読み込み中...新潟市(にいがたし)は、新潟県北東部(下越地方)の都市で、同県の県庁所在地であり、本州日本海側唯一の政令指定都市である。
また広域合併によって郊外に広大な農地を抱え、水田面積が日本一となっており、「田園型政令指定都市」を標榜している。
市の中心部にあたる信濃川河口部には、古くから港が開かれ、幕末の日米修好通商条約開港五港の1つとなった。現在でも水陸の交通の要衝である。
1950年代まで、信濃川左岸の新潟島中心部には堀が張り巡らされ、それに沿って柳が植えられていた。そのため、「水の都」「柳都(りゅうと)」などの異名を持つ。また、多数の漫画家を輩出していることや、バイパス網が発達していることで知られる。萬代橋、NEXT21、朱鷺メッセ、新潟スタジアムがシンボル的存在となっている。
市の名前である「新潟」の由来については、元々信濃川河口部に「新潟」と呼ばれる潟があったという説と、信濃川河口部の地形の変化により新しくできた島などにできた集落を「新方」(にいかた)と読んでいたのが「新潟」(にいがた)に訛ったという説など諸説ある。
新潟市の市章は、1908年(明治41年)3月4日に制定された。
同日に告示された「市徽章設定ノ件」には、以下のとおり記されている。
新潟市ハ五港ノ一トシテ最モ多ク世ニ知ラルルニヨリ、其ノ意ヲ表ハスコトトセリ。すなわち、港を表す「錨」、1858年の日米修好通商条約により指定された「五港」の「五」、そして越後の象徴「雪環」を組み合わせ、開港五港の一つである新潟市を表している。
新潟の地は、信濃川と阿賀野川が日本海に流れ込む場所で、低湿な平野と、海にそって続く砂丘と、数多くの潟湖が形成された。
中心市街地は、信濃川の河口に発達している。郊外には潟を干拓した広大な水田が広がる一方、現在でも鳥屋野潟や佐潟、福島潟などの潟湖が残されている。うち、佐潟については、1997年にラムサール条約登録湿地となっている。
中心市街地は古くから、信濃川左岸側(西側)の旧新潟町、右岸側(東側)の旧沼垂町の、二箇所を中心に栄えて来た。両地域を結んでいたのが萬代橋(万代橋)であり、この橋が架けられてから、万代橋を中心に市街地が広がっていった。しかし、1950年代後半から、現在の新潟駅を中心とする地域の開発が始まった。また、鳥屋野潟周辺の小規模湖沼の干拓、旧市域の曽野木・両川・大江山地域と亀田・横越地区に跨る亀田郷や新津・小須戸地区の新津郷、白根地区などで乾田化が行われた。
1960年代から1970年代にかけては巻・西川・潟東地区に跨る鎧潟、豊栄地区では福島潟の一部も干拓されるなどして開発が進んだ。1964年6月の新潟地震以後からは、市内の国道・鉄道路線に沿った地区から、徐々に宅地化が進んでいった。このため、現在の市街地・住宅地は、海岸に沿うように北東から南西にかけて細長く伸びている。
関屋分水路の掘削により、信濃川左岸側の地域は全方向が川と海に囲まれるようになったため、「新潟島」と呼ばれることがある。また新潟島の対岸には「万代島」と呼ばれる地区があり、ここには新潟港(新潟西港)の区域にあたる佐渡汽船新潟港ターミナル、朱鷺メッセ(新潟コンベンションセンター)などが立地する。ここは、元々信濃川の中洲だったが、昭和初期に信濃川の両岸が埋め立てられた際、陸続きとなった地域である。
越後平野に位置するので、市域に占める可住地の割合が大きい。他の地方都市に比べると、数字上では人口密度が高めだが、住宅地が郊外に分散しているため、一箇所への人口集中はそれほど見られない。
郊外には農地が多い。海岸沿いの砂丘地帯は畑が多いが内陸部は水田が中心である。
越後平野の信濃川・阿賀野川下流域は、かつてはその多くが湿地帯で、現在も水田やその埋立地が多いという背景から、地盤が軟弱な箇所が多く、仮に大規模な地震が発生した際には揺れが大きくなりやすく、また液状化現象が発生する可能性が非常に高い。内閣府が2005年に発表した「表層地盤のゆれやすさ全国マップ」によると、新潟市付近の表層地盤は軟らかいため、非常に揺れが増幅し易いという調査結果が出ている(沿岸部の都市は総じて揺れ易い傾向にある)。また、これとは別に、大地震が発生した際には、関東平野・濃尾平野・大阪平野・庄内平野・秋田平野などと並んで、長周期地震動によって揺れが増幅し易い箇所であるとの研究結果もある。
