新春かくし芸大会(しんしゅんかくしげいたいかい)とは毎年正月にフジテレビ系列で放送されている大型番組である。
概要
NHKの『紅白歌合戦』、TBSの『輝く!日本レコード大賞』と双璧をなす、年末年始恒例大型番組の1つ。1964年の第1回放送以来、「国民的番組」としての地位を築いてきた。放送形態は録画放送である(第2、33、46回(1965・1996・2009年)は生放送)。
後に1968年にスタートした『初詣!爆笑ヒットパレード』や2000年から毎年1月3日に新春特番として放送されている『平成教育委員会スペシャル』と並ぶフジテレビ恒例の新春特番の1つと呼ばれている(1990年代にはこの新春特別番組の中に『タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ』もあった)。基本的に元日(1月1日)に放送されるが、年によっては1月2日や1月3日に放送されたこともある。
審査は5人の審査員が1人最高10点の持ち点(合計50点満点)をつけ、最終的に合計点の多いチームが優勝となる。優勝チームが決定するとくす玉が割れ紙吹雪と風船が降り、紙テープと「今年もよろしくお願いします」と書かれたたれ幕が下がった。1996年天井から大量の紙吹雪が『紅白歌合戦』のように降り続き、1997年のお台場移転以降はキャノン砲から大量の紙吹雪(風船、紙テープは入っていない)が降る仕掛けを使用。優勝チームのキャプテンには、ヘンデル作曲の「見よ、勇者は帰る」のBGM(アレンジは宮川泰→たかしまあきひこ)と共に優勝カップが贈呈される。引き分けの場合、紙吹雪は降らず優勝カップもお預けとなる。
開始当初から1980年代初頭までは毎回30%(関東地区、ビデオリサーチ調べ、以下同じ)以上の高視聴率を獲得していた。最高は1980年の48.6%。しかし1983年以降は低下し始め、1997年から20%を割るようになった。2000年頃から15%前後で推移し2007年には16.0%に改善したが、2008年は再び13%を割り込んでいた。2009年は13年ぶり(3回目)の生放送で初めて個人戦となったが、視聴率は初めて1桁になった。
放送日時
歴史
1964 - 1970年代
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1964年 「新春ポピュラー歌手かくし芸大会」(新聞のラテ欄では「新春かくし芸大会」と表記)としてスタート。対戦形式は東軍-西軍だった。キャプテンとして西軍は藤田まこと、東軍は三木のり平という当時の東西の喜劇界を代表する看板役者を据えて対抗色を演出した。この回に関しては正式な司会者は設置されておらず審査員も小学生10名が務め、放送時間も夕方(16:45 - 17:55の70分間)であった。
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1965年 司会進行役を初めて設置、高橋圭三が担当(1970年まで高橋が1人で司会)。同時に審査員もタレントや著名人を迎える形となった。キャプテンは、渡辺プロダクション(以下ナベプロ)所属のハナ肇、植木等らハナ肇とクレイジーキャッツや、いかりや長介、加藤茶らザ・ドリフターズの面々が務め、さらに、ザ・ピーナッツが出演するなど、番組の制作会社でもあるナベプロのカラーが強くなっていく。この年は初の生放送で放送時間は90分間に拡大した。この年から1980年代まで年間視聴率ランキングの上位の常連になっていた。
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1968年 放送枠が2時間に拡大( - 1969年)。放送時間は夕方になったが、1969年は再び夜に戻る。
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1969年 初の19時台での放送。
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1970年 『かくし芸』のカラー放送開始。番組タイトルが「新春スター・かくし芸大会」に改題し、放送枠も2時間半に拡大( - 1974年)。
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1971年 芳村真理が初めて司会に参加。高橋・芳村のコンビ司会となる。以後15回に亘りこのコンビでの司会が続き、フジテレビの正月の顔として定着した。
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1972年 TBS『8時だョ!全員集合』が元日放送になるため、1月2日に放送。元日は、『スペクトルマン』『クイズグランプリ』『スター千一夜』『ズバリ!当てましょう(第1期)』など通常番組が放送された(『木枯し紋次郎』もこの日スタート)。
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1975年 放送枠が3時間に拡大( - 1982年)。
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1976年 堺正章の個人芸が始まる(この時は「曲独楽」に挑戦)。
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1977年 1月3日に放送。この年の1月1日は『ヤッターマン』(この日スタート)『ズバリ!当てましょう(第2期)』『欽ちゃんのドンとやってみよう!(第1期)』など、翌2日は『サザエさん』『世界名作劇場』『オールスター家族対抗歌合戦』などのレギュラー番組中心に放送された。なお1月3日の放送は、この年を最後にやっていない。
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1978年 元日にTBSで「お正月だョ!全員集合」(前日特番で休止した『8時だョ!全員集合』の特別版)を放送したため事務所の折合から1月2日に放送。
1980年代
