読み込み中...石狩国(いしかりのくに)は、日本の明治維新直後に設定された地方区分の国の一つである。北海道に含まれた。道央に位置し、現在の石狩支庁のうち千歳市・恵庭市を除いた部分、後志支庁のうち小樽市銭函4・5丁目相当区域、空知支庁の全域、上川支庁の塩狩峠以南のうち占冠村を除いた部分に相当する。
日本書紀には、斉明天皇6年3月に阿倍比羅夫が遠征した際、大河の河口で蝦夷と粛慎の交戦を知ったとあり、この大河が石狩川にあたるとの説がある。また、擦文文化が盛んであった飛鳥時代から平安時代初期にかけて、札幌郡域内(現在の江別市)では江別古墳群が築かれた。これは胆振国千歳郡(現恵庭市)にあるものや北東北の終末期古墳と同様の群集墳であり、現在確認されているものの中では日本最北の古墳である。
時代が下り江戸時代ころになると、松前藩によって開かれたイシカリ十三場所、アツタ場所、ハママシケ場所などアイヌと交易をおこなう商場では、各地に運上屋なども作られた。制度的なものの詳細は商場(場所)知行制および場所請負制を参照されたい。場所と後の郡の相対は下記のとおり。
江戸時代後期になると石狩国域は西蝦夷地に属した。文化4年国防上の理由から西蝦夷地は幕府直轄地とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政5年再び幕府直轄地となりハママシケには庄内藩が陣屋を置き警護を行った。このころ上川郡域では松田市太郎や松浦武四郎らによって層雲峡温泉が発見されている。また、慶応2年の札幌郡域では、美泉定山によって定山渓温泉に温泉宿が建てられたり、札幌村が開かれる際大友亀太郎によって大友掘(後の創成川)が開削されている。
寺院は、安政年間に設置された西本願寺札幌出張所を起源とする本願寺札幌別院が、現在も札幌市にある。
神社は、元禄7年創建の石狩弁天社、天保年間には存在していた浜益神社、嘉永元年創立の厚田神社、安政年間創立の石狩八幡神社・篠路神社・発寒神社などがある。
このうち、北海道神宮と岩見沢神社(空知一宮)が一宮と称され、また旭川の鎮守・上川神社の旧社格は県社で現在は別表神社に加列されている。
※令制国としての一宮ではないが、全国一の宮会では北海道神宮(札幌市中央区)を「蝦夷国新一の宮」に認定している。
明治5年(1872年)の調査では、人口6003人を数えた。
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