| 都市 | 降雪量累計 | 最深積雪 | 1月気温 | 都市 | 降雪量累計 | 最深積雪 | 1月気温 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 札幌 | 630 cm | 101 cm | -4.1°C | 盛岡 | 351 cm | 36 cm | -2.1°C |
| 青森 | 774 cm | 114 cm | -1.4°C | 仙台 | 90 cm | 17 cm | 1.5°C |
| 秋田 | 409 cm | 41 cm | -0.1°C | 福島 | 235 cm | 26 cm | 1.4°C |
| 山形 | 491 cm | 50 cm | -0.5°C | いわき | 14 cm | 6 cm | 3.6°C |
| 新潟 | 255 cm | 39 cm | 2.6°C | 前橋 | 27 cm | 10 cm | 3.3°C |
| 上越 | 746 cm | 139 cm | 2.2°C | 東京 | 13 cm | 7 cm | 5.8°C |
| 富山 | 433 cm | 69 cm | 2.5°C | 彦根 | 131 cm | 29 cm | 3.6°C |
| 金沢 | 360 cm | 53 cm | 3.7°C | 岐阜 | 52 cm | 16 cm | 4.3°C |
| 鳥取 | 263 cm | 49 cm | 3.9°C | 名古屋 | 13 cm | 7 cm | 4.3°C |
| 松江 | 111 cm | 24 cm | 4.2°C | 浜松 | 0 cm | 0 cm | 5.8°C |
※このうち、市町村合併と政令指定都市移行については、新潟市の行政区域の変遷を参照。
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
|---|---|---|---|
| 1 | 小倉幸光 | 1889年5月27日 | 1891年6月3日 |
| 2 | 鈴木長蔵 | 1891年6月30日 | 1897年6月29日 |
| 3 | 1897年7月8日 | 1899年5月30日 | |
| 4 | 八木朋直 | 1899年7月24日 | 1902年9月25日 |
| 5 | 荻野左門 | 1902年11月4日 | 1904年2月20日 |
| 6 | 吉田吉次郎 | 1904年4月27日 | 1910年4月26日 |
| 7 | 1910年5月10日 | 1916年5月9日 | |
| 8 | 桜井市作 | 1916年12月28日 | 1919年1月16日 |
| 9 | 渡辺兼二 | 1919年9月22日 | 1921年9月10日 |
| 職務管掌 | 村井八郎 | 1921年9月11日 | 1922年1月13日 |
| 10 | 柴崎雪次郎 | 1922年1月14日 | 1925年5月6日 |
| 11 | 中村淑人 | 1925年8月26日 | 1929年8月25日 |
| 職務管掌 | 堀田健男 | 1929年8月26日 | 1929年11月15日 |
| 12 | 中村淑人 | 1929年11月16日 | 1933年11月15日 |
| 職務管掌 | 稲葉清之助 | 1933年12月27日 | 1934年1月29日 |
| 13 | 小柳牧衛 | 1934年1月30日 | 1937年7月24日 |
| 14 | 村松武美 | 1937年12月17日 | 1938年8月26日 |
| 15 | 井上英 | 1938年12月5日 | 1942年12月4日 |
| 16 | 1942年12月5日 | 1946年11月8日 | |
| 17 | 村田三郎 | 1947年4月7日 | 1951年4月4日 |
| 18 | 1951年4月25日 | 1955年4月14日 | |
| 19 | 1955年5月2日 | 1959年5月1日 | |
| 20 | 渡辺浩太郎 | 1959年5月2日 | 1963年5月1日 |
| 21 | 1963年5月2日 | 1967年5月1日 | |
| 22 | 1967年5月2日 | 1971年5月1日 | |
| 23 | 1971年5月2日 | 1975年5月1日 | |
