読み込み中...

西遊記

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

西遊記』(さいゆうき、西游?西遊記 Xīyóu Jì)は、中国16世紀の時代に大成した伝奇小説で、唐僧・三蔵法師が白馬・玉龍に乗って三神仙(神通力を持った仙人)、孫悟空猪八戒沙悟浄を供に従え、さまざまな苦難を乗り越えて天竺へ経を取りに行く物語である。全100回。

著者は『淮安府史』(天啓年間)では呉承恩1504年頃 - 1582年頃、江蘇省出身の官吏詩人)の著書に「西遊記」と記述されていることから中国では定説化しているが、諸説あり、明確ではない。詳しくは後述。

概要

の時代にインドへ渡り仏教経典を持ち帰った玄奘三蔵の旅の記録を記した『大唐西域記』を元に、道教仏教の天界に仙界、神やや妖怪や仙人など、虚実が入り乱れる一大伝奇小説であり、中国四大奇書の一つに数えられる。

物語の縦軸に玄奘三蔵の波乱の人生を、横軸に無敵の仙猿・孫悟空の活躍を置き、玄奘三蔵一行が天竺を目指し経典を求める旅を果たすまでを描いている。

なお人間の登場人物には玄奘三蔵や唐の太宗皇帝など実在の人物が顔を並べるが、書かれている内容は完全にフィクションであり、史実とは一致しない。

成立

唐三蔵西天取経伝説

Wikipedia画像へのリンク(敦煌の洞窟に残された9世紀頃の壁画)

現実の玄奘三蔵の取経の旅は西暦629年から645年の間になされた。その事績が仏教徒の間で伝説化し神聖視された痕跡が各地に残されている。

敦煌莫高窟から発見された絹本、紙本の絵画及び壁画(9世紀から11世紀半ば)には経巻を背負い虎を伴った徒歩の行脚僧の描かれたものがあり、伝説化した玄奘とする説がある。これらの中には宝勝如来を上隅に描き入れているものがあり、「寳勝如來一軀」と書き入れられたものもあることからこの取経者は宝勝如来に保護され、また宝勝如来と同一視されたと推定される。

莫高窟東方約 100 km の楡林窟、その更に東方約 30 km の東千仏洞の水月観音図、普賢変図(12世紀後半、西夏末)に含まれる玄奘取経図に描かれた玄奘は猴(マカカ属のサル)と馬を伴っており、また張世南『游宦紀聞』(1228)所収の張聖者の詩(北宋末から南宋初、12世紀前半と推定される)には「幾生三藏往西天」「苦海波中猴行復」「沈毛江上馬馳前」の字句が見え、12世紀には玄奘の取経伝説には猴と馬が取り込まれていたことが分かる。1237年に建立された福建省泉州の開元寺の仁壽塔(西塔)第四層南面には「梁武帝」に向き合って経文を捧げる「唐三藏」、東北面には刀を手にした猴行者と金箍棒を手にした「東海火龍太子」の浮き彫りがあり、それぞれ「」内の文字が銘文にある(猴行者は銘文無し)。

西遊記の成立

Wikipedia画像へのリンク(金陵世?堂版西遊記)

代には原型となる説話「大唐三蔵取經詩話」(三蔵が猴行者(猴(サル)の行者)を連れ取経の旅をする)が存在していた。西遊記で今残っている最古のものは代の西遊記の逸話を収録したとみられる朝鮮の書『朴通事諺解』(1677年)によるものである。写本科挙を目指す書生たちが息抜きに作成していったと思われ、書き写される度に詩文・薀蓄が追加され、拡張され、また、戯曲雑劇「西遊雑劇」として好んで上演された。の時代には多数の西遊記があった。代表的なものは『西遊記傳』(楊至和本)、『唐三藏西遊傳』(朱鼎臣本)など三種のうちその最も膨らんだ姿が、万暦20年(1592年金陵世徳堂の刊行した『新刻出像官板大字西遊記』(作者名なし 通称は世徳堂本)である。

