読み込み中...

泉谷しげる

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

泉谷 しげる(いずみや しげる、本名:泉谷 茂1948年5月11日 - )は、日本シンガーソングライター(主にフォークソング)、俳優タレント青森県青森市長島出身の両親の元で生まれ、東京都目黒区青葉台で育つ。なお、彼は青森県に住んだことはなく、「青森県生まれの東京育ち」という扱いをされることが多い。ただ、3歳までは青森に住んでいた可能性がある。(詳細はエレック時代参照血液型O型。

シンガーソングライター

  • 東京都立目黒高等学校を1週間で中退後、いろいろな職についたが長続きせず、当時神様といわれた岡林信康に衝撃を受けフォークシンガーを目指した。
  • この頃には漫画雑誌『ガロ』に投稿し、漫画家を目指そうとしていた。

エレック時代

  • 1971年にライヴアルバム『泉谷しげる登場』でエレックレコードからデビュー。
  • 古井戸加奈崎芳太郎仲井戸麗市)、ピピ&コット佐藤公彦よしだよしこ)、生田敬太郎らと唄の市コンサートに参加。
  • このころ、よくライブでRCサクセションや古井戸と一緒にライブをやる。
  • よしだたくろう退社後の看板スターとして、エレックを支える。
  • 1972年セカンドアルバム『春夏秋冬』をリリース。タイトル曲"春夏秋冬"は彼の代表曲となる。なお、シングルでも発売されたが同名アルバムの音源ではなく、オムニバスライブアルバム「野音 歌の市」収録のライブバージョンでシングル化された。理由は、エレック関係者が「アルバムの音源はシングルにするにふさわしくない」と言ったからだと言われている。
  • その後も、『地球はお祭りさわぎ』(1972年)、『光と影』(1973年)をリリース。中川イサト西岡たかしとの連名アルバム『友だちはじめ』(1973年)や、イエローラストショウを従えロック色を打ち出した傑作アルバム『黄金狂時代』(1974年)を発表したのち、エレックレコードをやめる。
  • 『白雪姫の毒リンゴ』、『おー脳!!』、『眠れない夜』、『Dのロック』、『寒い国から来た手紙』、『うられうられて』、『火の鳥』、『戦争小唄』などがエレック時代の楽曲である。
  • のちに、デビュー前のスタジオ録音デモテープ集がアルバム『ベースメント・テープス』として発表される。
  • また、フォークシンガーとしてデビューする際に、東京都出身では、ハクがつかないので、エレック社の方針で、青森出身、として売り出した(アマチュア時代に出演していたライブハウス『青い森』に由来するなどの説があったが、2007年2月18日BSフジオールナイトニッポンアゲインで、3歳までは青森で育ったみたいだが、両親がそのことをまったく言わなかったなどと発言した)。

フォーライフ時代

  • 1975年小室等井上陽水吉田拓郎フォーライフ・レコードを設立。その第1弾アルバムとして『ライブ!!泉谷-王様たちの夜-』(1975年)を発表。
  • フォーライフ4人衆の連名ライヴアルバム『クリスマス』発表。
  • 1976年アルバム『家族』、『イーストからの熱い風』(1976年アメリカ録音のライヴアルバム)を次々と発表。
  • 当時の泉谷はアルバムを作る際、次のアルバムタイトルを既に決め発表していた。
  • ライブ!!泉谷-王様たちの夜-』の帯に『家族の前の‥‥』など記してある(再発物ではない)。
  • 1977年、ストリート・ファイティングメンをバックバンドにしたロックアルバム『光石の巨人』(1977年)を発表し、これを最後にフォーライフレコードを去る。
  • 吉田拓郎らの歌謡曲フォーク路線に嫌気がさした説や、当時「テレビ出演拒否派」の代表だった陽水や拓郎が「テレビ出演推進派」の泉谷にクレームをつけたなどの説がある。
  • 『野良犬』、『少年A』、『土曜の夜君と帰る』などが代表曲。