| 24 | 川上喜八郎 | 1975年5月2日 | 1979年5月1日 |
| 25 | 1979年5月2日 | 1982年12月14日 | |
| 26 | 若杉元喜 | 1983年1月30日 | 1987年1月29日 |
| 27 | 1987年1月30日 | 1990年10月9日 | |
| 28 | 長谷川義明 | 1990年11月18日 | 1994年11月17日 |
| 29 | 1994年11月18日 | 1998年11月17日 | |
| 30 | 1998年11月18日 | 2002年11月17日 | |
| 31 | 篠田昭 | 2002年11月18日 | 2006年11月17日 |
| 32 | 2006年11月18日 | 現職 |
| 区名 | イメージカラー | 区名 | イメージカラー |
|---|---|---|---|
| 北区 | ■ネイチャーグリーン | 秋葉区 | ■フローラルグリーン |
| 東区 | ■アクアブルー | 南区 | ■ブリーズブルー |
| 江南区 | ■スプリンググリーン | 西区 | ■サンセットオレンジ |
| 中央区 | ■ウォーターフロントブルー | 西蒲区 | ■ハーベストイエロー |
1881年、西堀通六番町に初代新潟市役所庁舎(竣工当初は新潟区役所)が完成。1911年に二代目市庁舎に建て替えられたが、1941年の大火で焼失、1942年に三代目市庁舎が完成した。しかし、これも1955年10月1日に発生した新潟大火で焼失したため、1958年に鉄筋コンクリート造の四代目市庁舎が建てられた。しかしこれも老朽化し手狭になったことから移転・新築することになり、市制100年を迎えた1989年、旧新潟県庁本庁舎立地の学校町(白山神社そば)に現在の五代目市庁舎が完成した。本庁第1・2分館は、旧県庁分館を改修して使用している。ちなみに、第2分館は近年老朽化が激しく、近々取り壊しが予定されている。そのため移転先の一つとして、2006年に白山浦の旧北陸地方整備局跡地を取得し「白山浦庁舎」として整備した。現在、移転作業が順次進められている。
尚、その後西堀通の旧市役所立地には1993年にNEXT21が完成した。また2004年に開館した新潟市歴史博物館(みなとぴあ)の本館は、二代目市庁舎をモデルに建設されたものである。
| 会派名 | 計 |
|---|---|
| 計 | 56 |
| 新潟クラブ | 16 |
| 市民クラブ | 16 |
| 市民連合 | 7 |
| 日本共産党 | 7 |
| 改革ネット | 5 |
| 公明党 | 5 |
上記のように、環日本海地域との繋がりが深く、市内の案内板では英語、中国語の他に朝鮮語、ロシア語表記の物が目立つ。
新潟市は、本州日本海側で最大規模の都市である。所属する地方としては、中部地方(社会科・地理での分類)、北陸地方(五畿七道の分類)、関東甲信越地方(経済ブロックの分類)、信越地方(郵政関係)、北信越地方(衆議院比例代表区北陸信越ブロック)、東北地方(国土形成計画法による分類)などが見られ、「北陸地方」または「信越地方」の場合に地方を管轄する業務中枢が置かれている。(→甲信越地方、中部地方#地方内の分類、新潟県なども参照)。
新潟市の政令指定都市化で存在感が増し、歴史的につながりの深い山形県の庄内地方・置賜地方、福島県の会津地方、長野県の北信地方などの隣接地域に経済圏をはじめとした影響拡大が起きることが期待されている。
新潟市は、周辺地域とともに新潟都市圏を形成しているが、2005年3月の合併により、主な通勤・通学圏内の市町村が新潟市へ編入されたため、市域人口と比べて都市圏人口はそれほど大きくない。2000年国勢調査の統計値をもとにした都市圏人口は、都市雇用圏(10%通勤圏)で約95万人、10%通勤・通学圏で約99万人となっている。1.5%都市圏では約135万人。
以上のような定期的な人の移動を基準にした都市圏に対し、不定期的な人の移動、すなわち経済圏人口は約150万人規模と言われている。これらは既存政令市に比べて小さいが、全中核市よりは大きい。
市内にはかつて新潟証券取引所があった。主に県内主要企業の株式の売買が行われていたが、閉鎖。2000年3月に東京証券取引所に統合された。
