読み込み中...東京大学は、昌平坂学問所や天文方、さらに種痘所からの流れを汲み、欧米諸国の諸制度に倣い、日本で初めての近代的な大学として設立された。後に、政府直轄の大学となり「帝国大学」と改称した。その後、各地に帝国大学や官立大学が設置されていき、同大学も「東京帝国大学」と改称した。第二次世界大戦後、「東京大学」となった。
東京大学では特に創立時に定められた建学の精神はない。しかし、国立大学法人化に伴い、現在は「東京大学憲章」というものが定められている。東京大学憲章は、「大学」としての使命を公に明らかにすることと、目指すべき道を明らかにすることを目的として学内有識者会議によって制定されたものである。学部教育の基礎としてリベラル・アーツ教育を重視することを謳っている。
東京大学は、キャンパスによって教育内容・研究内容を大きく異にしている。教育内容の面からは、主に教養課程を実施する駒場キャンパス、専門教育を行う本郷キャンパス、大学院課程のみの教育を行う柏キャンパスに分けられる。また研究内容の面からは、伝統的な学問領域の研究を行う本郷キャンパス、学際的な研究を行う駒場キャンパス、新しい学問領域の研究を行う柏キャンパスに分けられる。こうしたキャンパス分立体制は、学部によってキャンパスを分けることの多い日本の大学では珍しい形態である。さらに現在でも入学時の教養課程を分化して設置している大学も日本では数が少なく、日本国内では珍しい存在となっている。
上で述べたようにリベラル・アーツ教育(教養教育)を重視しているのが東京大学の教育の大きな特徴である。教養教育は教養学部前期課程として開講されているが、その実施には東京大学のすべての学部・研究科・研究所が参加している東京大学教養学部組織規則 http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/reiki_int/reiki_honbun/au07406711.html 第3条。主に担当する教養学部では、各大学1件ずつしか応募できないhttp://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/tokushoku/03062701/002.pdf特色ある大学教育支援プログラムに「教養教育と大学院先端研究との創造的連携の推進」で応募したことが、大学として教養教育を重視していることの現れであるとしているhttp://www.c.u-tokyo.ac.jp/jpn/kyoyo/gakubuhou3.pdf。教育内容の詳細は東京大学大学院総合文化研究科・教養学部を参照。
現在においては、東京大学のより一層の国際化推進を図り、総長直轄の本部組織である国際連携本部を中心とした国際化推進計画が進行中である。
なお、最近では「知の開放」プログラムの一環として、諸外国の大学に倣い、一般向けの講義を中心に講義のビデオをポッドキャスティングで配信しているUT OpenCourseWare http://ocw.u-tokyo.ac.jp/podcasts/。
卒業生にノーベル賞受賞者がいる。なお、東京大学が博士号学位授与した卒業生は2008年現在で4名で、学士の学位を授与した卒業生は2008年現在で6名となっている。。
東京大学は自由な学風を特色としている。この学風は東大安田講堂事件に代表されるような学生運動にも現れている。大学の自治が問題となった東大ポポロ事件も起きているが、おおむね寛容の施策によるものであり、学問の自治は保障されている。なお、学内で研究を行っていけないのは、兵器等の殺人を目的とする装置類である中尾政之(著),失敗百選-41の原因から未来の失敗を予測する-,森北出版, 2005年11月, 後書より。
国立大学法人になって以降、積極的な改革を行いつつある。商標登録などのブランド力向上の施策(#シンボルマークを参照)、知的財産移転に関する関連団体の設立、任期付講師の積極的な外部からの登用、学外識者も参加する大学運営理事会などである。また、教育というサービスを提供する観点から、学内にレストランやコンビニエンスストアなど外部テナントの誘致を進めてきた。情報発信を強化する観点から、学生によるホームページの運営学生が作る東大HP UT-Life http://www.ut-life.net/なども行っている。
