読み込み中...東京都(とうきょうと,英:)は、都道府県の一つであり、日本の首都機能が置かれている東京特別区および多摩地方、伊豆諸島、小笠原諸島を管轄する地方公共団体である。小笠原諸島を管轄しているため、日本最南端及び最東端(異説あり)の都道府県でもある。公式キャッチフレーズは、『らっしゃい東京』である。
東京都は、大きく分けて、東京特別区(東京23区、特別区、区部。旧東京市)、多摩地方、伊豆・小笠原諸島(島嶼部)の三地域に分けられる。
第二次世界大戦中の1943年7月1日に、東京都制(昭和18年法律第89号)が施行され 、東京府と東京市を統合した形で、東京都が設置された。第二次大戦後の1947年に、地方自治法が施行されたために東京都制は廃止されたが、「東京都」の名称と行政区域は変更されず、現在に至っている。このため、東京都庁は、市役所(23区を包括する市)としての機能と、県庁として広域行政体としての機能を併せ持つ。
「都内」「東京都内」と言うと、多摩地方と島嶼部も含めて全域を指すが、区部(旧東京市)のみを「都内」と呼んで、多摩地方を都下と呼ぶ事がある。これは、県内と県下が同義であることを考えるとおかしな表現であるが、かつて「東京市内」「東京府下」とされた呼称が、都制施行時にそのまま「東京都内」「東京都下」に呼び変えられたことで起こった慣習的な表現だと言われている。
「都下」という呼び方は、「都下スポーツ大会」のように公的にも使われていたこともあるが、差別的あるいは見下したともみなせる表現のため現在では使われることが少ない。
「東京23区(特別区)」は、他の政令指定都市の「区」とは大きく形態が異なる。区長は公選制であり、近年には都からの権限委譲が進んでおりほとんど「市」と同様の自治体になっている。しかし、 住民が区から市への名称変更に抵抗があること、 残る権限委譲についてまとまってないことから未だに「区」との名称が残っている。
都庁舎の所在地は長年千代田区にあったが、1991年4月1日に新宿区に移転した(跡地には東京国際フォーラムが立つ)。この新宿副都心に完成した新東京都庁舎は、展望台も設置された観光名所としても知られる。都の見解による都庁所在地は新宿区であるが、特別区の総称としての都市名で「東京」とされる場合もある。天気予報では、特別区を「東京」として表示する。国会は天皇によって、国会議事堂のある「東京に召集する」と詔書には書かれる。帝国議会は、東京以外での開催は広島市で開かれた第7回帝国議会の事例があるのみである。
特に東京都区部は、日本の首都として、司法・立法・行政の中心地であり、経済の中心地でもある。人口は12,577,819人(2005年12月1日現在)。日本の都道府県の中では、人口が最も多く、人口密度は大阪市と同程度。東京都区部を中心とした都市圏(首都圏)は、世界で最も人口が多い都市圏である。また、世界都市の1つでもある。
なお、東京都の英語表記は、Tokyo Metropolis(あるいは Tokyo Metropolitan prefecture)。東京都庁を指して東京都ということもあるが、この場合はTokyo Metropolitan Government。
現代の東京都の領域は、令制国の武蔵国の一角である。郡においては、東京特別区は豊島郡(中心部)、荏原郡、足立郡の一部、下総国葛飾郡の一部に相当する。多摩地方は多麻郡となっていた。近世初期に、葛飾郡のうち、隅田川から利根川(現代の江戸川下流)の間が、下総国から分離されて武蔵国に編入された。武蔵国は、現在の東京都全域だけでなく、埼玉県全域と神奈川県東北部を含む広い版図であるが、国府と国分寺はそれぞれ現在の府中市と国分寺市にあった。当初の武蔵国は、五畿七道では東山道に属していたが、771年に東海道所属に変更された。
延喜式神名帳には足立郡に氷川神社(名神大社)、多磨郡に小野神社(一宮)、阿伎留神社、青渭神社等が見えるが、後世武蔵国総社とされた大國魂神社や、東京の神社として著名な神田明神や日枝神社の名は見えない。