その後、明末期に蘇州刊本『李卓吾先生批評西遊記』があり、内閣文庫に収蔵されているが、本文は世徳堂本とほぼ同じである。中野美代子訳の岩波文庫全10巻※岩波文庫1巻.ISBN 4003202015、なお旧版は、1〜3巻は小野忍訳である。はこの版の全訳である。

もちろん李卓吾の名は、他の小説と同様に刊行元が価値をつけるために勝手につけたものである。

これら(繁本)は分量が多すぎたため、代には商業ベースを考慮したダイジェスト(簡本)が『西遊証道書』(康熙初年 その序に作者を長春真人丘処機(丘長春)としてあり、以降、清代の西遊記の作者とされた。)をはじめ多く刊行されるようになったそれらの内容を比較するとそれぞれ一長一短であるが、最もバランスよく整理されたといわれる、少し大きめの簡本が康熙33年(1694年)刊行の『西遊真詮』である。平凡社で刊行した『西遊記』(太田辰夫・鳥居久靖訳)『西遊記』 太田辰夫・鳥居久靖訳、平凡社中国古典文学大系」全3巻ほか、 ISBN 4-582-32702-8 C0397、のち選書版が全8巻で刊行。がこの版の訳書である。

作者

前述のとおり、清代には、作者は長春真人丘処機(丘長春)と信じられており、T・リチャード(1845年 - 1919年イギリスの宣教師バプテスト会)による初の英訳本(上海 1919年)においても作者名は丘長春とされていた。呉承恩作者説は、魯迅が『中国小説史略』(1924年)や「中国小説的歴史的変遷」などで提唱したもので、比較的新しい説である。それ以降、呉承恩が作者として扱われることが多いが、証拠はない。日本では太田辰夫・中野美代子が、研究によりこの説を否定しており、『世界文学事典』(集英社刊)でも、「小説『西遊記』の版本に、呉承恩の名前や別号を記したものがないため、呉承恩の『西遊記』が、小説の西天取経物語を指すのか、あるいはその戯曲、あるいは全く別の紀行文を指すのか、現在まだ定説はない」、「(呉承恩は西遊記の)最大限改編者であり得ても、〈作者〉ではない」と書かれている。日本では現在、太田辰夫が訳した平凡社版や、中野美代子が訳した完訳の岩波文庫版には作者名が書かれていないが、『金陵世?堂版西遊記』を定本に清の6種の本に基づき、君島久子が校訂し訳した福音館文庫版など、呉承恩作と記されている出版物も少なくなく、呉承恩作者説は未だ一般に広く流布している。2007年までにおいては、西遊記の作者が誰なのかに関して決定的説はない。

