読み込み中...江戸時代からその存在を知られており、明治時代に温泉宿が設けられてからは保養地、観光地となった。
湧き出る湯量は豊富で1日1万トン。11種類の泉質を有するといわれているが、登別観光協会のHPによれば9種類の泉質である。硫黄泉、重曹泉が中心。
JR北海道登別駅の北北西に直線で約6km、クスリサンベツ川の谷に温泉街がある。駅前から北海道道2号洞爺湖登別線で通じる。湯が湧き出る地獄谷から、北の大湯沼に遊歩道が整備されている。
「地獄谷」は学問的に言えば爆裂火口の跡である。登別温泉最大の源泉エリアで、直径約450mのエリアに、15ほどの源泉の穴が密集している。11の泉質で、毎分3000リットルほどが湧き出しており、"温泉のデパート"とも形容される。観光用の歩道もあり、奇怪な光景を一周10〜15分で楽しめる。
温泉街から、東にある四方嶺(クマ山)にロープウェイが通じる。山上にはのぼりべつクマ牧場があり、東に倶多楽湖を見下ろす。
西に直線で約1kmの位置に「新登別温泉」が、北西に直線で約4kmの位置に「カルルス温泉」がある。
観光用の遊歩道が設けられており、散策が可能であるが、柵の外を歩くことは大変危険である。
間欠泉であり、湯量が減少するときに地鳴りとともに湯の色が変化するという特徴をもつ。
また、高山植物の群生も見ることができる。
過去にはこの湯沼から硫黄が採取されていたが、現在では行われていない。
成分自体は大湯沼と同じであるが、硫黄は底に蓄積せず、流出している。
大昔はアイヌの人々が温泉を薬湯として重宝していたといわれる。江戸時代には、最上徳内が『蝦夷草紙』でその存在を記し、弘化2年(1845年)に松浦武四郎が訪れ、温泉の魅力を綴った。安政4年(1857年)には近江商人の岡田半兵衛が道路を開削した。安政5年(1858年)には滝本金蔵が温泉宿(今の第一滝本館)を建て、新たに道(現在の道筋)を整備した。その後、日露戦争の傷病兵の保養地に指定され、全国に知られるようになった。1911年(明治44年)頃には旅館数軒を中心に50戸ほどがまとまり、馬車が通じていた北海道庁『北海道名勝誌』、1911年、50頁。。大正初めから昭和の初めまでは、登別温泉軌道という馬車鉄道〜路面電車も敷設されていた。
2004年、登別温泉地獄谷が北海道遺産に選定され、2008年には開湯150周年を迎えた。