かなり古い時代から渡来人が住んでいたようで、亀塚古墳のある狛江郷(狛江市周辺)は高句麗に由来するとされ、他にも渡来人に纏わる伝承は多い。武蔵野の開発は渡来人の潅漑技術による所が大きいとされる。
中世には武蔵七党と呼ばれる武士団が興り、関東に進出した畿内の河内源氏の家人となった。源平合戦では豊島氏、足立氏、葛西氏らが活躍している。12世紀には豊島郡江戸郷の名が見え、この地を本拠とする江戸氏も興った。14世紀には、新田義貞が鎌倉幕府軍を破った分倍河原の戦いが知られる。
戦国時代には扇ヶ谷上杉氏の家宰であった太田氏が台頭し、江戸城を築いた太田道灌が武蔵国の掌握に力を注いだが暗殺され、小田原城を拠点とする後北条氏が武蔵国に進出する。北条氏政の弟・北条氏照は八王子城を築き、西方の甲斐国の武田氏に備えた。その後北条氏も、豊臣秀吉の小田原攻めによって滅んだ。
後北条氏が滅んだ後、東海地方から甲信を支配していた徳川家康が、関東地方(武蔵国を含むほとんど全部)への領地替えとなり、駿府城(旧静岡市)から江戸城に入る。やがて関ヶ原の戦いに勝利した家康は、1603年3月24日(旧暦2月12日)に江戸幕府を開き、江戸時代が到来する。ここに、首都は京都でありながら、江戸は行政庁所在地となる。幕府を開いた家康は進んで鷹狩りをやり、白金御殿などの御殿も造られた。江戸は人口の急増とともに町が拡大していき、18世紀初頭には人口100万人を超える世界有数の大都市(一説によると当時世界一)へと発展を遂げていた。5代将軍徳川綱吉の時代には現在の23区内唯一の喜多見藩があったが、数年で消滅に至ってしまう。
1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の徳川慶喜による大政奉還と1868年1月3日(慶応3年旧暦12月9日)の王政復古のクーデターによって江戸幕府が崩壊し、同年5月3日(慶応4年(明治元年)旧暦4月11日)の江戸城開城によって江戸は新政府の支配下に入った。6月30日(旧暦5月11日)、新政府は江戸府を設置し、9月3日(旧暦7月17日)に江戸が東亰(後に東京)と改称されると、江戸府も東京府と改称された。1869年に明治天皇が皇居(旧の江戸城)に入ると、名実共に、東京は近代日本の首都となった(首都を京都から東京へ移す遷都令はなく、東京を首都とする法的根拠もない、という意見もある)。
全国から新政府に仕える人々が集まり、多くは皇居周辺(後世の山手線内側)に住んだ。これが山の手族の起源である。また、築地には外国人居留地が設けられ、銀座には西洋風の煉瓦街が作られて、文明開化が進んだ。1871年8月29日(旧暦7月14日)の廃藩置県後、同年12月25日(旧暦11月14日)に東京府は隣接する品川県および小菅県などを合併して、現在の特別区(23区)部のうち世田谷区西部を除いた区域を管轄する東京府が発足し、東京は府庁所在地となった(ただし、実際に管轄区域が確定したのは翌1872年)。そして、1889年には市制施行で東京市が発足した。
大正期に入ると、東京市への人口流入は更に進み、1920年の人口は370万人になったが、1923年9月1日には関東大震災に襲われ、特に下町が大打撃を受け、一時、面積が半分程度の大阪市の人口が東京市を抜くことにもなった。近衛文麿政権に入る前までは、大阪が日本の経済・産業・文化・芸術の中心的な地位にあったが、近衛文麿以後の政権が戦時体制を敷いて、経済・産業・文化・芸術・教育、その他あらゆる分野の中枢を東京に集めた。
第二次世界大戦中の1943年7月1日には、東京市と東京府は廃止され、東京都が設置された。初代東京都長官は、内務省出身の大達茂雄であった。そして、第二次世界大戦末期の1945年3月10日には、東京大空襲によって市街地の大半が焼け野原と化した。小笠原諸島の硫黄島で地上戦が行われ、日米両軍に多大な犠牲を払った戦いであった。
1979年に鈴木俊一が都知事に就任すると、鈴木知事の意向も有ってか、東京都はバブル経済の涛に飲まれ、異常な地価高騰に見舞われた。1991年には、新宿に都庁新庁舎が完成し、東京の新たな象徴となった。その後はバブル崩壊が進み、1996年に予定された世界都市博覧会は、1995年に就任した青島幸男知事によって中止された。