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1980年 番組史上最高視聴率48.6%(ビデオリサーチ調べ・関東地区、以下同じ)を記録。1980年の年間視聴率ランキングで第3位であった。常時20 - 30%の視聴率を獲得し、『紅白』・『レコ大』と双璧を為す年末年始恒例の国民的番組へと発展した。
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1983年 出演者数の増大、演目の時間の関係などを理由に2部制(基本的には元日と1月2日の2日間連続放送)へと放送形態を変更。この年の放送枠は4時間、以後1984年に4時間半、1985年に5時間になった。
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1986年 21回連続で司会を担当して来た高橋が審査委員長に回り、新たな男性司会者として当時フジテレビアナウンサーだった逸見政孝が参加(芳村・逸見コンビでの司会は1990年まで(1989年を除く))。放送枠が再び4時間になった。これまでキャプテンとして牽引して来た植木等やいかりや長介、小松政夫らがこの時期に番組を勇退し代わって若手アイドルやタレントの出演が多くなり、世代交代が進んだ。この頃、ナベプロ以外の芸能事務所に所属しているタレントも出演する様になった。植木は1994年に復帰、出演しなかった回もあるが2005年まで出演した。
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1988年 放送形態が2部制から1部に統一される。
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1989年 対戦形式を紅白に変更。当時フジテレビアナウンサーだった露木茂が芳村と司会を担当(1回限り)。
1990年代
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1990年 『一月一日』が宮川泰編曲から、たかしまあきひこ編曲(2008年現在使用)に変更。
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1991年 芳村・逸見の「2人総合司会」から井上順・堺の「両軍キャプテン=司会」に交代。
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1994年 番組タイトルが現在の「新春かくし芸大会」に改題し、放送枠が3時間半に縮小( - 1996年)した。審査員が5人から10人に増えたが1996年以降は再び5人に戻った。この回だけ番組対抗かくし芸があり当時の『上岡龍太郎にはダマされないぞ』『クイズ!年の差なんて』『夢がMORIMORI』『平成教育委員会』にドラマ4番組を加えた8番組が参加、1対決だけのラジオドラマ対決もあった。
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1996年 1965年以来31年ぶりの生放送だったが、オープニングの演目以外はすべて事前収録のVTRであった。翌年以降は番組全体がVTR放送に戻った。この回は両軍キャプテンを置かず、司会は堺ととんねるずが担当し、両軍進行役に女子アナウンサー2名を起用。露木がこの回を最後に降板した。当時この回のみジャニーズ事務所のタレントは出演していなかった。また、この年まで河田町放送センター・第6スタジオで収録。なお、とんねるずはこれに引き続き当時土曜夜に放送されていた公開オークション番組『とんねるずのハンマープライス』の新年特番(生放送)にも出演した。
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1997年 フジテレビ社屋が河田町からお台場に移転、スタジオはV4スタジオになった。放送時間は4時間に拡大されたが、対戦数が9から7に縮小された。総合司会に中居正広、両軍キャプテンに香取慎吾、草彅剛といったSMAP3人を起用、またSMAPは「オープニング演目」として2年ぶりにかくし芸に出演した(1999年まで)。この回だけ「最優秀演目賞」「最優秀個人賞」「審査員特別賞」があった。
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1998年 審査員個人別採点の公表を廃止。タイトルの「かくし芸」の部分を公募による題字で表現した。
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*この回はSPEED・MAX・山瀬まみなど女性メンバーをメインとした演目をする紅組と堺・中山秀征・小堺一機・田代まさしなど男性メンバーをメインとした演目をする白組の対戦形式だった。
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1999年 対戦形式をアダルトチーム対ヤングチームに変更。1演目を除き満点だった。ヤングチームの最終演目「中国ゴマ」でネプチューン・安達祐実・知念里奈と共に出演する予定だった広末涼子が早大合格に伴い番組スタッフが「早大生に専念する」と判断したため、代打としてナインティナインの岡村隆史を起用した(この模様は6日前の1998年12月26日に「めちゃ×2イケてるッ!スペシャル」で放送された)。
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*この回から3時間放送となり、2002年(第39回・7対戦)と2003年(第40回・6対戦)を除いて対戦数を5対戦に縮小(この回は得点を付けなかった番外2演目があった。アダルトチームビートたけし、ヤングチームダウンタウンの松本人志の演目である)。
2000年代前半
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2000年 堺が再び総合司会になり、中立を内村光良、ヤングチームのキャプテンを南原清隆、アダルトチームのキャプテンを笑福亭鶴瓶が担当した。この回からジャニーズ事務所のタレントが出演しなくなり、ビートたけしもこの年から降板した。さらに植木が司会者から審査員長になった。