中心部のオフィスビルは、10階建て前後の中低層ビルが主流であり、高層オフィスビルは31階建、21階建がそれぞれ1棟あるのみである。一方で、ここ数年は人口の都心回帰現象が見られ、中高層マンションの建設は活発化している。特に眺望の良い信濃川沿いにはマンションが多く立地している。また、景気回復傾向と政令市特需が相まって大規模な民間開発計画が相次ぎ、一部は既に建設が始まっている。
直近の鉱工業統計では事業数、鉱工業出荷額が日本海側最大である。
古くから原油、天然ガスの滞留層が存在することが知られ、海岸線沿いや水田地帯では、地下水に溶融するガスを分離して採取する小規模なガス田が稼働してきた。市内を走る路線バスの燃料が天然ガスに切り替えられた時代もある。1950年代以降には、東新潟油ガス田や阿賀沖油ガス田に代表する大型油田開発が見られ、一時は石油精製業が隆盛したが、老朽化した製油所の廃止により現在ではほとんど行われていない。
その上更に、各MAは周辺各市町村の行政域の一部にまで食い込んでいる。
3つのMAの管轄領域は以下の通り。新潟市議会新潟県内で最初に市外局番の3桁化が行われたのは旧新潟市を主体とした新潟MA区域である。1986年11月1日に局番の逼迫対策、及び同一MA区域内を市外局番無しで通話可能とするため、旧0252-DE・0253-DE・02537-E・02538-E・025385-の地域が「025-CDE」に統一化された。
尚、新潟県内には市外局番「025」を使用している地域が複数あるが、このうち市内局番200・300番代が新潟MA区域に割り当てられている。 また、3桁化当時、市外からの天気予報番号であった「025-177」の単位料金区域を「025新潟MA区域」に設定するために市内局番100番代も新潟MA区域に割り当てられた。 しかし後から、県内で新潟MA区域以外の「025区域」が発生したため「025-177」では新潟MAとしての天気予報地域の識別ができなくなってしまった。 これに伴い、市外からの天気予報番号は昔の「0252-177」に戻された。 この経緯により、新潟MA区域の「100番代」は現在もNTTの方形区画を表記する 単位料金区域別市外局番等一覧表・東日本一覧表において、正式に新潟MA区域の番号帯として割り当てられているが、これは有名無実であり、 現在「025-177」をダイヤルすると、通話料金無料のテープ音声で、「下越・新潟地方 0252-177」「魚沼・南魚沼・十日町地方 0257-177」「上越・糸魚川地方 0255-177」の各番号が案内される。
3つのMA管轄領域中、現新潟市域に割り当てられている市外局番・市内局番は以下の通り。
また、当然の事ながら市外局番の頭から4番目の数字が「0」である0250新津MA区域は従来の3桁市内局番方式による統一が不可能である。千葉県の我孫子市・柏市(柏MA)などで「04」を採用しているのに倣い「02」とする方法も必然的に考えられるが本格的な論議はなされていない新潟市-市長への手紙。
これも同様で、現在、西蒲原郡弥彦村、燕市の一部(旧西蒲原郡吉田町、旧分水町 (燕市は全域が市外局番0256であるが、三条MA(旧燕市)と巻MAに分かれている) )、長岡市の一部(旧三島郡寺泊町及び旧南蒲原郡中之島町の各一部)がそのエリアに含まれている。こちらは、燕市や長岡市のMA統一も含めた調整が必要である市外局番0256はどうなるの?(燕・吉田・分水合併協議会だより第7号)(PDF)。
新津地区、巻地区ともに0250、0256エリアの基地局が存在しており両地区の新潟MAへの変更が周辺MAエリアに及ぼす影響が大きいが、政令指定都市となった新潟市内全域の市内通話化実現のため、今後更なる協議が求められる。
新潟市中心部に「学校町」があるが、これは、新潟大学旭町キャンパスにはかつて同大学の全ての学部があり、その周辺には高等学校が三校あったことに由来する。
一方、古町や新潟駅周辺などには、専門学校が立ち列ぶ。特にNSGグループの専門学校が多い。
新潟市の小中学校・高等学校一覧を参照。
新潟市内には、県立1、市立22の図書館・図書室がある。