1999年に石原慎太郎が都知事に就任して以降は、品川、丸の内、汐留及び臨海副都心などの再開発が目覚しく、石原知事の東京至上構想や、I LOVE NEW TOKYO計画の立ち上げなど、超過密都市でありながら、尚も活発な経済活動を示唆している。
財政状況は、景気の回復による都税収入の増加と、石原都政下での緊縮財政で、2000年前後の最悪の水準から大幅に回復し、一般会計が他の会計から借り入れる「隠れ借金」も2006年度で完済する目処が立ち、2005年度の一般会計では16年ぶりの黒字決算となった。起債依存度は全国の自治体で最低の5.8%と財政の健全化が進んでいる。
一方で、特別会計や監理団体なども含めた東京都の連結での負債(http://www.metro.tokyo.jp/INET/KEIKAKU/2005/12/DATA/70fck100.pdfの23頁)は、2004年度末に16兆9508億円、都民一人当たりの負債額は約135万円と共に全国最多であり、特別会計や監理団体の財政は厳しい。平成18年度の実質公債費比率は17.1%と、全国で8番目に悪い。総務省、同HTML生活保護を受けている世帯は、2005年4月現在140,848世帯で、人数は187,773人に上る。
東京都が策定した副都心。全部で7箇所ある。
東京都が「多心型都市づくり」を目的に「副都心」とともに策定した多摩地方の中心的都市。5箇所ある。
※ 関連記事「東京一極集中」「日本の経済#首都の過密と地方の過疎」も参照。
江戸時代の江戸は、幕府や各大名の藩邸が置かれ、政治の中心地として、国内最大の消費地であった。また、貨幣では金貨の流通が主流で、「江戸の金経済圏」を形成していた。しかし、「日本の富の7分は大坂に」と呼ばれており、経済の中心地は大坂であった。
また、江戸の税制は、天領(幕府領)や旗本からの税収が主体であり、今日のような中央集権的な税制ではなかった。
今日のような経済面での東京都区部への過剰な一極集中が起こり始めたのは、高度経済成長期以後である。
明治政府が東京市に本拠地を置くと、欧米列強に伍する国力を持たせるために、行政面で東京への一極集中を進めた。行政では、廃藩置県を実施して行政の中央集権を進め、地方統治は、地方在住の藩主から、中央から派遣される県知事に取って代わった。文化・経済では、首都たる東京一極に集中させようとした。しかし当時の文化・経済の中心は、富裕層の多い京都・大阪・神戸であり、これは戦時体制がとられるまで変わらなかった。各地方には、地方支配の拠点都市が幾つか制定されたが、東京もまた関東地方の支配の拠点都市となった。
近衛文麿政権によって戦時体制が作られ、第二次世界大戦に突入すると、東京府の新聞社は政府によって合併を強制され、4社の全国紙(朝日新聞、毎日新聞、読売報知、日本経済新聞)と1社のローカル紙(東京新聞)に整理された。この他、東京に本社を置く企業同士の合併と、京阪神に本社を置く企業と資本家の東京への移動も昭和10年代に相次いだ。終戦直前になると東京都制によって東京府と東京市が併合され、行政上の権力が強まった。
中央集権と一極集中による国造りの流れは、第二次世界大戦後も継承された。経済の東京一極集中は、高度経済成長期が第一の頂点、バブル経済期が第二の頂点、そして現在の平成デフレ不況が第三の頂点となっている。
第二次大戦後の東京一極集中は、メディアから始まった。第二次大戦終結から7年半後の1953年2月に、NHKがテレビ放送を創始したのを皮切りに、民間テレビ局も幾つか設立された。しかし、情報の独占を狙う政府によって、東京都区部(旧東京市)以外には、テレビのキー局の設立が事実上認められなかった。
高度経済成長期には、特に東京オリンピックの前後に建設ラッシュが起きて、その労働力が「金の卵」として東日本各地から集められた。
バブル経済の時期にも、東京都区部で地価が高騰し、「首都志向」の波が地方にも押し寄せた。それを象徴する歌に、吉幾三の「オラ東京さ行くだ」がある。この時期には、東京都の私立大学に進学する者が急増した。