東京大学の起源は、1684年(貞享元年)に江戸幕府が設立した天文方と、1858年(安政5年)に江戸の医者の私財によって設立された神田お玉ヶ池種痘所まで遡る。1797年(寛政9年)に創設された昌平坂学問所(昌平黌)も東京大学の源流となっている(1871年に廃止されたため組織的に直接のつながりはない)。天文方はその後、1857年(安政4年)に蕃書調所、1862年(文久2年)に洋書調所、1863年(文久3年)に開成所と変遷していった。また、種痘所も1860年(万延元年)に江戸幕府へ移管された後、1861年(文久元年)に西洋医学所、1863年(文久3年)に医学所と変遷していった。
これら3つの教育機関は1868年(明治元年)に、開成学校、医学校、昌平学校となった。それぞれ洋学、西洋医学、国学・漢学の教育機関であったが、1869年(明治2年)にはこれらを統合するため、昌平学校が大学校(本校)となり、開成学校および医学校が大学校分局とされた。同年のうちに大学校、開成学校、医学校は大学、大学南校、大学東校と改称されたが、1870年(明治3年)には学制改革により大学が閉鎖されてしまう。1871年(明治4年)に大学は廃止され、大学南校、大学東校は南校、東校と改称された。両校は1874年(明治7年)にそれぞれ東京開成学校、東京医学校と改称された。1877年(明治10年)4月12日に東京開成学校と東京医学校が合併して東京大学となり、日本で初めての近代的な大学が設立された(なお、4月12日は現在「東京大学記念日」となっており、この日に入学式が行われている)。
本稿ではこの経緯から創立は天文方の設置年である1684年、設立は東京大学が誕生した1877年としている(なお、日本最古の大学については大学寮参照)。東京大学設立後の沿革については以下の年表を、歴代の総長については東京大学の人物一覧#歴代総長を参照のこと。
その他、創立以来日本全国各地に研究施設、実習施設、課外活動施設を設けている。
東京大学のスクールカラーは淡青(ライトブルー)である。これは東京大学ボート部が京都大学とボート対抗戦を行った際、乗るボートをくじ引きで決めたところ、京都大学は濃青、東京大学は淡青となったことに由来する。
また、各学部ごとのスクールカラーも存在し、例えば法学部は緑、医学部は赤、理学部は橙色、農学部は紫、などとなっている。
東京大学のシンボルマークは、黄色と青(淡青)の2枚の銀杏の葉を組み合わせたもので商標として登録(商標登録第4871651号)されている。このシンボルマークは「東大マーク」と呼称されているが、商標は図案のみの登録で「東大マーク」という名称は商標登録されていない。
この「東大マーク」は国立大学法人化された時に制定されたが、東京大学にはそれ以前から様々なところで使用されてきた銀杏のマークがあり(銀杏の葉の形状は「東大マーク」と類似している、中央に「大學」と書かれている)、「東大マーク(旧)」と呼ばれている。「東大マーク(旧)」は1948年に「銀杏バッジ」として制定されたものであり、正式な校章ではない。「東大マーク(旧)」も商標登録(第4868079号、図案のみ)されている。
これらシンボルマークのほかに「東京大学」(第4845999号、第4868078号)、「東大」(第4846000号、第4853892号、第4872824号、第4872825号、第4872826号、第4872827号、第4878617号、第4901389号、第4903509号、第4903510号、第4903511号、第4928970号、第4928971号)、「UNIVERSITY OF TOKYO」(第4871650号)も国立大学法人東京大学によって商標登録されている。「東大マーク」および「東大マーク(旧)」の図柄は公式サイト内の「東大マーク・校歌」に掲載されている。
なお、駒場Iキャンパスでよく見られる3枚の銀杏の葉を組み合わせたマークは、大学院総合文化研究科・教養学部のシンボルマークである。
東京大学には校歌が存在しないが、応援歌『ただ一つ』と運動会歌『大空と』が「東京大学の歌」として公認されている。
2004年6月に東京大学の校歌についての検討会が設置され、『大空と』を暫定的に校歌とする提案がなされた。しかし、『ただ一つ』の方が親しみがあるという意見が多く寄せられたため、『ただ一つ』と『大空と』を校歌ではなく「東京大学の歌」と位置づけた。
これに加えて新しい「東京大学の歌」の歌詞を公募したが、入選作品はなく、今後の対応は2005年4月現在検討中である。
東京大学で現在も歌われている歌には以下のようなものが存在する。楽譜・歌詞などは公式サイト内の「東大マーク・校歌」に掲載されている。また、これらの歌が収録されたCDも東大生協で販売されている。