主要登場キャラクター

孫悟空(そん ごくう)
悟空の名は仙術の師匠・須菩提祖師からもらった法号であるため「実名敬避俗」(参照)に準じ、通称は孫行者と呼ばれる。孫悟空の孫は猿の昔の呼び方である「猢猻」から来ている(“猻”の獣偏を取った“孫”を名前に取り入れた)。
はじめの通称は美猴王(びこうおう)、天界時の自称は斉天大聖(せいてんたいせい)。
西域より帰還の後、未来世に成仏して闘戦勝仏となることを釈迦如来より約束される(これを記別という)。
猪八戒(ちょ はっかい)
猪悟能(ちょ ごのう)は観音菩薩からもらった法号であるため「実名敬避俗」に準じ、三蔵法師からもらった通称の八戒と呼ばれる。天界から地上へと落とされた際、人間に転生するはずが、うっかり雌豚の胎内に入ってしまったため、容姿が豚となってしまう。
天界時の官職は天蓬元帥(てんぽうげんすい)。
西域より帰還の後、未来世に浄壇使者(じょうだんししゃ)となることを釈迦如来より約束される。
沙悟浄(さ ごじょう)
悟浄は観音菩薩からもらった法号であるため「実名敬避俗」に準じ、通称は沙和尚と呼ばれる。悟空と八戒との間を取り持つ役。中国では顔色が黒い気味の悪い男と表現される。天界から流沙河に追放され、そこで人を襲う妖怪となった。流沙河は名前の通り河のように流れる流砂を表していたが、水の流れると誤解されている。そのため日本では“河童の妖怪”とされている。
天界時の官職は捲簾大将(けんれんたいしょう)。
西域より帰還の後、未来世に金身羅漢(こんしんらかん)となることを釈迦如来より約束される。
三蔵法師(さんぞうほうし)
俗名は陳江流。三蔵法師は通称、法号は玄奘三蔵(げんじょうさんぞう 三蔵法師は実在の人物である)。
長命寺で拾われずっとそこで育てられる。観音菩薩の命を受けて天竺へと取経の旅へ遣わされる。その際、太宗皇帝と義兄弟となる(史実ではこのような事は行われていない)。
天界にいた時は釈迦の第二の弟子、金蝉子(こんぜんし)であったが、仏法を信じないため下界に落とされた。
西域より帰還の後、未来に旃檀功徳仏(せんだんくどくぶつ)という仏に成る記別を釈迦如来より与えられる。
玉龍(ぎょくりゅう)
西海龍王敖閏の第3太子であり三蔵が乗っている馬に化身している。女性に化けて立ち回ったこともある。
西域より帰還の後、未来世に八部天竜(はちぶてんりゅう、天竜八部衆)になると釈迦如来より約束される。
釈迦如来(しゃかにょらい)
西天の大雷音寺に住む。孫悟空に天界を我が物にできるという賭けを持ちかけ、勝つ。五行山に孫悟空を閉じ込める。
観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)
鳩摩羅什による訳語、観世音菩薩がの二代目皇帝李世民の名”世”から避諱により唐時代の中国では観音菩薩。玄奘三蔵の訳では観自在菩薩。三蔵が悟空に殺されることを恐れ、三蔵に緊箍児を託す。
ナタ太子|(なた たいし)
天界軍を指揮する托塔李天王の息子。火尖槍と風火二輪を使う。『封神演義』では主役級のキャラクター。
顕聖二郎真君(けんせいじろうしんくん)
天界をおさめる神である玉帝の妹の息子。悟空が天界に対して反乱を起こした際に悟空を捕えることに成功する。『封神演義』では楊戩。哪?と並んで主役級のキャラクター。
牛魔王(ぎゅうまおう)
牛の妖仙であり孫悟空の義兄弟。
羅刹女(らせつにょ)
牛魔王の妻。火焔山の炎を消すことができる芭蕉扇を持つ。
紅孩児(こうがいじ)
牛魔王と羅刹女の息子。聖嬰大王と号する。牛魔王繋がりで孫悟空から見て甥ということになるが、紅孩児本人は甥呼ばわり(中国では人を馬鹿にする際に、相手を甥、姪と呼ぶことがある)されることを嫌う。三昧眞火と呼ばれる術を使い、一度は悟空を敗退せしめたが、観世音菩薩に調伏され、弟子となる。
金角大王(きんかくだいおう)
正体は太上老君の金炉の童子。銀角の兄。母に九尾の狐がいる。
銀角大王(ぎんかくだいおう)
正体は太上老君の銀炉の童子。移山倒海の術で悟空をおしつぶそうとするが、失敗する。

内容

大鬧天宮 (だいどうてんぐう)

