読み込み中...推理小説(すいりしょうせつ)は、小説のジャンルのひとつ。殺人・盗難・誘拐・詐欺など、なんらかの事件・犯罪の発生と、その合理的な解決へ向けての経過を描くもの。さまざまなメディアに展開されるミステリーというジャンルの元になった。
推理小説という名称は、木々高太郎が雄鶏社にて科学小説を含む広義のミステリー叢書を監修した際、江戸川乱歩や水谷準に提案されて命名したものと伝えられる山村正夫『推理文壇戦後史』p.87(双葉社、1973年)。このほか探偵小説、ミステリー小説という呼び名もあるが、前者の名称は「偵」の字が当用漢字制限を受けたために用いられなくなった山村正夫『推理文壇戦後史』p.87(双葉社、1973年)。犯罪小説とかなり重なる部分もあるが、完全に同義という訳ではない。
世界初の推理小説は、一般的にはエドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』(1841年)であるといわれる。しかし、その数年前にチャールズ・ディケンズも半推理・半犯罪小説の『バーナビー・ラッジ』を書いているほか、100年ほど前に書かれたヴォルテールの『ザディグ』(1747年)の一編『王妃の犬と国王の馬』も推理に重きが置かれている。さらには『カンタベリー物語』、『デカメロン』、聖書外典『ダニエル書』の『ベルと竜』やヘロドトスの『歴史』にも推理小説のような話が収録されており、どこに端を発するかという議論は果てしない。
しかし、確実にいえるのは、1830年代にイギリスにおいて警察制度が整ったことにより、犯罪に対する新しい感覚が生まれたということである。1830年代に一世を風靡したニューゲート小説は、ニューゲート監獄の発行した犯罪の記録を元に書かれた犯罪小説であり、後の近代推理小説が生まれる基盤を作ったといえるだろう。
また、権利と義務の体系が整い、司法制度や基本的人権の尊重がある程度確立した社会が成立していることも、推理小説に欠かすことのできない要素であると考えられる。
推理小説と言うジャンルの確立には警察組織の存在が大きかった。法を手に犯罪者を捕らえる新しい形のヒーローが誕生した裏側には、また急速に都市化が進んでいくイギリスにおいて、都市の暗黒部に対する一般市民の不安が高まっていた、という歴史的事実も見逃せない。また都市化に伴うストレスのはけ口として、「殺人事件」というモチーフの持つ非日常性が必要とされていたという見方もある。
推理小説が誕生した後、さまざまなアイデアが生み出され、下記に挙げられるようなミステリーにおける「基礎・応用などの土台」が作られていった。また、科学・医学の進歩に伴い、科学的な知識を用いたトリックなども、次々と考え出されていった。
また、ミステリー表現の世界は小説だけにとどまらず、映画・ドラマ・舞台・漫画・ゲーム……などさまざまなジャンルに波及し、表現の幅を広げていった。
下記の分類は、互いに相反するものとは限らず、一つの作品が以下の複数の分類に当てはまることがある。
推理小説のなかではもっとも一般的でかつもっとも古典的なジャンルである。事件の手がかりをすべてフェアな形で作品中で示し、それと同じ情報をもとに登場人物(広義の探偵)が真相を導き出す形のもの。第二次世界大戦前の日本では、「本格」以外のものは「変格」というジャンルに分類された。なお、本格という呼び方は日本独自のもので、欧米ではパズラーや上述のフーダニットと称される。
本格であるためには、解決の論理性だけではなく手がかりが全て示されること、地の文に虚偽を書かないことが要求される(わざと決定的な事実を明示せず曖昧に表現したり、登場人物の視点から登場人物自身の誤解を記述するのは問題がない)。たとえば、ある作品では列車に乗り合わせた子供の性別が問題になるが、題名にも地の文にも「男の子」「女の子」といった記述は一切なく、伏線として子供の振るまい(特定の玩具に興味を示す)が記述されている。もちろん作家はそれが伏線であることを隠蔽する努力も怠っていない。ただし、現代の視点では、ポオの『モルグ街』には若干アンフェアな記述がある他、アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』はフェアかアンフェアかについて、有識者の間で議論を醸した。
エラリー・クイーンの国名シリーズのように「ここまでの部分で、推理に必要な手がかりは全て晒した。さあ犯人(もしくは真相等)を推理してみよ」という「読者への挑戦状」が明示的に含まれる作品もある。密室殺人を始めとした不可能犯罪を扱った作品の多くはこのジャンルに含まれる。なんらかの事情で外界とは隔絶された状況下で事件が起こるストーリー。過去の代表例から「嵐の孤島もの」「吹雪の山荘もの」などとも呼ばれる。 アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』が代表作。
孤立した環境下ということで現実的な警察機関の介入、科学的捜査を排し、また容疑者の幅を作中の登場人物に限定できることから、より純粋に「犯人当て」の面白味を描ける利点があり、本格派(上述)志向の作者や読者から好まれる傾向がある。一方で探偵役やワトスン役も含めて、登場人物はみな、警察機関の保護を頼れないまま殺人犯(かもしれない人物)と過ごすことになり、そうした心理サスペンスを盛り込んだ作品も多い。
「犯人が自分の犯行に気付いた相手をやむをえず殺害することになる」などの理由付けによって、連続殺人事件へ発展する場合が多い。その場合、犯行が進むにつれ、生存者が減少し、その中に犯人がいる(はずである)こともサスペンスを呼ぶ。