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2001年 両チームへの応援合戦が始まる。しかし、視聴率は裏番組のTBS『スポーツマンNo.1決定戦』に抜かれた。
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2002年 13.4%の歴代最低視聴率(当時)を更新(この回は1月2日19:00 - 21:54)。この時間帯の最高は日本テレビの『ものまねバトル』で、視聴率は1.1%高い14.5%だった。
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*演目でマルシアと共演予定だった田代が前年12月に不祥事で逮捕されたのを受けて急遽田代の出演部分をカットし、その旨のテロップを出演予定だった演目が始まる時に出して放送された。再放送では本放送の際小さく映っていた田代の頭部のみをデジタル処理により消去、あるいは白く塗りつぶすぼかし等の処理がなされた。演目開始時のテロップは表示されなかった。
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*前年は1月2日に放送した『[[クイズ$ミリオネア]]』を入れ替えて放送したが、『ミリオネア』も『スポーツマンNo.1決定戦』に視聴率で勝てなかった。翌年、2001年と同じ編成で2003年から2007年まで元日『かくし芸』・2日『ミリオネア』(2005年のみ別番組)になった。
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2003年 プロデューサー変更に伴い司会がみのもんたになり、同時に審査員陣の一新、対戦形式も再び東軍-西軍になり、さらに2001年以来OP演目が再導入された。番組タイトルロゴが現在のもの(赤い丸玉の文字の中に「新春」。但し2004年は除く)に変更された。堺が東軍監督(補助として中山が参加)を、恵俊彰・松本明子・ネプチューン・氷川きよしらが西軍監督を務めた。
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2004年 この回から同時ネット局のみ字幕放送を実施、放送枠も15分拡大し3時間15分に。西軍監督として鶴瓶が2年ぶりに登場(補助として松本明子が参加)した。この年から司会はみの・内田恭子(東軍進行)・高島彩(西軍進行)の3人体制になった。(2006年まで)
2000年代後半
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2005年 スタッフを刷新した。OP演目が廃止された事を受け、応援合戦の時間が拡大された。西軍監督は鶴瓶と久本雅美の2人体制に。
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*この年をもって植木が降板し翌年(2006年)から谷啓に交代。
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2006年 1996年以来10年ぶりに3時間半放送に戻り21:24まで放送された(1996年と同じ放送日時)が、視聴率は歴代最低(当時)の12.4%を記録した。西軍キャプテンは久本が1人で務め、青木さやかが西軍副キャプテンとして参加した。
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*フジテレビの3ヶ日の特番(バラエティ面)では後番組の『ココリコミラクルタイプ』でも11%と他の番組も全体的に低調で、『さんタク』の16.3%が最高だった。
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*2002年からここ4回同時ネットしていたテレビ宮崎については翌1月2日 12:00に放送され、宮崎地区では2002年以来4年ぶりに1月2日に放送された。
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*十数年ぶり、平成では初の両軍優勝となった。演目では50点満点を出した2演目あった東軍が勝っていたが応援合戦(ジャイアント相撲)では逆に西軍が勝ち数が多かったため、得点が同じとなった。
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*再放送では特別チャレンジ演目に出演したボビー・オロゴンが所属事務所内で暴行事件を起こした事を受け、ボビーの出演部分をカットすると共に3局の番組表ではボビーの名前などを省略した。
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2007年 『かくし芸』のハイビジョン放送開始。4年ぶりに3時間放送に戻し、収録は2006年11月18日に行われた。2001年から続いた「応援合戦」は行わなかった。一部雑誌ではステレオ放送と表記していたが、実際はステレオ放送は行わなかった。
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*2003年に東西両軍形式に変更して以来、初めて西軍の単独優勝(1点差)となった。
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*当初は18:00開始の予定だったが制作者の意向により前年より10分前倒しされ、17:50開始となった。
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*司会はみの・高島の男女1ペア体制になった。スタジオでの生演目は前年は10演目中7演目だったのに対しこの回は3演目に縮小された。
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*ネプチューンが西軍のキャプテンに移行し、中山秀征は正式に東軍の副キャプテンになった。