東京大学内の大学生協や購買部などでは、商標登録された図形商標及びThe University of Tokyo名を入れた商品なども販売している。報道各社では東大ブランドと使う時には、こちらの商品以外のものにも使われる場合がある。大学公認の商品の場合には、図形商標及びThe University of Tokyo名が入った商品が大学公認のものである。なお、校章の入ったものは、学生証、本部出版物などに限られている。
東京大学の入学者は全員が6つの科類に分かれて教養学部に所属し、2年間の前期課程を履修する。その後、教養学部も含めた10学部に分かれて2年間(ただし医学部医学科と農学部獣医学課程、薬学部薬学科は4年間)の後期課程を履修する。前期課程から後期課程への進学時に行われる進学振分けについては東京大学大学院総合文化研究科・教養学部#進学振分けを参照。
なお、後期課程(3年次)への編入学、学士入学を行っている学部もある。
特記している以外の専攻には修士課程および博士課程が設置されている。
東京大学附属図書館は本郷キャンパスの総合図書館、駒場キャンパスの駒場図書館、柏キャンパスの柏図書館と、各部局ごとの図書館等、大小計52の図書館・図書室から構成されている。
蔵書数は総計800万冊を超え、国内の大学機関で最も多い。卒業生でも利用カード、あるいは東京大学カードを作ることで利用が可能となる。
財団法人東京大学出版会は東京大学総長を会長とする財団法人。独立採算性であり、組織的には独立しているため、正確には附属機関ではないが、東京大学本郷キャンパス内に事務所があることや東京大学関係者の書籍を発行することを目的としているため、本節においてまとめた。主に学術書や、大学の講義で使う教科書などを出している。なお、組織の詳細は該当記事を参照。
21世紀COEプログラムとして、28件のプロジェクトが採択されている。
グローバルCOEプログラムとして、16件のプロジェクトが採択されている。
特別栄誉教授とは、東京大学において世界的に著しい功績を挙げた教授その他として勤務した者に対して授与される終身称号のことである。東京大学より称号の授与とともに栄誉手当が支給される。2004年4月1日に「東京大学特別栄誉教授規程」を制定し、2005年1月1日付で初めて4人の東京大学元教授に東京大学特別栄誉教授の終身称号を授与した。授与者に関しては東京大学の人物一覧#特別栄誉教授授与者を参照。
東京大学稷門賞(とうきょうだいがくしょくもんしょう)は、東京大学の活動の発展に顕著な功績のあった個人、法人あるいは団体に授与される賞である。2002年度から授与されている。具体的には、私財の寄付、ボランティア活動、寄附講座設置などを行った者が対象とされている。
なお、稷門は中国の戦国時代の斉の首都・臨淄の城門の名前である。斉の威王、宣王が学者を都に集めたため、学府として栄えたことに由来する。
東京大学の教養教育は、カリキュラムこそ現代に合わせて変化しているものの実質的に旧制高等学校時代で重視されていた教養教育の流れを汲んでいる。大手予備校を中心に教育関係者やマスメディアの間では、現在の日本で旧制高等学校からの教養教育体系がそのまま維持されている大学は東京大学以外存在していないという評価がある。これは現在の日本では実学が重視されており、多くの大学で教養教育を大幅に縮小するというカリキュラム改変が実施されているためである。現在のカリキュラムの詳細についてはこちらを参照。
本節では、一般的な課外活動である運動会・サークルについて解説する。教養学部前期課程のクラス活動についてはこちらを参照。
東京大学の場合、課外活動を行う団体・組織は、大きく分けて運動会とサークルに分かれる。このうち運動会は一般に他大学で称されるところの体育会にあたる。学部学生は、原則として全員運動会に入会するので、学部学生であれば誰でも御殿下記念館などの施設を用いて運動を行うことができ、また運動会が主催する各種大会・講習会への参加、保健体育寮「スポーティア」などでの宿泊等が可能である。しかしながら運動会に所属する部が出場している大会等に参加する場合には、さらに当該する部に所属する必要がある。
課外活動を運動系、音楽系、文化系に分けた場合、運動系の活動は、運動会の部の他、サークルに参加しても行うことができる。また、運動会は運動系のための団体であるので、音楽系と文化系の活動を行う場合にはサークルに参加することになる。