バブル経済が破綻した後も、より一層、東京都区部への一極集中が加速している。そして、一極集中が加速するに連れて、製造業の本社が数多く興った地方都市や、本社が多く集まっていた他の大都市から、首都たる東京都区部に本社(本社機能)を移転する傾向が現れている。
その結果、国内総生産における東京都(多摩地方と伊豆小笠原諸島を含める)が占める割合は1/6に上り、全国の証券取引所における証券取引の約8割を東京証券取引所が占めるなど、日本経済において東京都(なかんずく特別区)は圧倒的な地位を占めるようになった。
1998年に、橋本龍太郎政権が実施した金融ビッグバン以降、東京都区部の渋谷区や港区にはIT企業が集中するようになり、新産業として特に青年労働力を吸収するようになった。また、既存の企業も情報化を進めるようになり、知的労働者を中心に東京都区部に労働力が集中するようになった。
そして、不良債権処理のため、企業が社宅や遊休地を転売したり、旧国鉄の跡地が民間に払い下げられたり、公有地の用途指定が変更になって埋立地等が住宅地転用できるようになったりしたため、都心や沿岸部を中心に高層マンションが次々と建てられるようになった。すると、高層化によって比較的安価になった物件が増加し、郊外から都心に住み替える世帯が増加するようになり、「土地バブル」の様相を呈している。
金融ビッグバンなどの影響で、外国資本が東京都区部に流れ込むようになると、株式や不動産投資信託などの金融部門で財を成した成金が現れ、六本木ヒルズなどの超高級マンションに住む者も現れた。
こうして、東京都区部では、山手線圏内には、都心に居住する富裕層の増加や「IT成金」の出現により、吸引力が一層強まっている。一方で、山手線圏外には、富裕層が集まる山手線圏内とは対照的に、生活保護を受ける貧困層が急増しており、二極化が顕著になっている。
他の地域から東京都区部へ通勤する者は、「○○都民」(例:茨城都民)と言われることがある。また、多摩地方から東京都区部へ通勤する者を、「多摩都民」と呼ぶことがある。バブル経済期に地価高騰が起こった際には、東京への通勤圏は、「北は宇都宮から、西は沼津から」と言われるまでに拡大した。近年では、都心部分への回帰現象も起こっている。
過剰な一極集中に対する反省から、国会で首都機能移転が論議された。しかし危機的な財政状況などから首都機能移転の論議は実質的に中断しており、最近では千代田区や港区など都心部の再開発が行われるなど、再び都心回帰の傾向が見られる。また、経済面では、情報通信インフラの整備に伴い、本社機能を東京に置く必要がないとして移転する企業も現れる動きも見られているが、未だ少数である。
この現状に対し、東京で地震などの自然災害が発生した場合、日本経済が大打撃を被る可能性があり、その上に75年周期で襲来する関東地震(東海地震とは異なる直下型)が近い将来起きることが予想されているため、東京への過剰な一極集中に対して、懸念の声が高まっている。
名目上の都内総生産は84兆7628億円(2001年度、東京都)で、日本の国内総生産の1/6(2001年度、東京都)を占めている。この比率は最近10年間において、ほとんど変わっていない。国内経済の低迷に伴い、都内経済も低迷傾向にあるが、国内景気ほど落ち込んではおらず、今後は国内経済の回復に伴って都内経済も回復すると見込まれている。
東京は世界第二の経済大国の中心として、今でも世界経済でも大きな地位を占め、東京証券取引所は、ニューヨーク証券取引所、ロンドン証券取引所と並ぶ重要性を持っている。
東京都の総生産の産業別構成比は、第一次産業が0.1%、第二次産業が18.6%、第三次産業が91.5%である(2001年度。この他に控除すべき数値があるため、合計は100%を超える)。このように、第一次産業が占める割合は極めて低く、第三次産業が占める割合が極めて高く、特にサービス業、卸売業、小売業の比率が高い。
首都であるために、マスコミが多い。更に、大手企業の本社や、外国企業の日本法人の本社などが数多く立地する。傾向として、区部には本社が多く、多摩地方には営業所が多い。