孫悟空大いに天宮をさわがす

東勝神洲(とうしょうしんしゅう)傲来国(ごうらいこく)花果山(かかざん)の仙石から天地の霊気を纏った石猿が誕生する。猿は途轍もない度胸の持ち主で、山奥の滝壺にて洞天福地・水簾洞(すいれんどう)を発見した功により、花果山の周辺の猿を従えて王となり、美猴王と名乗る。ある時、美猴王はこの世の森羅万象について考えていくうち、生きとし生ける物の生死に悲観し、不老不死を願うようになり、西牛貨洲霊台方寸山まで仙術を身につけに行く。師匠・菩提祖師から孫悟空という法名を授かり、七十二般の術を身につけるがまだ満たされず、とうとう四大竜王の竜宮ひいては天界にまで殴り込みに行き、天界を統べる玉帝より弼馬温(ひつばおん)の位を授かる。当初悟空は弼馬温の実態も知らず喜んでいたが、後に弼馬温が只の馬飼いと知るや否や忽ち激怒し、自ら斉天大聖と名乗り、哪太子や顕聖二郎真君相手に天界で大暴れする。西王母の蟠桃を食らい、太上老君の金丹を平らげ、罰として八卦炉に入れられるも、悟空は「銅筋鐵骨 火眼金睛」の不死身の体となって生きのび飛び出した。遂には釈迦如来と「俺は地の果てまでも飛んでいってみせる」と賭けをする。地の果てらしき場所に立っていた5本の柱に到達したしるしとして悟空は一筆書き、柱に小便を引っかけて得意となって戻ってくるものの、実は釈迦の両手のなかをぐるりと周回しただけであった。釈迦が示した手に自分の署名を見て呆然とした悟空はその場を逃げようとしたものの、あっという間に五行山の下敷きにされてしまった。

三蔵が取経に出るまで

悟空が五行山の下敷きにされてから五百年の時が流れた。時は唐代、太宗の御世であった。太宗は一時病の為に死んで地獄を巡ったが、冥土の高官達の目溢しにより再び現世で黄泉帰った。やがて太宗が閻魔の言い付け通りに水陸大会を催し、その時後に取経の僧に選ばれる玄奘を見出す。所変わって天界では観世音菩薩が弟子・恵岸と共に下界へ降り立ち、悟空を含む諸々の罪人達にある取り引きをした。天界にて罪を犯していたのは悟空だけではなかった。その罪人達とは、天の川の水軍を統べる天蓬元帥であったが月の女神・嫦娥を誑かした為に天界を追われ妖仙と化して深山にて暴れていた猪八戒、天界の軍人であった捲簾大将が天界の宝である玻璃の器を壊して天界を追われ流沙河にて人を喰らう妖仙となった沙悟浄、そして父竜王の竜宮で宝珠を焼き死罪を言い渡されその間中空に逆さ吊りにされて苦しんでいた西海竜王敖閨の子・玉龍である。観音は銘々にいつか現れる取経の僧と共に天竺へ参り、贖罪を果たすことを約束させる。功によっては彼らを仏にしてもいいということを条件に・・・。その取経の僧こそがあらゆる経典を学び、人徳に優れ、多くの人々から聖僧と敬われていた玄奘三蔵であった。彼もまたかつて釈迦の二番弟子(金蝉子)であったのにも拘らず、釈迦の説法を侮った故に罰として下界に転生させられていた。やがて貞観13年9月3日(639年)、三蔵は太宗と菩薩の命で天竺へ行くことを決意し、菩薩から教えられた己に従いし弟子達を探して旅立ったのだった。最初に三蔵は五行山にて悟空を助け出し、続いて鷹愁澗にて玉龍を導き、更に高老荘にて八戒を、最後に流沙河にて悟浄を弟子にしたのだった。

旅の途中での妖仙との戦い

贖罪の旅をする三蔵一行は天界が用意した八十一の難と対峙する。三蔵の袈裟が黒熊怪に奪われる、三蔵が黄風大王に攫われる、太上老君(老子)の炉の番人の金角・銀角大王と戦う、牛魔王の子・紅孩児と争う、観世音菩薩が飼っていた金魚が逃げ出した霊感大王と戦う、太上老君の乗用牛の独角兒大王と戦う、西梁女人国という女だらけの国で心ならずも三蔵と八戒が子を孕む(無論後に堕胎した)、三蔵が釈迦如来を刺した蠍の精に誘惑される、火焔山で悟空が紅孩児の母・羅刹女に芭蕉扇で吹き飛ばされる、その夫にして紅孩児の父・牛魔王と対決する、朱紫国で観世音菩薩の乗用金毛毛孔の賽太歳大王と戦う、獅駝嶺で文殊菩薩の乗用去勢獅子の一大王・普賢菩薩乗用黄牙白の二大王・大鵬金翅鵰の三大王と戦う、小子城で寿星(南極星)の乗用の鹿である比丘国国丈と対決する、鎮海寺で哪?太子(なたたいし)を兄と慕う地湧夫人(正体はネズミ)と戦う・・・など数多の苦難が一行を待っていた。