1970年代末・ワーナー時代

  • 加藤和彦プロデュースのアルバム『'80のバラッド』、『都会のランナー』を発表。『褐色のセールスマン』、『翼なき野郎ども』、『デトロイト・ポーカー』、『波止場たちへ』などがこの時代の泉谷の生み出した名曲である。
  • このころの泉谷作品は、ゆったりとしたロック・ヴォーカルを志向。加藤和彦もゲストヴォーカルで参加。
  • 評価は高かったがセールスには結びつかずライブ数を減らし、俳優の仕事が増える。

1980年代前半・ポリドール時代

  • 石井聰亙映画『狂い咲きサンダーロード』にて美術を担当。また音楽として『電光石火に銀の靴』、『翼なき野郎ども』、『国旗はためく下に』の各楽曲を提供。
  • 石井聰亙映画『爆裂都市 BURST CITY』にて美術を担当。自らも俳優として出演している。
  • ニューウェイヴ志向のバックバンド"BANANA"を従えた『オールナイト・ライヴ』を発表。
  • 今村昌平映画『ええじゃないか』タイトル曲『ええじゃないか/IBO!今夜は徹夜だぜ』発表。
  • ポリドールと契約後、スタジオアルバム『NEWS』、『39°8′』、『ELEVATOR』、ライヴアルバム『REAL TIME』発表。
  • *『SEDAI』、『1900s』、『メディア』、『FRONT』がこの時代の曲。デジタル志向が強い。

1980年代後半〜1990年代

  • 自主制作ミニアルバム『スカー・ピープル忌野清志郎プロデュース)』発表。吉田建村上”ポンタ”秀一(ドラム)を中心としたLOSERをバックバンドに活動。仲井戸麗市下山淳も参加。アナログ志向を全面に打ち出す。
  • 週刊少年ジャンプの投稿コーナー・ジャンプ放送局で、泉谷のキャラクター性がギャグ投稿の特集にされ、泉谷人気が復活しだす。
  • ビクターからアルバム『吠えるバラッド』『SELF COVERS』『HOWLING LIVE』『'90sバラッド』『叫ぶひと囁く』『下郎参上(下郎名義)』『WILD BLOOD』『メッセージソングス』『追憶のエイトビート』を次々と発表。
  • 『春夏秋冬(リメイク版)』・『長い友との始まりに』・『野生のバラッド』・『のけものじみて』・『ハレルヤ』・『極楽楽土』・『クレイジーラヴ』などが代表曲。
  • この当時、テレビ大阪の番組『竜馬で行く!』のメインパーソナリティーを努める(共演:太平サブロー、越前屋俵太)。
  • 氷室京介のソロデビューアルバム『FLOWERS for ALGERNON』に収録の『独りファシズム』の作詞を担当。
  • 北海道南西沖地震被災者救援のために「お前ら募金しろ!」と言うフレーズで「一人フォークゲリラ」と称したゲリラライヴを日本各地で敢行。その模様は自主制作ライヴ盤として発表。シングル『なぜこんな時代に』『激しい季節』は被災した人たちへの応援歌。
  • 1995年1月阪神・淡路大震災発生の際は、いち早く被災者救援のために立ち上がり、震災当日の夜から北海道南西沖地震の時と同じ「お前ら募金しろ!」と言うフレーズでゲリラライヴを日本各地で敢行。また、震災直後の神戸に入り、オールナイトニッポンの特番で被災者の生の声を中継した。そんな中で、同じく被災者救済を訴えていた大江千里と共に嘉門達夫のチャリティーシングル『怒りのグルーヴ 〜震災篇〜』のレコーディングに参加。その功績により、年度終盤にもかかわらず1994年度(第32回)ゴールデン・アロー賞特別賞受賞。
  • 北海道南西沖地震・長崎普賢岳噴火・阪神大震災のチャリティーライブを開いた際には、忌野清志郎小田和正吉田拓郎さだまさし大江千里ら多数のアーチストが駆けつけている。

