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川嶋勝重

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

川嶋 勝重(かわしま かつしげ、男性、1974年10月6日 - )は、日本の元プロボクサー千葉県市原市出身。元WBC世界スーパーフライ級王者。身長164cm。千葉県長南高等学校(現・茂原北陵高等学校)卒業。「ラスト・サムライ」の異名を持つ。

人物

高校時代は野球部に所属。卒業後、地元の企業に就職するが、友人のボクシングの試合を観戦し、感動したのを機にプロボクサーになることを決意。1995年に元WBC・WBA世界ミニマム級王者の大橋秀行が会長を務める大橋スポーツジムに入門。

トレーナーは元OPBF東洋太平洋フェザー級王者の松本好二。夫人はジムの練習生だった。

ジムに入門するまでボクシング経験は全くなく、不器用であったためプロテストには2度不合格となった。練習生だった頃の川嶋は大橋会長曰く「光るもののない選手」であった。

5戦5敗の選手とのスパーリングで一方的に打たれ、過呼吸で倒れたことがある。

来歴

1997年2月20日、プロデビュー戦に2RKO勝利を収めた。

1997年11月8日、東日本スーパーフライ級新人王を獲得。同年12月20日全日本新人王決定戦では中野博に敗れ、獲得ならず。

2000年12月11日OPBF東洋太平洋スーパーフライ級王者ジェス・マーカに挑戦するも判定負けで王座奪取ならず。

2001年8月27日、元WBA世界スーパーフライ級王者ヨックタイ・シスオーとのノンタイトル10回戦に判定勝ち。世界ランク入りを果たした。

2002年4月20日、佐々木真吾を2-1の判定で下し、日本スーパーフライ級王座を獲得した。1度防衛後、王座を返上。

2003年6月23日、世界初挑戦。WBC世界スーパーフライ級王者徳山昌守に挑むが、0-3の判定負けを喫し、王座獲得ならず。

2004年6月28日、徳山に再挑戦し、1回1分47秒TKO勝ち。王者のV9を阻み、悲願のWBC世界スーパーフライ級王座を獲得。以後2度の防衛に成功した。

2005年7月18日、3度目の防衛戦で徳山と3度目の対戦。最終12回にダウンを奪った以外は見せ場らしい見せ場を作ることが出来ず、0-3の判定負けとなって前王者の王座奪回を許した。

2006年9月18日、WBC世界スーパーフライ級暫定王座決定戦で同級4位のクリスチャン・ミハレスと対戦。2回にダウンを奪うものの、113-114、114-113、113-114の1-2で判定負けを喫し、世界王座返り咲きならず。試合後、現役引退を表明した。この年8月2日に行われたファン・ランダエタ亀田興毅の王座決定戦では判定をめぐる議論が加熱し、この試合はその後初めて日本で開催された世界戦となったが、判定基準は非常に厳格なものであった。

2006年10月19日、前戦の小差判定に「軽率に引退を口にしたが、あの1ポイントの悔しさが込み上げてきた」と引退を撤回、ミハレスとの再戦を要望。

2007年1月3日、WBC世界スーパーフライ級王者ミハレスと再戦。王者陣営は試合前から神経戦を展開動じない…川嶋に元王者の貫禄 デイリースポーツ 2007年1月3日閲覧。試合では、前半はミハレスがアッパーを巧打し、川嶋がボディブローで押し返すという展開だったが、10回に川嶋はダウン気味のスリップを奪われ、立ち上がったところで連打を纏められてTKO負け。世界王座の奪還はならなかった。

2007年6月4日、一度は引退を表明したものの再度復帰戦のリングに立ち、3回KO勝ちを収めた。

2007年9月5日、再起2戦目。アディ・ウィグナとの10回戦に判定勝ちを収めた。

2008年1月14日、WBA世界スーパーフライ級王者アレクサンデル・ムニョスに挑戦。序盤は川嶋ペースで試合が進んだが、中盤以降、ムニョスの手数が勝り始め、11回にムニョスのストレートで腰を落としかける場面もあった。試合は判定に縺れ込んだが、0-3の判定でムニョスに敗れた。試合終了後、川嶋はリング上で「今までご声援有難うございました」と挨拶し、現役引退を表明した。これで川嶋は3度目の現役引退となった。

現在はテレビ東京系のBSジャパンでボクシング中継が行われるときに解説を務めるなどしている。

戦績

  • アマチュアボクシング:1戦1勝(1KO)無敗
  • プロボクシング:39戦32勝(21KO)7敗(1KO)

獲得タイトル

関連項目

外部リンク

脚注

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