東京大学には五月祭と駒場祭の2つの学園祭がある。五月祭が全学的な学園祭であるのに対して、駒場祭は駒場Iキャンパスに在籍している学生を中心として行われている。ここでは五月祭について解説する。駒場祭についてはこちらを参照。
五月祭(ごがつさい、May Festival)は東京大学本郷キャンパス(弥生地区も含む)で開催される学園祭。五月祭常任委員会により開催されている。例年5月末の土日の2日間にかけて開催されている。五月祭の起源は、1923年5月5日に東京帝国大学で催された第1回大園遊會であり、その後、全学大懇親會、全学公開と名称が変わり、1933年に現在の名称になった。
東京大学には各学部・学科ごとに同窓会が分立している。これは、東京帝国大学時代に各学部(分科大学)の独立性がとても大きかったことの名残である。最近になって、全学的な同窓会組織である「東京大学同窓会連合会」、「東京大学学友会」が発足したが、これらは同窓会の連合体であり、卒業生は各学部ごとの同窓会に加入している。ただし、2008年4月より東京大学学友会は「赤門学友会」に改称され、卒業生個人も加入できるようになった。
この他に、サークル・ゼミ・クラス単位の同窓会や地域ごとの同窓会もある。また、女子卒業生のみ(女子在学生も入会可能)の「さつき会」もある。駒場友の会は駒場キャンパスの同窓会としての性格をもっているが、大学関係者以外も加入できるため、厳密には同窓会ではない。
財団法人東京大学新聞社は、学生新聞「東京大学新聞」を発行している財団法人。編集委員はすべて東京大学の学生で構成されており、新入生募集などが一般のサークルと一緒に掲載されることもあるが、東京大学教授を理事長とする財団法人である点が大きく異なる。詳細は該当記事を参照。
社団法人学士会は、1886年に東京大学(当時は帝国大学)卒業生によって設立された同窓会組織であり、旧帝国大学出身者および教授・准教授(助教授)・学長とその経験者で構成されている。東京大学の卒業生の多くが加入している。
また、東京大学本郷キャンパス内に学士会分館があり、夏季にはビアホールが盛況である。ビアホールは1965年から毎年開かれていたが、経済学部学術交流研究棟建設のため2007年度で閉鎖された。
詳細は、該当記事を参照。
「東京大学キャンパス計画委員会規則」(平成14年2月19日評議会可決)では、「『本郷地区』とは本郷、浅野及び弥生の各キャンパスをいい、『駒場地区』とは駒場第一及び駒場第二の各キャンパスをいい、『柏地区』とは柏キャンパスをいい、『検見川・西千葉・柏II地区』とは検見川、西千葉及び柏IIの各キャンパスをいう」と定義されていたが、2007年1月の「柏地区キャンパス開発・利用計画要綱」(平成7年12月12日評議会承認)の改正により、現在では柏IIキャンパスは柏地区キャンパスに含まれることになっている。
東京大学構内には歴史的建築が多数存在するため、代表的な建造物については東京大学の建造物で詳しく解説している。
後期課程と大学院のほとんどが設置されているキャンパス。
教養課程などが設置されているキャンパス。
自然科学系研究所などが集中設置されているキャンパス。
「白金地区」あるいは「白金台キャンパス」とも呼ばれる。
「中野地区」とも呼ばれる。旧制東京高等学校があった場所である。教育学部附属中等教育学校もこのキャンパスにある。なお、海洋研究所は2009年までに柏キャンパスへ移転することを予定している。移転後の同研究所跡地は中野区の防災公園として整備される予定である。
検見川総合運動場はサッカー日本代表がかつて代表合宿を組んでいたことで日本国内のサッカーファンにはよく知られている。また、同運動場は、約二千年前の地層から大賀ハスという植物の種子が採集されたため、植物学者の間でも著名な場所となっている。現在は手放している。
本郷キャンパスの校門の一つである赤門(あかもん)はそのまま東京大学の異称にもなっており、日本国内の大学における第二次世界大戦前の異称にも影響を与え、「○門」という異称を持つ大学を増やした。また、鉄門(てつもん)は東京大学医学部が自ら名乗る異称だが、これも赤門に影響されて付けられたものと推測されている。現在の赤門は、重要文化財としての価値が主であり、東京大学を紹介するTV番組などでも、その背景に用いられる。。
高度経済成長期において、東京大学の入学試験は、日本社会に対して様々な社会的影響を与えていた。大学の入学試験がここまでの影響を及ぼしている事例は他にない。詳細は東京大学の入学試験を参照。