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*視聴率が16.0%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)と2004年以来3年振りに15%越え、21世紀では最高だった。TBSの『スポーツマンNo.1決定戦』を破り、2000年以来7年ぶりに同時間帯(元日18時 - 21時)視聴率トップを奪取した。
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2008年 『かくし芸』のステレオ放送開始。FNS28局フルネット。元日に放送するのは2003年以来6年連続で、収録は2007年11月24日に湾岸スタジオで行われた。昨年同様、司会陣・両軍キャプテン陣・オープニング演目は同じメンバーだった。『クイズ!ヘキサゴンII』のメンバーが初登場し、新メンバーが加わり団体芸を中心とした内容になった。また、応援合戦が2年ぶりに復活した。
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*関東地区における視聴率は歴代ワースト2となる12.6%を記録した。
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*再放送(関東地区では2月2日に放送)では本放送に流れていた「応援合戦」が省略された。
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2009年 閉塞感打破を狙い1996年放送以来の生放送。スタジオはもとより一部の演目も生で行われた。放送時間を2時間半(18:30 - 20:54)に縮小し6演目に減少。大会史上初めて演目ごとの対抗戦で行われ、個人戦となった。審査方法も従来の5人の審査員による審査に加え、視聴者による電話投票も行い、審査員の点数に視聴者の投票した点数の平均点を加えて最も点数の多かったチームに「ベスト・オブ・かくし芸」の栄誉が与えられた。前年まで司会をしていたみのもんたは降板、高島は進行として残り、ほかは堺・中山・恵・名倉潤(ネプチューン)の4人が司会の役割をした。
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*視聴率は2年続け下がり、番組史上最低の8.6%となり、初めて1ケタへ落ち番組打ち切りの危機感を起った。このときの同時間帯の最高視聴率は前年に続き「芸能人格付けチェック」(ABCテレビ制作・テレビ朝日系列)だった。
番組構成の変遷
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番組オープニングでは1996年までは年始のあいさつの後に『一月一日』(作詞:千家尊福、作曲:上真行)のオープニングバージョンが流れ番組タイトルと出演者紹介ロールを出していたが1997年では『一月一日』のOPバージョンが流れ、司会者(1997年のみ審査員)の紹介ナレーションの後、別に年始のあいさつ・番組タイトル・出演者紹介ロールを出していた。2000年では『一月一日』のOPバージョンが流れ番組タイトル・司会者の紹介ナレーションの後、年始のあいさつをし別に番組冒頭で出演者紹介ロールを出していた。2003年から現在では『一月一日』のOPバージョンが流れ、番組タイトル・出演者紹介ロールを経て司会者の紹介ナレーションの後、年始のあいさつをする形になった。
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1980年代までは副キャプテン格であるザ・ドリフターズのメンバーが獅子舞の演舞を行っているところから番組がスタートし、一通り演技を終えた後に西軍のいかりや長介・高木ブーと東軍の加藤茶・仲本工事・志村けんが一悶着を起こし、そこに仲裁に入る形で司会の高橋・芳村、キャプテンの植木等・ハナ肇が登場するというパターンが恒例化していた。
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1989年のOPは初の紅白戦ということもあって、間奏の部分にハイライトシーンを挿入する構成となっていた。昭和天皇の病状悪化による自粛ムードのため、OP・EDとも『一月一日』はBGMのみで歌は歌われずOPは露木茂のナレーションを被せて放送された。
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2006年は実際はOP部分の収録があり実際の本放送では放送されなかったが、2007年ではOP部分が復活された。出演者に関しては演目のみ部分出演者のロールを流した。
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かつては司会者が番組の開始時より既に審査員席の下部にある階段の前に「板付き」の状態のまま登場していたが、2000年から司会者の紹介の時に各チームの得点盤の前の階段から登場している。
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審査員紹介は2002年大会までは紹介があったが、2003年以後はなくなった。1997年に限ってはOPで司会者の紹介を行った後に審査員の紹介を行った。
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1970年代 - 1980年代前半は、番組内でスクールメイツによる応援合戦があった。ここでは、(多少の例外が有るが)前年のヒットソングの替え歌を応援歌として歌っていた。その後の応援歌は、1986年?のおニャン子クラブによる双方の応援歌(『セーラー服を脱がさないで』の替え歌)を最後に行っていない。
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1990年代までは1回戦毎に各チームの出し物の紹介の後、各チームの出し物、審査員の感想の後に各チームの得点を出す形だった。1997年以降は各チームの出し物の紹介の後に先攻チームの出し物、審査員の感想の後に得点を出した後、後攻チームでも同様の事を行っている。
