読み込み中...東京府(とうきょうふ/とうけいふ)は、1868年(慶応4年、明治元年)から1943年(昭和18年)まで存在した政庁及び日本の地方行政区画で、現在の東京都の前身に当たる。
1868年(慶応4年、明治元年)5月、江戸は東征軍の軍政に置かれたが、翌5月、軍は「江戸府」、「鎮台府」、「市政裁判所」を設けた。同年7月17日(9月3日)の江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書により「江戸府」が「東京府」と改称(改称当時の読みは現在の「とうきょう」ではなく「とうけい」であったTBSラジオ「話題のアンテナ 日本全国8時です」2007年7月17日放送分より)、9月には鎮台府が「鎮将府」に改められ、その翌月に元の南北町奉行支配地内を管轄する行政機関として東京府庁を設けた。
1869年(明治2年)3月、人口1万人を1区として区分けしたうえ、区を「番組」と名づけた。既市街地約90km²に50番組を置き、荒廃地および農村部190町89村を地方5番組に統括した。
同月、名主227名全員罷免。代替として「町年寄」ならびに「大年寄」「中年寄」を新設し、東京府の準官吏として任命。名主業務を新設の各「町用取扱所」に移管させる。
同年12月、府知事大木喬任の建議により、諸藩邸・武家屋敷地を接収して窮民救済のため桑・茶などの栽培を始める。
1870年(明治3年)、北海道花咲郡、根室郡、野付郡を編入。同年末廃止。
1871年(明治4年)4月、4ないし5ヶ旧町または7ないし8ヶ旧村をして1区と改めて再び区分けを為して、番組を廃す。年寄職を戸長、副戸長に改める。
同年11月23日(1872年1月3日)、長浜県世田谷飛地が廃され、その一部を併合(残部は神奈川県)。
同年11月28日(1872年1月8日)、品川県、小菅県、浦和県を廃し、旧府域に荏原郡、葛飾郡、足立郡、豊嶋郡の各郡の一部を編入。同時に新法に基づいて、郡・町・村の呼称を廃し、6の大区の下に97の小区を置き、「大区小区制」を敷く。
1872年(明治5年)5月、神奈川県旧多摩郡域より32ヶ小区を編入。
同年11月、大区小区制を廃し、「郡区町村編制法」により旧府域に15区を置く。同時に旧葛飾郡域を「南葛飾郡」、旧足立郡域を「南足立郡」、旧多摩郡域を「東多摩郡」にそれぞれ改称させ、なおかつ旧豊島郡を南北2郡に分かち、旧荏原郡を復活させて都合6郡を設けた。
同年12月、第一回府会議員選挙、当選者49名。第一回東京府会開会。
1880年(明治13年)10月、内務省より小笠原諸島を引継ぎ、出張所を設置。
1892年(明治25年)、内海神奈川県知事、富田東京府知事、南・北・西多摩郡の移管建言書を井上馨内務卿に提出。神奈川県会で移管反対派乱入事件が発生。
1893年(明治26年)2月、「東京府及び神奈川県境域変更に関する法律案」可決。県下多摩3郡の各首長、反対の意志を表して県知事に辞表を提出。理由は玉川上水の水利権の管理及び奥多摩地域の水源確保の為。
同年4月、現在の「市部」と世田谷区の一部にあたる西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡の3郡が神奈川県から編入されて、ほぼ現在の東京都の境域が確定した。
この間、1889年(明治22年)5月1日に、東京府内15区を東京府から分立して市制を施行し東京市としたが、特例により東京市長は府知事が兼ねた(府知事の市長兼務は1898年(明治31年)10月1日に廃止)。
東京府の府庁舎は、1868年(慶応4年、明治元年)の設置時には江戸城幸橋門内(現在の千代田区内幸町)の大和郡山藩上屋敷を接収して使用した。1894年(明治27年)に麹町区(千代田区)有楽町に新庁舎が完成したため移転した。ここが後の東京都庁本庁舎(丸の内庁舎。1991年(平成3年)に新宿へ移転)の所在地である。
1896年(明治29年)、東京市を「都」に改めて官選都長を置く「東京都制案」、府郡部を県とする「武蔵県設置法案」ともに帝国議会不成立。
1897年(明治30年)、市長を公選とする「東京市制案」、府郡部を県とする「千代田県設置法案」ともに帝国議会不成立。
1923年(大正12年)9月1日、関東大震災発生。8日、報知新聞が「大阪で遷都論沸く」と報じる。12日、宮内省、関東大震災直後ノ詔書「…東京ハ帝国ノ首都ニシテ……」発表。
1938年(昭和13年)6月、内務省、「東京都制案要綱」発表。東京市35区、内務省案反対を決議。
日本が第二次世界大戦に参戦すると、戦時体制構築のため首都行政の効率化・一本化が要求されるようになった。
1943年(昭和18年)1月、政府、「東京都制案」を提出。帝国議会にて可決。
同年7月1日、東京都制によって東京府・東京市が廃止されて「東京都」が設置された。それまでは、京都府、東京府、大阪府と「三府」であり、三府は、首府(首都)あるいはその代替地とされていた。
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