西天取経

旅の終盤、とうとう天竺に辿り着いた一行。底のない渡し舟で川を渡る。その時上流から三蔵の抜け殻である死体が流れてきて、三蔵は凡体を脱することができたと喜ぶ。その後釈迦と謁見、経典を授かるもそれは無字の経典だった。新たに字のある経典を授かるが、旅の日数と経典の数が八つ合わない為、一行は雲に乗せられて8日間のうちに東土から西天へ帰ってくるように命じられる。観世音菩薩が三蔵の災難簿を見るとあと一難足りないとある。そこで雲から落とされる一行。通天河に落ちた後、経典を乾かすが紙が岩にくっ付き、1字はがれてしまう。長安に戻って太宗皇帝と謁見する一行。経典を渡し、雁塔寺に納めると八大金剛が現れて一行を連れ去っていった。その後西天にて釈迦に称賛の言葉をかけられ、遂に五人は罪を許され、三蔵は旃檀功徳仏(せんだんくどくぶつ)、悟空は闘戦勝仏(とうせんしょうぶつ)、八戒は浄壇使者(じょうだんししゃ)、悟浄は金身羅漢(こんしんらかん)、玉龍は八部天竜(はちぶてんりゅう)と成る。悟空の頭からはいつの間にか緊箍の輪が消えていた。

西遊記を元にした作品

脚色し易い為か、日本では翻案が非常に多い作品として有名。ある時まんが情報誌『コミックボックス』において「どんな漫画があるか」と、漫画系古本屋「まんだらけ」の協力を得て集めてみた所、すぐ集まったものだけで数十作を越えたという。

上記のとおり、三蔵法師は実在した男性であるが、日本における西遊記を元にした作品では、三蔵法師役に女性がなっている場合が多い。これについては1978年から1980年にかけて日本テレビで放送されたドラマ『西遊記』で三蔵法師役を女優である夏目雅子が演じた影響も強い。

漫画

アニメ

ドラマ

(参考)
  • リスペクトされている作品
  • *「日曜はダメよ」(日本テレビ系列1993年4月17日〜6月26日)劇中劇という形で「西遊記」を行う。孫悟空:柳葉敏郎(神崎晃役) 三蔵法師:田中美佐子(森田風吹役) 猪八戒:中野英雄(飯島信夫役) 沙悟浄:唐沢寿明(佐伯政人役) ほかに、ドラマ中の節々に西遊記に影響されているといえる箇所が多々見受けられる。
ドラマ版の配役の推移
放送開始年月 孫悟空 || 三蔵法師 || 猪八戒 || 沙悟浄 || 玉龍(白馬)
1978年10月 | 堺正章 夏目雅子 西田敏行 岸部四郎 (なし)
1979年11月 | (同上) (同上) 左とん平 (同上) 藤村俊二
1993年 | 本木雅弘 宮沢りえ 河原さぶ 嶋田久作 (なし)
1994年4月 | 唐沢寿明 牧瀬里穂 小倉久寛 柄本明 柳沢慎吾
2006年1月 | 香取慎吾 深津絵里 伊藤淳史 内村光良 (なし)

映画(アニメ以外)

小説

絵本

舞台

ゲーム

楽曲

その他

外部リンク

脚注

参考文献

  • 中野美代子『西遊記の秘密 タオと煉丹術のシンボリズム』 岩波現代文庫  ISBN 4-00-602070-8
  • 中野美代子『西遊記 トリック・ワールド探訪』 岩波新書 ISBN 4-00-430666-3

関連書

  • 磯部彰 『西遊記』形成史の研究 創文社 東洋学叢書 ISBN 9784423192412

ブログレシピコミュニティお小遣いふくびき壁紙写真

Copyright(C)2009 GMO Media, Inc. All Rights Reserved.