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EDの総合得点発表では両軍同時に発表されたが(なお1999年と2000年に関しては各チーム毎の総合得点を出す形だった)現在は両軍同時に発表する形になり、発表時のBGMは1999年の頃と未だに変わっていない。
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その後の優勝杯授与と「一月一日」のEDバージョンが流れるが、2003年では間奏をカットしている。
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2003年から曲の後奏部分で提供クレジットを出したり、2004年と2005年は優勝杯授与からスタッフロールを出し、『一月一日』のEDバージョンの短縮版で終了している。但し、1998年に関しては各チームキャプテンの感想の途中で提供クレジットを出した。
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スタジオセットは左側西軍(紅組・ヤングチーム)出演者席・中側審査員席・右側東軍(白組・アダルトチーム)出演者席だったが、1997年だけは左側審査員席・右側出演者席で誰が紅組・白組の出演者なのか分からなかったため1998年以後は元に戻った。2004年のEDでは「テーブルクロス引き」があったためセットを片さず、誰が西軍・東軍の出演者なのか分からなくなってしまった。
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審査員席は1997 - 2003年の大会までは生演目の際にゴンドラを上昇していたが、それ以外はそのままだった。
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得点表示機は、1990年代前半までは審査員席の上に出し物用の得点表示機(2桁)、その上に合計得点用の巨大得点表示機(3桁。なお表示形式は『クイズグランプリ』と同じ)という構成だったが、1990年代後半からは出し物用表示機を廃止し、合計得点表示機で出し物の得点を出す様にして、それまで行っていた「現時点での合計得点」は、総合得点発表等の時に行う様にした。
司会・キャプテン
○=キャプテン役・演技者兼務、●=演技者兼務、◎=キャプテン役兼務、■=進行(フジテレビ女子アナ)
キャプテン
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藤田まこと(1964年、第1回の西軍キャプテン)
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三木のり平(1964年、第1回の東軍キャプテン)
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植木等( - 1984年、西軍キャプテン)
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いかりや長介(1985年、西軍キャプテン)
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ハナ肇( - 1990年、東軍キャプテン)
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谷啓
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堺正章( - 1994年・2003年 - 現在 キャプテン・演技者兼務)
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井上順( - 1993年 キャプテン・演技者兼務)
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小堺一機(1994 - 1996年 キャプテン・演技者兼務)
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草彅剛(1997 - 1999年)
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香取慎吾(1997 - 1999年)
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笑福亭鶴瓶(2000 - 2002・2004・2005年)
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南原清隆(2000 - 2002年)
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久本雅美(2005・2006年 2006年は演技者兼務)
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ネプチューン(2007・2008年 演技者兼務)
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1999年は各チームの応援団長、2003 - 2005年は各軍の監督、それ以外は各チームのキャプテンとなっている。1960年代中盤 - 1980年代にかけては同番組の看板タレントであるクレイジー・キャッツのハナ肇が東軍、植木等が西軍のキャプテンを務めており、その下にいかりや長介・谷啓・犬塚弘・加藤茶らクレイジー及びドリフターズのメンバーが副キャプテン格として位置づけられるという体制が長らく続いていた。
補足
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1965年に初めて司会者が設置され高橋圭三が抜擢された。以降1990年までの計26回で司会者は高橋圭三、芳村真理、逸見政孝(一度だけ露木茂)と代わっている。特に1971 - 1985年の15回連続で高橋・芳村コンビが定着しており、年末の『レコ大』(TBS系)、『紅白』(NHK)と並ぶ大型年末年始番組として長らく支持されて来た。その高橋は、1967年1月 - 1968年9月に同局で週レギュラーで放送していたかくし芸番組『スター芸能大会』(1968年5月 - 9月間は『対抗・スターかくし芸』と改題)の司会も務めており、「かくし芸番組の司会」のイメージが高かった。