1990年代末から現在

  • 2001年アフガニスタン侵攻のとき都内でゲリラライヴを敢行した。
  • また派手な毒舌を交えた辛口の歌いっぷりや評論も人気。
  • メジャーレーベルと自身のIZレーベルからアルバムを並行リリースしている。
  • 盟友忌野清志郎らと忌野・泉谷・スパイスマーケットを結成。ライブツアーを行うなど精力的な活動を行う。レコーディング予定もあったが泉谷はDr.コトー診療所のロケを優先。それ以来、忌野と(表向きは)疎遠になっている。
  • 2004年ガガガSPのコザック前田とのユニットでシングル『生活』もリリース。
  • 2007年、今作で5期目となるTVアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』のオープニングテーマを歌っていた(2008年より変わった)。
  • 2008年、5月11日還暦記念ライブを実施。秋、7年ぶりとなるニューアルバムをポニーキャニオンよりリリースすることを発表した。
  • 同年10月4日(土)22:00〜5日(日)早朝5:28にかけて60歳を記念して60×60泉谷しげる展覧会と銘打ち60曲のオールナイトライヴを行った。
  • ライブは3部構成に分けられ、それぞれの部各20曲を披露。60曲としていたものが3部は20曲の後にアンコール2曲を入れ合計62曲に。
  • 2部と3部の間、及び全曲終了後にはCD購入者にサイン、全てのサインが終わったのは開演から8時間40分後の6時40分であった。
  • 各方面で後世に残るコンサートだと評されている。
参加メンバー 藤沼伸一(g)、人時(b)、大島治彦(d)、中西康晴(kb)、小林香織(sax,flu)、
仲井戸麗市(g)、下山淳(g)、泉谷しげる(vo,g,バンジョー)

ディスコグラフィー

シングル

  • 春夏秋冬 c/w ロックンロールにゃ金かかる(1988年11月21日)
  • 激しい季節 c/w 冬の光(1994年4月6日)
  • 都市の夕映え c/w つなひき(1994年5月21日)
  • 永遠の約束 c/w ヘッドライト(1995年5月24日)
  • ゲゲゲの鬼太郎(2007年5月9日)
  • * テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第5作オープニングテーマ
  • すべて時代のせいにして(2008年5月11日)
  • * ライブ会場・通販限定販売(4曲マキシ)

アルバム

  • 泉谷しげる登場(1971年11月20日)
  • 春・夏・秋・冬(1972年4月25日)
  • 地球はお祭り騒ぎ(1972年11月25日)
  • 光と影(1973年9月25日)
  • 黄金狂時代(1974年10月10日)
  • ライヴ!!泉谷〜王様たちの夜〜(1975年8月25日)
  • 家族(1976年4月25日)
  • イーストからの熱い風(1976年10月25日)
  • 光石の巨人(1977年6月25日)
  • '80のバラッド(1978年10月25日)
  • 都会のランナー(1979年10月29日)
  • オールナイトライブ(1980年10月25日)
  • NEWS(1982年5月1日)
  • 39°8´(1983年9月1日)
  • REAL TIME(1984年3月1日)
  • ELEVATOR(1984年12月21日)
  • SCAR PEOPLE(1986年7月21日)
  • 吠えるバラッド(1988年1月21日)
  • EARLY TIME(1988年3月21日)
  • HOWLING LIVE(1988年7月21日)
  • IZUMIYA SELF COVERS(1988年12月7日)
  • '90s バラッド(1989年11月21日)
  • 叫ぶひと囁く(1991年4月21日)
  • 下郎参上(1991年10月21日)
  • ケースバイケース(1991年12月16日)
  • WILD BLOOD(1993年1月21日)
  • 自画自賛(1993年11月21日)
  • ひとりフォークゲリラ!LIVE!!(1993年11月21日)
  • メッセージ・ソングス(1994年5月21日)
  • 追憶のエイトビート(1995年7月21日)
  • 全身全霊〜Life to soul〜(1996年7月24日)
  • 対決〜復讐するは我にあり〜(1997年6月6日)
  • 私には夢がある(1998年7月15日)
  • 泉谷しげる LIVE展(1999年2月25日)
  • ベースメント・テープス(1999年4月21日)
  • IRA(2000年1月26日)
  • 起死回生(2001年9月1日)
  • R-15(2002年6月15日)
  • すべて時代のせいにして(2008年10月1日)