市立図書館には長らく基幹となる施設がなく(沼垂図書館が実質上の中央図書館的な機能を果たしていた)、蔵書の一部は廃校となった小学校などに所蔵され、収容施設の不足や、保存環境の悪さに起因する蔵書の傷みなどが問題となっていた。こうした問題の解決のため、2007年10月1日、旧市立長嶺小学校跡地に、新潟市立中央図書館(愛称・ほんぽーと)が開館した(中央図書館オープンに伴い、沼垂図書館は2007年5月31日をもって閉館している)。 新潟市立図書館その他、一部地域ではFM長野(飯山野沢局81.8MHz)、秋田放送(秋田936kHz)、北日本放送(富山738kHz)、文化放送(在京キー局1134kHz)、ニッポン放送(在京キー局1242kHz)が良好に受信できる。また東北放送(仙台1260kHz)やTBSラジオ(在京キー局954kHz)、ラジオ日本(1422kHz)も微弱ながら日中受信できる。天候によっては北海道放送(1287kHz)、STVラジオ(1440kHz)、京都放送(1143kHz)、毎日放送(1179kHz)、東海ラジオ(1332kHz)も受信できることもある。
かつては遊園地の「新潟遊園」(現寺尾中央公園。新潟遊園は越前浜に移転後廃業)「とやのレイクランド」(現新潟市産業振興センター駐車場)やアミューズメントパークの「新潟ジョイポリス」(のちに経営母体が代わり「マジックシティ・新潟ジョイポリス」に改称するも廃業、現万代シテイビルボードプレイス2)などが存在したが、既にいずれも閉園されている。また、映画館も近年シネマコンプレックスが数多く進出しているがその反面繁華街の中にあった単館系の映画館は閉館している。その他、主な娯楽施設としては水族館のマリンピア日本海などがあげられる。
2001年に完成した新潟スタジアム(旧愛称「ビッグスワン」、ネーミングライツにより2007年より「東北電力ビッグスワンスタジアム」)は2002年日韓ワールドカップの開催地となり、日本側の開幕戦が行われるなど三試合が開催されたほか、ワールドカップ終了後も、Jリーグのオールスター戦や日本代表戦なども行われた。また、ビッグスワンは、Jリーグ・アルビレックス新潟のホームスタジアムである。同チームの観客動員数はリーグでもトップクラスである。
プロ野球公式戦は以前、新潟市営鳥屋野野球場で年に1〜2試合開催されていたが(1991〜96年は近鉄主催1試合、1991年以前は巨人、ヤクルト、広島、南海等主催で1〜3試合を開催)老朽化や設備不備などの事情から1996年を最後に公式戦の開催はなく、イースタン・リーグなど二軍の公式戦も1998年から2007年まで10シーズンにわたって開催実績がなかった(なお2008年にはイースタン公式戦1試合が予定されている)。
新潟県スポーツ公園の敷地内では、新潟県立野球場(仮称)の建設工事が行われている。この本体着工には紆余曲折があった。整地のみが完了した段階で7・13水害や新潟県中越地震が発生し、これらの復興事業を最優先させる必要が生じたため、工事が中断した。このような事情により開催が困難になったため、2008年のオールスターゲームの開催誘致に成功していたものの、開催権を返上した。プロ野球オールスターの地方開催を取りやめるのは、これが史上初の事例であった。
しかしながら、2005年1月に地元経済界や新潟県高等学校野球連盟、新潟県硬式野球連盟、新潟県野球連盟(軟式)の野球三団体を中心として「県立野球場建設促進委員会」が設立され、建設を進められるよう論議が重ねられ新潟県側に提案などを行った。また2005年4月に野球場建設の署名活動が行われ、13万人の署名が集められた。これを受け、2006年6月22日午前に新潟県の泉田裕彦知事が記者会見を開き、新潟県立野球場(仮称)を2006年度内に着工し、2009年までに完成させると発表した。これにより、新潟国体に間に合うことになった。
本決定を受けて、2006年7月3日に開かれたプロ野球実行委員会で2010年のオールスター開催が内定した。
なお、新潟市は草野球が盛んなことはあまり知られていない。新潟地震後の復興のシンボルとも言える早起き野球大会は、市の主催で行われ、最盛期には944チーム(1981年)が参加した。現在では300チーム前後まで減少しているが、それでもなお参加チーム数としては全国一の規模である。
陸上と海上のいずれにおいても、新潟市は、北陸地方は勿論、本州日本海側の交通ターミナルとなっている。