読み込み中...以下に「東欧」という政治的概念の大まかな変遷をまとめる。
これらの地域にはキエフ・ルーシをはじめとするルーシの国々が誕生した。やがてこの地域一帯はロシア帝国の一部となり、ロシア革命によりソビエト連邦のヨーロッパ部分を構成するようになった。ソビエト連邦崩壊後は独立国家共同体が誕生した。
南東ヨーロッパとも呼ばれる。これらの地域の多くは東ローマ帝国やオスマン帝国の支配を受け、その影響を強く受けている。また、東ローマ帝国やオスマン帝国と、神聖ローマ帝国、オーストリア帝国など西方の勢力との衝突点であり、宗教でも正教会、イスラム教とカトリックが混在している。19世紀から20世紀にかけて、多民族を包含する巨大な帝国が失われた後、民族混住の地であったこの地域はバルカンの火薬庫と呼ばれ、両世紀を通してバルカン戦争や両世界大戦、一連のユーゴスラビア紛争などの多くの争いを経験した。これらの国々はNATOや欧州連合の加盟国であるか加盟を目指す国々であり、また南東欧協力プロセスや中欧自由貿易協定を結び、あらたな地域統合の道が模索されている。
また、旧東側に属した中央ヨーロッパの以下の国々を含む場合もある。中世から近代にかけて、これらの国々は神聖ローマ帝国やオーストリア帝国などのドイツ系の国々の一部であったり、その影響を受けたりしている。オーストリア帝国末期からその崩壊後にかけては、帝国からの自由とスラヴ人同士の連帯を希求した汎スラヴ主義運動の中心地であった。両世界大戦においてはドイツとロシア帝国、ソビエト連邦の衝突の地となり、戦後は東側諸国の一員としてソビエト連邦の影響下に置かれた。冷戦終結後は西側志向を強め、NATOや欧州連合への加盟を果たしている。これらの4箇国はヴィシェグラード・グループ(ヴィシェグラード4箇国、V4)という地域協力機構を作っている。
また、バルト諸国を含む場合もある。これらの国々は北ヨーロッパに含まれることもあり、バルト三国とも呼ばれる。フィン・ウゴル系やバルト系の住民が住む。ヴァイキングやドイツ騎士団、ロシア帝国の侵入を受け、長くその支配下に置かれた。第一次世界大戦時のロシア帝国崩壊に伴って独立を果たし、一時の自由を味わったものの、ドイツとソビエト連邦による密約・モロトフ=リッペントロップ協定に基づいてソビエト連邦の支配下に置かれた。冷戦終結時に独立を回復し、その後NATOや欧州連合への加盟を果たしている。
また、ソビエト連邦に属した以下の国々を含む場合もある。これらの国々はCISの加盟国か元加盟国となっている旧ソ連邦の国々であり、その領土の一部が地理的にヨーロッパにあるか、ヨーロッパと歴史的に深いつながりのある国々である。それぞれ別の時代にロシア帝国あるいはソビエト連邦の一部へと組み込まれていった。現在でも経済的にロシアとのつながりが深いが、政治的には親ロシア的なアルメニアから、NATO加盟を目指す西側志向のグルジアまで立場はさまざまである。
かつてはソビエト連邦の下で共産主義に属した国々を「東欧」と呼んだ。しかし1989年にベルリンの壁が崩壊し東欧革命によって各国の共産党政権が連鎖反応的に倒れると、こうした地域は「自分たちの地域のことを中欧と呼んでほしい」と主張するようになった。特にこういった傾向は旧オーストリア・ハンガリー帝国領に属していた地域に多く見られる。現在は日本でも1989年以前に東欧と呼んでいた地域の事を「旧東欧」と呼んだり、彼らの主張する「中欧」という言葉を用いるようになってきている。
現在外務省でこの地域を管轄しているのは「欧州局中・東欧課」である(ドイツ、オーストリア、スイス、リヒテンシュタイン、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア、マケドニア共和国、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ギリシャ、キプロス、セルビア、モンテネグロ、ウクライナ、ベラルーシ、モルドバがこの課の管轄)。