逆に言えば犯人にとっては「容疑者が限定される状況」で犯行を繰り広げるということであるため、なぜわざわざそうした危険を冒すのかという批判もあるが、それにいかに「合理的な動機」を与えるかもこのジャンルの醍醐味といえる。ストーリーによっては途中で殺害された人間のなかに自殺した犯人がいて、その後の犯行は機械的なブービートラップなどによりおこなわれた、といったものもある。
"誰が犯人なのか"も醍醐味のひとつであるが、クローズド・サークル最大の特徴は大きな恐怖やスリル感であるために、それを如実に表すことのできる映画やテレビドラマなどの映像作品でも多用される。また、「素人探偵が警察をさしおいて犯人探しに取り組む」ことの理由付けが安易であることもあってか、「金田一少年の事件簿」や「名探偵コナン」など、少年探偵の活躍するコミック作品にも多く見られる。通常の推理小説では、まず犯行の結果のみが描かれ、探偵役の捜査によって犯人と犯行(トリック)を明らかにしていく。しかし、倒叙形式では、初めに犯人を主軸に描写がなされ、読者は犯人と犯行過程がわかった上で物語が展開される。その上で、探偵役がどのようにして犯行を見抜くのか(犯人はどこから足が付くのか)、どのようにして犯人を追い詰めるのか(探偵と犯人のやり取り)が物語の主旨となる。また、先に犯人にスポットが当たることにより、一般的に尺が短くなりがちな動機の描写において、何故、犯行に至ったのかという点を強く描写することが可能である。さらに映像作品では、(シリーズ作品について)犯人役はゲストにならざるを得ないが、ゲストに大物俳優を起用してしまえば犯人がそれでわかってしまうという問題が解決できる。英語ではinverted detective story(逆さまの推理小説の意)と呼ばれる。
オースティン・フリーマンの短編集『歌う白骨』で初めて用いられた。ただし、ポーも倒叙ミステリとしても読める『黒猫』や『告げ口心臓』を著しているなど、推理小説そのものの歴史と同様に、その最初をどこにおくかについては、諸説ある。
1920年代から1930年代に全盛期を迎え、なかでもフランシス・アイルズの『殺意』、F・W・クロフツの『クロイドン発12時30分』、リチャード・ハル(アントニー・バークリー)の『伯母殺人事件』は倒叙三大名作と呼ばれた。テレビドラマ作品では『刑事コロンボシリーズ』や『古畑任三郎シリーズ』が特に有名である。
推理小説とも怪奇小説ともつかない奇妙なもの。推理作家でない作家が書くことが多い。ロアルド・ダールの短編が有名。
推理小説の形式自体を題材にした、あるいは利用した推理小説。曖昧に使われているが、広くいえば言語の自己言及性そのものに謎を見出す作品。小説中にAとBの二つの部分が交互に現れ、Aに現れる登場人物がBを、Bに現れる登場人物がAを執筆しているという合わせ鏡的プロットや、作中作を利用した再帰的構造の一番奥の部分が、全体の枠組みに言及する循環構造プロット、「読者が犯人」「著者が犯人」「出版者が犯人」など商品としての書物自体を含んだプロットなどが挙げられる。メタフィクション参照。
本格作品(前述)の<手がかりをすべて作中に示す>ことが作中でどのように保障されるかを問題にしたプロット(「本格」としての解決の後、それが実は作中作であって、後日談があって、新たな捜査の進展があって、意外な真相がさらに明らかにされる、など)も含まれ、この種の推理小説自体の枠組みに対し疑念を呈する作品を「アンチミステリ」(反推理小説)と呼ぶことがある。狭義には、有名な観光地を舞台にし、探偵役がなんらかの形で観光にかかわる作品を指す。テレビドラマや映画など、映像化に適したジャンルでもあり傑作も多い。日本では特に西村京太郎の多作によって、人気ジャンルのひとつになっている。
広義には、鉄道や航空機などの交通手段を用い、その運行予定表の裏をかいたアリバイ工作の登場する作品。「時刻表トリック」「時刻表もの」などとも言う。日本では鉄道を始め公共輸送機関の定時性が極めて正確であり、国民の間で広く利用されていることが、このジャンルの人気を支えている。
日本ではかつて英語の"Detective Novel"、"Detective Fiction"の訳語として探偵小説と呼ばれていたが、第二次大戦後、「偵」の字が当用漢字に入れられなかったため、「探てい小説」と混ぜ書きで書くことになった。しかし、これを「みっともない」として「推理小説」という言葉が作られ、一般的になった。1946年に雄鳥社が「推理小説叢書」を発刊した時に、その監修者の木々高太郎が命名したという説もある。「偵」の字は1954年の当用漢字補正案で当用漢字に入れられたが、既に「推理小説」という言葉が広まっており、「探偵小説」に戻されることはなかった。「探偵小説」は、ジャンル名としては廃れていったものの、ロマン的な響きを持つため、未だ愛用している人も多い。
また、「ミステリー小説」(あるいは「ミステリ小説」)、もしくは単に「ミステリー(ミステリ)」とも呼ばれる。
推理小説を著す作家は、推理作家、ミステリ作家などと呼ばれる。推理小説を専業にする作家と、他のジャンルの小説をも同時に手がける作家と、大きくこの二つに分けられる。近年では、作家本人は推理小説を書いている意識がないのにもかかわらず、読者や評論家から推理作家に分類されてしまう場合があるなど、書き手と読み手との意識のずれもみられる。著名な作家については推理作家一覧を参照のこと。
推理小説には、いわゆる「名探偵」が登場して事件を解決することが多いが、専業の探偵の登場しない推理小説も多い。このため、警察官や検事、弁護士なども含めて、推理小説における謎を解決する人物の総称として探偵役などのようにいう場合もある。特にその探偵役が主婦や学生などの場合は、(いわゆる「日常の謎」派の探偵をのぞき)「素人探偵」と呼ぶことがある。
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