この点から、東京都区部は「本店経済都市」とも呼ばれており、本社の存在によって経済が成り立っているといっても言い過ぎではない状態である。東京都の産業連関表でも、「財(農林水産業、鉱業、製造業、建設及び電気・ガス・水道)・サービス・本社」という三部門に分かれている。また、東京都区部は関東地方の中心的な都市でもあるので、東京都区部に置かれる本社は、関東一円をエリアとする「関東支社」「関東支店」を兼ねる場合も少なからずある(→支店経済都市)。
東京都の耕地面積は8,460ha(2003年、農林水産省)で、全国最低である。農地は多摩地方に集中し、区部の農地は年々縮小している。農地が全くない地区もある。東京都では、大消費地に近い地理的特性から、野菜・果樹・花卉が主に生産されており、小松菜、ホウレンソウが主要な生産物である。特に小松菜は、中央卸売市場の総入荷量の内、32.5%(2000年、東京都)を占める。昔は練馬大根が特産物であったが、現在ではあまり生産されていない。
畜産業は、都市化の急激な進展によって、年々生産者が減りつつあるが、大消費地に近いという有利な条件を生かし、生産者は経営体質の強化を図っている。財団法人東京都農林水産振興財団・青梅畜産センター(旧:東京都畜産試験場)が新品種の開発に力を入れており、これまでに「TOKYO X」(豚)、「東京しゃも」(軍鶏)、「東京うこっけい」(烏骨鶏)が開発されている。中でも「TOKYO X」はブランドとしての認知度が高まりつつある。
東京都の森林面積は、東京都の総面積の約36.0%を占め、特に多摩地方西部の、あきる野市、青梅市、奥多摩町、八王子市、日の出町、檜原村などに、スギやヒノキなどから成る多くの山林がある。木材価格の低下、林業経営費用の上昇、林業従事者の高齢化などの要因により、衰退の一途を辿っている。森林の荒廃が進みつつあり、環境問題ともなっている。特に、奥多摩の森林から毎年発生する大量の杉花粉は、花粉症の原因として、住民の生活に多大な悪影響を及ぼしている。
かつて、東京湾は「江戸前の海」と呼ばれ、江戸前寿司の語源となるような漁場であった。現在の水産業の中心は島嶼部であり、伊豆大島付近、八丈島付近の海域での漁獲量が多い。種類としては、鰹、鶏冠海苔、鯵が多い。くさやの干物のような特産物もある。
東京都は、千代田区、中央区、港区、新宿区などの、いわゆるオフィス街に日本を代表する多くの大手製造業の本社が集まるとともに、京浜工業地帯の一角でもあることから、東京湾沿岸部を中心に事業所(工場)が多く集まる。特に大田区には、いわゆる町工場が多い。多摩地方では日野市、府中市、八王子市、羽村市、瑞穂町、青梅市などにも大型の事業所が多くあり、これら地域の製品出荷額も多い。
製造分野としては、印刷、情報通信機械、皮革、精密機械の占める割合が多く、これらの分野での製品出荷額は全国一位である(2002年、東京都)。この他には、電気機械、輸送用機械、一般機械の出荷額が多い。
いわゆる「大手ゼネコン」と呼ばれる総合建設会社の本社の多くが集中する。
※ この他、通信会社、マスコミ、IT関連、広告代理店、人材派遣など各種サービスを提供する会社の本社が置かれている。
東京都の商業は、生産額が19兆4627億円(2001年、東京都)であり、都内総生産の内23.0%(同)を占め、サービス業に次いで高い割合を占める。
日本の商業において、東京都が占める割合は大きく、事業所数は10.5%、従業員数は14.3%、販売額は32.2%(2002年、東京都)に及ぶ。いずれも全国一位である。特に卸売業の占める割合が大きく、事業所数は15.2%、従業者数は22.6%、販売額は38.7%(同)を占めている。事業所、従業員数に比べて販売額が大きいのが特徴で、取扱額が大きい事業所が多いことを示している。小売業は事業所数が9.2%、従業者数が10.2%、販売額が12.4%(同)で、卸売業ほど占める割合が大きくないが、全国一位である。
東京都の卸売業と小売業を比較すると、事業所数では小売業が卸売業を大幅に上回るが、販売額では卸売業が小売業に比べて圧倒的な割合を占め、矢張り卸売業では取扱額が大きい事業所が多いことが示されている。