ラジオパーソナリティー・TVレギュラー番組

現在の出演番組

過去の担当番組

ゲスト出演

俳優

映画

(フレデリック・フォーサイス作品とは全くの別物)
(ちなみに、同姓同名「泉谷しげる」という映画照明担当者が実際にいる)

テレビドラマ

頑固親父的役柄が多い。また、泉谷は泉谷しげるの治外法権と言うコラムで「犯罪者役のお仕事の依頼、心からお待ちいたしております」と犯罪者役を得意としている。

アニメ

画家

  • ポップな作風のアートを披露。エレック時代のアルバムの再発版のアートワークは、泉谷自身のデザインに改訂されている。
  • 木梨サイクルに出演した際は、適当に絵の具を乗せた紙の上に、泉谷がパンツ一丁になり自分の体をこすり付け、「肉体の指紋」と言う作品を完成させた。
  • 映画『狂い咲きサンダーロード』では美術を担当。不良たちの独特な世界を演出。

映画監督・プロデュース

  • 拳銃殺陣師・第1部 死闘篇(1979年)
  • 怒りの誕生(1981年 8mm作品)
  • 爆裂都市 BURST CITY(1982年)※企画
  • ハーレム・バレンタイン・デイ(1982年)
  • ネイビー・ロック・ウォー 撃破せよ!(1990年 ビデオ映画)

泉谷しげるがイメージキャラクターを務めた広島ガス主催のトークイベントにゲスト出演した泉谷は、進行役からの「現在の夢は?」という質問に、「また映画を撮りたい!」と即答していた。

なお、主に特撮系の映画・ドラマなどで照明助手を務めている「泉谷しげる」は同名の別人である。

コメンテーター

  • 一見ひねくれているように見えて、実は物事を鋭く捉え、筋の通った真っ当なコメントをする泉谷のコメンテーターぶりも評価が高く、1993〜1996年の間、日刊スポーツにて『泉谷しげるの治外法権』というコラムを連載したり(このコラムは時事問題を歯に衣を着せない独自の泉谷節で切りまくる。この中には山本コウタロー槇原敬之の実名を挙げて批判する過激な文章もあった。後に同じ題名で徳間書店より単行本化)、現在はアサヒ芸能にて泉谷しげるのバカヤロー人生論を連載している。

