自治・独立の気風があることも影響していると考えられる。また、日本の自治学生寮はしばしば特定の政治思想を持った団体との関係を持つことがあるが、信州大学の学生寮は基本的に全て政治的、思想的、宗教的に中立(良い意味での無関心)であることも考えられる。
寮自治意識の高さを物語るエピソードとしては、農学部キャンパス生協設立運動がある。昭和60年に農学部キャンパス内にあった食堂が経営不振のため突然閉鎖され寮食堂との統合案が示された。寮自治の精神から対案は学生自らが決めるべきと考えた中原寮生は、寮食堂とキャンパス内食堂の維持と、以前からの懸案事項であった書籍店の学内への設置案を示し運動をはじめた。これが全学的な生協設立運動に発展し、農学部キャンパスへの生協食堂、書籍部の設立に至った。特筆すべきは、この運動が特定の政治思想・団体に関係することなく行われたことである。いわゆる「学生運動」の時代がすでに過去のものとなっており、全国的に大学や寮の自治意識低下がすでにはじまっていた昭和60年代にあって、なお、全学を巻き込むような運動を行うパワーを寮が維持できていたことは、記録に留めておくべきであろう。しかし、近年、日本全国レベルで、自治意識の低下が見られる中、信州大学寮もその例に漏れず、存続の動向が気になる。各寮の連合体として、信州大学学生寮自治連合(信寮連)が存在したが、平成7年より活動を凍結している。
旧制高校での青春を描いた「どくとるマンボウ青春記」(北杜夫)には、旧制松本高等学校の思誠寮での実話が綴られている。新制大学に移行後も、木造の旧思誠寮は信州大学の学生寮として昭和58年まで使用され、かつて、多くの高校生がこの著書を読み、信州大学の学生寮に憧れ、その門をくぐった。
登山やウインタースポーツなどに興味のある学生が全国から受験するのは、信州という土地柄上、当然と言えるが、教育学部の学生の出身地域については地元に偏る傾向がある。
女子サッカー部、棋道部が全国大会に出場するなどして活躍している。