東京都の卸売業は、事業所数57,653、販売額は159兆9582億5200万円(2002年、東京都)である。事業所数では、従業員30人以下の小規模な事業所が多いが、販売額は100人以上の大規模事業所が約5/8と、圧倒的な比率を占める。事業所は、特に中央区に多い。
産業小分類別に見ると、機械器具卸売業が販売額41兆3759億8400万円(同)で多数を占め、以下各種商品卸売業、建築材料、鉱物・金属材料等卸売業、飲食料品卸売業と続く。機械器具卸売業は、電気機械器具卸売業の占める割合が半数以上を占める。各種商品卸売業は、事業所数が149と非常に少ないにも拘らず、販売額が40兆4902億7300万円であり、非常に規模が大きい事業所があることが示されている。
東京都の小売業は、商店数119,016、販売額は16兆7460億3500万円(2002年、東京都)である。商店数は区部に多く、販売額に占める割合も多い。特に中央区、新宿区、渋谷区など、百貨店や家電量販店、各種専門店が集中する繁華街がある地域では販売額が大きい。
東京都内には、東京国際空港、調布飛行場、大島空港、三宅島空港、八丈島空港、新島空港、神津島空港の各空港が存在する。
東京国際空港は、羽田空港とも呼ばれ、大田区南部にある。日本国内で最大の空港であり、世界でも有数の規模を有する。日本国内の国内線を中心として、韓国ソウルの金浦国際空港及び中国上海の上海虹橋国際空港を結ぶ国際線と、少数の国際チャーター便が発着する。都心部との距離が近いため、日本政府の政府専用機や、国賓級の乗客が利用する外国政府の特別機も東京国際空港を使用することが多い。都心部との交通手段として東京モノレールと京浜急行がターミナル直下に乗り入れるほか、リムジンバスが都内、都下の主要駅や主なホテル、近隣県の主な駅との間を結んでいる。他に路線バスやタクシーなどの連絡手段も利用される。
東京国際空港に発着する以外の大部分の国際線は、千葉県成田市にある成田国際空港に発着する。東京都との連絡手段は、開港当時には東関東自動車道経由のリムジンバスと、ターミナルから離れていた当時の成田空港駅(現・東成田駅)まで乗り入れていた京成電鉄のスカイライナーに限られていたが、1991年3月から空港ターミナル直下に東日本旅客鉄道と京成電鉄が乗り入れるようになり、連絡状況は向上した。しかし東京都の都心部からはなお1時間程度を要することもあり、2010年の開業に向けて成田高速鉄道アクセスの整備が進められている。
多摩地方には調布飛行場があり、新中央航空が伊豆諸島へ少数の定期便を運航している。他の空港は島嶼部の空港である。伊豆大島にある大島空港には、羽田空港、調布飛行場、八丈島空港へ定期便が運航している。三宅島空港は、羽田空港へ定期便が運航している。八丈島空港は、羽田空港と大島空港へ定期便が運航している。新島空港と神津島空港は、調布飛行場への定期便が運航している。小笠原諸島には空港が存在せず、交通状況の改善のために空港を建設すべきか、自然保護を優先すべきか、論争を引き起こしている。
東京都の都心部では、東日本旅客鉄道の山手線が環状運転を行っており、山手線沿線に環状に連なる東京駅、上野駅、品川駅、渋谷駅、新宿駅、池袋駅、秋葉原駅などの各駅が、鉄道各線を結節する大ターミナルとして機能している。東京駅は、東京都の中央駅であり、日本の鉄道網の中心となる駅でもある。新宿駅は、都心西部の中心的な駅であり、1日あたり乗降客数は日本第1位であるのみならず、世界第1位をも誇る。
山手線内およびその周辺の都心部では、東京地下鉄、都営地下鉄、東日本旅客鉄道の山手線、京浜東北線、中央・総武緩行線が早朝から深夜まで数分間隔の高頻度で運行し、大量輸送システムの中核を形成している。
都心部と郊外の住宅地とを連絡する主に通勤通学用の近距離・中距離区間の鉄道は、山手線沿線の各駅をターミナルとして、京浜急行、東急電鉄、小田急電鉄、京王電鉄、西武鉄道、東武鉄道、埼玉高速鉄道、首都圏新都市鉄道、京成電鉄、北総鉄道、東京臨海高速鉄道の私鉄各社が運行している。東日本旅客鉄道の東海道線、中央線、埼京線、湘南新宿ライン、常磐線、京葉線、横須賀線、青梅線、五日市線、八高線、武蔵野線、