タレント

  • 筋書きのある“乱入”が演出されていることが多い(オープニングから出ているのに新聞のテレビ欄には「泉谷乱入!」と書かれるのが常であり、嘉門達夫の楽曲「マーフィーの法則」でもネタにされている)。
  • 最近は「孫を溺愛中」という一面も出てきており、番組内で泉谷が暴走すると、他のタレントがすかさず「お孫さんが見ています」と言って暴走を止めるパターンが増えてきている。
  • また、その孫と一緒に毎年夏に金曜ロードショーにて放映される火垂るの墓を見るのだが、「ストーリーが分かっているのに毎年毎年、涙する」とおしゃれイズムで話している。
  • デーモン小暮閣下曰く、「気は真面目なおっさん」だそうである。また小田和正の泉谷評は「あいつはシャイだから」。武田鉄矢は自身の著書で泉谷を「歌と共に生きている男だ」と評価。泉谷は、誉められることを「イメージダウンになる」と嫌う。
  • 明石家さんまが「芸能界のボブ・サップ」と呼ぶぐらいの乱暴なイメージがあり、若手時代は公私共に無茶苦茶だったそうだ。だが、一度飲み屋で吉田拓郎と大喧嘩になった際、喧嘩に負けたというエピソードがある。この喧嘩の仲裁に入ったのが森山良子であり、泉谷曰く「森山良子が世界で一番怖い」。
  • 意外なことに酒が一滴も飲めない。『笑っていいとも!』などでそのことをよくタモリに突っ込まれ、怒った表情でタモリにからみつくのがお決まりのパターンである。また、タモリが司会を務める『ミュージックステーション』に何度か出演しており、過去には客席に乱入したり、ガガガSPのコザック前田と出演した際は、オープニングでは『タトゥーです』と書いてある紙を持って登場し、さらに『ロシア攻め込むぞ』『二度と来んな』『Mステなめんなよ』と暴走し、曲披露の際にも「他のやつに金使いすぎなんだよ!タッキー&翼のセットをくれ!」とセットに不満を持ち、エンディングでも「録画放送にしろ!」「2度と、俺を出すな!」などの発言で、この音楽番組に対するクレームを連発した。
  • 子供の頃から風邪を引きやすく、しょっちゅうお腹を壊していたらしい(本人談)。そうした「弱い」自分への反発から「過激な」キャラクターに憧れ、それをモノにしたと言える。
  • 良くも悪くも非常に正直な一面があり、『食わず嫌い王決定戦』において、嫌いなものを口にした瞬間に、口から吐き出すことがあった(後述)。また日刊スポーツで連載されていた泉谷しげるの治外法権においては、山本コウタローに対し「貴様がやった事は岬めぐりではなく、目先めぐりだ。俺はお前が大嫌いだ!広島ピースコンサートがシラケたのは、善意の募金を選挙の資金に使った挙句、落選して平然といられる事だ!よく読め!この野郎」と名指し批判をしたり、槙原敬之に対し「あいつの歌と言い、やっている事と言い、まるで笑ウせえるすまんのようなヤツだよ」と批判をしている。また、やしきたかじんに対して批判をすることもある。
  • 東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜」においてオトンこと中山兆治の役に選ばれ、速水もこみちと役柄上親子を演ずることとなった際は、「何でオレのような奴からもこみちが産まれるんだ、ミスキャストだぞ、バカヤロー!」と毒舌を吐いた。
  • 武田鉄矢は、泉谷を評して「『どこへ行っても生きていける人』」と述べている。海援隊が泉谷と汽車に乗り合わせていたときに一部の客が騒いでいた。泉谷が「静かにしろよ田舎もん!!」といつもの調子で注意すると、その客の小指がなかった。とっさに「僕が田舎もんですよ〜」と言い直したという(なおこの話は海援隊のライブアルバム「始末記」に収録されている)。
  • 顔が佐川満男にそっくりと言われることもある。
  • アメリカ人を嫌っておりジェネジャンで「アメリカ人なんてぶん殴ればいい」と発言したことがある。
  • 自身のアトリエには巨大な業務用の日焼けマシーンが置いてある。「地肌は白いんだが、白い泉谷なんて見たくないだろ」「静かな泉谷は誰も期待してない。俺だって泉谷をやるために大変なんだよ」とバニラ気分!出演時に心情を吐露した。
  • 幼少時に小児麻痺を患い、その後遺症から足を引きずりながら歩くようになった。