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その後、1991 - 1995年までは紅白両軍(当時)キャプテンが司会を兼務するスタイルに変更。長期に亘りかくし芸に関わり続けて来た井上順(1991年は白、1992・1993年は紅キャプテン)・堺正章(1991年は紅、1992・1993年は白キャプテン)の盟友コンビが司会を務める事になる(1993年を以て井上はかくし芸を降板、翌1994年からは小堺一機が紅組キャプテン役を兼ねて堺と共に司会を務めた。1993年は1回のみ逸見政孝が総合司会として司会に復帰したが、進行は堺・井上・逸見の3名で行われていた模様である
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すべての総合司会者はナベプロに所属していないタレント及びフジテレビアナである。女性司会者は1990年の芳村勇退後はすべてフジテレビ所属の女子アナが担当している。2000年に入るとキャプテンが概ねナベプロの人気タレント中心になった。
エピソード
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1993年4月5日 19:00 - 22:24に「30回記念スペシャル」を放送(司会は堺正章・八木亜希子)。内容は、「ルーティンギャグのいろいろ」(ケーキ、任侠ドラマの壷振り、ハナ肇の銅像など)「過去の出し物」「収録中のハプニング・カンニング」など。
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1996年では審査員の要望から得点盤で最低6点しか出ず5点以下の時はマジックインキでフリップに書いたが、「スーパーチャレンジショー」で唯一森光子だけ「01」を書き1点を出した。
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1998年1月に「強力!木スペ120分」枠で過去35回のかくし芸大会で放送されたかくし芸の中でもう一度見たいかくし芸をランキングで発表(司会は中居正広・原千晶)。1位は1993年のSMAPの「正真カラテ」だった。なお、募集は前の年の1997年12月末に12:00 - 14:00枠の事前特番(司会・中山秀征他)の中で告知した。
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今までの最多人数は2001年の「郷土芸能・銭太鼓でドーン!」の56人(ホンジャマカ、千秋、ドロンズ、佐藤江梨子、乙葉他)である。
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堺正章は「ミスターかくし芸」の称号を持つ。
他番組でのパロディ
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1983年にテレビ朝日で放送された『爆笑!ドットスタジオ!!』の1コーナー「極道テレビ花田組」(TV番組をヤクザ風にパロディするコーナー)で、「新春オールヤクザかくし芸大会」として放送された事がある。関東ヤクザの「東組」と関西ヤクザの「西組」が対決する物で、本家にレギュラー出演しているハナ肇が審査委員長役で登場した。
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2003年にはフジテレビの『とんねるずのみなさんのおかげでした』で1997年以降出演しなくなったとんねるずの2人がかくし芸をする「かくし芸大会」を放送。本家の「新春かくし芸大会」のスタジオセットを用いて行い司会は「かくし芸」同様に八木亜希子、審査員に「かくし芸」に出演した小池栄子らが出ていた。
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2006年3月18日の『やりすぎコージー』で「フジテレビでは見せられないよ!どこで披露すんねん!本当のかくし芸大会」を放送した。
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2007年1月7日の『ハロー!モーニング。』(テレビ東京)で、この番組のミニバージョンとも言える「新春!かくし芸大会」が放送された。挑戦したのはモーニング娘。の藤本美貴と亀井絵里及び元モー娘。の辻希美だった。
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2008年にはフジテレビの『めちゃ×2イケてるッ!』内でレギュラーメンバーによる「新春!かくしておきたい芸大会」を本家の「新春かくし芸大会」のスタジオセットを用いて行う。
その他
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神奈川県横浜市にある放送ライブラリーには番組のVTRが無い。またフジテレビアーカイブセンターに現存する「かくし芸」の映像は1966年放送の第3回が最古であり、一部映像のない回もある。
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2001年までは事後番組(1996年までは「火曜ワイドスペシャル」枠で放送)を放送したが、2002年からは「かくし芸への道」として事前番組を放送している。
番組スタッフ
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2007・2008年(第44・45回)
ネット局
2000年までは
フジテレビ系の全国ネットだったが、2001年からはローカルセールスとなり放送されていない地域がある。
関連項目
同じフジテレビ系列で現在放送されている年始番組
外部リンク