ゲスト出演

  • 土曜ショー
  • *『戦争小唄』『先天性欲情魔』の放送禁止歌を歌って番組を墓場行きにした。また、番組中放送された生コマーシャルそのものと、それで紹介された商品(焼き鳥缶詰)に「やるんじゃねえ!!」「うまいわけないだろうが!!」とクレームをつけスタジオを凍りつかせている。
  • オレたちひょうきん族
  • *盟友・忌野清志郎と鹿の格好で『奈良の春日野』を踊り、その後かなづちでセットを破壊。
  • 笑って許して!!
  • *ゲスト出演したが、登場時セットを破壊してしまう。
  • とんねるずのみなさんのおかげでした「食わず嫌い王決定戦」
  • *最初に吉川ひなのと対戦した時のことだったが、大嫌いなキャビアを無理やりたくさん食べた後に、突然なんと「まいりました」と、実食を待たずに降参してしまった。一瞬何のことか、とんねるずと吉川はすぐにはわからなかったが、その後「イヤ、もう辛いんですよ...」と苦しみ出して、本当に負けを認めたことがわかると、スタジオは前代未聞の珍事に爆笑の渦となった。後にも先にも実食せずに投了したのは泉谷ただ1人である。
  • *その後もボタンエビ水ようかんで立て続けに1回目で降参となり連敗する。
  • *4回目の出場となった2006年9月28日放送の『最弱王決定戦』で、泉谷と同じく同コーナーで負け続けている大竹しのぶと対戦するも、やはり1回目で降参(すっぽん鍋)。ただし大竹も同じく1回目(ロースカツ)で降参したため、結局再弱王対決は両者引きわけであった。
  • *いずれにしても、苦手なメニューに対しては顔から汗が出て、さらに水をがぶ飲みする所作で、あっけなく相手に見破られてしまう。またその時に、石橋貴明によく「じいじ!」と連呼されてしまっている。
  • 恋のから騒ぎ
  • *小林麻耶(現在TBSアナウンサー)に対し、椅子を持ち上げて怒鳴るなどのパフォーマンスを行い、小林を泣かせてしまう。その後泉谷は小林にフォローはした。
  • とくダネ!発 GO-ガイ!
  • *阪神ファンを評して「金正日に熱狂するの民衆みたいだぜ、全く…。」と発言し、顰蹙を買う。
  • HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP
  • *司会のダウンタウンから(泉谷が出る少し前に)松山千春が出演していたのを見ていたかを聞かれるやいなやいきなり「何であんなヤクザ出すんだよ!!」と言い放ち、ダウンタウンから「だけど結構みんな千春さんの歌を聴きたがっていた」と説得を受けるも、「あんな顔で聴きてえかよ!!」と一蹴。ちなみに『夜のヒットスタジオDELUXE』で共演したときは、千春と楽しそうにトークしていたため仲はよいと思われる。
  • *トークが盛り上がり、その拍子に浜田の髪を本気でつかむ。松本が「ヅラ取れたらどうすんですか!!」と冗談を飛ばし、浜田がそれにのって「いやあ、この人(泉谷のこと)はヅラの人かどうかはちゃんとわかっててやってる」と言うと「いや、でも、タモリのときはちょっと参ったなあ」と発言し2人から突っ込まれる。
  • スーパーフライデー オールジャパンベスト20(TOKYO FM
  • *番組パーソナリティである山本シュウの携帯番号を生放送で繰り返し暴露。おかげで山本の携帯にリスナーからのいたずら電話が殺到し、山本は番号を変えざるをえなくなった。
  • さんまのまんま
  • *歯に衣を着せない泉谷節で一方的にまくし立てた後、セットを破壊。

CM

この会社の社長が泉谷のファンであり、社長自ら泉谷に出演を要請した。

著書

  • わが奔走 It's my life(1988年2月 ISBN 4-947599-14-6)
  • 敗者復活 泉谷しげる詩集 1971‐1989(1990年10月 ISBN 4-401-61304-X)
  • お前ら募金しろ! 泉谷しげるのひとりフォークゲリラ(1994年5月 ISBN 4-643-94025-5)
  • 泉谷しげるの治外法権(1994年10月 ISBN 4-19-860182-8)
  • 泉谷しげるが作品IMPACT! 泉谷しげる作品集(1998年8月 ISBN 4-944174-07-1)
  • とぎすまされた六感 加害者の精神にふれた(2001年1月 ISBN 4-901219-07-3)
  • お笑い老人大国 オレたちが日本を喰い潰すぞ!(2001年2月 ISBN 4-334-00700-7)

その他

  • 大人時間
  • *スカイパーフェクTV!、スカイパーフェクTV!110(現e2 by スカパー!)のプロモーションチャンネルで放送のトーク番組KONTAとともに司会を務める。
  • 2004年、厚生労働省作成の「虐待から子供を守るための5カ条」のポスターに、「許せねえ、児童虐待」とのキャッチコピーとともに登場。
  • 2007年3月、ニューギン社より発売のパチンコ台「CR泉谷しげるの座頭市物語」の中で座頭市に扮する。渋い演出でパチンコ台としてはロングヒットとなった。泉谷しげるの話す座頭市の名セリフの数々(「どうしてもやろうってえのかい」「先に抜いたのはおめえさんだぜ」「また嫌なものを切っちまった」など)は一見に値する。

関連項目

外部リンク

泉谷しげるの関連ワード
 読み込み中...

ブログレシピコミュニティお小遣いふくびき壁紙写真

Copyright(C)2008 GMO Media, Inc. All Rights Reserved.